第77話 放課後デート

 十月も終わりに差し掛かる頃。寒がりの秋鷹にとって、この時期はもうセーターなしでは生きていけない肌寒さを身に感じさせる。

 人気ひとけのない児童公園で結衣を待っていると、木枯らしらしきものが吹いて頬を冷たく撫でていった。その瞬間、秋鷹はひゃっと縮み上がってしまった。

 それからしばらく経って、地面の砂利を踏む音が背後から聞こえてきた。


「あきくん」と背後の人物は言った。「待たせちゃってごめんね」


 ちょんちょんと脇腹をつつかれたので、秋鷹はそれに反応して振り返る。そこにいたのは、恥じらった様子の結衣だった。


「……どう、かな?」


 宣言通り、彼女は珍しく化粧をしていた。しかし、予想していたより遥かに上手な仕上がりだ。むしろ失敗すると思っていたため、秋鷹は驚愕する。


「いや、驚いた。すごいじゃないか結衣」


 いい意味で予想を裏切ってくれた。これでは揶揄えないではないか。

 元々の容姿が可憐なこともあって、それをより引き立たせるようなメイクは大人っぽさを演出させる。言うなれば、素顔の魅力を最大限際立たせた「わたしってこんなに可愛いのよ」的なナチュラルメイクだ。


「エリカちゃんにお化粧してもらったの。えへへ、ずるしちゃった」


 無垢なはにかみ笑顔で、結衣は頭をかく。

 ふわりと揺れたその髪も普段と違うようで、サイドテールからミディアムヘアに変化していた。鎖骨辺りまで毛先が伸び、内巻きのカールを描いている。

 秋鷹はそんな結衣の頬に手を伸ばし、そっと触れた。


「かわいい」


 相手を褒め称えるような臭い台詞も浮かばず、思わずこぼれ出したのは「かわいい」の一言だった。しかし、結衣にはそれだけで充分だったようで、自分の頬に添えられた秋鷹の手を握ると、瞑目して口元を綻ばせる。

 エリカに化粧をしてもらったと言っていたが、秋鷹としては、彼女の化粧した顔が見られればそれで満足だったから、文句もなにもなかった。すると、瞼を閉じていた結衣が、上目遣いでこちらを見つめてくる。


「友達に教えてもらったんだけど、ここからちょっと離れた場所に映画館があるの。この時間は人が少ないらしいから、カップルの間で穴場スポットだって言われてて……あ、えと……大丈夫かな、そういうところに行っても」


「うん、大丈夫だよ。結衣は、なにか不安なことでもあんの?」


「……え?」


 秋鷹の言葉が図星だったようで、結衣は素っ頓狂な表情を浮かべてしまっていた。おそらく、恋人同士で行くような場所は秋鷹が嫌がるとでも思ったのだろう。なにせ、秋鷹たちの関係はセフレだ。恋人ではない。

 しかし、結衣がこんなに張り切って化粧までしてくれてるのに、その想いを無碍にすることは秋鷹にはできなかった。そもそもの話、肉体関係がある時点でつべこべ言ってられる倫理観はとっくに持ち合わせていない。少なくとも、秋鷹は。


「じゃあこうしよう」


 ならば、と秋鷹は素敵な提案をする。


「デートをするときだけは、俺たちは恋人になろう。だから今日は、恋人として存分に楽しもうか」


 結衣の手を握って、放課後という僅かな時間に確かな彩りを与えた。まるでそのひと時が夢の中にあるような、時間が経てば消えてしまう儚いものに置き換えた。

 秋鷹は魔法をかけるように、シーっと人差し指を唇に添え、口角を上げる。


「秘密の恋人、ということで」

 

 二人だけが知る、特別な関係。少しの間だけの、特別な時間。それは、今日が終われば簡単に消えて無くなってしまうだろう。



※ ※ ※ ※



「楽しい~」


「もう楽しい?」


「うんっ、すっごく」


 映画館に行くまでの道途ですでに、結衣は満足げなにこにこ笑顔を模っていた。他愛もない雑談をしていただけなのだが、笑いのツボが浅すぎることもあって終始この調子だ。


 映画館の中に入ると、周りは制服姿の学生が多いように思えた。秋鷹たちと同じように、学校帰りの寄り道のような感覚で来たのだろう。中には手を繋いでいるカップルもちらほらといた。


