第18話 空が先んじて泣いていた
「
「相合傘」
「正解。普通に答えんなよ。ちっとは迷ってくれても良かったんだぜ?」
「お前が朝から言ってたんだろ。傘を持ってきてないってな」
「こりゃあしくじった。もしかして持ってきてない理由も……?」
「ワザとなんだろ? 彼女と……篠草さんと、相合傘するためにさ。授業中に考えてることが口から漏れ出てたよ」
「それでセンコーに怒鳴られたってわけかー……なっとくなっとく」
「敦……お前って阿保だろ?」
と、廊下側から聞こえる声をBGMとして、
一昨日には完成した『体育祭のしおり』も全校生徒に配られ、残すのは当日に待ち受ける実行委員の仕事くらいだろうか。無論、競技にも真剣に取り組むつもりだ。
そんな競技内容が記載されたしおりを覗き見て、自分の出場種目を確認する少女が正面――千聖の前の席に座っていた。金髪ギャルの春奈だ。
彼女はしおりを閉じると、自分の席でもないのにどっしりと尻を擦り付けて、
「ちさちーの描いた
「宮本くんに飛ばさせられたの。最初はちゃんと歩いてたんだよ」
「羽が生えてるのは?」
「生えさせられたの。猫に妖精の羽ってどうみてもおかしいでしょ? 可愛いけども」
机に置かれたしおりの表紙には、羽を広げた猫が優雅に空を飛んでいた。加えて周りを彩るのは秋鷹が描いた風景画で、妖精猫と合わさり一種のアートにも見えなくもない。
変な所で才能を爆発させている。
そんな秋鷹の意外な一面を知れたのは、矢張り日が経つごとに仲を育んでいったからだろう。
委員会決めの日に欠席した所為で、嫌々ながら任された実行委員。初めは難色を示していた千聖だが、それも今ではそこはかとなく吹っ切れていた。
たぶん――。
「楽しかったから、なんだろうなぁ……」
秋鷹といると素の自分を露呈させてしまう。自然と感情が引き出され、しかし悪感情が湧いてくることは無かった。
他人にはあまり強く出れない分、それがストレス発散のようなものになっていたのかもしれない。涼に対してだと、かえって鬱憤が溜まっていく訳だし。
とはいえ、その鬱憤晴らしも明日には終息する。並んで帰る事もなければ、それによって秋鷹のファンから敵視されることもない。
いいではないか。元もとは、その程度の間柄なのだ。真っ向から話しかける必要はないし、ただのクラスメイトに戻るだけだ。
――なにも、悪い事なんてない。
「明日で、終わりか……」
「終わって欲しくない?」
ぼそりと呟いた千聖の言葉に、春奈は机に肘をついて返答した。友人の相談に乗る態度とは、こんな感じを言うのだろうか。
形にできない思いに駆られながら、千聖は頭で否定して口で偽る。
「終わって欲しいかな。放課後の会議とか大変だったし。早く帰って休みたいよ」
「ほぼ毎日だったもんね。疲れるのも当然だけど、あーしには羨ましいっ」
「えっと、みやもと……くん? がいるからだよね」
「うんうん」
ぶんぶんと首を縦に振り、春奈は視線を秋鷹に移した。彼女の彼氏候補に名を連ねている秋鷹。それは春奈にとって大きな意味を持つようで、
「実行委員になればよかったってめっちゃ後悔してるぅ~」
「発端は春奈だって解ってる? あたしが休んでる間に推薦したのは春奈じゃん。自業自得よ」
「あれ~? そうだっけ?」
「覚えてないの? エリカと一緒に
「確かに、ちさちーを揶揄っていた記憶が……」
「二人三脚を連呼しながらね」
「あ! それだ!」
やっと思い出したか。
休んだ理由はただの風邪だったのだが、次の日に千聖が登校するやいなや二人してニヤニヤしていたはず。
遅刻した秋鷹もまた、勝手に実行委員にされたらしく、友人に
――全く、秋鷹への気持ちは何処へやら。
「盛り上がってその場のノリで~的な? こればっかりは仕方ないね」
「あたし被害者なんだけど……悪いと思ってる?」
「あはは、ごめんごめん――――あっ!」
申し訳なさそうに手を合わせる春奈は、教室後方の扉を見やると声を上げる。次いでそちら側へ手を振ると、
「秋鷹ー! じゃあね~、ちさちーとの二人三脚がんばるんだよ~」
「ちょっ、春奈……!」
大声で言い放たれた言葉に羞恥が隠せない千聖は、あたふたした勢いで斜め後ろを振り向く。
振り向いた先にいた秋鷹は手を振り返しており、千聖に気がつくと微笑みかけてきた。
――教室で、帰宅していないクラスメイトも大勢いるのに。彼らのようなノリはやっぱり理解できない。
千聖はぷいっと秋鷹から顔を背けると、素っ気なさを貫く。それが
「ふぅ……雨、やむといいねー……」
「……やむんじゃない? 予報だと明日は晴れだよ」
