第16話 告白と実行委員会

「いい加減に髪切ったら? りょうちゃん」


 教科書を鞄に詰め込んでいる時、横やりに言い放ったのは幼馴染の少女――結衣ゆいだ。

 鈴の音を転がしたような声が涼の意識をそちらへ持っていき、捗っていた動作は中断を強いられた。


「もう少ししたら切るよ」


「めんどくさがってちゃダメだよ? もっさりしてるし、前髪が目にかかってる」


「わかってる。じゃあ今週末にでも切りに行こうかな」


 嘘だった。


 髪型は昔から変えていないし、変えるつもりもない。伸ばしきって顔を隠すようにして、周りからは根暗で陰気臭い印象を与えていることだろう。

 

 遠目から見たら有象無象に紛れてしまうような存在感の欠けている人間だと、涼は自分自身を卑下している。


「一緒に行くからね?」


「え!? なんでついてくるのさ! 君は僕の母親なの?」


「うん、りょうちゃんのことだから週末は家でだらだらするんでしょ。無理やりにでも連れ出さないと髪切らないじゃん」


「部活は? 部活はどうすんの」


「わたしが帰ったら速攻で行くよ。ちゃんと準備して待っててね!」


「えー……夕方かぁ……」


「つべこべ言ってないで、決定だから」


 週末は録り溜めていたアニメと、積み重なった漫画の山を消費する予定だった。夕方まではのんびり寝ようとも思ってたし、となるとそれが実行できない訳で幾らか不満だ。


 結衣に伝えたとしても理解ならない事柄だろう。中学生の頃に漫画を勧めてみたが、貸した漫画が現在に至るまで返ってきてない。

 いや、犬の下敷きになってボロボロになっているのを発見したのだから、間接的に返してもらったということになるのかもしれない。


「さっぱりすればかっこよくなるよ」


「いいよ、そういうお世辞は。その、結衣の心にもない言葉が僕をどれだけ傷つけて来たか……僕じゃなきゃ耐えられないね」


「そ、そんなことないもん! りょうちゃんはかっこいいんだよ?」


「ダメージ600。僕のライフは残り40だ」


「ほら、前髪あげれば……」


「え、ちょ――」


 屈みこんで涼の前髪を上げた結衣。

 額に手を当てられ、驚いた涼は硬直してしまう。至近には彼女の双眸。ぱっちりとした大きな瞳に吸い込まれそうになるのを堪え、しかし目を逸らした先には形の整った彼女の鼻筋があった。


 触れそうで、互いの息遣いが甘く交差する。動悸が激しい。絞り出そうとも声が出ない。一ミリでも動かしてしまえば合わさってしまいそうな唇を、涼はやっとの思いで開いた。


「ち、近い……」


「――あ。ご、ごめんねっ」


 バッと距離を取った結衣は、顔を赤くさせて髪を忙しなく梳かしながら、


「ぶ、部活だから。またね――」


「あ、うん……」


 嵐のように去って行ってしまった。

 涼はドキドキする胸に手を当て冷静になると、クラスメイトの忌々し気な視線に気づく。おそらくそれは、『涼なんかと結衣がつるんでいる』ということへの怨みだ。


 幼馴染であろうと限度があるのだ。涼だってそれくらいは重々承知している。友達のいないカースト下位の自分が関わりを持っていい相手ではないのだと。

 結衣や、『他の皆』が自分を気にかけてくれるのは有難いが、その結果、彼女たちの評判が下がっていくのではないか。そんな憂いに押しつぶされそうになる。しかし、


 ――それを押しのけてもなお甘えてしまうことが、いつの間にか心地良くなっていた。

 

「――りょ、涼っ」


 俯いていると真横から声がした。この声は千聖ちさとだ。

 見れば、彼女はいつになく真面目な様子で涼を見下げている。


「話があるの、大事な話。……これから図書室に来て」

 

