第四話 〝紙の兵隊〟です!

「はぁ!? なんなのアイツ! すっごい感じ悪い。あのキザ髭、中将閣下の百万倍ムカつく!」

「激務でお疲れなのでしょう。なにせ、最前線の兵站を一手に指揮してらっしゃるのですから」


 ザルクが戻ると、ハーフエルフの少女は牙を剥き、白い上官へと鬱憤うっぷんをまき散らしていた。

 エイダはといえば、何事もなかったかのような顔で書類と向き合っている。


 しかしザルクは内心で首をかしげていた。

 これまでの経験上、救命のためなら物資の出所など区別しないのがエイダ・エーデルワイスだ。

 それがキノワからの援助を断った。

 なんらかの理由があると考えるのが自然だろう。

 思いつくところは幾つかあるが、その最たるものは――


「少尉、どうかしましたか?」

「いえ」


 何かを感じ取ったらしい上官の問い掛けに、ザルクは言葉に詰まる。

 エイダが衛生課の不利益を事前に察知し、キノワと一線を引いているのではないか――などという臆測を口にすることは、どうしてもはばかられた。

 代わりに、ある質問を口にする。


「閣下は……兵站をなんだと考えられますか?」

「命の糧です」


 即答だった。

 兵站とは、戦線を支える糧であり、兵士達の命綱。

 物資が無くなれば、どんなに精強な軍人も生き抜くことは出来ない。

 だからその健全化が必要なのだと、白き上官の横顔は告げていた。

 愚問だったかと首を振り、ザルクは抱えていた荷物を上官へと差し出す。 


「いつものものが、届いております」

「報告書ですね?」


 分厚い書類を受け取ったエイダは、即座に目を通していく。

 それは、各地に派兵されている衛生兵たちが現地で見聞きしたもののまとめだった。

 傷病の種類や頻度。

 兵糧、物資の充足具合が地域別に分けられている。

 その枚数は優に百を超えており、エイダは毎日、一人でこれを処理していた。


 激務である。

 誰よりも早い起床と、誰よりも遅い就寝。

 教鞭をり、訓練を施し、決裁を為して、食事までも職務に捧げ、他課の横やりを受けてなお。

 この少女は心が折れない。


 勇往邁進。

 迷わずの乙女に、これ以上ふさわしい言葉はないだろう。


 事実、常人であればとっくにパンクしている内容と密度なのだ。

 上層部は一人でも多くの衛生兵を戦場へと立たせることを望み、促成栽培を強く命令してくる。

 そのくせに補充要員は無い。

 であるにもかかわらず、衛生課は応えてみせた。


 どんな魔術がこれを成立させているのか。

 ひとえに、エイダの努力であった。


「生真面目すぎるんじゃない? 押しつけちゃえばいいのに」


 畢竟ひっきょう、薄荷色の少女の言葉が真理なのだろう。

 白き乙女は、口ではなんと言っても、決して己の役割を投げ出そうとはしない。

 だからこそザルクは、危うさを感じて。


「少尉……私たちは、現状不当なほどに持ち上げられています」

「は?」


 再び彼の内心を見透かしたように放たれた言葉は、果断な色を帯びていた。

 エイダの両目が、赤々と燃える。


「魔術を使えず、敵兵を殺すこともできないものを兵隊とは見做みなさない。こんな意見は、当然あります」

「……強硬派の戯言でしょう。少なくとも現場は、より多くの救護を必要としています。閣下がお気になさることでは」

「〝輜重輸卒しちょうゆそつが兵隊ならば、蝶々ちょうちょう蜻蛉とんぼも鳥のうち〟……でしたか? そう見做されている部署があることは事実です。衛生課はプロパガンダに用いられるから優遇されているに過ぎません」


 兵站課や主計課は、兵士ではないとする風潮が軍内部にはびこっていることを、数ヶ月前まで別部署――軍本部にいたザルクが知らないわけもない。

 武器でも魔術でもなく、書類で殴り合っている腑抜けども――〝紙の兵隊〟だと揶揄やゆする声は多いのだ。


「兵站課が衛生課……というよりも、私を遠ざけている理由のひとつがこれでしょう。キノワ大佐とてお暇ではないはず。何か意図が……あとで全館のチェックをしておいてください。不審物などがないか、必ず確認を」


 ザルクは舌を巻くことになった。

 直前まで考えていたことへの答え合わせが、唐突にやってきたからだ。


 衛生課が現在、特権的に守られていること。

 軍部が民草と兵卒に対して、戦意高揚のためのパフォーマンスとしてこの課を利用していること。

 兵站課との確執の理由。

 エイダはこれらを、鋭く穿ったのである。

 白き乙女は続ける。


「だからこそ、現状を余さず活用します。考慮していただける間に、要望を伝えるべきなのです。できれば……喧嘩などせず、皆一致団結してですね」


 鮮烈な意見だった。

 戦場の天使はこう言っているのだ。

 一方的に嫌がらせを受けているにもかかわらず、自分たちは兵站課と同じ境遇にあるはずだと。

 手を、取り合うべきだと。


 軍政、政争になど一見して向いていない娘が唱える、お花畑のような理屈は、しかし確かな凄味を持って、ザルクの分厚い胸板――その奥へと響いた。


「いまやるべきこと。それは戦場でも、汎人類全体でも、あるいは軍内部でもきっと変わらないのです。協力し、団結すること。少しでも命の亡失を抑えること。そのためになら……私は、如何なる問題とも向き合うでしょう」


 エイダ・エーデルワイス。

 人類王が見いだした白き乙女は、本気で全てを変えてしまうのではないか?

 そんな畏怖すらザルクが感じ始めたとき――昼を告げる鐘が鳴った。


「さあ、昼食ですね!」


 ほんの一瞬前までの覇気に満ちた表情から、朗らかなものへと顔つきを変えたエイダは、仕事を投げ出し、食堂へと向かっていく。

 ザルクは深く息をつくと、薄荷色の少女へと「お茶の用意を任せる」と伝えた。


「え、嫌だけど? アタシはアイツの従兵じゃないし」

「……ならば、食事を共にしたまえ」

戦闘糧食あれを!?」


 絶望の声を上げるハーフエルフの肩を叩き、ザルクは歩き出す。

 だが、彼はまだ知らない。


 この数時間後にこそ、エイダの本領が発揮されることを。

 そしてそれが、この街ルメールを巻き込む巨大な力の渦になっていくことを。


 彼も。

 少女も。

 そして誰も、知らないのである――

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