「なら体育祭は無事に開催されるかも?」
「だといいんだけどね……」
窓の外には霧がかった陰雨。じっとりとしたテンションになりながらも、千聖は閉められた窓から聞こえもしない雨音を耳で拾う。
ガラスには雫が滴り、席が遠く離れている所為か自分の姿は反射しない。それから目線を逸らして、窓際最後列の席をじっと見据えた。
既に帰宅したのか、その席は空席だ。
「今日も話せなかった……」
千聖は入り交じる騒がしい人の声を雨音と見立てる。幻想に浸って、イメージを膨らませながら土砂降りを想像した。
テレビの砂嵐のようなザラツキを帯びた音。千聖の精神にざわざわとノイズを走らせ、耳鳴りを模して断続していく――。
※ ※ ※ ※
雨音が鮮明に聞こえるようになったのは、トイレの小窓が全開だったからだろう。だがそれは蛇口から噴き出る水の音と重なっており、騒音という事だけは先程と変わらなかった。
「雨は嫌いだなぁ……」
ジメジメした湿気が蔓延し、トイレ全体に陰鬱な空気を漂わせている。
鏡に映った千聖もどこか判然としない顔で、これでは他人に良く見られようとしても印象が最悪だ。
それを払拭しようと前髪を整えてみるが、うねりを上げた毛先は頑なに反抗してくる始末。
「これじゃあ意味ないじゃん」
念入りにヘアセットをしたのに、半日もすれば無益な苦労とでも言えようか。
ストレートでサラサラな髪質は千聖も憧れるところで、湿度により変化する自分のくせっ毛が対比するかのように煩わしさを主張する。
――気に食わん。
不貞腐れつつもハンカチで手を拭き、千聖の足は回れ左。大きな溜息を吐いてトイレを出ようとするが、
「パシリにされてるって気づいてないの、ちょ〜うける〜」
「しかもうちらのこと友達って思ってるっぽいよ、アハハ」
「日本語理解してないじゃない? あのおバカちゃんはー」
「一年たって未だにへったくそな日本語だもんね~」
廊下からやってくる声音は千聖に不快感を運んでくる。誰に対しての話かは理解出来なくとも、それが胸糞悪い程に聞き心地がよくないのは千聖とて理解できた。
――否、千聖だからか。
眉間に皺を寄せ、思わぬ遭遇に窮屈な胸の隙間をこじ開けられた千聖は、収まることのない誹謗の数々を避けるように足を働かせた。
「…………あ?」
「――――」
束の間、横を通り過ぎる際に目が合ったが、千聖はすぐに目を逸らすと廊下へ歩いていく。
三人組の女子であり、リーダー格の少女はモデルと見間違うくらいに端正な顔立ちで、ストレートでほつれを知らない髪質はちょっとばかし目を惹いた。
――まぁ、憧れはしないけど。
背後で「男の趣味が悪い」とか「調子乗りすぎ」だとかが聞こえてくる。
ああいう輩は人の悪口しか言えないのだ。一番の対処法はほっとくこと。クラスも違うし、下手に絡んで今の充実した日常が壊されるのは御免だった。
「待たせてるから早く行かないと……」
そもそも、現在は春奈を教室で待たせている。今日は久しぶりにタピオカでもタピろうと意気込んでいたのだ。後からエリカも合流するだろうし、こんな小さな事柄を気にしている暇はない。
「ふんふーん……ふん」
人のいない廊下を歩いていると、自然と鼻歌を歌ってしまう。
タピオカをタピるといっても、千聖はコンビニのタピオカもどきしかタピったことがない。あれは確か、本物のタピオカではないらしい。
ならば本物のタピオカとは、果たしてどれだけの美味しさだというのか。女子高生の間で爆発的な人気を誇る程だ。期待通りに、千聖の舌を悦ばせてくれる代物なのだろう。
「味に種類とかあるのかなー? いろんなフルーツの味があったりして…………ぁ――」
予想を立て、顎に人差し指を当てて考え込んでいた千聖。しかし、中央階段を通りかかった所で咄嗟に隠れる。
壁を背にして、階段で話し込んでいる男女の声に耳を傾けた。
「涼と、結衣……何を話して……」
というか、隠れる必要なんてあっただろうか。二人とも千聖の幼馴染なわけだし、話しかけ難い理由なんて――。
――あった。
涼に想いが通じなかったあの日から、千聖はあと一歩を踏み出せないでいた。秋鷹にグチグチ言われもしたが、どうしても告白という手段に至れなかったのだ。
それに加え、一週間も口を利かなかったことが効果を発揮したのか、妙な気恥ずかしさで挨拶すらまともに交わせないでいる。
故に、こうして彼らの動向を見守るしか千聖にはできなかった。
「ちさちゃんがしてたんだよ」
「え、でも千聖には好きな人がいるわけで……」
「その好きな人が、宮本君だったんじゃない?」
――はあ!?
