第二話 昼夜なく働いていたら兵隊さんたちに泣かれてしまいました!

「いい加減、休んでみたらどうですか」

「……ふぇ?」


 唐突にそんなことを告げられて、簡素な昼食を摂っていたエイダは、目を瞬かせた。

 223連隊の仲間から譲り受けた、小さな飴玉が、その日の彼女の食事だった。


「えっと……」


 普段から張り詰め、気を抜くことなどめったにない少女の口から漏れ出したぼやけた言葉は、彼女の疲労がピークに達している証左でしかなかった。

 もっとも、エイダが呆けた最大の理由は、休めと口にした相手がマリア・イザベルだったからだ。

 疎まれている、と思っていた相手である。


「マリアさん……?」

「ええ、回復術士と軍の折衝が仕事であるマリア・イザベルです。術士の待遇や、生活についても聖女に準ずる形で発言権を持ちます。……はい、わざわざこうまで言ったのですから、わたくしの要求は理解できますわね?」

「……、…………?」

「めっちゃ首をかしげるじゃありませんか、あなた!」


 実際、エイダにはちんぷんかんぷんだった。

 もし彼女が普段の聡明さを維持していれば、マリアの立場になりきって、明快に問題点を見いだしていただろう。

 しかし、いまの彼女にはそれが出来なかったのである。


「働き過ぎなんですよ、あなたは」

「…………」

「いくら軍属で指示系統が違うと言っても、見過ごせないぐらいの超過労働なんですよ、あなたは!」


 ちらりと、古城の中庭で、軽度の運動をしている兵士たちを見やりながらマリアは続ける。


「先ほどまで、何をしていらっしゃいました?」

「はい。傷病をわずらっているとはいえ、人類には適度な運動が必要です。なので、兵士のみなさんと、球蹴りをしていました」

「……その前は?」

「暇を持て余したみなさんの気が滅入らないように本の読み聞かせをしていました。読み書きが出来ない方のために、ちょっとしたお勉強会も準備しています」

「その前は?」

「えっと……」


 エイダは、指折り数える。


「室内の換気が出来るよう古城の改築を行ったのは……あー、これはだいぶ前ですね。窓をつけましたから、だいぶ空気の淀みがなくなりました。残念ながら助けられなかった兵士の皆さんの簡易合同葬をやったのは、それより前で……つい先ほどまでは戦場で負傷者を担いで塹壕に連れて行き応急手当を施していて……」

