第五話 大事故で怪我人が沢山です!

「パルメ訓練兵! こちらの患者さんを任せます! 脛骨けいこつの開放骨折。出血は激しく、処置を迅速に! ザルク少尉! 現場で指揮を執っている先任伍長と速やかに合流。その後、街の外へ施しに出ている回復術士たちを、なんとしてでも現場まで連行して下さい!」


 エイダの凜とした、それでいて逼迫ひっぱくした声が響く。

 衛生兵学校は、いまや開校以来、未曾有みぞうの喧噪に包まれていた。


 訓練場へ担ぎ込まれてくる怪我人は後を絶たず。

 足りない病床の代わりに、負傷者が廊下へと並べられていく。


 そんな修羅場の真っ只中で、額に汗したハーフエルフ――パルメは、怪我人への処置を行いながら、呻くように独白をこぼした。


「こんな規模の玉突き事故なんて……」


 数刻前、その事件は突如として発生した。

 ルメールにおいて最大の賑わいを誇る目抜き通りで、多数の馬車が衝突事故を起こしたのだ。


 交通の要所であるこの街では、魔術的な改良と強化が施された馬――魔導馬が一般にまで普及している。

 汎人類連合の発足以来、ルメールの領主は馬匹ばひつの産出に力を入れ、飼い葉の産地と次々に同盟を締結。

 いまでは人類生存圏有数の魔導馬産地として名をせ、人類王に対しても強い影響力を持っている。


 ゆえに往来の行き来は盛んで。

 たった一頭の馬がパニックを起こしたとき、馬車十数台を巻き込む大事故へと繋がってしまった。


 その結果、衛生兵学校には現在、野戦病院にも似た血と死の臭いが立ちこめる地獄が形成されつつあるのだ。


「気をしっかり持ちなさい! 泣き喚いてもいいから、痛みは生きてる証拠だと思え!」


 パルメは割り当てられた患者へ語りかけながら、間接圧迫止血法を行う。

 直接患部を圧迫するのではなく、折れた骨を避け、より心臓に近い位置で縛る高度な処置だ。

 あがった野太い悲鳴に顔をしかめつつ、他の四肢を包帯で絞り上げて、体幹へと血液を押し戻したところで、少女は焦燥とともに周囲を見渡した。


 次々に搬送されてくる怪我人たち。

 それを衛生科の白き長が、片っ端から診察していく。


 この学校にも、指導者として現役の衛生兵は数人いるが、そのほとんどをエイダは事故現場へと送っていた。

 現地で見定めなければ助からない命があることを、誰よりも知っていたからである。


 もしも、これがかつてのエイダであったなら、自らこそが率先して駆けだしていただろう。

 しかし、一つの兵科を預かる責任がいま、彼女を縛る。

 無数の権力、重圧、見えざる鎖が、その手足を拘束してしまっているのだ。


 されども。

 不自由の中にあってなおエイダは、必死に怪我人達と向き合っていた。

 常時コ・ヒールを展開し、僅かでも痛みを緩和させながら、処置に処置を重ねていく。


 冷静な判断と、鬼気迫る行動力と、的確な指示は、訓練兵たちにある種の崇拝の念を与えていた。

 己でも処置を施しながら、運び込まれる患者全ての診断を行う。

 その異常な仕事量に、パルメですら驚嘆してしまう。


 激闘の末、なんとか回復術士の到着まで負傷者達を持たせることが出来る。

 そんな目算がつき、パルメとエイダが僅かに胸をなで下ろそうとしたときだった。


「お願いです! この子を、助けてくださいまし!!」


 金切り声が、訓練場へと響き渡る。

 居合わせたものたちが反射的に目をやれば、汚れたドレス――黒い馬の刺繍が施された上等なドレスだ――を身に纏った婦人が、真っ青な顔で訴えかけていた。


「お金にいとめはつけません! どうかこの子を、この子を……!」


 悲痛な声で叫ぶ女性の腕の中に、白いおくるみ・・・・に包まれた何かがあって。


「こちらへ――」

「アタシがやる」


 出血が酷く、予断の許さない患者と向き合っていたエイダは、それでも手を伸ばそうとする。

 だが、如何にエイダ・エーデルワイスでも、同時に無数の命を助けることは出来ない。

 だから反射的に、パルメは声を上げていた。


 よい機会だと思ったのだ。

 自分の技能を――大隠者の御業を見せつけ、白髪頭の鼻を明かすチャンスだと。


「任せて」


 捻挫の処置すら出来なかったあの日は例外だ。

 事実として先ほど、他の訓練兵には難しい循環血液量減少性ショックの回避を成し遂げていた。

 それが少女に自信を与える。


「――任せます」


 即座の判断で、エイダが患者を譲ったとき、少女は飛び上がらんばかりに喜ぶ。

 証明できるのだ、師の力と正しさを。

 すぐさま、ドレスの女性へと駆け寄る。


「早く診察せて」

「ええ、ええ! どうか、お願い、お救いください……先に教会へと向かったら、聖女さまは不在で、回復術士は出払っていると告げられて……お抱えの術士も事故に巻き込まれて、わらにも縋る思いでこちらへ……どうか……どうか……」


 女性が差し出したおくるみを受け取ったとき。


「……ぁ」


 自信と血気にはやっていた隠者の弟子は。

 血の気が引く、という感覚を味わうことになった。


 赤ん坊。


 赤ん坊だった。

 年端もいかない赤ん坊が、ぐったりと横たわっている。

 その胸郭は僅かたりとも上下することはなく、すでに呼吸が停止していることは明白で。


「これは――もう――」


 彼女には解る。

 正しい知識と技術を身につけてきたからこそ、否が応でも理解できてしまう。

 その長く尖った耳が、力なく垂れる。


 応急手当とは、文字通りその場をしのぐための技術わざだ。

 だからこそ、施術は時に荒っぽさを帯びる。


 脆弱でか弱い赤ん坊が、そんな処置に耐えられるわけがない。

 人工呼吸を行うだけでも肺が破裂し、胸骨圧迫を為せば、その肋骨はたちまちへし折れるだろう。

 そもそもこれ・・は、既に生命活動を停止しているのだ。


「救えない」


 尊大に膨らんでいた自信が、音を立ててしぼむ。

 応急手当は大人を対象に作られたもの。

 すくなくとも、パルメの学んだことに、子どもを救う術はなかった。


 怪我人の数は、ますます増えている。

 ここで心臓の止まった赤ん坊に手を取られれば、さらに多くの命が失われるかも知れない。

 決断と選択を迫られ、己の脳髄が急激な動作不良を起こしていくことを、パルメは自覚する。


 助けなければならない。

 でも、方法がない。

 早く動かなくては。

 だけど――


 二律背反の中、脳裏が真っ白に染まっていく。

 呆然と立ち尽くし、心に諦めが過ったとき、


「『彼は私に手を伸ばしファースト私は拙速の手当を施す・エイダ!』」


 ――燦然たる潔白の声が、訓練場へと響き渡った。

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