第60話 ママとりょうちゃん
『ごめんな、次は優しくしてやるから』
『うん……あきたか、しゅきっ……んむっ、ちゅっちゅっ、ちゅぱっ……はむっ、んっ、ちゅぷっ……』
一頻りハードなセックスを終えた後、彼らはまた甘やかなセックスを始めるようだった。
床の上で寝転がり、結衣は天井を見上げながら茫然とする。
携帯から流れ出す淫猥な音が、部屋の中で小さく鳴り響いていた。ほんの少し、結衣の耳に聞こえる程度に。
「ばかだなぁ……わたし」
濡れたショーツと濡れた指。
何回おなじことを繰り返せば気が済むのか。自身の体たらくに自嘲の笑みがこぼれ、結衣はぼんやりと先程の光景を思い浮かべる。
段々と性行為には抵抗がなくなってきている結衣だが、それには矢張り怖い一面もあった。
強姦されかけた、という事実は未だ付きまとうし、あの時もし逃げられなかったら――と思うとゾッとする。しかしそれで、セックス自体を否定したり拒絶したりはしない。
やり方さえ違えば、あんな幸せそうな顔を模れるのだ。その証明を、結衣はこの数週間で何度も自身の目で確かめてきた。
好きな者同士で行えば、必ずそれは幸福を運んでくる。例え片想いだとしても、好きな相手からもらう愛情は堪らぬ充足感で心を穏やかにさせてくれる。
それを知ってしまえば、あるいはそれで満たされてしまったのなら。おそらくは抜け出せない、抜け出せなくなる。
縛り付けるような強制とは違う。やわらかな抱擁で「いつでも逃げられるよ」と誰かが囁いてくれているような、そんな優しさすらあった。
溺れてしまえば楽になれるだろう。結衣はまだ、その果実の味を知らない。しかしそれを、涼が教えてくれるとも限らない。
密かな憧れを胸に抱いたところで、結衣は切なげな吐息を漏らした。
――コンコン。
「結衣ちゃん、開けるわよ」
「え……!? ママ!?」
突然、部屋の扉がノックされた。
結衣は自分の恰好を見て、乱れたスカートを即座に整える。濡れたショーツはこの際どうでもいい。
スマホから流れる音を聞いて、慌てて動画を止める。それから周囲を見回し、おかしなところがないか確認した。
「……結衣ちゃん? 凄い音が聞こえたけど、大丈夫?」
扉を開けた母親が、心配そうな顔で廊下に立っていた。
「う、うん! 机に小指ぶつけちゃっただけだから、大丈夫だよ」
丸テーブルの前で正座して、結衣はニコリと笑う。強がって気丈に振舞っているけれど、足の小指が物凄く痛い。
「あらそう……」
「心配しなくても、それだけだからね!」
頬に手を当て、眉をハの字にする母親。それに対し結衣は、「で!」と話を切り替えて、
「なーに? ママ。ちさちゃんならもう帰ったけど……」
そう言って掛け時計に目を向けると、時計の針は丁度『十七時』を指していた。
千聖が帰った時間はわからないが、おそらく、あれから一時間は経ってしまっている。その衝撃も大きかったが、『自慰の最中に母親が部屋に入って来なくてよかった……』という安堵がそれに勝った。
「ええ、千聖ちゃんと久しぶりに話せて、ママも嬉しかったわ!」
「あれ? ちさちゃんと会ったんだ、ママ」
結衣の母親は買い物に行っていたはずなのだが、どうやら千聖と会話したらしい。そうすると、母親が帰宅した時間は……そこまで考えて、結衣は瞬時に考えるのを止めた。
「相変わらず美人さんだったわ~。それに可愛さも兼ね備えてて、ちょっと妬いちゃう」
「お胸も大きくて、羨ましい限りですな」
「ですなぁ」
二人でうんうんと頷き、千聖の爆乳を思い起こす。と、母親が結衣の胸とお尻に視線を巡らした。
「結衣ちゃんも、負けてはないけどね?」
「あぅ……ここは非常にコンプレックスな場所なのです……」
「そーお? お尻が大きい女の子って、魅力的よ? もちろん男の子からしてもね。元気な赤ちゃん生んでくれそう、って思えるし……」
「そ、そんな……まだ赤ちゃんは早いよっ……」
「そうね、まだ早かったわね。ふふふ」
お尻を押さえながら顔を真っ赤にさせる結衣に、母親は揶揄い交じりの笑みを浮かべる。
