第59話 勉強の合間に娯楽を

 この日、結衣は千聖と一緒に勉学に励んでいた。思いのほか部活が早く終わったため、放課後の空いた時間で勉強会を開くこととなったのだ。

 テスト一週間前になれば部活動は停止となるが、それはまだ先の話だ。結衣は小さな丸テーブルを挟んで向かい側、そこにいる千聖を窺いみる。


 彼女は綺麗に背筋を伸ばし、ちょこんと正座して机に向かっていた。自分の家に友人を招き入れるなんて久方ぶりで、少し不思議な気分。しかも相手が幼馴染の千聖なら、なおさらだった。


 勉強しなければならないのに、結衣はついつい千聖のことを凝視してしまう。新しく購入したものなのか、黍色のカーディガンが似合っていて可愛い。おしゃれチックに着こなされていて、とても魅力的だった。


「ちさちゃんって、セクシーだね」


「えっ……なに、急に」


 千聖が筆を走らせていた手を止め、訝しそうに顔を顰めた。


「あっ……」


 結衣は心の声を漏らしてしまったことに気づき、咄嗟に両手で口を塞ぐ。

 千聖の首筋と鎖骨を見ていたから、その色香によって惑わされてしまったのかもしれない。ワイシャツを開襟しているのは多分おしゃれなのだろうが、少しばかり大胆だ。


「きゅ、休憩しない? もう一時間くらい経ってるし、ちさちゃんも疲れたでしょ?」


「それ、結衣が勉強したくないから、そう言ってるとかじゃなくて?」


「それもあるにはあるけど……」


「あるんじゃない。まぁ、十分じゅっぷんだけなら、休憩してもいいかな」


「少なくない!?」


「あんたはもっと勉強しなさいよ!」


 怒り心頭の千聖は、自分の鞄からペットボトルを取り出すと、それをゴクゴクと飲んだ。結衣もシャーペンを机に置き、足を崩す。


 千聖は優しい性格だが、勉強の方はスパルタだ。シャーペンを鞭のようにしならせていた記憶が、結衣の脳裏には真新しく残っている。そうは言っても、勉強を教えてもらっている身の結衣は、文句を言える立場にないのだが。


「あのさ、ちさちゃん」


「……ん?」


 静かになった一室で、ふと結衣が切り出す。掛け時計の針の音が、チクタクと鳴り響いていた。

 

「ちさちゃんは今、付き合ってる人とかいるの?」


 その答えを知っていながらも、結衣は千聖に問いかけた。

 自分の勘違いで千聖を泣かせてしまったこと。それを今でも、結衣は悔いている。彼女はもう許してくれているというか、あの時のことはたぶん忘れているが、それでも、それを掘り返してまでも聞かなければならないことが結衣にはあった。

 

「い、いないわよ……」


 予想通りの否定に、結衣は口の中に溜まった唾を無理に飲み込む。


 あの時と違うのは、千聖が本当に秋鷹と付き合っているということだ。涼と拗れてしまった後、彼女にどんな心変わりが起きたのかはわからない。


 しかし、結衣は知りたいと思った。知って納得したい。納得した先で、安心を得ていたい。


 この胸中に渦巻く疑念が消えてなくなるなら、彼らの歪な関係に足を踏み入れてしまいたくなる。

 だから千聖が混乱しない程度に、遠回しに聞く。気づけば結衣は、掌に汗を滲ませてしまうくらい、手をぎゅっと握り締めていた。


「じゃあさ、もしも、もしもだよ……ちさちゃんに彼氏がいたとして、その人がその……他の女の子とえっちなこと、ていうか、浮気みたいなことしてたら、ちさちゃんはどう思う……?」

 

「浮気? 浮気かぁ……」


「例えば、人目を盗んで空き教室に行くの。そこの、窓側の一番後ろの席でキスを交わして、禁断の果実を貪り合うんだけど……」


「っ……い、いやに具体的ね……」


 結衣の真剣な表情を見て、千聖は顔を引き攣らせていた。そして視線を落とし、その亜麻色の前髪で目元を隠す。


「わからないわよ。人を殺したことなんてないし、その時になって見なきゃ」


「え?」


 聞き間違いだろうか。誰が誰を殺すのか、誰が誰に殺されるのか、結衣の頭の中は一瞬にしてパニック状態。

 千聖がさらりと口にしていた所為か、言葉の端々に現実味を感じた。俯いていてどんな顔をしているのか解らないため、彼女の感情が読み取れない。


「あはは……冗談には聞こえないなー……」


「それは、冗談じゃないから」


 顔を上げた千聖がツインテールを揺らし、ニッコリと微笑む。瞬間、結衣の喉がひゅっと締まり、背筋が凍りついた。


 そんな結衣に構わず、千聖はシャーペンを手に取る。その先端を結衣に向けて、くるくると回して見せた。


「まずはこのシャープペンシルで、強引に目をくり抜く。女の子のカラダが見れなければ欲情なんてしないし、浮気もできないはずでしょ。それから、くり抜いた眼玉を浮気相手に送りつけてやるのよ。きっと震え上がるわ」