「なに観る? やっぱり、今流行の死滅の刃とか?」


「わたし、死滅は友達と観に行っちゃったんだよね」


「へぇ、そうなんだ。面白かった?」


「人目もはばからず泣いちゃった」


 あははー、と照れ笑いをこちらに向けてくる結衣。涙脆い彼女ならあり得るな、と思い、秋鷹はさして驚かなかった。ただ、その泣き顔は見てみたくもある。


「あきくんが死滅観たいっていうなら、全然、わたしも一緒に観るよ?」


「いや、せっかくだから違うやつを観ようよ。これとかどう?」と言って、秋鷹は券売機の画面を指差す。「アサケンさんが主演やってる映画。ちょっと気になるな」


「アサケン……?」


 結衣は券売機を見て、こてっと首を傾げた。そして、う~んと唸り出す。


「やだ」


「えっ、なの?」


「わたし、この人あまり好きじゃないの」


「珍しいな、結衣が人を嫌うなんて」


「嫌いではないよ。ただちょっと、好きになれないだけ」


 その言葉に、悪いと思いながらも秋鷹は吹き出してしまった。好き嫌いは人それぞれだが、結衣の回答があまりにも断固としていたから、可笑しくて笑ってしまったのだ。


「なら、えんとつ町のバベルとかはどう?」


「あっ、それわたしも観たかったやつ!」


「そうなの? じゃ、これで決定だ」

 

 秋鷹は券売機でチケットを購入すると、結衣と一緒に入場を済ませ、劇場内の席に隣り合わせで座った。

 位置が一番後ろのため、前方を広く見渡せる。穴場スポットというだけあって、館内もそうだったが劇場内も人の数は少なかった。


「楽しみだね」


「そうだな」


 秋鷹たちは事前に購入しておいたポップコーンを二人でむしゃむしゃと頬張り、スクリーンに映し出される予告映像を熱心に視聴した。


 いつぶりだろうか。カラオケやボーリングに行くことはあっても、映画館に行くことはここ最近あまりなかったように思える。

 もしかすると、秋鷹が映画を観るのは中学生以来なのかもしれない。そのときも、今と似たような状況だったような気がする。

 デートに誘われて、それを受け入れて。今と同じように相手から好意を向けられていた。しかし、完全に同じかと言えばそうとは言えない。

 あのときと決定的に違うのは、この状況を自分が楽しめているということだ。無意識ではあるが、結衣と会話しているときの秋鷹は確かに笑っていた。たぶん、心の底から笑っていたのだろう。それがどうにも、不思議で仕方なかった。


「……ん?」


 そんな思考を巡らせていると、隣の席から鼻をすする音が聞こえた。


「ぐすっ……あぅ……う、うぅ……」


 見れば、結衣がスクリーンを観ながら涙を流していた。

 秋鷹は唖然として、思わず「嘘だろ……」と呟いてしまった。まだ上映されてから十分程度しか経っていない。涙脆いにも程がある。


「うぐっ……はぅ……」


「なんだよお前、泣きすぎだろ……」


 知らず口元を緩ませてしまった秋鷹は、献身的に結衣の涙を親指で拭い去った。これじゃあ化粧が台無しではないか。

 それでも、結衣はそれを気にしている様子はない。「ごめんね」とだけ言って、ハンカチで涙を拭いていた。

 その瞬間ため息を吐いてしまった秋鷹だが、決して負の感情が湧いて出たわけではない。なんとなく安堵のような気持ちが滲んでいた。

 そして、秋鷹は結衣の手を軽く握って、スクリーンを観た。結衣もそれに応えて握り返してくる。


「たまには、こういうのもいいかもな」


 恋人のように指を絡めて、ぎゅっと手を繋いだ。

 空いていた右肩に重みを感じ、そこに誰かが頭を乗せたのだと理解した。

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