第14話 早起きした今日この頃

 週末を跨いで明けた日。

 月曜日ともなる今日だが、秋鷹の表情は晴れやかに花が咲いているようだった。

 倦怠感もなく快晴なる空の下、学校の校門に到着し次第あくびを噛み殺す。眠いわけではない。いつもより小一時間ほど早く学校へ来てしまったために、身体の機能が自分の意思に背いてサボタージュしていたのだ。


「……宍粟か、はえーな」


 昇降口に入っていくポニーテールの少女――紅葉。相変わらずなのか時間には厳しく、秋鷹よりお早い到着だった。

 そんな彼女のように厳格なのか、はたまた秋鷹のように稀有であるのか。ちらほら校門をくぐっていく生徒たち。秋鷹もそれに紛れながら、のろのろとした足取りで昇降口へ。

 着いた頃には紅葉の姿は見当たらなかった。いや下駄箱の場所が違うから当たり前か。と自分の上靴が入った下駄箱を目指す秋鷹は、「うんしょっ、うんしょっ」という不可解な声音に全力で首を傾げた。


「お高いのデス……」


 こんな所に中学生だろうか。下駄箱の一番上に手を伸ばす少女は、背伸びしても届かない上靴に四苦八苦している。もちろん、見て見ぬ振りは出来なかった。


「ほれ」


「……あ、ありがとうございますですっ」


 少女の背中から見下ろすように上靴を手渡した秋鷹は、こちらに向いてペコリと

お礼を言った彼女に、


「丁寧語が重複してるよ。ますで区切って、ですを葬れ。わかったか?」


「は、はいデスデスっ!」


「うん、二回殺されたねぇ俺」


 言葉ではなく秋鷹が葬られてしまった。

 どこか片言な彼女だ、やはり異国の血でも入っているのだろう。その少女はもう一度お礼を言うと、囁くように付け足した。


 ハローシェヴォ ドィニャー。


 ロシア語でいうところの〝良い一日を〟という言葉だった。それを言われて、悪い気はしなかった。丁度、この変わらない日々に飽き飽きしているところだったのだ。少しくらいの贅沢はしたい気分だった。しかし、それはあの頃に戻ってしまうという堕落を意味していた。もし、そんな日常に舞い戻る以外の道筋があるのなら、それを教えてくれる誰かがいるとするなら――なあ、誰か救ってくれないか? こんな間違いだらけな俺のことを。 

 走り去っていく少女の後姿を眺めながら、秋鷹はそっと拳を握った。掌に喰い込んだ爪が、じわじわと痛みを与えてくる。


「――うおっ」


 瞬間、背中の辺りを軽く叩かれた。秋鷹は叩いた人物に復讐してやろうと後ろを向く。


「……ナンパ?」


 と、その人物は犯罪者を見るような目をした千聖だった。


「ナンパなわけねーだろ。俺は幼女より、ある程度発育した少女の方が好みだ」


「あんたの好みなんか聞いてないわよ。あたかも『自分はロリコンじゃありません』って言ってるみたいだけど、性犯罪者感が拭えてないからね?」


「朝のご挨拶にしては辛辣じゃない? 日暮ひぐらしさん」


「幼女を襲うケダモノには妥当な挨拶よ」


「襲った覚えはないんだけどなぁ……」


 千聖は絶好調のようだ。


 頭一つ分下からガンを飛ばしてきて、その足で下駄箱に移動する。彼女は上靴を履こうと慎重になっているが、秋鷹はそれを見据えながら、


「今日は早いな?」


「……宮本くんも」


「ん? 俺は多分、週末に寝だめしすぎて目が冴えたんだろうな。昨日の夜からずっと寝てない」


「あたしには未来が見えるわ。あんたが授業中、机に突っ伏して寝てるところを叱られる未来がね」


「急に未来が見えるとか言うから痛いヤツなのかと思ったけど、寝だめの効果は午前中で切れるし、そう的外れでもないか」


 と、秋鷹は視線を千聖の足元に向けた。


「日頃のあんたを見てれば解るわよ……んしょ」


「嬉しいね、見ててくれたんだ――」


「ちょっ、そこまでしなくていいってっ! あと、見てなんかないからっ! 先生の怒声が聞こえてくんのっ」

 