 丸テーブルに肘をつき、ペン回しをしながら軽く笑みを浮かべる千聖。彼女は震え上がる結衣の姿を見て、「でも大丈夫、あたしと付き合える男はいないから」と冗談めかして言う。


 全然笑えない。


「いるとしたらたぶん、その人はあたし以外に目移りしない」


 ゲッソリとしている結衣の正面で、千聖がここにいない誰かを思い浮かべてうっとりしていた。続けて、彼女は乙女の顔のままポッと頬を紅潮させる。


「少なくとも、あたしはその人のことしか考えられないと思う」


 誰に向けての言葉なのか、今の結衣ならばわかる。そして確信した。やっぱり千聖は、秋鷹が他の女の子といかがわしい真似をしていたことは知らない。

 それ故、結衣はこれ以上の詮索を諦める。聞いてしまえば答えを知る前に、彼女の心を傷つけてしまいそうだったから。


 すると、もじもじしていた千聖が、ハッとして正気に戻った。


「って、なに言わせてんのよ!」


「自分で言ったんだよ!?」


 思わず結衣も千聖と同じテンションで言い返す。と、千聖の首にかけられているネックレスが不意に目に入った。彼女はずっと、そこに手を添えていたようだった。


「ちさちゃん、それ……」


「……この、ネックレス?」


「うん、ちさちゃんも新しく買ったの?」


「そういうわけじゃないけど……」


 千聖はネックレスを軽く握り、ぼそぼそと呟いた。それから、唇を尖らせてそっぽを向く。


「ひみつ……」


 それが何なのかを、結衣には教えてくれなかった。どこか見覚えのある銀色のチェーンだったが、それを思い出す前に千聖が――。


「十分経ったから、勉強するわよっ!」


「えっ、もうそんなに経ったの!?」


「ほら、ノート開いて」


「ひっ、危ないよシャーペン……!」


 シュッ、とシャーペンの先端を向けられ、すっかり先端恐怖症になってしまった結衣は縮こまる。確かなのは、千聖がそんな結衣を見て楽しんでいたことだった。

 


※ ※ ※ ※



「あっ、もうこんな時間!? あたひ、帰るわねっ」


「う、うん……! ありがとうちさちゃん!」


 結衣の隣で勉強を教えていた千聖が、掛け時計を見て荷物をまとめ始める。丸テーブルの上に置いてあった教材が無くなり、結衣は少しだけ寂しくなった。


「――じゃあ、また連絡するから」


 忙しなく肩に鞄をかけた千聖は、そう言いながら急ぎ早に廊下へ。バタンッ、と扉が閉められ、この部屋には結衣だけが独り残された。


 再び奏でられる時計の針の音。結衣の小さく絞ったような息が、ひとりでに吐かれた。さっきまで隣にいた千聖はおらず、そこには今しがた吐いた息がひっそりと漂っている。


 ――ピコン。


「……ぇ」


 机の下で、シンプルな音を鳴らして携帯がバイブした。そのうさぎ柄のスマホケースは、確かな見覚えがある。

 

「ちさちゃん、携帯忘れて……。あっ、届けに行かなきゃだよね」


 結衣は即座に意気込むと、千聖の携帯に手を伸ばした。しかし、ロック画面に映されたそれが自然と視界に入ってしまう。


 メッセージアプリの通知履歴が二つ。一つは『秋鷹が動画を送信しました』という至って普通のメッセージ。もう一つは『この前撮った、エッチな動画送っといたよー』という理解不能なメッセージだった。


「え、えっちな動画……」


 知らず、ゴクリと喉を鳴らしてしまう結衣。繋ぎ合わせるにはまだ材料が足りないが、結衣の頭には千聖と秋鷹の淫らなパフォーマンスが浮かび上がっていた。

 放課後の教室で行っていた男女の営み。それは健全とはかけ離れたふしだらな行為で、醜態を晒すのと同然の恥ずべきものだったはず。


 しかし、それを没頭して覗き見ていたのもまた事実。自分もその背徳感を背負い、酔い、浸り、しまいには新たな階段を上ってしまったあの日の衝撃が思い出される。

 今となってはマスターベーションは結衣には欠かせない日課となり、心に安らぎを与える慰めの儀となっていた。


 そのきっかけとなった動画がここにあるかもしれない。確証はないが、直感がそう告げていた。


 少しだけ、確認するくらいなら――。


「だめよ結衣っ、ここは抑えて!」


 自分の手を押さえて、結衣は必死に抵抗する。携帯画面に向けられた指先をふるふると震わせ、唸りながらも歯を食いしばった。

 それでも好奇心は悪事の手助けを為し、そして悪魔の囁きを結衣に聞かせてくる。するといつのまにか、結衣の指先は画面をタップしていた。


「わたし、悪い子だよ……」


 呟きは儚くも霧散し、指先はトントンっと画面をタップし続ける。悪いことをしているのはもちろん理解しているが、パンドラの箱を開けしまった結衣には後戻りする手立てがない。

