第15話 告白予行練習

 ――水曜日の会議は三十分そこらでお開きとなった。


 長話も回避できて秋鷹的にはハッピーだったが、なんと紅葉もみじの話によると明日は休みらしい。

 ならば立ちどころに帰宅しておねんねタイム――とはいかず、『体育祭のしおり』の件を忘却していた秋鷹達は、この時間を使って表紙を描き上げることにした。


 そして屋外で作業するにも人の目が気になるので、現在は教室だ。ここでなら心置きなく作業に集中できるだろう。


「すげー人だな。バーゲンセールでもやってんのか……?」


 教室の窓枠に手を添え、突っ立って人がゴミのような校庭を眺める秋鷹。校庭にはサッカーグラウンドと野球場があり、前者の方にわらわらと集まる応援隊がいた。

 視認できるのは【I LOVE みかど】と記された文字つきのうちわを持った女子たちだが、うちわの裏に帝の顔写真が貼られていて、そういえば【帝ファンクラブ】なるものがこの学校に存在することを思い出す。


「帝は……うん、受け入れてとびきりのスマイルだ」


 無断使用された自身の顔写真に文句一つも言わない帝。野球場で彼を見てバットを振っている者がいるけれど、あの恨みを込めた顔は坊主男――田中であろう。

 屈辱で今にも死にそうだが、バットを振っていればいつかは彼女の一人や二人できるはずだ。と秋鷹は無情な面持ちで心中察した。


「――――てんの」


「……ん?」


 背後から甲高い声がし、秋鷹は振り返りながら誰なのかを思案しようとするが、考える間もなく千聖だ。

 窓から射し込む斜陽を亜麻色の髪で受け、どこか燦然さんぜんとしているのは彼女らしいと言えば彼女らしい。


 そんな千聖は、腰に手をついて一言句。

 

「――聞いてんの?」


 どうやら憤慨してはいなかったようだ。

 自分の声が届いていなかった所為で若干の不服、というような仏頂面である。故に機嫌を損ねてはいけないと、秋鷹は迅速に対応して、


「もちろん聞いてたよ。表紙描き終わったんだって?」


「違うわよ、どうしてそんなにも自信満々なの? 全然聞いてないじゃない」


「聞き間違えかな?」


「正直に聞いてなかったって言いなさいよ」


「聞いてなかった」


「……張り合いがないヤツね。それで許されると思ってんの?」


「え? 俺って何か許されざるあやまちでも犯したの? ただ聞いてなかっただけだよね」


「それもそうね……じゃあ許す」


「あ、ありがとうございます……?」


 不毛なやり取りだ。

 秋鷹から休憩を提案し、十分ほど表紙を描くのはお預けといたのに。その十分じゅっぷんで千聖が律儀に作業している訳がない。


 そも、描き上げるのに最低でも三十分以上はかかると予想している。秋鷹の言い訳は最初から筋違いであって、けれども――。


「表紙のことじゃないならなんだ?」


「あー……」


 照れ笑いを浮かべる千聖は、正面で――机に囲まれながらそわそわする。


「あんたには、言っとかなきゃってね……」


 自身のツインテールを両手で掴み、輪郭に合わせるように顔を包み込む千聖。ダウンジャケットのファーみたいな使用方法だな、と秋鷹は感心しつつも窓際の壁に寄りかかり、

 

「ズバリ?」


「……あたし、告白するって決めた」


「へぇ……」


 秋鷹が告白を促したのが先週で、あれから一週間も経過している。千聖なりの考えがあったのだろうが、


「しないと思ってた」


「言ってなかったけど、告白するっていうのは決定事項だったの、元々ね。後回しになって、やっと決意できたから……」


「明日に、か?」


「うん……図書室に呼びつけてやるわ」


 ――会議が休みだからってチャッカリ有効活用かよ。なんて千聖の図太さに苦笑する。


 図書室を告白スポットとして選ぶメリットは秋鷹とて知りえないが、そこは千聖の自由意思に従って口出しはしない。


「つっても、ご丁寧に報告してくれなくてもよかったのに」


「あ、あんたがきっかけなんだから、報告くらいさせてよ。しないと、気が済まないっていうか……そう! 見届けて欲しいのよ」


「見届けるぅ!?」


 思わず愕然とした返事。

 恋のキューピットでもないし、彼女らの行く末に興味なんてない。だというのに、なぜ最終イベントである告白の一部始終を見届けなければならないのだろうか。


「それって、告白を覗き見ろって意味?」


「そう、なるわね……?」 


「ん~……」


「だ、だってっ! 一人だと怖いじゃない! それに……ここまで来たんだから、最後まで付き合ってよ」


 告白をしたことが無く、されたことしかない秋鷹にはわからなかった。自分の告白を第三者に見られるというのは、秋鷹ならかえって恥ずかしさのあまり失敗を招きかねない、そんな風に思う。


 しかし、千聖にしたら秋鷹は第三者ではないのだろう。彼女が涼に想いを寄せているのは勘が鈍くない者なら理解できるが、想いを告げるという事実を知っているのは本人である千聖と、聞かされた秋鷹だけだ。