それが『あなたはまだまだ子供ね』と言っているように思えて、結衣は途端に恥ずかしくなった。
――だって、セックスなんてしたことないし。
「でね、話は戻るんだけど」
結衣が下を向いてもじもじしていると、母親が咳ばらいをして目線を下げる。それから正座している結衣に向くと、やさしく微笑みかけた。
「今、涼君が
「りょうちゃんが……?」
「うん、あと陽ちゃんも」
「っ……そうなんだ」
影井家と朝霧家は、昔から交流が深い。それは家が隣同士なのもあるが、結衣と涼がお互いの家を行き来していたのも理由にあった。
小さい頃はそれこそ、遊ぶ場所は公園か自分たちの家。中学に上がってからもしばらくはそれが続いていた。
陽がご飯を作りすぎた時に、よくお裾分けに来ていたのがなんだか懐かしい。
「今日たまたまね、スーパーで陽ちゃんと会ったのよ。たぶん部活が早く終わった影響なのかな~、うん。それで、話してるうちに一緒に晩御飯食べようってなったわけ」
「ほへー……よく了承してくれたね、ようちゃん」
「あーっ、それ、涼君とのことでしょ? もう仲直りしたらしいわよ。流石に大人げないって、陽ちゃんが割り切った形で」
「大人げないって……陽ちゃんの方が年下だよね」
結衣は思わず苦笑い。涼と陽の兄妹喧嘩は、一旦は結衣が取り持ったが、その後の行方を知ることはなかった。仲直りできたなら、ちょっと安心。
「あの子も成長したってことよ。昔はこんなにちいちゃかったのに」
「それは小さすぎだよ!」
母親が二本指でカタカナのコの形を作って、陽の大きさを表現していた。お腹の中にいた頃なら確かにそれくらいの大きさなのだろうが。
「そんな成長した陽ちゃんと、あとで一緒にご飯作るんだけど、結衣ちゃんもつく…………らないわよね」
「断定しちゃうの!? わたしだって頑張ればっ…………作、れない……」
「ふふっ、だと思ったから、涼君の話し相手になってくれないかな~って思って、結衣ちゃんに声かけたの」
「りょ、りょうちゃんの……?」
スポーツと笑顔しか取り柄のない結衣が唯一できること。それは話すこと。なんかひどい。
「パパも二十時まで帰ってこないし、話し相手いないと涼君も暇でしょ? 結衣ちゃんと同じで、料理できないんだから」
「うぁぁ……料理の部分だけ強調されてるのは、わたしの気のせいなのかな……」
「ということで、料理ができるまでの間、結衣ちゃんには涼君とお話ししてもらいます。……いい?」
「ちょっと待ってっ、真面目な脳みそ使うから」
「あなたにそんな脳みそあったかしら……」
訝し気に首を捻る母親を前に、結衣は「みょんみょんみょん……」とこめかみに人差し指を当てて考える。そして導き出された答えは――。
「うん……せっかく来てくれたんだもん。話さなきゃだよね」
「緊張する?」
「……少し」
そう返すと、母親がふむふむと謎の親目線でこちらを見てくる。
「最近話せなかった理由は、きっと色々あるんだろうけど……。涼君は、大丈夫よ」
その言葉を聞いて、結衣は膝の上で握っていた拳を僅かに和らげる。
母親が知っている結衣の事情は、結衣が強姦されかけたという事実だけ。結衣の真情までは彼女には解らない。たとえ親でも、結衣が自分から話さない限り理解し得ない。
けれど、彼女は結衣の親なりに色んなことを察してくれていた。結衣の傷ついた心も、笑顔でいたいという願いも。
そしてそれを癒してくれるのが、自分でなく涼だと思っている。それだけ涼は信用されてるのだ。言ってしまえば第二の家族みたいなものだし、当然と言えば当然なのだが。
「……わかってる」
涼は結衣のことを安心させてくれる、そう言いたかった。言葉では上手く言えたが、気持ちは伴わなかった。何せ、この数週間そばにいてくれたのは、涼ではなかったのだから。
「じゃあ、呼んでくるわね」
「うん」
小さな微笑みを湛え、母親は頷いた結衣に頷き返す。そして扉を閉める途中、ふと動きを止めて、
「無理はしないでね。辛くなったら、いつでも言うのよ」
それだけ言って、階段へ向かった。
今日は時計の針の音を聞いてばかりだ。いつもなら気にしないでいれるのに、刻一刻と流れる時間が結衣の心を蝕んでいく。