「いい、けど……ここじゃあ話せない内容なの?」


「待ってるからっ――」


「うぇっ!?」


 言って、千聖は教室の外へと飛び出して行った。


 教室では話せない内容だと思い至った涼は、何か心当たりがあったかと考え込む。あるとすれば、先週しでかした千聖を怒らせてしまった出来事だろうか。

 高慢な千聖から謝るとは考えづらいが、根はとてもやさしい女の子なのだ。きっと、彼女は気にしていたのかもしれない。


 ――忘れていた自分とは違って。


 得心がいき、罪悪感を覚えた涼は気合を入れて頷く。千聖よりも先に謝るのだと、それだけを念頭に置いて。



※ ※ ※ ※



「あれ……誰もいない……?」


「人払いしといたから、誰にも聞かれることはないわ」


「そこまでする!?」


 図書室――入り口横のカウンターに手を添えている千聖は、出迎えて早々に涼の目を見開かせた。

 あまりにも真剣な面持ちだった為、魔術でも行使したのかと疑ったが、そんなファンタジー要素はある訳が無い。幼心が捨てきれていない自分を小馬鹿にし、涼は図書室の扉を閉めて、


「早く済ませちゃおうか。図書委員さんに迷惑かけちゃうし」


「か、簡単に言ってくれるわね」


「あ……いや早く終わらせたいからとか、そういうつもりじゃないんだ。僕も何の話か解ってるからさ」


「……え? 嘘、でしょ?」


 千聖の考えがお見通しだという亮の口ぶりに、彼女は絶句したように口をパクパクさせている。


「先週の、僕が千聖を怒らせた日のあれは……ちょっと無神経だったよね。それに、解ってるようなこと言っちゃって反省してる」


「あ、そのこと……」


「ごめん! 関係ない奴がでしゃばってほんとごめん!」


「あんたがまだ勘違いしてるのに腹が立ってきたけど、今それはいい。どうせ、すぐに気づくんだし。……伝えれば」 


「え、違うの?」


「うん。大事な話は他にあるの。だから、聞いて」


「なんだ、違ったのか……」


 腰を九十度に曲げ、頭を下げていた涼はほっとする。殴られる覚悟で頭頂部を向けていたのだが、要らぬ覚悟だったらしい。

 しかし別に用件があるとすればなんだろうか。今度ばかりは捻りだしても思い当たるふしが無く、まったくもって何のことだか。


「……涼」


「な、なに……!?」


 真っ直ぐ涼の瞳を熟視する千聖。彼女の表情は何故だか艶めかしく、涼の精神を惑わすように妖美であった。

 ――普段の千聖じゃない。それが意味するのは、涼の想像が及ばない程の言葉が彼女から発せられるということなのか。


「あたしね……」


「う、うん……」


「涼がっ、涼が…………っ」


「だ、大丈夫……?」


 息詰まる千聖は一旦深呼吸のようなものをし、それから自分の胸にゆっくりと手を置く。「熱でもあるの?」と涼が心配そうに呼びかけるが聞こえていないようで、彼女は顔全体を紅潮させたまま息を吸った。

 

 ――そして紡ぐ。



「涼のことが……涼が好きっ! 付き合ってください!」



「…………え!?」


 

 突然なにを。

 涼の率直な感想はそれだった。当然、予期していなかった予想外の言葉だ。何せ、千聖が自ら言い出すような言葉ではなかったからだ。


 涼の知る『現在』の千聖とは、例えるなら何処かの国の女王様。人を顎で使い、身の回りの世話は他人に任せるといった横暴ぶり。少し誇張しすぎたが、要するに自分から懇願するようなことはなかった。


