閑話 お墓参りです!

「世界書が、あるっ?」


 大隠者は思わず椅子を蹴立てた。

 周囲の視線が集中していることに気が付くと、彼は慌てて咳払いをして腰をおろし、声を潜めてエイダへと問い掛ける。


「本当に、世界書が?」

「はい、もっとも原本ではなく写しですが」


 あんぐりと口を開ける大隠者。

 エイダには、どうしてそこまで驚かれるのか解らない。

 彼女はただ、実家にあるページェント私設図書館には禁忌の知識が大量に収められていると語っただけだからだ。


「いいですか、エーデルワイス殿」


 語る。

 かつて教会総本山において、禁書庫の守番をしていた男が。


「教会では、この世界の歴史を伝えています」

「存じています。ヒト種が神によってつくられ、亜人種が迫害に至るまでですね」

「もう少し手心を加えて欲しいのですが……そうですね、世界の始まりから、天使レーセンスが彼ら亜人を楽園へと連れて行き、人類が六度、神の怒りを受けるまでが語られます。しかし、歴史とはこれが全てではありません」


 エイダは首をかしげる。

 そのように当然のことを語られても困ると。

 それを見て取って、大隠者は周囲に素早く視線を巡らせ、さらに声を絞って続けた。

 ここでようやく、エイダは密談がはじまっていたのだと理解する。


「教会にとって、あるいはヒト種にとって不都合な歴史。それが記された書物が、世界書です。亜人が語り継ぐ歴史、それ以前から存在する伝承、人が覚えているべきではない技術や知恵……それらの総決算が世界書」

「つまり?」

「世が世なら、総本山から騎士団が派遣されてくるような代物と言うことです。無論、焚書ふんしょのために」


 さすがのエイダも、ここまで説明されれば納得する。

 そもそもページェント私設図書館とは、人類の防人さきもりたるページェント家が、あらゆる災厄から人類を守るために集めた禁忌の知識、その集大成。

 当然、為政者にとって不都合な書物も含まれているが、現在のところは人類王によって黙認されているため、誰も大きな声を上げない。


「ゆえにこそ、疑問が浮かびます」


 アズラッドは首をひねった。


「世界書は、それを伝える一族共々この世から消滅したはず……いったいエーデルワイス殿のお父上は、どこからそれを手に入れたのでしょう?」

「答えは明瞭です」


 エイダは、ただ事実を短く答えた。


「私の実母が、そのような人物だったと聞いていますから」



§§



「お墓参りをしたいです」

「……どこにそんな余裕が」


 エイダの突然の物言いを受けて、パルメは今後の予定表を開くことになる。

 現在エイダ一行は、馬車に揺られていた。

 レイン戦線へと向かう兵士達を選抜するため、リヒハジャへと向かっている最中だったからだ。


 人類存亡都市リヒハジャ。

 最前線に極めて近い、ヒトの街。

 そこは、エイダの生まれ故郷でもあった。


「街道沿いの村に、お墓があるんです。通り道なので、寄れると思います」

「アンタの……お母さんの?」

「いえ、死に顔しか知らない相手です」


 パルメは面食らった。

 エイダの物言いが、どうにも不吉だったからだ。


「ちゃんと話して。事情がわからなきゃ、予定の変更なんか出来ない」

「正しい意見です。解りました。きちんと説明します」


 胸に手を当て、一つ深呼吸をして。

 エイダは珍しく身の上話をはじめる。


「……私は、幼い頃実家を追放されました。そのとき、本来なら私をかくまってくれるはずの老夫婦がいたのです」

「じゃあ、お墓って……」

「はい、私に関わったばかりに、二人は殺されてしまいました。幼い私では埋葬することすら適わなかったのですが……最近お父様が供養くようしてくれていたことを知ったのです」


 だから、一目拝みに行きたいのだと、エイダは告げる。

 汎人類圏には、様々な形式の死者をとむらう方法があった。

 中でも最も一般的であり、ヒト種に普及しているのが翼十字教会式の埋葬だ。

 死者の骸を亜麻布あまぬので包み、こうを焚きしめ、祈りを捧げたのち埋める。


 地域によっては、火葬や鳥葬という文化もあったが、肉体の残るこの方法が多くの地域では選ばれていた。

 聖女のみが可能とする〝奇跡〟によって復活する可能性に賭け――あるいは、そう言った願望を残された者たちが抱くことが出来るように、このような形式の葬儀がポピュラーになっていったのだ。


