第三話 亜人街に赴きます!

 教会の帰り道、エイダとパルメは寄り道をした。

 立ち寄った先は、中規模以上の街には必ずある亜人街。

 強制収容所行きを間逃れた亜人たちが、辺境以外で住まうことを特例的に許された隔離地域。

 転じて、街で暮らす当てのないもの達が流れ着く場所。


 排水と日当たりは悪く、つねにすえたような臭いが漂っている。

 荒ら屋ばかりが、いくつも身を寄せ合うようにして並んでいた。

 冒険者として烈火団に拾われる以前、エイダはこのような場所で暮らしていたことを思い出す。


 僅かな郷愁を覚えながら、彼女は声を張り上げた。


「こんにちは! みなさん、お加減は如何ですか?」


 戦場で鍛えられたよく通る声。

 これを耳にして、のそのそと這い出してくる影がいくつもあった。

 エルフ、ドワーフ、なかにはオーガも混ざっていたが、皆痩せており、血色もよくない。


 しかし、エイダの姿を見るなり、彼らは一様に目を輝かせる。

 そうして精一杯身なりを整えると、「やあ、お嬢さん」と、紳士的な対応をしてみせるのだ。


 亜人街は、大戦以前、貴族だった亜人とその血族が住まうことを許された地域である。

 収容所で身柄を制限されることなく、市民としての自由を許された尊きデミ達。

 彼らは塗炭の苦しみの中にあってなお、誇りを失ってはいなかった。


「なんで、こんな隔離されるみたいに……」


 一方で、パルメにとって亜人街は衝撃的だった。

 エルフ社会ともヒト種社会とも隔絶されて生きてきた彼女は、考えたことすらなかったのだ。

 自分の同族たちが、汎人類連合において、どのような境遇に置かれているかなど。

 これほどまでに格差が存在しているなどと、夢にも思わなかったのである。

 立ち尽くすパルメとは対照的に、エイダは亜人達と交流を開始する。

 応じたのは、髭の濃いドワーフだった。


「元気だったかね、お嬢さん?」

「ばっちりです! 少しお仕事が忙しいのですが」

「相も変わらず危なっかしいのう」

「問題ありません。今日も、簡単にですが体調を診させてください。よろしければ、街の様子なども聞かせていただけると嬉しいです」

「無論だとも」


 にこやかに応じ、亜人達は整然と列をなす。

 パルメは困惑した。

 彼らがあまりに友好的だったからだ。


 山を下りてから体験した幾つかのこと、そして亜人街の惨状を見て、少女は差別を理解していた。

 亜人は虐げられており、ヒト種を怨んでも仕方が無いのだと。


 しかし、亜人かれらはエイダを受け容れている。


 少女は知らない。

 エイダ・エーデルワイスとて、最初から亜人街でこのように振る舞えたわけではないことを。

 何度も何度も足を運び、かつて別の街でうけた恩義を返さんと必死になった結果、いまの関係を勝ち取ったことを。

 だから、彼らとエイダが交わす言葉は、互いに優しいものだった。


「おじいさん、調子はどうですか?」

「最近は腰が痛んでね」

「お酒は控えてくださいました?」

「ドワーフが控えられるものかい。酒を飲み、刃金を打つことこそ、ドワーフの本懐。そう、これでも儂、若い頃は魔剣の鍛造に関わっておってのう、名うての職人たる友人も多いのじゃ」

「興味深い話です。しかし、そのお酒は渡していただきます」

「ちぇ。それで、なんじゃったか……そう、魔剣なのじゃがな」


 安酒のボトルを取り上げられた老ドワーフは、一度こそ唇を尖らせたものの、すぐさま機嫌を直し、自らが手がけた魔剣についてニコニコと語り始める。


「あれの秘訣はな、使用しておる金属にある。周りから微量の魔力を集め続ける素材を術式の形で折りたたみ、鍛造する。これが魔力を込めずとも魔術を連発できる工夫で、同時に術式の切り替えにも繋がっておってな。術者の手を離れても魔術が残留し――」


 脈や顔の黄疸おうだん、視力などを検査されながら、彼らはエイダとひとときの〝お喋り〟を楽しむ。

 それは、亜人街の住民達が、自らを人類であると忘れないために、酷く大切な時間であり。

 尊厳を失わないために、なによりも貴重な輝きだった。


 無論、エイダにそのような意図はない。

 ただ、自分に可能であるから、そうしているだけなのだ。


 しかし……パルメは違う。

 自分の上官が、己の予想よりもよほど気高く――こんな場面ですら、誰かのために身を砕いていることが、たまらなくて震えていた。


「なんで、そこまで出来るわけ……?」


 理解できない。

 ヒトと亜人なのに。

 それ以前に、他人のことなのに。

 どうしてその優しさを、自分自身には向けられないのか――と。

 少女がきつく拳を握りしめている間にも、彼らのやりとりは続いていく。


「ご飯は食べていますか?」

「なんとか死なない程度にのう。……そうだ」


 そこでドワーフの老人は、思い出したように手を打つ。


「最近は闇市の方に食品がよく並ぶようになってな、こういった葡萄酒も買えるのじゃ。硬いビスケットなんかもあって、それは安くて助かっておる。聞くところによれば、他の街でもそうらしい」

