第40話 ハイアンドシーフ

「なんで教えてくれないの?」


「そ、それは……」


 ある時、通りすがりのサラリーマンにこう言われた。「週明けの月曜は何故こんなにも憂鬱になるのか。君はわかるかい?」

 普通なら無視して何事もなかったかのように隣を通り過ぎるのだろうが、その時の秋鷹は少々イラ立っていたため、反射的に答えてしまった。


 道端に痰を吐き捨てるようなひねくれた態度で「あんたがつまらない人生を送ってきたからだろ?」と。

 共感を求めるような問いかけなはずが、秋鷹の皮肉めいた言い振りだとまるでこのサラリーマンが悪いみたいだった。けれど実際、秋鷹にはそう見えてしまったのだろう。


「口止めでもされてんの?」


「いや……」


 サラリーマンに驚いた様子はなかった。ただ、お前もだろう? と言っているような顔で黒縁眼鏡の下にある小さな目を細めていた。

 そして、平日の朝なのに仕事疲れしたような面持ちで「確かにそうだね。しかし答えは他にあって、ないようなものでもあるんだよ」と理解しがたい答えを提示してくる。


 当然それは意味不明であったし、「は?」と聞き返してしまうくらいには苛立ちを覚えるものだった。


「へぇ、よく見ると可愛いね、君」


「……へっ?」


 結局はそこに何の意味もなく、サラリーマンも苛立ちを溜めていたため、それを秋鷹にぶつけていただけであった。

 女子と楽しそうに歩いている秋鷹を見て、衝動的に声を掛けてしまったのだろう。通り魔と同じだ。何の罪もない人間に対してだけ過剰に悪を振り撒き、振り撒いた後は芽の出ない種をそこに放置して立ち去る。


 いかに至誠的な者であってもそれ一つ犯してしまえば悪人であるし、有象無象から見れば害でしかない。

 たとえ意味がないものでも、それは相手からすれば害悪になる。公園ではしゃぐ子供たちだって、それを眺めるホームレスの老人だって、それを蔑む帰宅途中のサラリーマンだって、あるいは一見人生を楽しんでいるような秋鷹だってそうだった。



「これは、手出しちゃっても仕方ないよな。俺もその気持ち、わからなくはないよ」


「あ、あの……」


 ――少しの戸惑いで、人は見方を変える。


「秋鷹~!!」


「――あ゛?」


 振り向くと、渡り廊下の向こうからチェリー色の髪をした少女が走ってきた。それと同時に、秋鷹の近くにいた小柄な少女が走り去っていく。


「今の子って一年生? 部活の後輩に似てたような……。知り合いなの?」


「道聞いてただけだよ。俺って忘れっぽいとこあるからさ、案内してもらわないと教室に帰れないわけ」


「それ相当ヤバくない? 病院行ってきた方がいいよ」


 真面目な顔で心配する少女――エリカは、肌寒そうに体操着を手でさする。


「てか次、体育だから、はやく着替えなきゃもっとヤバいでしょ」


「ああ、そうだった」


「教室行くんならボクもついていくよ」


「え、なんで?」


 エリカに背中を向けると、トイレへ一緒に行く女子のノリでエリカが言ってきた。


「いや、教室の場所わからないんでしょ……?」


「あ、そういえばそうだったな」


 冗談のつもりが、信じられてしまったらしい。



※ ※ ※ ※



「これ、ちょっと見てて」


「え、あ、うん……」


 千聖が体育館の端の方で休憩していると、秋鷹からジャージを手渡された。投げられたと言ってもいい。

 彼は千聖にジャージを渡したかと思うと、身を翻して体育館の中央へと駆けて行く。そこには何人かのクラスメイトがいた。


 体育の授業も残すところあと十分程度で、今は男女合同でバスケの試合をしている。最初は男女別で授業を受けていたのだが――これも、体育教師の意向なのだろう。


 千聖は秋鷹のジャージを隣に置いて、三角座りになった。できるなら終始抱きしめて嗅いでいたかったが、流石にそれはできない。クラスメイトの目があるわけだし。


 膝に顔を埋め、千聖はいじけた子供みたいになった。


「あいつも……相変わらずね」


 少し遠くの方に、千聖と同じように端っこでうずくまっている者がいる。涼だ。けれどその隣には、文庫本を片手に持つ来栖杏樹くるすあんじゅがいた。


 千聖が涼から離れて数週間、なにがあったかは知らないが、ああやって二人でいることが多くなっていた。今さら気にはならないが、おそらくは杏樹がアプローチを仕掛けているのだろう。あの鈍感バカ野郎に。


 そんなことよりも、千聖は興味のあるバスケの試合を見ることにした。皆やっぱり上手いし、秋鷹はその中でも頭ひとつ抜けている。

 相手のチームにはバスケ部のエースでもある結衣がいるのに、遅れをとることは一切ない。むしろ圧倒していた。


 ――なんだろう、結衣の調子が悪いように見える。気のせいだろうか。


「て、近すぎよあの二人……!」


 シュートが入り、秋鷹とエリカが楽し気にハイタッチをしていた。一年生の頃からクラスが一緒で仲が良いのはわかっていたが、解せない。


「――仲良いんだねぇ、あの二人」


 突然、真隣から声がした。


「えっ……?」


「こんにちは、千聖ちゃん」


「だ、誰……!?」


 向けば、隣にはジャージを半分まで被った変人がいた。

 例えるならそれは、『ど根性ガエル』のぴょん吉。もっと言えば、見た目的に『ハリーポッター』に登場するヴォルデモート卿だ。

 

