閑話 識別証を作りましょう!
「
数分後、拠点で非常食を無理矢理に飲み込んだエイダは、そのように告げた。
これを聞いていたのは、ザルクとパルメだけである。
他のものは、彼らに席を外すように命じられていた。
無論、エイダを気遣ってのことである。
「札とは?」
ザルクが問えば、エイダは真っ直ぐな眼差しで答えた。
「一部の強力な魔導具には、本人を認証する機能がありますね?」
「選ばれたもののみが使えるようにする術式ですな。仕組みは、さほど難しくなかったと思いますが……まさか」
「そのまさかです。常に持ち歩く小型の識別証を製作し、これに個人の魔力を記憶させます」
これさえあれば、もしも本人が口をきけない状況でも身元がわかるはずだと、エイダは続ける。
「識別票自体にも最低限の情報、性別であるとか種族であるとかを刻んでおけば、手当の対応時にも利便性が上がるでしょう」
「……その本心は?」
「名前すら解らず、誰にも
彼女の言葉は、あまりに重々しかった。
これまで見つめ続けてきた無数の死者。
その全ての名と顔が乗せられた提案は、なによりも切実だった。
「遺族の方へ、これを送ることも出来ます」
「……戦友の名を持ち帰る、ですか。最低限の遺品として」
「はい。身元不明を示す木切れよりも、よほど有意義です」
この場で反論を述べるものはいない。
エイダの言葉はもっともであるし、部隊の損耗率を把握する上でも意味のあることだと現場帰りのザルクには直感的に理解できたからだ。
それでも。
「ねぇ」
パルメ・ラドクリフが。
臆せず言葉を尽くすことが出来たのは。
彼女が誰よりもエイダを案じていたからである。
「それをアンタは、これから上と掛け合うつもりなの?」
疲弊しきった身体で。
摩耗しきった精神で。
それでなお、前へと進むのかと少女は問う。
エイダは答える。
曇った表情ではなく。
力強い眼差しで。
「やります」
白き乙女が、笑みを作った。
パルメは、苦渋を噛みつぶしたような顔で問う。
「なんで、笑えるのよ」
「……私を、支えてくれる言葉があるからです。家族が授けてくれた、想いがあるからです」
それは遠い日、ひとりの防人から、大切な娘へと贈られた願いだった。
「おまえが人助けをしたいと思うのなら、いつも笑顔でいなさい。でなければ、それは――きっとおまえの重荷になるだろうから」
父の言葉を口に出して繰り返す白き乙女。
「……エイダ、あんたは」
「はい、私は出来るからするのです。やりたいから成し遂げるのです。誰かを助けたいのです! だから」
戦場の天使が、笑う。
強く、自然に。
「まずは今回被災された多くの方、各地を治める領主の皆さん。そして戦場の声を集めて上申します」
「また、ひとりでやるつもりなの?」
「いいえ。いいえ、パルメ。同じ間違いを、私は繰り返しません」
白き乙女は、立ち上がる。
背筋を伸ばして。
泥にまみれても、なお潔白の心根で。
「力を貸してください。声を集めることは、私ひとりでは決して出来ないのですから」
ザルクとパルメは顔を見合わせ、もちろんだと答えた。
また、声を上げたのは彼らだけではなかった。
「聞きましたよ、閣下」
「自分たちにもやらせてください」
「そういうのは、
つぎつぎと天幕へ雪崩れ込んでくるのは、席を外していたはずの衛生兵たち。
彼らは一様に太い笑みを浮かべ、
「レインには
「これでも貴族の出だ、
「上層部なら叔父がいてな」
「民間の声を集めるなら任せろ、滅法得意な冒険者にあてがある」
と、わいわいがやがや、方策をはじめる。
「みなさん……」
面食らっていたエイダが全員を見回すと、一糸乱れぬ敬礼が飛ぶ。
彼女は両目を潤ませて。
しかし、今度は全く逆の感情で。
白い頭を下げて、こう告げるのだった。
「どうか、よろしくお願いします!」
衛生課は、人類史に突如現れた新兵科である。
その実体は、多くの命を看取り、己の身も危険にさらす過酷な部署だ。
されど、今日も多くの者が、衛生課への入隊を希望する。
白衣を身に纏い、誰かの命を、明日へと繋ぐために。
§§
この数ヵ月後、識別証は実戦へと投入され明確な結果を残した。
最初に導入されたのは、南方イルパーラル戦線。
再編されたとある旅団で、ある衛生兵の指導のもと配備されたと記録されている。
彼の名は、カリア・ドロテシアン曹長。
戦場の天使最初の教え子であり。
もっとも現場で必要とされた衛生兵であると、のちの歴史に名が残されている――
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