 

「なんだかなぁ……」


 確かにきっかけは秋鷹だったのかもしれない。踏み出せない一歩を、背中を押すことで歩み出せるようにしてやった。少しばかりの、自己投影をもって。


 とはいえそれだけ、それだけなのだ。やると決めたのは千聖で、彼女の意志を秋鷹が固めさせた訳ではない。故に部外者。なのに、 


 ――最後まで、か……。


「その前にお前、きちんと告白できるのか? 緊張してあがりきったりしないだろうな」


「それくらい余裕よ。あたしをあなどってもらっちゃ困るわ」


「随分と威勢がいいな。なら、俺に告白してみせろ」


「――は!?」


 頭おかしくなったのかこいつ、とでも言っているような顔だった。


「手伝うよ。振られてるところを見せられてもいい気はしないしな」


「それがあんたにこ、告白するのとどう繋がるのよ!?」


日暮ひぐらしのことだから『あたしと、つ、つつつつ、つつき合ってくださいっ!』てな感じになるよ、きっと。一体、どうつつき合うんだろうな」


「一発殴っていい?」


「いや……うん、あれだ。完璧に成功させるには練習するのが一番じゃん? 俺が練習台になってやろうってわけ」


 拳を握った千聖に後ずさった秋鷹は、背後が壁だと理解した途端に冷や汗を流す。行き止まりで、逃げられない焦燥。


 追い詰められた秋鷹の前で目を細めた千聖は、


「あんた……あたしに告白されたいからって必死すぎない?」


「そういう意図があったんじゃなくてだな。確認的な意味合いで……」


「なーんか白々しい。別に、練習しなくたって想いを告げるくらいあたしにだって……」


「わかったからその拳、そろそろ下げてくれない?」


 目線を下げていた千聖は肩を使って吐息し、拳を降ろしてから後ろに下がった。窓際から二列目の席――その間に身を置きながら、


「……一回」


「…………」


「あんたがその気にならないんだったら、してあげる」


 目を合わせないで秋鷹の腹部を凝視する千聖。熱に侵された頬が夕日の光で茜色に塗られ、握り締めている手が緊張感を彷彿とさせた。


 『あの頃』に、よく似ている。


「好きにはなんないよ。だから、安心しろ」


 秋鷹の静謐な態度に「フンッ」と鼻を鳴らし、千聖はゆっくりと目線を合わせてくる。その瞳は揺れていて、本番でもないのに真剣そのもので。


「いくわよ」


「……ああ」


 僅かに聞こえていたはずの楽器の演奏は、時を見計らったかのようにピタリとやむ。校庭に広がっていた声援でさえ、秋鷹の耳に邪魔をしないようなりを潜めていた。


 蒸し暑く、終わらない夏はどうにも溌剌はつらつとしない。汗ばんだ額に手を当て、ぼんやりと。

 千聖の動向をまつ秋鷹は風の声に耳を澄ませる。流れるような、彼女の口から吐かれる美風を――。



「す、す……すしっ!!!」


「――帰れ」



 ――斯くして、告白の練習をすることとなった。



※ ※ ※ ※



「ステーキっ!!!」


「ワザとにしか思えねぇよ……」


 これで何十回目か。


 教室の時計を見れば残り数分で十八時ともなる時間帯。暗くなってきたし、早く帰宅したい。それにはこの『告白予行練習』を終結させなければいけないのだが、


「想いを告げるくらい余裕だって? ハッ、こんな醜態を晒した今でも言えるのかな?」


「うぅ……」


「ごめん、もう付き合い切れない。帰ったら一人で練習してくれ。俺がいなくてもできるだろ。ていうか、俺に対しても無理なら、影井相手だったらもっと無理。告白するのは先送りにしたほうがいいね」


 すっかり逆転した立場で言いながら、秋鷹は千聖の横を通り過ぎ、机上に散りばめられている下書きの紙をまとめていく。

 試行錯誤された絵を鑑賞しつつ鞄に入れ、帰り支度をはじめていると、


「最後に一回! これで終わりにするからっ」


「はぁ……あれだけやって学ばなかったのか? お前にはまだ早い」


「ねぇ、お願い。明日じゃなきゃダメなの。あたしは、明日告白するって決めたの。この思いは絶対に曲げたくない。――意地、だから……」


 手首を掴んでくる千聖。泣きの一回とでも言うのか。

 だが失敗のビジョンしか浮かんでこない。それは練習するにあたって失敗続きだったからだろう。練習ですら成功できないのなら、涼に想いを告げるにしても成功を収めるには程遠い。


 ――ただ。


「これで最後だ」


 掴んでくる弱々しい千聖の掌が、いつか秋鷹の腕を抱きすくめた『あの腕』と同じように見えた。想いの乗せられた、そして秋鷹自身に響いてしまうような好意の証。


 すっと離され、秋鷹の手首は解放される。そのまま手を机に置いた秋鷹は、体ごと千聖に向いて、


「いつでも」


 気持ちが整うまで待つ、というような意思が込められた言葉だった。そうした考えが上手く伝わったのか、千聖の顔がこくりと揺れる。


 夕焼けた空は表情を沈め、蒼白い冷たさを演出している。まばらな赤色と交ざり合い、気分を陰鬱とさせる景色は千聖の背に飾られ、燦爛さんらんとした雰囲気を改めて想起せざるを得ない。