 ゆえに、戦場で失われた命に対して遺族は嘆き悲しむ。

 遺体が帰らず、別れを告げることも、復活を願うことも適わないから。


「そう言った意味で、私は恵まれているのです」


 心から、エイダはそう思う。

 少なくとも、自分を気遣ってくれる相手がいて。

 時間さえあれば、墓参りに行ける命があるのだからと。


「……そんな話されたら、都合をつけざるをえないじゃない」


 むすっとした表情でパルメが予定を調整していく。

 自分のために死んでいった者との対話を望む。

 誰よりも死を見詰め、多くの命の散り際を看取みとってきたエイダが語る言葉は、そこに込められた想いは、無視できるものではないと判断したのだ。


「ありがとうございます」


 お礼を言って、白き乙女は車窓の外へと視線を向けた。

 赤い眼差しが、彼方の故郷を見詰めている。


§§


 墓参りに、エイダは特別なことをしなかった。

 ただ、葡萄酒と花束をしなえ、静かに祈りを捧げただけ。

 石造りの墓標と、そこに刻まれた名前だけを記憶して、エイダはすぐにリヒハジャへと向かう。


 やるべきことは山とあり。

 なすべき事は、全て生者のためにこそ捧ぐ。

 それが白き乙女なりの供養だった。


 リヒハジャへ到着するなり駐屯地ちゅうとんちへと出向いたエイダは、選抜試験を実施。

 また面接を経て、適切な人材の運用を人事課へと提言。

 激戦区レイン戦線への人員増強について、幾つかの書類をしたためた。

 その後、宿舎へは戻らず、部下に対し休息を取るように指示を出すと、彼女は辺境伯の居城――つまりは実家へと足を向ける。


「休んでいてよかったんですよ?」

「じょーだん」


 横を向くと、パルメが肩をすくめて見せた。


「リヒハジャには、汎人類百景の一つ〝夕焼け丘〟や蚤の市、甘いお菓子を食べられるお店もあります。休暇中にまで私は規律を求めませんから、しっかり休んで楽しまれても――」

「くどい。そんなのぼっちで楽しむもんじゃないのよ」


 ぴしゃりと言い含められて沈黙する白き乙女。

 確かに、いま列挙したものはどれも、うら若き乙女が単身で訪れる場所ではなかった。

 明晰な白い頭脳が、高速で回転。

 出力されたのは、彼女をして十分に相手を考慮したと思える言葉だった。


「では、さっさと用事を終わらせてしまいますから、そうしたら出かけましょう。私、パルメさんと一緒に見たいものが、沢山あります……!」

「――――」


 ハーフエルフの少女は閉口し、俯いた。

 しかし真っ赤になった両の耳が、ピコピコと動いていたので、悪くない返事だったのだろうとエイダは満足する。


「善は急げです。くだんのものを速やかに確認しましょう。教会と議論をする上で、再読の必要性がありますからね」


 言うなりエイダは、城の地下へと向かう。

 途中、彼女を出迎えた家宰かさいが大慌てで食事の準備をしたり、エイダにドレスを着せようとしたりするのをすべて退け。

 ただただ真っ直ぐに、白き乙女はその場所へと辿り着いた。


 ページェント私設図書館。

 禁断の知識全てを詰め込んだ、禁忌の箱。

 本来なら厳しい封印魔術と山のような施錠によって守られているそこは。

 しかし、エイダに対してのみは、あっさりと扉を開いた。


 入室し、パルメは両目を見開く。

 高く積み上げられた書架。

 隙間無く詰め込まれた、様々な時代、様々な形式の書物。

 豪華な装丁のものから、巻物、切れ端に殴り書きされたようなものまでが、無数に収蔵されている。


 エイダ・エーデルワイスは、その中を真っ直ぐに、ずんずんと進む。

 そして部屋の最奥。

 ひっそりと置かれた箱の前で足を止めた。


 硝子がらすりの箱。

 その中に、一冊の本が収められていた。


「これは? ものすごく古いものみたいだけど」

「はい、これは」


 エイダは、臆面も無く、告げた。


「世界書写本――ヒトが、この大陸で犯してきた全ての罪が記された記録書です」


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