第九話 図面を引いたものです!
教皇はまだ十に満たない少年である。
この
民草からは慈愛の化身と呼ばれ、逆に政治や軍事に関わるものからは最も腹黒い
曰く、よき職場でよき上司となりたければ
曰く、
とにもかくにも金、金、金。
一も二もなくこの世は金、主は金、お金様と言って
軍部の知るアーディナル枢機卿とは、そのような人物である。
それが、これほど明確な資金の流れを容認するなど、あるはずがない。
少なくとも、ヨシュアにはこの
「いや、待て」
違うと、眼鏡の上級大佐は己の頭脳へと
ここは自分の戦場だ。
多くの兵士達が
でなければ、とても戦友たちに顔向けが出来ないのだから。
魔術式、起動。
外的演算術式、順転。
演算能力、最大化。
高速思考――開始。
……もしも、もしもである。
エ号資産の動きによって、教会に利益があるならばどうだろうか?
教会でなくてもいい。末端、あるいは枢機卿自身にメリットがあるとすれば?
経済の流通から、立身出世、文化の形成、マナーの定義まで、あらゆる分野に深く根を張る教会、あるいはその支配者が利益と
それは、つまり――
「〝病院〟は取り引き材料?」
「……
クスクスと笑い、お茶を飲む聖女。
だが、ヨシュアはとてもではないがそんな気持ちにはなれない。
なぜならば、彼女はこう言っているのである。
エイダ・エーデルワイスが掲げる戦場医療の市井還元。
教会はこれを援助する。
ただし――医療を実施する施設として各地に病院を建造し、それを教会が管理すると。
つまるところ、実利の全てを持っていくと宣言したに等しいのだ。
「民は上に立つ者より、身近に手を差し伸べるものこそを選ぶ……」
教会の数が増え、市民の教会に対する
どのように優秀で強権を持つ為政者であっても、民を裏切れば悲惨な末路を辿ることは、歴史が証明しているからだ。
市民の不満、その受け皿として教会が機能してきた事実など否定のしようがない。
今回の一件で、枢機卿がこの機能を最大化させようとしているなら、これから生じるのは……絶対的な政治基盤の確立。
癒やし処を基点にすえ、施しによって人心を掌握。
これを実行したのは枢機卿であると喧伝し、一切の権力を握ることも絵空事ではない。
ヨシュアは総毛立った。
こんなもの、自分ひとりでは対処できるはずがない。
「違う」
脳内を疾駆する魔力の
こうなることをナイトバルトが見越していたならば? という仮定。
ここまでのすべてが、あらゆる権力者達にとって既知の盤面であるなら、どうだろうか。
そうだ、あの
彼らの師であり、魔族の大進行を南方で押しとどめてみせた大軍師、ルーシー・ユーリズムが、老いたとはいえこの有事を捨て置くわけがない。
まして人類王が、ただ一人をして総軍に匹敵するとまで言われた覇者が、看過するなどそれこそ絵空事、枢機卿にとって都合がよすぎる夢物語。
そうだ、絶対にない。
であるならば、眼前にいる聖女の立場はなんだ?
この盤面において他に比肩し、ヨシュアを圧倒できる役職となれば――
「申し遅れましたが」
そこで、聖女の侍従が。
眼鏡のマリア・イザベルが
「聖女ベルナは、数日中に大聖女となることが決定しております」
ヨシュアは絶句する。
いま、無数の情報、その断片に一条の光が通った。
この謀略の中心にいる人物が誰であるか、彼は確かに理解したのだ。
それが解ったからだろう、聖女――否、明日の大聖女が微笑む。
「あの娘と付き合うときの秘訣を教えてあげる。まず、最悪を予想する」
ヨシュアの沈殿した記憶より甦る過去。
通商都市のギルドマスターに、自分は何と忠告をした?
最悪を、予想すれば。
「
そう、白き乙女とは。
戦場の天使とは。
ただひとつ〝命〟を救うためなら、なにもかもを利用せしめるのだ。
舞台の中心に立っていたのは、他ならないエイダ・エーデルワイスだったのである。
「教会の教えにはこうあるわ。
結託。
密約。
暗闘。
そのすべてが、美しく正しい説法の中に煮詰められていた。
利益のためならば、
各地に病院を作り、これによって市民を管理し、莫大な利益を上げ、政治基盤を固める。
このために、あらゆる人間が手を取り合っていた。
思想も、立場も、信じるものすら違う者たちがだ。
「――ッ」
今にも崩れ落ちそうになりながら、ヨシュアは奥歯を噛みしめ、激痛を訴える腹部を握りしめて
自分が、酷く恐ろしく、とてつもなく巨大な生き物の腹の中へ囚われているという事実。
けれど、課された責任が、意識を失うことを許さない。
この場に召された理由など、ここまで来れば単純明快。
これより起きる利権というパイの奪い合いで、軍部が僅かでも有利になるよう取り計らうこと。
それが、同僚たちの死を遠ざけると信じて、ヨシュアは残された
「……枢機卿
相手が答えればよし、今後、後任が交渉する相手が定まる。
答えなければまたよし、後ろめたさがあちらにあるという証明となる。
それは、
だが、聖女の言葉はあまりに予想外の代物だった。
「その問いかけへの答えは、無しよ」
「教えられないと?」
「いいえ、猊下に存念はないのです。時代のうねり。まるで全てが噛み合ったかのように回転してあの娘を飲み込んだ。いいえ、あの娘の生み出したうねりが、いま津波となって全てを巻き込もうとしている。猊下ですらね」
ヨシュアは片眉を怪訝そうに持ち上げた。
確かに物事の中心にはあの白き乙女がいるだろう。
しかしこれほど大それた図面を引けるのは、この盤面であればアーディナル枢機卿の他を置いていない。
ならば、舞台の裏で糸を引く脚本家が考えることは――
「まさか」
そこで、ヨシュアの思考が、飛躍した。
「彼は、猊下は」
王権の
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