千聖が、秋鷹を好き。
そんな言葉が舞っているような気がした。千聖は混乱する思考のまま、彼らの続く言葉に翻弄される。
「じゃ、じゃあ、僕はもう、千聖の好きな人と出会ってたの……!?」
「そうみたいだね。わたし、びっくりしたよ。ちさちゃんの想い人が宮本君だったなんて」
「ああ、僕もだ……仲いいなとは思ってたけど、まさか告白までするとはね……」
「あー……わたしも最近、仲いいなって思ってたなぁ……」
理解不能なやり取りに目を回す千聖は、『告白』というワードが何処から生じたのかを思案する。
思い返せば、それを知っているのは千聖と秋鷹だけだ。内密で極秘。千聖が告白したなんて情報はその場にいないと知りえないはずなのだが――。
「あ……!」
忍者だ。
足音一つたてないで千聖たちの前から姿を隠したのなら、信じたくないが辻褄が合う。おそらくは、忍者の正体が結衣だったのであろう。
部活終わりに忘れ物を教室へ取りにきたとか、ぱっと浮かんだ可能性だけでも実際にありそうな出来事だ。けれど、
――言わないでよ……。
そうであるならば、涼には言ってほしくなかった。結衣のド天然な性格を鑑みれば口が軽いことくらい解る。
だとしても、結衣が真実を知っていないとしても、それだけは言ってほしくなかった。
告白する
「付き合ってるんだよね……? それ、ほんとなの?」
「え、うん。ちゃんと見聞きしたよ。ちさちゃんが告白して、宮本君がOKするところ。ばっちしっ」
「……そっか……なら、祝福すべきなんだよね。千聖の長年の想いが報われたんだ。幼馴染の僕が、しっかり祝福してあげなくちゃ……」
「りょうちゃん……?」
誤解だ。
否定しなきゃ。想い人は涼なのだから、その話は事実無根であって。ただあの時、涼に告白するために練習していただけであって――。
――これを、言うのか?
言えば解決。誤解が解かれ、あわよくば前向きな返事を聞けるかもしれない。けれど、今まで真情を吐露できなかった臆病な自分が、今頃になって内に秘めた想いを告げられるというのだろうか。
いつの間にか彼らの前に飛び出していて、千聖は定まらない感情の荒波に苛まれる。行動したはいいものの、口に含むべき言葉が見当たらない。
「千聖……!?」
「ちさちゃん……?」
「あ、あの…………」
滲む視界で彼らの表情を見ようとも、正直、歪んでいるようでどんな表情かもわからない。
わかるとすれば二人の声は、千聖が現れたことによる驚きを乗せているようだった。
「今の話、聞いてた……?」
「…………っ」
震える唇が覚束ないために、千聖は怯えるように頷く。
「ごめんね、なんか……千聖がいないところで話していい内容じゃなかったよね」
「それは……」
「でもまさか、宮本君が千聖の好きな人だなんて思わなかったなぁ……この前怒られた理由も、何となくわかった気がするよ」
「――ち、ちがっ……そうじゃなくて……」
涼を目の前にすると、昔の自分に戻ってしまう。本心を口に出来なくて、拒もうとも首を振れない自分。
手遅れになる前に、誤解を解いて自分の気持ちを吐露しなければならないのに。
竦んだ足に、滞る思考。これらが妨げになって、千聖の意志を捻じ曲げていった。
――告白を聞き入れてもらえないことが、怖いから?
かもしれない。
一回、勇気を振り絞って告白を決行したが、涼には違った言葉に聞こえてしまったらしい。それが何度も続くんだと思うと、千聖の勇気は萎縮していく。
――結衣が、見ているから?
