セクシャルウーマナイザー

じんまーた

第一部 鈍感は罪となる

プロローグ

「私……宮本君のこと好きかも……」


 ある夏の日。そして放課後。


 蝉の音がうるさいこともあって、少年は耳障りな音を遮断するために教室の窓を閉める。いやこれは少女の声を聞き取ろうとしての行動だろうか。


 どちらにしても日直としての仕事は終わらせなくてはならない。

 少年はロッカーにほうきを仕舞い、着崩した学ランの上にリュックを背負うよう通学鞄をぶら下げた。


 そこでスタスタと教室を出ても良かったが、そうだ。少女に返事をしなくては。

 少年の足は教室の隅で固まる少女の前で止まる。もじもじ加減が板についている彼女に、苦笑しつつも少年は軽快に舌を滑らせた。



うちくる? 俺の親、夜まで帰ってこないからさ」



 この言葉に少女は戸惑う表情を見せるが、やはり彼女も恋する乙女なのだろう。そこに何が待っているかも知らずに、少年についていく形で快く了承した。


 セーラー服が揺れ、周囲には騒音じみた楽器の旋律。二人は他愛もない会話をしながらその音楽に耳を傾け、廊下の奥へと消えていく。


 ――また一人、少女が騙されたことへの祝福の音楽だ。



 少年と少女の出会いは至って普通。クラスが一緒になっただけだ。

 しかし中学のクラス替えというのは一度きりで、中学三年になった現在。一年以上かけて彼らの仲は育まれた。


 といっても、少年はチャラチャラしており少女は真面目気質。対極な存在ゆえに関わりようがない。はずなのだが、少女が恋愛に悩みを抱えているとき、少年は現れた。


 悩みとは付きまとってくる男がいると、割とありがちな女性ならではの悩み。たまたま耳に入れてしまったそれを、少年は容易に解決してしまった。

 付きまとわれている状況に彼氏役として出張ったのだ。勝手な行動だったが、これがきっかけで話すようになった。


 理由はない。ただ見ていられなくて助けただけだ。それで惚れられてしまっても仕方がない。周りが何を思おうと、彼女が決めたことなのだから仕方がない。仕方がないことなのだ。



「私……初めてだったんだけど、上手くできてたかな?」


「どうだろうな」


「うぅ、素っ気ない……ねぇ、もう付き合ってるってことでいいんだよね……?」


「なんで?」


「え、なんでって……」


 小さいベッドの上で男女が寄り添っていた。ベッドの下には学ランとセーラー服が無造作に重なり、他が本棚だけのこの部屋はとても殺風景だ。


 カーテンが閉められ、薄暗くなった一室ではお互いの表情が見えづらい。そのため、少女が口をまごつかせていることなんて少年にはわからなかった。


「だって、だって家に呼んで、ここまでしたならそういう事なんじゃないの?」


「別に付き合おうなんて言ってないだろ。俺も、お前もな」


「えっ……」


「ま、気持ちよかったから……リピートしていいすか?」


 ――パチンッ!


 酷い言い草だ。


 当然殴られもする。乙女の心を弄んであっけらかんと、平気な顔で傷つける言葉を発したのだから。


 少年は頬に響く鈍痛に耐えながら、剥がれ落ちたシーツを手元に持っていく。これがないと赤子同然の姿になってしまうし、この状況で肌を晒すのが何故だか恥ずかしく思えた。


 しかし一緒に居たはずの少女の姿はなく、小さなベッドは更にこぢんまりと身を縮めているように見える。

 少年は足元に落ちているセーラー服が拾い上げられるのを控えめに眺め、虚空を見つめながら諦めを滲ませた。少女が何かを言っているが耳を通り抜けて聞こえない。


 大方、「地獄に落ちろ!」とか「一生恨んでやる!」とかの罵詈雑言だろう。

 口をパクパクさせる少女。制服を着れた所でこれだけが重々しく響いた。



「――最低っ」



 少女の顔は恨めしそうに、それでいて今だけはその泣きぼくろが飾り物の役割を放棄したのか、とめどなく溢れる涙は床のカーペットにぽつぽつと滴っていた。


 勢いよく部屋の扉が閉められ、一人だけの静かな空間の出来上がりだ。少年は黙りこくると、慣れた手つきで学ランに手を伸ばす。


 いつものことだ。女を自分の部屋に連れ込んで、関係が終わればそれで終了。女なら他に数えきれないほどいるし、こんなことでめそめそしてもいられない。


 少年はテクテクと部屋を出て、そのまま家の玄関まで乱暴に着た制服を整えつつ歩いていった。気晴らしに、何か飲み物でも買ってこようという魂胆だ。


 外にでると未だ蝉の音は鳴りやまない。茜色に照りつける日差しに目を背け、門扉を引くとそこに――。


「また女泣かせなことしたの?」


「お前には関係ねーだろ」


「そうだね。でも、ほどほどにね……秋鷹あきたか


 麦わら帽子をかぶった少女が少年の家の前で笑っていた。少年とひと言ふた言話すと軽やかに、隣の一軒家へと駆けて行く。掌をひらひらとさせ、垣間見える桃髪と共に消えていく。


 少年は眉を顰めて住宅街にそびえ立つ電柱を凝視し、汗を滲ませながら溜息を吐いた。鬱々となり、太陽の日射で熱くなった門扉から手を放して、



「……うるさい」



 夕焼けた空の中、じりじり聞こえてくる蝉の声に苦言を申し立てた。









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