第七話 特務大尉、命がけの大魔術です!

 ゴーン……ゴーン……ゴーン……


 やけに遠くで、ガレキが崩落する音が残響している。

 レーアの混濁した意識は、それだけを感じ取っていた。


 木人にして巨人。

 首が痛くなるほど見上げてなお、全貌がつかめない巨体の魔族。

 四天王が壱。

 木製の巨躯と、無尽蔵の魔力によって――

 ジーフ死火山の斜面を抉り抜き、一帯ごと破砕せしめた大暴力の化身。


 怨樹のトレント。


 その攻撃が直撃して。したはずだと、レーアはぼんやり考えて。

 胸の内側から、熱く鉄臭いものが込み上がってくるのを感じた。


「ゴハッ!?」


 失ってはならない熱量。

 鮮やかな血液が、食道を逆流しあふれ出す。


 だが、膝をつくわけにはいかない。汚れた口元を拭うことも出来ない。

 彼女の目の前には、守るべきものがあった。

 両手を広げ、彼女がかばうのは。

 呆然とレーアを見上げる、怯えたエルク少年で。


 苦痛が、痛みが、彼女を現実へと引き戻す。


「がああああああああああああ……っ! 風霊結界!!!!」


 乖離していた時間の流れは、ここに来て追いつく。

 トレントによる局地的な大破壊が炸裂した刹那、レーアもまた、切り札を使っていたのだ。


 風霊結界ゴーエティアスの盾


 発動と同時に、連隊と大隊の兵士すべてを被うカバーするほど、とてつもない規模の白く濁った壁が、レーアの背後へと展開された。


 己が魔力を最大放出し、周囲の大気をコントロールする彼女の絶技。

 超高密度に圧搾された空気の壁が、鉄を遙かに上回る強度と靱性を持って、トレントの超暴力を紙一重でしのぎ。

 いまなお防ぎ続けているのだ。


 しかし、その代償はあまりに大きかった。

 繊細な制御を要求される風霊結界の長時間行使によって、彼女の神経系は悲鳴を上げていた。

 トレントが結界を乱打するたび、軋むのはレーアの総身だ。

 眼窩から、鼻腔から、耳孔からも血があふれ、骨は軋み、筋肉は音を立てて断裂をはじめる。


 当たり前だ。

 事実上彼女は、背負った盾で大爆発を受け止めているようなものなのだから。

 そんな彼女の状態など知ったことではないと、トレントは攻撃の手を緩めない。最悪の暴力は発露を続ける。


 頭が焼けきるようなコントロールを必要とする魔術を、一瞬たりとも気を抜くことなく展開し続ける苦痛は、もはや常人ならば発狂していても不思議ではないほどだった。

 レーアは命を燃料に魔術を維持していた。


 やがてレーアの肉体は、魔術の行使に耐えかねて、血煙を上げながら崩壊をはじめる。


 それでも、彼女は血まみれの歯を食いしばって耐える。


「なぜですか?」


 何故という少年の問い掛けを、エルフは力に変える。


「連隊長!」


 同胞達の叫びを強さに変える。


「なぜ」


 口元を無理矢理につり上げて、やせ我慢の笑みを作り、彼女は答えた。


「約束したからだ」


 あの日、あの場所。

 リヒハジャでの密会で。

 交わした約束を、レーアは今しがた思い出した。

 自分はたしかに、この少年を守ると言ったのだ。

 その姉と、同じように。


「だから――」


 折れない。

 不屈の意志が、レーアの碧眼を焔に変えた。


「ああああああああああああああああ――!」


 振り絞るような雄叫びとともに、彼女は魔力を爆発させた。

 弾け飛ぶ大気の障壁が、殴りかかろうとしていたトレントの体勢をわずかに崩す。

 波及する旋風。

 周囲の魔族たちが、一時的な行動不能に陥る。


「レーアさん……!」


 少年の叫び。

 涙をボロボロとこぼしながら、自分に縋り付こうとする次代の防人の、情けのない顔。


「ああ」


 まったく、しゃんとしてほしい。

 仕事はした。同胞達に顔向けが出来るぐらいの働きはした。

 だから、これでいいのだ。

 自分の役目は、ここまでだ。


「…………」


 けれど。

 けれども。


「……――」


 けっして、レーアは死にたがりだったわけではなく。

 涙ながらに自分の名前を呼ぶ少年が、仲間たちが視界に入り、彼女は思った。

 思ってしまったのだ。

 レインの悪魔と恐れられたエルフは、初めて。


 生きたい、と願った。


 だからエルフは、震える手を空へと伸ばして――




「『彼は私に手を伸ばしファースト――私は拙速の手当を施すエイダ!』」




 伸ばした手が、掴まれる。

 続いた激痛こそが、レーアの意識を、命を、今度こそこの世に繋ぎ止めた。

 咄嗟に噛み殺した悲鳴が、あえぐような声となって漏れ出たとき、温かなものが胸に触れた。


 それは、白。

 純白にして潔白の手。


 すべてを助く天使の御手!


「コ・ヒール! 特務大尉殿、意識はありますか!」

「――は」

「出血多数、自発呼吸あり、意識を確認。四肢の麻痺は無し。外傷数多。これより処置をはじめます」

「はははは」


 笑った。

 レーアは、心の底から笑った。

 なぜならば。


 なぜならば!


「諦めないでください。絶対にその命、私が繋ぎます……!」


 戦場の天使。

 来られるはずがない救いの御子。


 純白の衣装を身に纏ったエイダ・エーデルワイスが。


 ――無敵の表情で、応急手当を施していたからである。

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