それもある。
結衣が涼に好意を寄せているのは千聖も知るところだ。そんな
けれど、千聖は『負けない』と豪語したのだ。自分が一番に告白して、結衣を含めた好敵手たちに一矢報いてやると。
その結果が千聖を否定するものであっても、言ってやらなくちゃ何も変わらない。
――もう、あの頃の自分に戻りたくない。
でなければ、変わった意味がないではないか。
これが最後なのだ。終着点であって、この時の為に千聖は足掻いてきた。想いを告げて、涼に答えてもらう。ただ、それだけの為に。
「――――っ」
息を吸って、気持ちを落ち着かせる。それでも、バクバクと鳴る心臓の鼓動は止まらない。
目尻に溜まった涙を拭い、荒れる動悸を抑えることは諦めた。告白は緊張あってこそのものなのだ。そうした自己完結を用いて、千聖は想いを言葉に込めた。
「あたしは……! 涼のことがす――」
「おめでとう」
「…………へ?」
言われた言葉が何なのか、何度考えてもわからなかった。
祝福の言葉。千聖に向けられたそれは、否定も肯定もない。だが、千聖の心情を搔き乱すのには充分な一言だった。
「応援するよ。千聖を変えてくれた人なんだ。幸せになれない筈がない。あ、幸せって言っても少し飛躍しすぎたかな? まずは恋人になって……って、もうなってるのか。ははは」
「どう、して……」
――変わろうとしたきっかけは、涼なのに。なんで、伝わらない。
「あたしは……」
「千聖に恋人かぁ……そう思うとなんだか寂しいね。一緒にいられる時間が減ると言うか……まぁ、もともと少なかったんだけど」
へらへらと笑い、涼は捲し立ててくる。
「でも、うん。いいと思うよ。宮本君かっこいいし、日陰者の僕とは大違いだ。釣りあってる」
「なんでそんなこと、言うの……」
「え? 僕にできるのは、これくらいだからさ……せめて、応援してあげようかなって……」
「違くて……あたしは、涼が――」
「気にかけてくれなくても大丈夫だよ。朝は一人で起きれるし、お弁当も自分で何とかする。千聖は、僕なんか気にしないで……宮本君と一緒に、ね?」
「聞い、てよ……涼っ――」
「あ、そうか。お弁当作ってくれなくなったのって、宮本君と付き合ってたからなんだね」
「あたしはっ……!」
「まあ当たり前か。彼氏がいるのに他の男となんて仲良くできないよね」
「涼、あたし……」
「幼馴染と言えど、ちゃんとお互いの距離感は大事にしないと――」
先の言葉を言わせてくれない。
千聖の言葉に被せてくるように、涼はつらつらと言葉を並べたてた。それが気力と勇気、千聖の意志すらも削いでいく。
――どうせ、伝わらないのだ。千聖が幾ら踏み出そうとも、踏み出す前に拒まれる。それがようやく理解出来た。
心が折れてしまいそうだ。どうしたら、この想いは届くのだろうか。頑張って、努力した結果がこれでは、何も。何も成せてはいないし、変われていない。
「ち、ちさちゃん……! まって!」
気づけば、千聖は階段を踏みしめていた。下って、一心不乱に駆けて行く。ぽたぽたと雨雫が
――千聖は逃げたのだ。
※ ※ ※ ※
「ちさちゃん……まだ、りょうちゃんのこと……違う、最初から……」
泣きそうな顔で階段下を見据える結衣が、声を震わせながら何か言っている。そして思い詰めた表情を模った途端、涼の制服の裾を引っ張るように掴んで、
「――追いかけなきゃっ!! 勘違いだったんだよ! わたしが、余計なこといったから……! 間違えちゃったんだ……わたし、また…………」
「…………」
「りょう、ちゃん……?」
ギュッと制服の裾を掴んでいた結衣の手が、力を失って垂れ下がる。涼はそんな自責の念にかられた結衣の姿を捉えても、うつむいたまま反応を示さなかった。
今し方、涼は一人の少女を傷つけたのだ。その根本的な理由は理解していない。しかし、自分が幾度となく彼女を傷つけてきたのだと再認識することとなった。
今回は、涼がどうかしていたのだ。彼女の言葉から目を背けるよう要らぬ言葉を投げかけて、続く言葉を聞きたくないからといって有らぬ思いを口走った。
彼女の口から何が紡がれるのか。のろけ話か、あるいは祝ってほしいという願いか。それが嬉しそうに語られるとなると、涼の胸はどうしようもない程に苦しく、狂わしい程に呻く。
「もしかして、僕……」
――千聖が、好きだったのだろうか。
彼女の笑顔を思い浮かべれば、胸の痛みは更に激しさを増した。そこに手を添え、優しく撫でてみる。果然、それは張り裂けるような痛みを伴って後悔を叩きつけてくる。
だが気づいた時には、もう遅かった。
涼は窓からみえる空の涙に視線を注ぎ、駆けて行った千聖のことを想い起こす。動き出せない自分に良心の
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