第四話 大隠者様を勧誘します!

 隠者とは、教会から離れながらも信仰を捨てず、懺悔ざんげと祈りを持って世俗へと貢献する賢人を指す。

 翼十字教会が施す最低限の文化的生活すらなげうって、ひたすらに求道を深める者への尊称だ。


 だが、大隠者アズラッド・トリニタスの場合は、少しばかり事情が異なる。

 真に偉大なる隠者……つまるところの、大隠者。

 彼は禁断の知識に触れたことで神の家を破門され、それでなお人類の発展へ寄与すべく探求を続けていた。

 即ち――魔術に頼らない医療についての研究である。


 その日、アズラッドの隠れ住むいおりに、小さな来訪者があった。

 穢れを知らないような白髪に、固形化した焔のごとき赤い瞳を持つ少女は、自らを衛生兵エイダ・エーデルワイスであると名乗った。


「衛生兵のお噂はかねがね。隠者といっても、世俗と完全に切れているわけではありませんから」


 穏やかに答えつつも、アズラッドは驚きを隠せない。

 なぜなら、彼の庵は深山幽谷しんざんゆうこくの中にあって、地元の者でも人が住んでいるとは知らないはずなのだ。

 つまり、何者かが手引きをしたということになる。


「隠者様のことは、ベルナデッタ・アンティオキア様から紹介していただきました。こちら、アンティオキア様からのお手紙です」


 ゆえに、アズラッドは二重の衝撃を受けた。

 教会時代の教え子――あの気難しいベルナデッタが、この場所を他人に紹介し。

 おまけに、目の前の娘は自分に比肩する医療技術を持っており、それは完全な独学であると手紙には認められているのだ。


 世間を遠ざけ、叡智の探求に勤しむ彼ら碩学せきがくは、基本的に来客を好まない。

 その唯一に近しい例外が、知識の交換が見込める同類であり、白い乙女はこれに合致していた。


「お話はわかりました。つまりエーデルワイス殿は、私に教師の役をさせたいのですね?」

「はい! 代わりに執務室の椅子へ座って下さるなら、完璧です」


 テーブル越しにジッと見詰めれば、エイダはにっこりと微笑む。

 大隠者は確信した。

 同類だ。知識の実践にしか興味がない人種だと。俄然がぜん興味が湧いてきた。


「飲み物をどうぞ」


 楚々そそとした少女が、アズラッドの前に微笑みながらお茶を置く。

 同じように娘は、エイダにもお茶を渡し、


「お師さまが考案したお茶です。大切に、大事に、味わって飲んでください」


 噛んで含めるように、そう告げた。

 薄荷色の髪と半端に長い耳の娘。

 彼女はヒトならざる亜人、ハーフエルフだ。

 丁度いいと、アズラッドは客人に問い掛ける。


「質問を一つ。エーデルワイス殿は……ここに亜人デミがいることを、不思議だと思いますか? 教会から追放された元司教、その思索の庵に」

「……謎かけですか?」

「は?」

「いえ、お二人の仲は良好そうなので、不思議など皆無だと思えたものですから」

「…………」


 エイダ・エーデルワイスという人間の性質。

 その一端は垣間見えた。

 ベルナの手紙に書いてあったとおり、『分け隔て無く』の精神を有しているらしい。

 少なくとも、表面上は。


「ベルナデッタは、どうしていますか」

「野戦病院の統括役として、忙しくされています」

「あのお転婆がですか?」


 大隠者は瞠目する。

 いつもすまし顔だった彼女。

 何度も禁書庫に忍び込み、そのたびに幼馴染みの従者から叱られていたあの娘が、しばらく連絡を絶っていたうちに、そこまで立派になっているとは思っていなかったのだ。


「いえ、もとより素養はありましたね。だからこそ、あの子の側には人が集まった。マリア・イザベラも、その一人でしょう。マリアは、相変わらず世話焼きしょうか? 破門されているというのに、彼女は私の身の回りをなんとかしたがったものです」

「はい。教会と回復術士、それから軍部の折衝役という激務をこなされています。私はよく怒られてしまうのですけど、でもすごく実直な方で……この前なんて、アンティオキア様と一緒にお土産を――」