 まるで世界に二人だけ――秋鷹たちが取り残されたかのような静寂。張り詰めていることがわかった。

 

「す…………」


 掠れた声音が途切れ、しっかりと教室に融けいる。


「――好きです。付き合ってください」


 透き通った、心の奥底まで届く音。幾度も脳裏で巡り、どれだけの時間酔いしれたか。それ程までに千聖から発せられた声は、言葉は、秋鷹の思考を白い靄の中へといざなった。


 ――これは練習だ。されど本気にしてしまう。好きと言われ、好意を向けられたことによる悦楽が実感として湧き上がってくる。

 その想いが別の誰かに向けられているなどと気づけない。気づけなかった。いつしか、零れ落とさせまいと想いの一粒に手を伸ばすよう、秋鷹の舌先は薄片を拾う。


「……はい、喜んで」


 情けなく、屈してしまったのだろう。

 反射的に彼女の言葉を受け入れてしまった。素直になった彼女が、こんなにも無垢で可憐だとは思わなかったから。


 だけれど、千聖の反応は秋鷹の言葉を跳ねのけるかの如く慌ただしい。尻込みして腰を机の角にぶつけ、露出する肌全部をりんごの果実みたいに染めると、


「な、なななななにOKしてんのよ!?」


「あ……つい」


「ついじゃなくてっ――」


 ――――ガタンッ。


「は――?」

「え――?」


 同時に、二人の間抜けた声が重なる。

 そうさせたのは教室の扉付近から生じた不可解な音だ。秋鷹たち以外にも人がいたというのか。


「誰……?」


 千聖の投げかけに返事はない。返ってくるのは不穏な空気と、焦りにまみれた自分たちの思考だ。

 見られてしまったかと考えると、妙な胸のざわつきが行動を急かす。誤解をかねば。解かなければならないのだと。秋鷹は腰を低くするが、目の前を横切った千聖が先に駆けて行った。


 机の包囲網を潜り抜けた千聖は教室前方の扉に手をつき、キョロキョロ廊下を見渡している。追い付いた秋鷹も、


「……誰かいたか?」


「いない……足音も聞こえないし、勘違いかも」


「それなら扉の建付けが悪かったのか、あるいは忍者でもいたのか……」


「忍者っていう線はなさそうね」


「そうだな。だがまぁ、誰にも見られてなくてよかった。下手したら学校中大騒ぎだったな、ははっ」


「ほんと、危ないとこだったわ……てっ――」


 秋鷹のへらへらした顔に何かを思い出したのか、千聖は気性を荒立てる。


「あんた……! さっきのはなんなのよっ!?」


「……ん?」


 片目を瞑り、思案してみる。と、それは案外と心当たりがあるもので。


「勢いで承諾しちまったなー……どうする、付き合ってみるか?」


「だ、誰があんたなんかと! 言っとくけど、練習だから! その気になってんじゃないわよ、ケダモノっ!」


「ケダモノかぁ……でも、あの告白なら成功するんじゃないか? 絆された俺が保証する」


「ほだ……!? ――――コホンっ」


 咳払い。気を取り直した千聖は、


「ほらねっ、告白なんて簡単にできちゃうのよあたし」


「どの口が……」


「ふふん」


 得意気だな、と秋鷹は胸を張る千聖の胸を見やる。そのため彼女がどんな顔をしているかも把握できず、「あ……」という声に継がれた言葉、それに連想させられる陰りを落とした表情を思い浮かべた。


「嫌なら、来なくていいからね……?」


 視線を千聖の顔に移せば、案にたがわず。


「見届けて欲しいなんて言ったけど、ここまでしてもらって無理強いはしない。宮本君が嫌だって言うなら、あたしは一人で……ううん、一人で大丈夫。結果だけ教えるね」


「嫌じゃないよ」


「え……?」


「もとより、告白の練習を申し出たのは俺からだ。その理由も、日暮の告白を見届ける為に用意した辻褄合わせみたいなもんで、お前が一々気にするようなことじゃない。だからさ、取り敢えず――」


 彼女の言う通り、ここまでしたのだから失敗はしてほしくなかった。最初の頃は助言程度で終わらせようと思っていたが、どうにも最後まで温情をかけてしまったらしい。


 癖なのか、ほっとけなくなる性格は自分でも制御が利かない。そんな意味のない気遣いをしてしまったのなら、仕方なしにもやり遂げるしかないだろう。


 千聖を真っ直ぐ見つめると、秋鷹は曇りのない笑顔を模った。


「頑張れよ」


「……う、うん」


 勇気を与えられただろうか。定かではないが、彼女の微笑みが教えてくれたように思える。


 ――言葉一つで、充分なのだと。

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