 千聖の誕生日を入力し、パスワードを解除する。移り変わって映し出されたのは、秋鷹のトーク画面だった。当然、動画とメッセージが履歴として残っている。


「ごめんねちさちゃん……あとでお叱りはちゃんと受けるから、今だけは許して……!」


 ポチッ、と動画を押すと、数秒も待たずして動画が再生された。

 自分の呼吸が荒立ってきているのがわかる。ドキドキと鳴る胸の動悸に伴って、顔全体が熱く燃え上るように赤みを帯びていった。


『もう撮ってるの……?』


『うん、撮れてると思う』


『そう……』


 最初は三脚に携帯を取り付けていたのか、映像が雑に揺れ動いていた。それがピタリと止まると、正面に白く大きいベッドがあらわれる。

 その上に女の子座りで腰かける千聖が、不安そうな目でこちらを見ていた。それを払拭してあげたいと考える前に、結衣の声が壊れたテープレコーダーのように断続的な音を鳴らす。


「あ゛ぁ……あ゛、あ、ぁ……」


 結衣はこれまでに見ぬ衝撃を全身に伝わせ、見てはいけない現実に身体の芯から打ちのめされた。


 そこに映っていた千聖の姿は結衣の知識、あるいは人生の経験を最大限活用したとしても説明しがたいものだった。なんとか絞り出し、なけなしの言葉で表現するならそれは牛である。決して、千聖のカラダが牛のようにだらしないものであると言っている訳ではない。むしろ魅惑的な抜群のプロポーションであると言えるし、胸は少々大きすぎるが文句のつけようもない芸術品だ。

 しかし、格好そのものがもはや牛だった。それはハロウィンで使用するコスチュームや、文化祭の即興劇で使用する衣装としては過激。下着姿と呼称するにも躊躇われ、言ってしまえば全裸に近い格好だった。布の面積が五百円玉程度のブラジャーは胸の先端部分を隠すのがやっとで、股の下に添えられたTバックは縦筋を隠すためにしか機能していない。首に着けられたチョーカー、頭に被せられたカチューシャ、足に履かされたニーハイソックス、それらは全部牛になるために必要な千聖専用のホルスタインセットと成り果てる。


 売れないグラビアアイドルに支給される衣服が布一枚という話をよく聞くが、今の千聖はまさにそれだった。隠しきれていない豊満でムチムチな柔肉たちが、ささやかな下着からはみ出し、それが弄ばれるだけの脂肪の塊であると淫靡に主張してくるのだ。


『ねぇ……やっぱり止めない? 恥ずかしいよ……』


『千聖がもっと過激なことしたいって言ったんだろ? しかも、そのコスチュームもわざわざ買って用意したんだ。今さら止められないよ』


『どうしても……?』


『どうしてもだ。ほら、カメラの方向いて』


 男の声に反応して、千聖が涙目でカラダを震わせる。露出した肌が薄っすらと淡紅色に色づき、ほのかな緊張を画面外に届けた。

 

『じゃあ、質問するよ』


『う、うん……え? 質問……?』


『まずは名前から教えて』


『え、えっと……日暮千聖です』


『ふーん、千聖ちゃんか。可愛い名前してるね。年齢は?』


『十七ですけど……』


 一体なにが始まっているのだろうか。結衣はその映像を食い入るように熟視する。


『初体験の年齢は?』


『えっ……それも、十七です』


「な、なに言ってるのちさちゃん……!?」


 こればっかりは結衣も声を上げてしまった。千聖が初体験を済ませ、すでに処女ではないということは解っていたが、改めて聞くと彼女を遠い存在と認識してしまう。

 彼女はたった一度の――人生一度きりの、純潔を捧げてしまったのだ。その相手は結衣も知っている。


『それは彼氏と?』


『は、はい……って、ねぇ! これ何か意味あんの?』


『ごめんごめん、一回やって見たくてさ』


 恥ずかしそうにカラダをくねらせる千聖に、男はカラカラと笑って返す。そして、いきなり動画内に姿を現した。

 全裸での登場である。画面越しに見える均等のとれた逞しい筋肉に、結衣は思わず息を呑んだ。男はベッドに腰かけると、千聖の肩を抱き寄せる。


『そういえば俺たち、何回くらいセックスしたっけ?』


『んー、五十回くらい?』


『そんなヤッたかな……』


『秋鷹とは毎日二回以上してるし、その、さっきも……一回したし……』


 肌をくっつけ合わせ、至近距離で会話する二人。そのまま「ちゅっちゅっ」と柔らかめのキスを繰り返し、気持ちが乗ってくると舌を絡め合わせた。

 千聖の双丘が男――秋鷹にむにゅむにゅと揉みしだかれ、いやらしく形を変えている。それを結衣は、口を半開きにさせながら見ていた。


 ――始まる。


 画面の向こうには裸の男女。片やクラスメイト、もう片方は幼馴染。どちらも色んな意味で思い入れのある二人だ。

 そんな二人が今からセックスをする。欲望にまみれ、男と女となって交わり合うのだ。


 その姿を早くに想像してしまって、結衣はゾクゾクとした感覚に襲われた。すっと、自分の股の下に手が伸びていく――。


 

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