 上靴を履きづらそうにしている千聖に、秋鷹は屈みこむと彼女の足に手を添える。ひったくった靴を壊れ物に触るよう足裏へ合わせ、そこで気がついた事柄を舌に乗せれば、


「日暮は……そっか。怪我してるから早めに来たんだな」


「あ、うん……」


「影井に手伝ってもらったりとかはしないのか? 歩きにくいだろ」


「あいつは……! あいつには、まだあたしが怪我したことは伝えてない……」


 心配されたくないという理由だろうか。

 体育祭前、かつ彼女ら幼馴染の間であれば、怪我を気にかけてしまうのは当然なのかもしれない。


 ――それを避けたかった。


 のだと思う。ぱっと見、高飛車で感情の昂ぶりが激しい千聖だが、その実は内向的で弱い人間なんだと秋鷹は精察していた。

 だから口に出せない。人を頼れない。ひとりで何もかもを成そうとする。つまるところ、プライドが高いのだ。


 大きく膨れ上がった、譲れないプライドが。


 そこまで考えて、秋鷹は不覚にも笑ってしまう。これで思春期を拗らせた恋する乙女なのだから、不器用にも程があると。

 素直になればいいのに、という言葉を呑み込んで、スカートを覗かないよう目線を下げながら腰を上げた秋鷹。通学鞄からお目当ての物を引っ張り出してニコリ。


「でも、丁度良かった。いつ返そうかと悩んでたんだ」


「あっ……」


 千聖の瞳に反射しているのは巾着だ。中身は弁当箱であり、もちろん隅々まで洗ってある。

 教室で渡すにも周りの視線があるし、涼の弁当をぶんどったとなれば大ごとだ。ただでさえ最近は冷やかされる為、この幸運――偶然に秋鷹は感謝した。


「日暮、めちゃくちゃ美味かったよ」


「なんで、そんなに笑顔なのよ……」


 歯を剥きだすくらいの満面の笑み。そんな秋鷹の顔を上目遣いで見て、千聖は幾らか恥じらいの色で頬を染めると、遠慮がちに弁当を受け取った。そこに秋鷹は畳み掛けるよう唇を開く。


「特にタコさんウインナーが美味かったな。お前が自負していただけはある。そんで、あのチーズってどうやって入れてるんだ? 調べる前に食べちゃったからさ、からっきし理解できない。よければ他の料理も一緒におしえ――」


「う、うるさいっ! 秘密よ秘密っ! 買った本があるなら、先ずはそれで練習しなさい!!」


「それも一理あるが……誰かに教えてもらう方が――」


「フ、フンッ。自分で何とかしなさいっ。けれどもし、もしもの話よ。あんたが一人前になったとしたら、教えてあげなくもないわっ。それまでは辛抱することねっ!」


 千聖は鼻息を荒くして言い放つと、スタスタと階段を上って行った。おそらく、料理の腕前を褒められているような感覚で、少しばかり悦に入っているのだろう。


 それを眺めて下駄箱で一人。秋鷹は自分の上靴に手をかけて、


「一人前になったら教えてもらう必要なくない?」


 答えてくれる者は、いなかった。



※ ※ ※ ※



 ――教室の中央で弁当箱を広げる千聖は、ギャル友達の話に耳を傾けながら秋鷹の方をじっと見ていた。


 廊下側の後方の列。あつしの机と秋鷹の机をくっつけて昼食をとっている。秋鷹の机側にはみかど、敦の側には彼の彼女だという文香ふみかが座っていた。 


 楽しそうに駄弁っているが、秋鷹が会話しているのは彼らではない。教室の後ろの扉から顔を覗かせる少女――紅葉。他クラスの彼女が、秋鷹の所まできて何やら話しかけていた。


 実行委員の用件でもあるのだろうか。それにしては長々しく、会話が弾んでいるように思える。紅葉はあまり表情を変えていないが、秋鷹はいつになく柔らかい笑みを浮かべていた。


 それは紅葉に心を開いている証拠でもあるのか、そして千聖との距離に未だ隔たりがある表れでもあるのかもしれない。

 なれば彼の言ったことは正しいはずだ。優しさとは、特定の誰かへと振り撒くものではないと。


『俺だけが優しいんじゃない』

 

 その言葉が、理解できない訳ではなかった。ついでに言えば、自分が優しさに触れたことが少ないのも自覚している。

 女子のような腹の探り合いと、男子のような野蛮で野放図なありかた。これが全てではない。中にはいるのだろう。無差別に手を差し伸べる至誠しせい的な者が。


 ――涼がそうだった。


 助けるのが自分の役割とでも言うように、日常の一環として平然とやってのける。そんな一部分の優しさを与えられ、千聖の人生は大きく変化し救われたのだ。


 だが仮に、仮に涼の立場に秋鷹がいたのならどうだろうか。彼は救ってくれるだろうか、意思を示さず助けを求めない、浅はかな自分を。

 

 ――否。


 救ってくれると確信をもって言える。頼んでもないのに余計な気遣いをしてくるし、秋鷹の優しさの一端には涼と重なる何かがあった。


 そしたら千聖は秋鷹に救われ、彼を好きになっていたのだろうか。涼ではなく、秋鷹にこの想いを募らせていたのか。

 目で追っかけるのも、言葉を交わすだけで歓喜するのも、一緒にいたいと願うのも、秋鷹に成り代わるのか。想いが報われるのも――――て、


 ――なに考えてるんだあたし!?


