第八話 ヨシュア上級大佐は教会から召喚されます!

「神よ……」


 おそらくこの場で最もふさわしい文句を吐き出して、ヨシュアは頭を抱えた。

 彼は決して信仰にあついわけではない。

 それでも這い上がる胃痛を堪えるためには、祈るしかなかった。


 蛇十字基金、あるいはエ号資産。

 エイダ・エーデルワイスが退役軍人会どころか一般市民まで巻き込んで打ち立てた大規模資産の流れは、ついに総本山が知るところとなった。


 翼十字教会。


 汎人類生存圏に生きるあまねくものの生活へと関わってくる巨大宗教が、白き乙女の改革を耳にしたのだ。

 彼女が独断で動く分には問題なかった。

 しかし、退役軍人会を抱き込み。

 さらには彼らと行動をともにして――ボランティア活動へと勤しむことで、多くの民から信頼を得たのはまずかった。


 災害の復旧から、医療の提供、食事の用意に清掃活動。

 民草の生活に根ざした活動を続けることで、エイダの影響力は決して無視できるものではなくなり。

 結果、ヨシュアが総本山へと召喚されることになって、いま応接室で利剣が振り下ろされる時を待っている。


「そもそも、呼び出すべき相手は他にいるのではないか。もっと最適な人物が……」


 などとうそぶいてみるものの、聡明な頭脳が逃避を許さない。

 戦場の天使が問題行動に至ったなら、その事後処理はヨシュアを矢面やおもてに立たせる。

 これが軍部における内々の約束事なのだ。


 以前はレインの悪魔の方がよほど手を焼くと感じていたが、いまではむしろ彼女こそ天使のように見える。

 少なくとも、ヨシュアの元へ届くレーア・レヴトゲン絡みの報告は、戦果とセットであるからだ。


 しかし、今回は間違えようのない戦場の天使案件。

 これから彼は、教会側の折衝役と気の進まない対話を余儀なくされていた。

 自分に調査を一任したナイトバルトは、ここまで織り込み済みで命令を下したに違いない。


 事実を正確に把握している人間は、得てして生贄の子羊せつめいやくとして最適だからだ。


 彼が苦悩と胃の痛みに十分すぎるほど耐えた頃。

 ノックとともに、入り口が開いた。

 即座に立ち上がり礼を取り、そこで眼鏡の上級大佐は「おや?」となる。


 入室してきた二人組に、見覚えがあったからだ。

 一度目は野戦病院の視察で。

 そして二度目は、それこそエイダ・エーデルワイスの親任高等官就任祝いの席で、彼は彼女らと顔を合わせていた。


「お久しぶりですね……とでも言うべきかしら?」


 敬礼に応じ、翼十字を切って見せたのは、アメジストの瞳を持つ美女。

 頭巾からこぼれ落ちるのは春色の髪。

 全身を第一種戦時聖別礼装で包み、凜としたたたずまいをする彼女こそ聖女。

 ベルナデッタ・アンティオキア。


 そして彼女の背後で、影のように寄り添うものこそ、聖女の右腕マリア・イザベル。

 教会の構成員である聖女や回復術士と、軍部の橋渡しをする専門家。


 ほんの一瞬でも、見知った相手ならばやりやすいかと考えたヨシュアだったが、この二人の立場を思い出し、即座に考えを改める。

 やがては大聖女――教会第三位の地位へ就任つくことが内定している人物だ。こちらの都合になど合わせてくれるわけがない。


「無用だ。私は今回の一件を穏便に済ませるため派遣されてきた一佐官に過ぎない。既知であるからと対応を変える必要はない」

「そんなこと言って、また胃が痛いのでしょう? マリア、紅茶でも入れてあげて頂戴。あたしの分はブランデーをたっぷり入れて――」

「聖女ベルナ、職務中です」

「えー」


 えーではないと、メガネの侍従は聖女をたしなめる。

 しかし、ヨシュアにしてみればマリアの言っていることの方がよほど正しい。

 職務中に酒など、戦場ではないのだから許されても困る。

 ……たしかに、翼十字教会は飲酒をとする宗教ではあるが。


「そう、葡萄酒ワイン蒸留酒ブランデーは教会の血液、いくら飲んだって罰は当たらない……あー、解った。お話を終えてからにします。なのでマリア、無言で謎のメモを取るのは辞めて」