時間なんて、このまま止まってしまえばいいのに。そしたら苦しまなくて済むし、悩むことも無くなるのに。
結衣は足に痺れを感じ、身をよじらせた。そして扉がノックされると同時、勢いよく立ち上がる。
「……入っていいかな、結衣」
「ど、どうぞ……!」
扉が開かれ、結衣はその人物と目を合わせた。彼は相も変わらず前髪で目元を隠し、暗そうに声を潜めている。ぱっと見の印象は、気鬱でだいぶ陰湿だった。
しかし、それでもこれだけは言える。彼は変わらない。外見も性格も少しばかり情けなくなってしまったが、根は変わっていないのだ。そう今でも思っている。
「え、えっと、座る……?」
「あ、うん……座らせてもらおうかな……」
結衣がベッド側に座ると、涼が丸テーブルを挟んで扉側に座った。自然に向かい合う形になった二人だが、それからいつものような会話はしなかった。
たった数週間の隔たりが、お互いの心に溝を作り、壁を作っている。それは埋めることも壊すことさえも叶わなくて。どうすればいいのかも、自分たちではわからない。
繰り返し繰り返し考えて、反芻して、けれど口に含んだ言葉は飲み込んで。無駄にして。
こんなに近くにいるのに、何も言えない。言い出す言葉が見つからなかった。そんな二人の間には、ぎこちない空気が淡々と流れる。
やがて耐えきれなくなったのか、涼は声を上ずらせながら言った。
「それ……新しいスマホケース……?」
涼が指差したのは、丸テーブルの上に置かれているうさぎ柄の携帯。無論それは、結衣のではなく千聖の携帯だ。そのため、結衣は咄嗟にそれを掴み取る。
「だ、だめ……!」
「え……!?」
驚きの声を上げる涼に構わず、結衣は千聖の携帯をスカートのポケットに仕舞う。
これは万が一のためだ。何かの拍子で、涼があの動画を観てしまうかもしれない。それだけは絶対に阻止しなければならなかった。
結衣と同じで、涼も千聖とは幼馴染だ。結衣が思っているように、涼も千聖のことは大切な存在だと思っているはず。
それに、男の涼では少々刺激が強すぎるだろう。更に言えば、千聖の裸を見ようものなら制裁を与えなければならないわけだし。
「こ、これ、ちさちゃんのだからっ……」
「そ、そっか……千聖が来てたんだよね、さっきまで」
涼はポリポリと頬を掻くと、少しだけ申し訳なさそうな表情をした。
「丁度入れ違いだったから、びっくりしたよ」
「そう、なんだ……それじゃありょうちゃんは、一時間前くらいにはもう来てたってこと?」
「うん、陽と一緒にね」
ドキリと緊張が走った。結衣が一人で自慰行為に耽っている時間に、涼は一階にいたのだ。本当に、心臓に悪い。
「あははー……いたんだったら教えてよー」
「だよね、なんか躊躇っちゃって。それで結局、おばさんに頼っちゃったんだけど……って、こんな話はいいよね」
ブンブンと首を横に振り、次の話題を探す涼。結衣は何がなんだか分からなくて、こてっと首を傾げた。
「千聖とは、どうだったの? その様子だと、勉強してたみたいだけど」
テーブルの上には未だ、結衣の教科書とノートが置かれていた。ノートには、千聖直筆の計算式が書かれている。
「それがね、ちさちゃん凄いスパルタなんだよ」
「え? 教えるのがってこと?」
「うん。このシャープペンシルで目ん玉くり抜いてやる~って言われたよ」
「聞き間違いかな?」
「わたしも最初はそう思った」
くすりと笑って、結衣は続ける。
「でもね、やっぱりちさちゃんは優しいんだよ。言い方はきついけど、ちゃんとわたしのこと見てくれる。そういうとこ、ちさちゃんらしいよね。嫌々言いながらも仕方なくって感じで」
言い出せば、すらすらと思ったことを口に出せていた。それが次から次へと湧いて出てきて、止まらない
そんな結衣の様子に涼は最初こそ驚いていたけれど、次第に相槌を打つようになった。だから結衣は、止まることなく話し続ける。話し続けたのだ。
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