第17話 虚ろに浸る

「あーいたいた」


 校舎二階。渡り廊下の中央で黄昏ている千聖ちさとを発見し、秋鷹あきたかは外の空気を吸いながら彼女へ近づく。

 屋根が無いため西に落ちていく太陽は眩しい。かといって眩しさにひるむことなく、手摺に手をついている千聖に一声――。


「なに、泣いてんの?」


「……泣いて、ない」


「だったら、その目元の腫れはなんだ? よくこの短時間でそうも赤くさせられたな」


「……ゴミが入って目擦ってたらこうなったの」


「それで誤魔化せるわけねーだろ――」


「――うぷ」


 秋鷹は廊下で拾った千聖の物らしき鞄を、彼女に投げつけた。危なげなくキャッチした千聖に、秋鷹は続ける。


「振られてもねーじゃんか。ただ勘違いされただけだろ?」


「…………」


「伝わるまで何度も挑めよ。あいつには、告白だってカウントされてないんだから」


 あれは酷い難聴だった。秋鷹にはハッキリと聞こえていた為に、涼の挙動には驚きを通り越して唖然である。


「……まぁ、告白できたことは称賛するよ。ちゃんと練習の成果がでたわけだし」


 あのまま告白が成功すれば、手伝った甲斐があったというもの。しかし失敗したとも言い難い結末に、秋鷹はどう捉えていいのか戸惑いを若干滲ませる。


 練習し、成功して、後腐れなく終われればそれでよかった。

 なんせ、見届けると決めたから。己の黒い感情を内に沈めてまでその選択をしたのだ。


 失敗していいはずがない。失敗してしまうとしたら――彼女の想いが届かなかったとしたら、きっと秋鷹は己の真意を湯水のように曝け出してしまうだろう。


「だから成功するまで、手助けしてやる」


 手解きが足りないのならそれを講じることはやぶさかではない。

 先刻の告白練習は『手本』をよく知っていた秋鷹だからこそできた教示なのかもしれないが、他にも恋多かった秋鷹になら教えられることは沢山ある。それ故に、


 ――頼むから、もう少しだけ耐えてくれ。


 秋鷹は芯に打ち付ける心臓の重圧に苦悶の色を浮かべ、飢えた獣のような惑乱した思考を簡易的な処世術で抑えた。

 千聖に気づかれぬよう何事もなかったことにして、舌なめずりを始めそうだった舌を平然と回す。

 

「負けない。それが日暮ひぐらしの恋愛なんだよな」


「…………」


「先、越されちまうぞ。うじうじすんな馬鹿野郎……!」


「――――ぷっ」


「……あ?」


 唐突に、秋鷹の顔を見て吹き出す千聖。鞄を両手で目一杯抱きしめながら大きく笑う。


「あははっ、目にゴミが入ったって言ったじゃん。悲しくて泣いてるんじゃないし、慰めてもらわなくても大丈夫」


「……え」


「ちょーっとあいつにはイラついたけど、これっぽちも負けたつもりなんてないから」


「……なんだよ……杞憂だったのか」


 虚勢には見えない。

 千聖の満ち満ちた瞳は真実を映し出すかのように輝いている。揚々となり気分爽快に思えたが、彼女は続けざまにご立腹感を態度で表した。


「なんか……あいつのこと考えてたら無性にむかっ腹が立ってきたわね……! なんで一回で聞き取れないのよっ」


「あーうん、わかるよ」


「言えたのにっ! 頑張ったのにっ! 乙女に二回も告白させて何が楽しいの?」


「……わかるわかる」


「お弁当なんか作ってあげるわけないでしょ! この、オタンコナス!!!」


「俺!? 俺に向かって言ってない? オタンコナスってさ」


「へっぽこなすび!」


「ナスって単語、便利だね」


 恨み辛みを吐き出すならともかく、その矛先が秋鷹に向けられてしまっている。八つ当たりにも見える雑言だが、千聖は吐き出し足りない様子で、


「……宮本くん。この後、あたしの愚痴に付き合ってくれない? サンドバックがないと怒りが静まりそうにないの」


「愚痴……だよね? 最後の言葉は聞かなかったことにするよ」


「しおりの表紙が完成したらでいいから……」


「それはもちろん。優先するのはしおりの表紙だ。終わったら、幾らでも愚痴っていいよ」


「ありがとう……やっぱり優しいね、宮本くん」


「……そうかな」


 そこで爽やかな笑みを作った秋鷹は、悟られないよう優しさを保った表情を固着させる。作り上げた面様が崩れないよう強く、固く。

 