「硬いビスケット、ですか」

「そうさ。信じられないかも知れないが、これが岩のように堅くてねぇ。ドワーフでもなければ、トンカチで割って食べるしかない。他にも石鹸やシャツなんかも売り出されておってな、儂らは普通の店では売り買いが出来ないからのう、助かっておる」


 からからと老人は笑い。


「この街も、随分とマシになったものじゃよ」


 と、呟いた。

 彼の瞳は、遠い過去を見詰めていた。

 エイダが黙って話を聞く体制になっていたため、老人は続ける。


「汎人類生存圏――人類王が世を治めたとき、この地は併合されそうになっておったのさ。当時の領主様が王位を退くことを嫌ってのう」

「今の大貴族は、もとは小国の王ですからね」

「よく知っておるな、お嬢ちゃん。それでかしずくことをが遅れ結果、ルメールは立場が弱くなった。軍隊を養う財源として搾り取られ、そりゃあ酷い暮らしをさせられていたよ」


 それは、歴史を物語っていた。

 この活気に満ちた街の人々が、亜人街と同様の暮らしを強いられていたという歴史を。

 ドワーフの老人は、しかしと続ける。


「いまの領主様が腐心をされてな、領民の暮らしは安定した。幼い頃は、お忍びで街へと降りてきて、よく民の声を聞くかたじゃった。おかげでほら、いまも闇市は見逃して貰っておる」


 だから自分たちは生活できるのだと老人は言って。

 それから真剣な表情で、エイダの赤い眼を覗き込んだ。


「お嬢ちゃんは、本当に天使様のようじゃな。儂らの話に真摯に耳を傾けてくれて……思えば、領主様にも似ている気がするのう」

「ただのヒト種ですよ、私は?」

「……ここの者たちは皆、そう思っておらぬよ」


 彼の言葉に、周囲の亜人達は頷いてみせる。

 誰もが優しい眼差しをしていた。

 エイダの努力を、誰もが知っていたからだ。


「地位も金も権力も、なにもかも失った儂らが、それでも人間であろうと思えるのは、お嬢ちゃんのような者がいるからだ。儂らは回復術に縋ることも出来ぬ。教会の出入りも制限される。仕事すらほとんど無いから、金もない。だから、本当に有り難いと思っておる」


 その恩義に報いないのは、自分たちにとって有り得ないことだと。


「それこそ、ヒトデナシになってしまうと、儂らは考える。我らは誇りある鉱山がすえ、草原の民、高地の守人もりびと。ゆえ、なんでも言っておくれ。手助けが欲しければ、いつでものう」

「私は……御恩に報いたいだけなのです」

「恩とな?」

「はい。小さな頃、助けてもらった方たちがいました」


 孤児となり、亜人街に流れ着いた幼い日のエイダは、亜人達から施しを受けて、生き延びた。

 ヒト種であるという理由で、彼女を疎む者もいた。

 だが、この地に住まう彼らのように誇り高き者たちが、エイダの命を繋いだ。


 彼らは見返りを求めなかった。

 ただエイダに「これを恩義と感じるなら、あなたの次に続く者たちへ、惜しみなく与えてちょうだい」そう、優しく言い聞かせたのだ。


 それは、間違いなくいまのエイダを形作る教育の言葉だった。


生命いのち価値かたちに貴賤なく、私はこの手を伸ばすでしょう」


 それが、ヒト種であっても、他の亜人種であっても関係ない。

 ただ、目前の命に全霊を尽くす。

 それが、エイダ・エーデルワイスの在り方なのだから。


「あ、ですが! 力添えいただけるというのならばひとつ、お願いがあります」


 恩義は恩義、それはそれ。

 使えるものは王様でも活用するエイダは、コロリと表情を変え。

 老人の手を取り、一同を見渡した。


「その食べ物がどこから闇市に流れてきたか、調べることは可能でしょうか……?」


 白き天使の提案に、居合わせた全員が顔を見合わせ。

 仕方が無いなぁと苦笑した。

 彼らにとってこの白い娘は、かわいい孫のようなものだったからだ。


「わかった。なんとかしよう」

「ありがとうございます! 私も、皆さんが食べられる、保存が利くもの、考えておきますね!」


 元気いっぱいに拳を握ってみせる乙女。

 誰よりも命に貪欲な彼女は、だからこそ手段を選ばず、どこまでもまっすぐ走り続ける。



§§



 この翌日、エイダの元に領主から、夜会への出席を打診する手紙が届くことになった。

 エイダの焔の眼差しは、既に立ちはだかる障害を見据えていた。

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