 唐突にあわあわし始める千聖は、行き過ぎた思考回路を強引に遮断する。

 千聖が好きなのは涼だ。間違っても秋鷹ではない。それは覆ようがないし、まずもって秋鷹の軽薄そうな服装に、女慣れした所作は嫌いではないが苦手だ。絶対、あり得ない。


 すると、その睨みつけるような眼光に気づいたのか、秋鷹はこちらに振り向くと身を竦めて驚く。次いで、口角を上げて千聖に手を振ってくるもんだから、


「なっ――!」


 咄嗟に、目線を逸らすと自分の机に合わせた。


 大体、秋鷹と帰りを共にする所為で、最近は怨恨染みた視線を浴びせられることが多いのだ。

 それがあと二週間続くと思えば――――いや二週間で彼との関わりは途絶える。体育祭が終わり、その後はまた席が近いだけの関係に戻るのだ。


 ――清々しい反面、千聖には幾許いくばくかの寂寥せきりょう感があった。


「どったのちさちー?」


 顔を赤くしている千聖に声を掛けたのは春奈だ。ウェーブがかった髪をふわりとさせ、眼前で箸を口に入れている。

 

 それに返答したのは、春奈の隣にいるチェリー色の髪をしたギャルだった。


「おなか痛いんじゃない? ほら、女の子の日だから」


「あ~、もうそんな時期? ちさちーの周期ってなんか早いね」


「きゃははっ、周期が早いんじゃなくて、怒りっぽいからそう見えるだけ」


「――エ、エリカっ、声大きいって! みんなに聞こえるからっ」


 千聖に比べれば赤子同然だが、一般的に見ればかなりの存在感を放つエリカの胸。わざとらしく揺らし、彼女は「いひひ」と悪戯っ子のように謝るポーズをとってから、


「だけど原因の影井くんがいないねー」


「ちさちーのお弁当がないから他の女子んとこ行ったんっしょ?」


「うぇ~? マジで~? てか、チサっちゃんお弁当作ってきてないの? 毎日欠かしてなかったじゃん」


 エリカの疑問に、千聖はぶすっとしていた唇を開いて、


「女の子の日らしいんで、イライラして忘れてたんですぅ……」


「あはっ、いじけないでよチサっちゃんっ。ほんとの理由は?」


「……ない」


「怪しい……これは何か隠してますな、春奈さん?」


「ですな、エリカさん。隠すのは乳だけにして欲しいですねぇ……」


 少し露骨すぎたか。


 出てしまった表情を隠蔽するには時すでに遅し。けれど探偵に憧れる若人ふたりは所詮ギャルだ。千聖は端的に釈明を。


「寝坊して自分のしか作る時間なかったの。まったく、大変だったわよ」


「ねぇねぇ春奈。チサっちゃん、今日は学校来るのバリ早くなかった?」

「うん、あーしが着いた頃には背筋ピンッてして座ってたよ」

「自分で墓穴掘ってどうするんだろうね」

「意外と阿保なのよ、この子。オホホ……」


「もうやめてええぇぇえっ!」


 目尻に涙を溜める千聖。弁当箱は自身の分と涼に作る用しかないので、作ろうにも作れなかった。

 おにぎりでも握ろうかとも考えたが、先週の『事件』を思い返せばやる気が萎えてしまったのだ。ただ、いつもの事とも言えるわけで、互いに喧嘩だとは認識していないだろう。


「ま、いっか。可愛いチサっちゃんも見られたし、おかずには最適だよね」


「揶揄うのはほどほどにしないとね。度を越えると拗ねちゃうから」


 千聖をおかずにして黙々と弁当を食べる二人。視線が集中してむず痒く、千聖は不本意ながらも真相が知られなくて安堵する。

 

 家まで送ってくれる秋鷹への恩返し。借りを作りたくなかった千聖のなけなしの行動だったのだが、彼に弁当を渡した真実はひた隠した。


 ――ばれたら、またややこしくなる。


 恋に飢えてるギャルたちを見て、箸を持った千聖は今日一の吐息。


「おいし……」


 タコさんを咀嚼して呟いた。

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