 変人はしばらくジャージを被ったままでいたが、千聖が沈黙すると、スポッとネックラインから頭を出す。


「ぷはっ……おはよう千聖ちゃんっ」


「なっ、なんであなたがここに……」


 桃色の髪をした可憐な少女だった。彼女はジャージの袖に腕を通しながら、上気した顔でこちらを見つめてくる。心なしか鼻息が荒い。


「あなたG組でしょう? たしかG組は、校庭で体育だったはずなんだけど」


「そうだよぅ。つまんなくて、抜け出してきちゃったっ」


「抜け出してきちゃったって……大問題じゃない」


 少女は千聖の真似をして三角座りになると、萌え袖で口元を覆う。


「すぅー、はぁ……もう授業終わるし、いいでしょ? だめ?」


「友達とか、心配しないの?」


「大丈夫、いつものことだから」


「それはそれで問題じゃない? もしかしてサボりの常習犯?」


「ふふっ……うん、そうかも」


 顔を真っ赤に紅潮させて、くすくすとその少女は笑った。風呂上がりでのぼせた時のような熱々具合だ。


「ねぇ、本当に大丈夫? 顔、火照ってるよ」


「ぜーんぜん。千聖ちゃんは心配しすぎだよ。世話焼きなのもいいことだけど、なんていうかママみたいで、思春期の私にはデリケートな存在だよ」


「誰がママよ……」


 千聖は唸るように青筋を立てた。


「ママって言われるの嫌だった?」


「少し」


「ありゃ。千聖ちゃんも思春期だったんだねー」


「別に、そういうわけじゃないわよ。あたし、母親の顔知らないし。よくわからないだけ」


「え?」


 千聖は「しまった」と思った。この手の話はあまり他人に聞かせるようなものじゃない。場合によっては空気が悪くなり、拗れることの原因にもなりうる。


「……一緒だよ」


 しかし、桃髪の少女はそんな素振りを見せず、逆に同調してきた。


「私もママの顔なんて覚えてない。だからね、千聖ちゃんの気持ち、すっごくわかる」


「えっと……」


「あっ、急にこんなこと言われても困るよね、ごめんね」


 少女は取り乱すと、チラっと横目だけで千聖を見た。


「ううん、少しでも分かってくれる人がいるなら嬉しいかな。困ったりは、しないわよ」


「ほんと……? 怒ってない?」


「あなた……人のこと『心配しすぎ』とか言っておいて、自分の方こそ別の意味で心配性じゃない」


「ぷっ、あははっ。うん、言われてみたらそうだね。おかしいよ私」


 口元を覆う萌え袖は崩さず、上品な笑い方で少女は肩を震わせた。目尻に涙を溜め、ツボに入ったのかずっと笑い続ける。


 やがて落ち着いて、口元から手を取っ払った。


「私たち、気が合いそうじゃない?」


「そ、そう……?」


「絶対合うって。千聖ちゃん、友達になろうよ」


「いい、けど……あたしなんかと?」


「千聖ちゃんがいいんだよ。私ね、千聖ちゃんとなら、わかり合える気がするんだー。もっと、深いところまでね?」


「深いとこ……」


 千聖が思っている通り、それは上辺だけではない付き合いのことだ。考えてみれば、千聖はいつも周りに合わせて笑って、嫌われないように変わらぬ体裁を守ってきた。


 そんな偽物の自分を止めて、ほぼほぼ初めて会話を交わしただろう少女に、自分自身をさらけ出そうと言うのか。少し考えただけでも、笑えてくる。


「あっ、その前に名前言ってなかったね、私。知ってると思うけど、一応自己紹介しとくね。私はさく――」


 ピー、とホイッスルの音が鳴った。バスケの試合をした者が集合し、「ありがとうございました!」と互いに頭を下げ合っている。


「あー、もう時間かぁ……ごめん千聖ちゃん、また今度はなそ」


「あ、うん」


「ひょっとしたら教室に遊びに行くかも?」


「ちょっ、それはやめてよ」


「あはは、善処しまーすっ。バイバイ」


 授業終了時刻が近いためか、少女は足早に体育館の外へ駆けて行った。不意に、千聖の知っているニオイが漂ってくる。


「このニオイ……」


 呟くと、正面から誰かが近づいてきた。


「そっか、秋鷹のニオイか……」


 心地よさを身に沁み込ませて、千聖は彼を見上げる。


「あれ千聖……俺のジャージは?」


「えっ、ジャージならここに……ってない!? どうして!?」


「ん?」


 千聖のあげたヘアピンで前髪をとめている秋鷹は、汗を滴らせながら首を傾げている。そんな秋鷹の姿を見ていると、なんだか悪いことをした気分になって悲しくなってくる。

 

「さっきまであったのに……」


 桃髪少女と会話している最中にはあったはずなのだ。まさか彼女が、秋鷹のジャージを持ち去るなんてことはしないはず。


 ならば一体誰が――。


「ど、泥棒……!」


 体育館の扉に向けて渾身の叫びを上げるが、当然だれもいない。


「あきたかぁ……」


「あー、はは……まぁ、そんな時もあるさ。俺は気にしないから、元気出して」


「うぅ……」


 秋鷹の優しさに触れ、千聖は涙目になった。自分のジャージが無くなったというのに、励ましてくれる。彼は寛大な心の持ち主のようだった。

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