第78話 恋人ごっこ
映画を観終わった後、二人は近くのゲームセンターに向かった。
その道中、感動の余韻に浸りながら映画の感想を言い合った。たくさん言い合って、たくさん笑い合った。ただお喋りをしているだけなのに自然と笑顔になれてしまうのは、結衣の才能もあったがきっとそれだけではなかった。
結衣にとってお喋りとは、いつだって相手の笑顔を引き出すためのものだった。友人同士で気だるげに話すものではなかったし、恋人の顔を見ながら幸せを感じられるものでもなかった。
しかし、今ならわかる気がする。なにもない空間でお互いに無言の状態が続いても、それすらも心地いいこと。無理に自分から話しかけなくても、ただ彼の横顔を見つめているだけで胸がいっぱいになること。お喋りが、楽しむだけのものじゃなくて本当は幸せを感じられるものだってこと。恋を知って恋を育むことで、結衣は何事にも形容しがたい温かな恋心に出会うことが出来たのだ。
「頑張って! あきくんっ」
ガラス越しにぬいぐるみを見て、結衣はクレーンゲームをする秋鷹を応援していた。
「あの犬のぬいぐるみが欲しいんだよな?」
「うんっ。チワワだよチワワ! かわいい!」
「このもふもふのやつか……」
「違う! そっちはポメ子だよ!」
結衣は自分がチワワを飼っていることもあって、チワワのぬいぐるみを所望していた。しかし、秋鷹は勘違いしてポメラニアンのぬいぐるみにクレーンを動かす。
そのまま軽やかにクレーンを操作すると、さも当然のようにぬいぐるみを獲得口に落とした。
「えっ、すごい……」
ぬいぐるみを難なくゲットしてしまった秋鷹に感銘の声を漏らす結衣。そんな結衣に、秋鷹はぬいぐるみを渡してくる。
「はい、チワワ」
「ポメ子だよ。でも、ありがと」
結衣は渡されたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、嬉し気に頬ずりする。彼が自分のためにぬいぐるみをゲットしてくれたと思うと、胸の奥がなんだかぽかぽかした。
「次、プリクラ撮りに行かない?」
ぬいぐるみを鞄に仕舞って、結衣はにこにこと訊ねてみた。
「いいね、撮ろうか」と秋鷹が賛同する。
「あきくんはプリクラとかよく撮るの?」
「そういえば、そんなに撮ったことないな」
「なら最近の流行はわからない感じだね! わたしが教えてあげるよー」
まかせんしゃい、と結衣は胸を張り、秋鷹の手を引っ張ってプリクラ機に向かう。プリ機の中はまるで別世界に迷い込んでしまったかのように真っ白だった。お金を投入して、結衣は機械を操作する。
「もう始まるよー」
「もう?」
「そだよ! はい、ポーズとって!!」
困惑する秋鷹の隣に行き、結衣は「キュンです」と指ハートを作る。
「ほーら、あきくんも。キュンです!」
「きゅ、きゅんです……?」
結衣が指ハートを促すと、秋鷹も見よう見まねで人差し指と親指を合わせてハートを作った。ぎこちないが、結衣たちは同じポーズで撮影することに成功した。
「はい、どんどん行くよ。あと五枚は撮るからね」
「また、きゅんですハート?」
「ちーがーう。がおーポーズだよがおーポーズ!」
うがー! と怒った振りをしてみるも、秋鷹には小馬鹿にされたように笑われてしまう。結衣はムッと頬を膨らませて、「一緒に撮るんだよ?」と腰に手を当てながら言った。
「文化祭のときにやってたガオーポーズでしょ? ちゃんと覚えてるよ」
「ほんとかなー?」
「本当だよ」と秋鷹は言って、片手でガオーポーズをする。その隙を狙って、結衣は彼の腕に抱き着き、自分も片手で「がおーっ」とポーズをとった――。
それから、普通にピースしたり頬にキスをしたりするプリクラを撮って、五枚ぜんぶ撮り終わったらラクガキスペースに行って仕上げをする。
「結衣の顔にラクガキするけどいい?」
秋鷹は悪戯っ子のような笑みを浮かべてタッチペンを手に取る。それに対抗するように、結衣もタッチペンを握って秋鷹の顔にラクガキをした。先制攻撃だ。
「みっきまうすみっきまうすみっきみっきまうす――」
歌を口づさみながら、秋鷹の顔にネズミのような髭を生やしてやった。
しかし隣を見れば、秋鷹は結衣の頬におじゃる丸のような丸を描いていた。加えて、眉毛を太くしている。
「あーっ! わたし、まろみたいになってる……」