 ――もはや崩れ落ちた破片は拾おうとしないで、新しい欠片で取り繕っていった。



※ ※ ※ ※



 男女の会話が夜道に鳴り渡る。車の走行する音に負けじと上乗せし、会話が途切れないよう声に活力を入れていた。

 話題が尽きないのか、はたまた無理をしているのか。彼らの声に耳を澄ませれば、いかにも愉し気で時間すら忘れているように思える。


 ――故に、それが答えなのだろう。



「それでね、ヒロインの絢音はこう言ったの。『人を好きになる感覚って、こんなにも温かいんだ。知らなかったよ、君に出会うまで』ってね」


「へぇ、面白そうだなそれ」


「でしょ! 軽い文体で読みやすいし、あたしの一押しよ」


「この前、本屋で買ってたのもそれか?」


「あったりまえ。発売日当日には毎回買いに行ってるの。待ちきれないからねっ」


「ガチで好きなんだな」


「そうよ、ガッチガチのガチなんだから」


「なんだそれ」


「ふふっ……」


 今し方、溜めに溜めまくった愚痴を吐き出したからだろうか。愚痴り倒した余韻が言葉の羅列に拍車をかけ、千聖は隠していた自身の趣味を熱弁してしまっていた。

 

 この際、話してしまったのなら相手の顔色などに構わず、なるがままにぶちまけてしまってもいいのかもしれない。

 彼なら受け入れてくれるのだ。嫌厭されがちだった自分の趣味も笑って聞き入れてくれる。蔑まれるはずなのに、逆の反応を惜しげなくみせてくれる。


 見たい。もっと。共感し、相槌を打って、笑いかけてくれる彼の姿を。


 けれど、喋り出そうと喉を震わせたとき、目の前に現れた住宅街に言葉を遮られた。

 

 ――今日はここまでだと、そう言いたいのか。


「あ……」


「着いたな。じゃあ俺はこれで」


「し、しおり――」


「……ん?」


 咄嗟に、秋鷹を引き留めてしまった千聖は、言いかけた言葉の先を必死に探す。

 

 何故引き留めたのかは自分でも理解ならない。

 話し足りないとか、一緒にいたいとか、寂しいとか、そんな事だろうとは思うが、そう思ってしまう自分の心情に理解が見いだせないのだ。

 

 そう思うのは、少なからず秋鷹に友情や親交といった親しみの類、それ以上の何かを感じているからなのか。

 ある筈がない。だって、そこを越えてしまったら自分では収集がつかなくなる。本音を言えば、あってほしくなかった。


 千聖は探し当てた言葉と共に、早めに会話を切り上げる方針に移行したが、


「しおりの表紙、なんとか描き終えたね」


「ああ、日暮の猫の絵は傑作だったよ」


「もう、言わないでよ……褒めてないでしょ? 宮本くんの絵、プロかと見間違うほど凄いんだから」


「どうだか。それこそ褒めてねーよ」


「絵が上手って自覚してないの?」


「してるよ」


「してるんじゃない。やっぱり褒めてないっ」


「お望みなら撫でてやるけど?」


「いらないっ。気持ち悪い」


「酷いな……はは」


「ふんっ…………」


 ――また、探してしまう。

 

 会話が途切れて、続く言葉を見つけられなくて、繋ぎ止めようと考えを振り絞って。一瞬の隙間を埋めようと千聖の唇は開いて結んでを反復する。


「どうした……?」


「ぁ…………」


 千聖の異変を察知して、すぐさま気にかけてくる秋鷹。今、彼に願いを求めればどうなるのだろうか。

 快く受け入れてくれるのか。傍に居て欲しいと、一人は嫌なのだと。家に帰るのが怖いと言えば、そう言えば――。


「ん? なんも無いなら帰るよ」


 ああ、何も言えない。

 誰にも言い出せなかった言葉を、涼にすら言えなかった我儘を、秋鷹になんて言えるわけがない。  

 

 千聖には虚しさだけが広がり、形容しづらい胸の締め付けが後から襲い掛かってくる。秋鷹を見れば、未だ心配そうに首を傾げていて、同時に胸の痛みが悲鳴を上げた。


「それじゃ、またな日暮」


「…………また」


「うん、また明日」


 二回、彼は言った。


 その愁眉を開いた表情は、千聖の返事が返ってきたことへの発露にも思える。そして明滅する街灯に照らされつつ、千聖から遠ざかっていく秋鷹。

 ゆっくりと、しかしチカチカと瞼を刺激する街灯の光が、彼の背中を碧落に追いやるようにぼやけさせた。

 


 ――それは一人ひとり虚無感を抱える千聖に、更なる風穴をあけていった。

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