 故に、成長と言える千聖の言動に、涼は嬉しく思ってはにかんだ。そして願わくは、その頼みごとを聞き届けてあげたい。


「ありがとう千聖。嬉しいよ」


「ぇ…………」


「千聖がそう思ってくれていただなんて、気づけなくてごめん。本当は僕から言わなきゃいけない大切な事だったよね。だから、改めて言わせてくれないかな?」


「涼…………うんっ! あたし、ちゃんと聞くからっ!」


 千聖も同じように嬉々とした表情を作る。涼の言葉を待ち望んでいるように、目元を下げて瞳を潤わせていた。


 待たせてはいけないと、その姿を目に映した涼ははっきりとこう告げる。


「千聖っ! 寿司、一緒に食べに行こうっ!」


「――――は?」


「いやぁ、千聖と外食なんていつぶりだっけ? 僕、千聖に嫌われてると思ってたから、もう一度仲良くできるなんて嬉しいな」


「…………ない」


 千聖の虚弱な声。涼を見据えて何かを言おうとしているが、言い出せずに諦めて、それを何度も繰り返すようにまごついていた。

 スカートの裾を大層に皺ができるくらい握り締め、しかし歓喜のあまり震えていると認識した涼は、


「あと、千聖のお弁当もまた食べたいなーって……」


 かの『事件』が起きてからというもの千聖の弁当が恋しかった。『他の皆』が作ってきたりもするが、とてもではないが食えたもんじゃない。


 思えば、涼は千聖に依存していたのかもしれない。二年に進級するまで朝は千聖に起こしてもらっていた為、遅刻をしていなかったと記憶しているし、弁当で胃袋を掴まれて千聖なしでは生きていけない状態だった。


 その上、生活習慣の管理までされて今よりかは光を浴びるような日常を送っていたはずだ。

 こと最近に至っては胸にぽっかりと穴が開いたような寂しさがあって。千聖を考える時間が増えて。だからだろうか、


 ――千聖と一緒にいられることが……。


「なーんてっ……ははは、欲張りだよね。千聖を怒らせたのは僕なんだし、これ以上は――ってあれ!? 千聖……!?」


 正面にいたはずの千聖は消えていた。涼は人のいない図書室を見渡し、彼女を探すように振り返った。


 図書室の入り口、そこに彼女はいた。


「千聖……?」


「実行委員の仕事があるから、行くね」


「え、寿司は……」


「今度にして――」


 冷淡に言うと廊下へ歩いていく千聖。何が彼女をそうさせたのか。わからずじまいの涼は千聖の背中を追いかけていくが、


「ちさっ…………み、宮本君!?」


「やあ」


 図書室を出てすぐ、真横の壁にもたれかかっていたのは秋鷹あきたかだ。腕を組み、片膝を少々曲げた姿は様になっている。


「……どうして君がここに?」


「通りすがりの変態紳士だ」


「なに言ってるの? 自分で恥ずかしいと思わないのかなこの人」


「通りすがりの、変態紳士だ」


「迷ったけど結局貫き通すんだ。君は変態紳士確定だよ」


 急な足止めをされてしまった涼は、慌てて廊下の奥を窺う。しかし千聖の影すらも見えなくなっており、彼女を追いかけることは既に叶わなかった。


 すると――。


「日暮を呼びに来たんだ。まさか図書室にいるなんて思わなかったよ」


「あー、そっか。実行委員の、だったよね」


「そうそう。それでなんだが、喧嘩別れしたみたいだけど大丈夫なのか? お前」


「みたいだね……寿司に行く約束してたのに、帳消しにされちゃったよ。多分、僕の所為なんだろうけど」


 そう言った涼は哀し気に下を向く。千聖と仲良くなれるチャンスを逃し、次のチャンスはもう回ってこない可能性だってある。

 深く考えれば考える程、その気持ちは涼を苦しめた。過去に、今しがたの時間に戻ってやり直したい。


 何度も何度も反芻し、けれどそれだけでは到底叶わない。

 それを見ていられなくなったのか、悲痛に歪む涼の表情に向けて秋鷹は口を開く。


「まぁ、一つ言えるとするなら……取り零すなよ、絶対に」


「え、どういう意味……?」


「自分で考えろ……くく」


 秋鷹は笑うと、悠々自適に歩を進める。手を上げ、初めて会話を交わした時と同じように別れの意を示してきた。


「何故あんなに楽しそうなんだ……」


 ただ、それがどうにも不思議に思えた。

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