「お似合いでおじゃるよ」
「言い方! ば、バカにしてるでしょ!?」
「ばかになんかしてないよ」
秋鷹は笑いを堪えるように手の甲を口元に当て、くすくすと肩を震わせていた。
やっぱりばかにしてる、と結衣は秋鷹に肩をぶつける。ちょっとふざけただけじゃん、と秋鷹も肩をぶつけ返した。もう怒った、知らない、と結衣は不貞腐れてみる。それは困ったな、と秋鷹がやさしく頭を撫でてくる。
この時間が、とても幸せだった。
たとえそれが恋人ごっこなのだとしても、胸の内では確かに感じている。
甘く和やかに、心が恋色に染まっていた。
それならば、結衣はこの関係が不確かで曖昧なものでも構わない。
※ ※ ※ ※
「はぁ~、笑ったぁ……」
藍の空に向けてため息を吐くように、結衣は歩きながら天を仰いでいた。辺りはいつのまにか暗くなっており、道端にそびえ立つ街灯が思い出したように点滅している。自信なさげに光っているが、結衣にはそれが、異様に大きく見えた。
「プリクラの写真、あきくんはどうするの?」
隣を歩く秋鷹に、結衣は静かに訊ねた。
「まだ決めてない。結衣は、どうするんだ?」
彼はポケットに手を入れながら、静かに訊き返してくる。
「わたしは……しばらく、お財布に入れておこうと思うの」
「財布か。なら、俺もそうしようかな」
「お守り替わりって感じかな。あと、想い出は残しておきたいって思うでしょ?」
「忘れたくない――記憶に留めておきたい思い出なら、確かにそうかもしれないな」
丁寧に紡がれた秋鷹の言葉に、結衣はそっと頷く。
「うん。その点で言うと、一か月後の修学旅行はお財布なんかには収まりきらないくらいの、最高の思い出になるのかな」
「なるといいな。俺は寒いの苦手だから、あまり気乗りはしないけど」
「大丈夫。わたしと、その……温め合いっこ、すれば、さ……」
「安心だな」
結衣が顔を赤らめると、秋鷹は一言呟いてから目尻を下げた。
修学旅行はスキー学習をすることになっている。結衣が想像するのは、真っ白い雪山で楽しく笑いあっている自分たちだ。そして、秋鷹と体を温め合うことも念頭に置かなければならない。
「修学旅行、楽しみだね」
「結衣は楽しみなことが多いな」
「そうです。楽しみなことが多いんです、わたし!」と結衣は声高らかに言った。楽しみなことが多いというより、楽しみなことが増えたといった方が正しいのかもしれない。
秋鷹と一緒にいると、どんなちっぽけなことでも大切にしようと思えた。倦怠感まとう寝ぼけ気味の朝も、嫌いな勉強をする学校の授業も、友人との何気ない会話も、好きな人に会える確かな喜びも、もどかしい気持ちがいっぱいで中々寝つけない憂鬱な夜も、当たり前だと思っていた日々はすべてが特別で。その人にしかない唯一無二の幸福だから。
「誰にも、わたしたちの特別は奪えないんだよ」
それがたとえ一瞬で、儚く消えていってしまうものだとしても、記憶と心にずっとずっと残り続ける。
しかし、秋鷹とのこの関係が今だけのものだと思うと、結衣はちょっと寂しくなった。
「あきくん」
結衣は歩んでいた足を止めると同時に、秋鷹の名前を呼んだ。彼も足を止めると、ゆっくりとこちらに振り向く。
「今日は、付き合ってくれてありがとね」
「こちらこそ。映画とかプリクラとか、思った以上に楽しかったよ」
「えへへ。そっか、それはよかった」
小さくはにかんで、結衣は両手の指を絡めて俯いた。
どうしてこうも時間が足りないのか。言いたいことはまだまだ沢山あるというのに、今日はもう残された時間がちょぴっとしかない。
でも別に、今日にこだわる必要なんてのはないのだ。明日でも、明後日でも、また彼と一緒にいられる時間さえ作れれば、この気持ちはいつだって伝えられる。
「わたしも、今日は楽しかったし、なにより幸せだった。だから……」
だから、何度でも、何回でも好きを伝える。彼がずっとそばにいてくれるように、次に会うときはもっと好きを伝えよう。次の日も、そのまた次の日も。
それ故に、今日言うべきことはもう決まっていた。明日への不安と期待が入り交じる中、結衣は前を見据えて口にする。
「これからも、君と笑いたい」
今はそれだけで、充分だった。
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