 エイダの語る聖女とその幼馴染みのエピソードはとても微笑ましく、アズラッドは何度も頷いた。


「あの子たちらしい。私が見守ることになる子らは、みな真っ直ぐだ」

「ごほん!」

「ん? ああ、そうだったね」


 背後のハーフエルフがピコピコと長耳を揺らしながら咳払いをしてきたことで、アズラッドはお茶の存在を思い出した。

 自らも口をつけつつ、エイダへと勧める。


「うん、今日もおいしい」


 彼が頷くと、ハーフエルフは「よし」と静かに拳を握った。

 隠者は頭を掻きつつ、茶の説明をする。


「これは、クコの木ゴジベリーの根を煎じたものです。あなたは疲れ知らずのようですが、強壮作用があります」

「ひょっとして、〝薬〟ですか!」

「御伽噺に出てくるエリクサーやポーションのようにはいきませんがね。しかし、さすがは噂に名高い衛生兵の長だ。薬の有用性を心得ていますか」


 飛びつくように身を乗り出した白い乙女を見て、アズラッドは顎を撫でる。

 そもそも、魔術と分かちがたい人生を送るものがほとんどの汎人類では、薬品に対しての理解がない。

 怪我は回復術が治療し、病については村々にいる呪術師や祈祷師が祈りという形で対処するからだ。

 上流階級になればなるほど、教会への依存度は跳ね上がる。


 そのため、薬を用いるのは場当たり的な対応を余儀なくされる冒険者ぐらいのもので、それも血止めなどを眉唾のような心地で使用しているに過ぎない。

 ゆえに今日まで、薬剤は有用性が検証されぬまま、気休めとされてきた事実があった。


 であるにもかかわらず、目前の少女は〝薬〟だとわかった途端、大きな反応を見せた。

 明確に、それが有用であるという〝知識〟を持っている証左だ。


「気性難のベルナデッタが、私を推薦した理由、今度こそ得心がいきました。独学でこれほどの学びを得る者は、稀でしょう」

「では、お返事を聞かせてください。招聘しょうへいに応じていただけますか?」


 切り込んでくる、直刃すぐはのような言葉。

 虚飾はなく、だからこそ意図を取り違えることもできない。

 アズラッドの浅黒い眉間に、深い皺が刻まれる。


 それは、捨てたはずの世に戻ることへの忌避感や懊悩おうのうではなかった。

 眼前の娘に対する、戸惑い。

 エイダは、構わずに続ける。


「隠者様の著書に、私は随分と助けられました。『主要血管の配置に基づく止血法』、極めて確実性の高い内容です。あれに学ばなければ、止血の間に合わなかった方は多くいたことでしょう。傷口にガーゼを詰めるという発想もなかったはずです。ゆえに、どうしてもあなたの力が必要だと考えています」

「エーデルワイス殿。重要なこと訊ねます」


 恐ろしいほどに誠実な言葉の群を、一度止めて。

 アズラッドは、最も必要だと思う質問を口にする。


「あなたは……応急手当で、なにを為すつもりですか?」

「いま失われる命を、明日へと繋ぎます」


 即答だった。

 根源的で複雑な問い掛け。

 しかし衛生兵は迷わない。

 ゆえに彼は、決断から逃れたくて言葉を重ねてしまう。


「人間も、亜人もですか? そこに区別はなく? ご自身の未来をどう考えています?」

「えっと……これも謎かけですか? 意図がわからなくて」


 もはや唸るしかなかった。

 この娘にとって、すべての命は等価値なのだ。だからこそ、迷いがなく、遊びもない。

 それでも往生際悪く、アズラッドは長考し。

 細く、長い息を吐き出した。


 弟子が入れてくれたお茶は、すっかり冷めて、そこにはもう湯気など無かった。

 ただ、彼を見詰める赤い眼差しだけが、今にも燃え上がりそうなほどの熱を帯びていて。


「……わかりました。いえ、思い知ったと言うべきでしょう。私には、あなたを教え導く力が無い」

「大隠者様の言葉は、やはり私には少し難しいようです。どういった意味合いでしょうか?」


 小首を傾ぐエイダ。

 だが、彼はこの短時間で、白い娘の本質へと触れていた。

 この少女は――あまりに孤高なのだ、と。


「己を知ることが人間一番難しい、ということでしょう。そうですね……ええ、承知しました。教師の任、確かに拝命いたします」

「本当ですか!」

「しかし……条件があります」


 席を蹴立てて喜ぶエイダに。

 彼は、指を三本立ててみせた。


 エイダは椅子に座り直し、傾聴の姿勢を取る――

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