「メモ? これはわたくしが趣味でつけている、聖女ベルナ横暴日記(枢機卿すうききょう提出用)ですが?」

「いまさらっとおっかないこと言ったわね!?」


 わいわいがやがやと騒ぎはじめる二人。

 ヨシュアが咳払いを一つすると、彼女たちはぴたりとコントを止め、席へと着いた。

 同時に、ヨシュアへも着席を促す。


「では、本題へ入りましょう。ヨシュア・ヴィトゲンシュタイン上級大佐、今回あなたにご足労願ったのは他でもありません。エ号資産についてです」


 そらきたぞと身構えるメガネの上級大佐。

 テーブルには紅茶が運ばれてきたが、とても手をつける気にはならない。

 一方で、聖女は余裕綽々ようゆうしゃくしゃくと紅茶を飲み、こう切り出す。


「聖女が腹芸をするわけにいきませんから、単刀直入に――弁明は?」

「……エイダ・エーデルワイスは、確かに常識外れの振る舞いをした。教会が自らの領分を侵されたと激怒することも解る。しかし、それはこちらの管轄外だ」

「軍部主導によるものではないと?」

「……少なくとも、衛生課の総意ではない」


 言葉をあえて濁す。

 上層部が把握していないとなれば、手綱も取れないのかとなじられるのは目に見えている。

 同時に、衛生課が主導で行っていると答えれば、汎人類軍の要となりつつある医療部を失うことになりかねない。

 そうならないとしても、大きく教会から横やりを入れられては、立ちゆかなくなる可能性もある。


 宗教と領主、軍隊、兵士、これらは切っても切れない関係にあるからだ。

 すがるもの、規範意識、統治の手段……それらを教会から強く締め付けられては、今後の戦略が立ちゆかなくなる可能性もあった。

 つまり、最適解は事を穏便に済ませるため、エイダ・エーデルワイスの独断専行と切り捨てること。


 だが……これがヨシュアには難しい。

 私的な感情からではない。

 すでにエイダが、退役軍人会にまで手を伸ばしてしまっているからだ。


 退役軍事会とは即ち、かつての軍人である。

 軍部の泣き所も喜ぶ点も、全て押さえているとみて間違いない。

 無論、一枚岩ではなく、反発している者も多いはずだが……それでも要所を押さえられていることに違いはないのだ。


 一呼吸の間にここまで思考を積み上げ、ヨシュアは続ける。


「軍上層部としては、これをエイダ・エーデルワイスの暴走とは見ていない」


 最大限出来る譲歩。

 戦場の天使は正気であるとする担保。

 ――いや、彼女が正気であったことが一度でもあっただろうかと首をかしげかけたが、ここで折れれば以降の交渉、全てが頓挫とんざする。

 全力で思考の方向性を修正。


「あくまでも、彼女は個人の許された範囲内で行動を起こした。とがめられるいわれはないはずだ」


 これが、限界。

 こちらが譲り、あちらが飲み込める妥協点の際。


 教会の持つ既得権益、回復術士と癒やし処という性質を奪おうとした白き乙女を擁護できる部分は実質ない。

 しかし、大っぴらに圧力をかけ、個人を潰すというやりかたが難しくなるよう言葉は選んだ。


 さあ、どう応じる?

 聖女の反応を脳内で思い描き、数十手の対処案を構築しはじめたヨシュアは。

 しかしベルナの次の言葉で、その全てを忘却してしまった。


「事情はわかりました。枢機卿は、これを全てお認めになると仰っています」

「なるほど、全て認め――は?」

「ええ、アーディナル枢機卿猊下が、今回の一件を容認する声明を出す準備をされております」


 ヨシュアは、ただ唖然とするしかなかった。

 なぜならそれは。

 汎人類生存圏において、人類王と唯一比肩ひけんしうる存在。

 翼十字教会最高位の聖職者である〝教皇〟を補佐する人物。

 実質的に、あらゆる権限を握る教会の支配者たる枢機卿が。


 エイダ・エーデルワイスの行動を、容赦ようしゃした瞬間だったのだから。

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