第四話 倒れた聖女さまに応急手当を施します!
「聖女、偉いんですか」
「聖女、偉いだろ」
「どのくらいですか」
「
「マジですか……」
「大マジだとも、エーデルワイス高等官」
時はしばらく遡る。
野戦病院の改革をするにあたって、エイダはそれとなく上官であるレーア・レヴトゲン特務大尉に伺いを立てていた。
疎まれた亜人たちの寄せ集め、223独立特務連隊とはいえ、これまであげてきた戦果は甚大である。
しかし、返ってきたのは前述の言葉だった。
もちろん、レーアがその気になれば、意見具申をすることはできるだろう。
「私にしても部下たちが、戦線へ早期復帰すること自体は望ましいし、劣悪な環境下での治療など望まない。――が」
「それとこれとは話が別、ということですか」
「聡明だな。それは貴様の美点だぞ、エーデルワイス高等官。貴様は軍属だ、だが例外的に正式な軍隊の命令系統には組み込まれていない。無論、我々は貴様を家族朋友の類いと考えているし……これに異存があるものは?」
針のように細い煙草を一息ふかし、レーアは仲間たちへとお鉢を回す。
するとあるものは肩をすくめ、あるものは興じていたとトランプをやめて顔を上げ、またあるものは返り血のついたパンの頭を切り飛ばし、残りを頬張りながら異口同音を返した。
「エイダちゃんマジ天使」
「俺も後送してくれ」
「実際感謝している」
「今度レーション奢るわね!」
「ほらみろ?」
言ったとおりだろうと、レーアはウインクを添える。
「はて……これは、小官の独り言になりますので、ぜひ上官の皆々様は突発性難聴を
ぽつりと、そんなことを口にしたのは、屈強な肉体を誇るドワーフだった。
ダーレフ伍長――以前、
厳つい風貌の彼は、立派なあごひげを撫でながら渋い声で続ける。
「レイン戦線、こと最前線では、我々兵士に逃げることは許されておりません。戦略的転進、撤退、後ろに向かって前進……どのように言い換えても、前に進むことだけが許されております」
「…………」
「たとえ魔術で足を吹き飛ばされても、塹壕に戻るという選択肢はなく――そしてそれは、戦友が同じ目にあっても、手も足も出せず、見殺しにするしかないと言うことですな」
つまり。
「軍規に関係なく、立場に縛られず、戦傷に倒れ伏した我々を後方へと引きずっていってくださる。あたら命を無駄に散らせるではなく、もう一度戦場に立ち、朋友たちと軍靴を並べる機会をくださるという意味で、エーデルワイス高等官殿は、小官らの希望なのでありますよ」
「ダーレフ伍長殿……」
褒め慣れていないエイダは、彼の言葉の意味を理解するまでしばらくかかった。
咀嚼して、ようやく飲み込むと、急な気恥ずかしさに襲われ、少女は頬を真っ赤に染めることとなった。
その背中を、レーアが音を立てて叩く。
「私は何も聞かなかったが――ともかく部下どもは貴様のことを信頼している。だから、
それが無難だと、レーアはスコップを地面に突き立てながら言った。
「となると……」
仲間たちの意見を受けて、聡明なエイダは考える。
いや、これまでもずっと考えてきた。
どうすれば、あの野戦病院の惨状を変えられるのか。
死体が処理されぬまま山積みとなり、乾いてもいない血がべったりとついた包帯が使い回される環境を変えることができるのか。
そもそも、誰かこの問題に気がついているものがいるのか、いないのか。
人間は、結果と実績を示さなくては、対話の席にすら着いてくれないものであることを、誰よりもエイダは理解している。
しばらくの間黙考し。
やがて彼女は、ひとつの結論へと至った。
「殴り込みましょう、正攻法で。まずは、話を聞いてもらうための話し合いが必要です」
§§
そうしていま、エイダ・エーデルワイスは、トートリウム野戦病院の主、ベルナデッタ・アンティオキアと対面していたのだった。
対面していたのだが……
「急患ですね。私が
顔を合わせるなりベルナがぶっ倒れたため、彼女はその対応に追われていた。
「ちょっと触らないで。聖女ベルナの治療はこちらでおこなうので」
「マリアさん、でしたか? あなたは医療術士ではありませんね? ことは一刻を争うかもしれません。そちらで回復術の準備をしている間に、検診をおこないます」
「なにを勝手な――」
「ベルナデッタさん、聞こえますか?」
「話を聞け!」
駆け寄ってきたマリアが肩を掴もうが構わず、エイダは聖女の右手を取る。
「意識無し。自発呼吸あり。顔色は若干赤く、
「聖女ベルナに気安く触れるな! この、えっと……あなたどこの
補佐官として命令系統を気にするマリアを捨て置き、エイダは強く患者の指先を握った。
圧迫され色を失う爪先。それはゆっくりと時間をかけることになったが、やがて血色を取り戻した。
「失血性のショックではないですね。低体温……というわけでもない」
「当たり前でしょう、彼女はいつだってわたくしたちを温かく見守ってくださっている聖女なのよ!」
「どこかに麻痺があるわけでもないようですし、おそらくは低血圧による症状でしょうか。であれば……ちょっと粗相をしますよ」
「あ、あー!!?」
もはやマリアが止める暇もなく、エイダは聖女の足下に自分が背負ってきた荷物を差し込んだ。
高く上げられ、意識がないまま一種滑稽な格好にされる聖女。
「う、うーん……あら? あたし、ひょっとして」
「気づかれましたか、聖女ベルナデッタ・アンティオキアさま」
「あんたは……」
「はい、私はエイダ。エイダ・エーデルワイス高等官と言います」
「えっと……って!? なんでこんなかっこうに!?」
あられもない姿になっていることを自覚し――しかもそれをエイダに見られたと動揺し――飛び起きる聖女。
「あ……」
その細い身体が、ぐらりと傾ぐ。
「安静にしてください」
横から彼女を抱き留めたのは、ほかならぬエイダだった。
「あ、あわ、あわわ」
ベルナの目の前に、影ながら応援していた少女の顔があった。
長い睫毛や、ぱっちりとした二重、頬のふんわりと
一気に聖女の顔に朱が射して、両目がぐるぐると回り始める。
「やはり、安静が必要ですね」
症状を見て、そっとベルナを横たえさせながら、エイダは自らの分析を告げることにした。
「率直に申し上げますね、聖女さま。あなたは過労か何かで、血圧が低い状態にありました。そこに何らかのショックが加わって血流が滞り、意識レベルが低下。応急手当として、下肢を持ち上げることで血液を頭部に送り覚醒を促しました。なので、すこし、ぽーっとすると思います」
「戦場の、天使……」
「は? すこし混乱していますか? であれば申し上げにくいのですが……しかし、こういったことは最初が肝心ですので、もう一度繰り返させてもらいます」
密やかに好きになった相手が、突如目の前に現れたことで真っ赤にゆだっている聖女の心中など知ったことではないエイダは、ひとつ息を吸い込むと、この病院を訪ねてきた理由を繰り返したのだった。
「聖女ベルナデッタ・アンティオキアに嘆願します。この病院の欠陥を
「――よ」
「え?」
「――めよ」
聖女は。
混乱しきった状態で、おおよそ正常な判断など下せそうになかったベルナは。
しかし。
「ダメよ。ここに配属されたわけでもないあんたに、勝手はさせられない」
院長として、冷然たる決断を口にした。
「エイダ・エーデルワイス、当院における貴官のあらゆる医療行為を、禁止します!」
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