「もういいです」

「いいんですか?」

「ちっともよくないですが……いいです」


 ぷりぷりと怒ったマリアは、腰に手を当てて。

 埒があかないと判断した少女に、直接的な言葉を投げかけた。


「それで、あなたは最後にいつ、眠ったのですか?」

「――――」


 エイダは、即答できなかった。

 明晰であることが取り柄の少女は、一時的に固まった。

 眠った記憶が、本当になかったからである。


「なんの話をしてるんだい?」

「エイダちゃん、どうかした?」

「あ、マリアさん、おはようございます」


 うんうんと頭をひねりながらエイダが考えていると、周囲に人が集まってきた。

 術士に看護士、機能回復訓練をしていた兵士たち。

 彼らはエイダを見るなり、それぞれのやり方で祈りの印をきってみせる。


「天使さま」

「いと尊き天使さま」

「俺たちの救い主」

「すこし顔色が悪いんじゃないか」

「それは大変だ! 休んでもらわないと」

「眠ってください天使殿!」

「お願いだ、休んでくれよ!」


 黒山の人だかりとなった中庭で、兵士たちが口々に、好き勝手にわめき立てる。

 エイダが疲弊していることは、彼らの目にも明らかだった。

 だが、涙を流してまで休息を請われるとは、はっきり言って少女には予想外で。


 そうしてマリアにしてみれば、それこそが問題としか表現できない出来事だった。


「まずいわ……これはまずい……」


 聖女の補佐官は、爪をかみながら、独りごちる。

 彼女は術者統括である聖女の補佐官だ。

 だから、術士全体の健康に対して目を配る必要があった。これは事実である。

 エイダに休息を促そうとしていたのは、職務に忠実であったからだし、軍属と出向では異なるとはいえ、同族意識があったからだ。


 だが、いまは状況が違う。

 周囲の傷病兵たちは、口々にエイダを案じ、声をかけ、なかには涙を流してまで休息を取ってほしいと懇願するものまでいる。

 そうして兵士たちは皆一様に、エイダを〝天使〟と呼ぶのだ。


 偶像の如く、崇め奉られている。


 それがまずかった。

 聖女を支える人間として、曲がりなりにも教会と接点を持つものとして、看過しがたい事態だった。

 人が神の御遣い、天使を名乗るなどあまりにおこがましく、聖女を差し置いて信仰を集めるなど、あってはならないことだったのだ。


 マリアとて、エイダの度の過ぎた献身は評価している。

 それでも、これ以上彼女が手放しに、天使や信仰の対象として扱われることは避けなければならない。

 だから、涙ながらにエイダへ群がる者たちを制止しようと、口を開きかけて――


「まったく、なんの騒ぎかしら?」


 いま最も聞きたくない人物の声が、それを遮った。


「せ――聖女ベルナ」


 まずい、絶対にまずい。

 マリアは震える。ベルナは完全に教会側の人間――それどころか参謀本部直轄の独自権限を与えられた術士たちの総括役だ。

 それが、このふざけた騒ぎを耳にしたら――


「天使、という言葉が聞こえたわね。赤い瞳、白い髪の天使と言えば……導くもの、堕天使レーセンスね」


 ぐるりと彼女が睥睨すれば、重たくのしかかるような緊張感によって、歴戦の戦士たちがピタリと口を閉ざす。

 聖女とは、単なる役職ではない。

 それにふさわしい奇跡を起こしてきたものに与えられる、絶対的な権限と同義なのだ。


 もしベルナがことを問題とすれば、それはやがて、この場にいる全員が査問を受け、最悪――軍法会議にかけられる、という未来にもなり得る。

 それだけの威権を、強権を、聖女は与えられている。


 なんとかしなくては。

 取りなしのために、マリアは言葉を紡ごうとした。

 けれど。


「――――」


 聖女の紫色の瞳を見て、言葉を飲み込んだ。

 あまりにも、途方もないほど澄み切った、権力と無縁の清浄な輝きが、そこにはあって。


 ベルナが、言う。


「あんたたちは、その小さな娘を天使に祭り上げたいようだけど……天使って、何かしらね? 傷ついたものの頭に、お花の冠を載せてあげる優しい娘のことかしら? それなら無害で結構だけど。ねぇ、エイダ。エイダ・エーデルワイス高等官。あなたは、自分をなんだと思う?」

「…………」


 タダでさえ疲労困憊でふらふらとしていたエイダは、この騒ぎでいよいよ限界を迎えつつあった。

 しかし、ベルナの問いかけには答えなければならないと、どうしてだか胸の内側から強い感情が湧き上がった。


 エイダは告げる。

 悩むでもなく、自然のままに。

 困憊のなかで、即答する。


「私に出来るのは、苦悩する皆さんと、ともに歩むことだけです」

「そう? じゃあ、もうひとつ。結局、あんたはこんな地獄のような戦場で、何をしたかったのかしら?」

「私は」


 今度は、すこし。

 いや、たっぷりと考えて。

 やがて言葉が、少女の口をついて出た。


 自分が本当にやりたいことは、なんなのかと。


「助けて――と。伸ばされた命、そのすべての手を取ること」


 これまで茫洋としていた彼女の行動理念が。

 言葉にした瞬間、明確な形を取った。


 曖昧に、せっつかれる想いと病的な信念によって行ってきた医療行為。

 応急手当、兵士たちの後送、衛生環境の徹底。

 なにもかもが、このときのためにやってきたのだと、彼女は確信した。


 答えを得た様子のエイダを見て、聖女は満足そうに頷く。

 そうして、


「ね? その願いを叶えるためには、あなたが損なわれてはいけないのよ。だから、皆が言うようにまずは休んで――」

「解りました! ああ、私、どうしてこんなにも簡単なことを思いつかなかったのでしょう! 自分の不明を恥じ入る思いでいっぱいです!」


 聖女の言葉を、何もかもをぶっちぎって。

 溌剌と、まるで天啓を受けたか如く舞い上がった少女は。

 そうして、次のように宣言をしたのであった。



「私が潰れては元も子もない? ならばつまり――私を〝量産〟すればいいのですね!」



「――――は?」


 聖女は。


「はぁあああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 唖然とした絶叫をあげたあと、白目を剥いて気絶した。

 どうか聖女も休んでほしいと、切に願うマリアだった。

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