第13話 伝えられない想い

「ふぅ……」


 やっとのことで辿り着いた我が家。いつもの倍は帰るのに時間を掛けてしまったと、千聖ちさとは門扉の前で一息つく。


 秋鷹あきたかに送ってもらったはいいが、かなり迷惑をかけてしまった。途中、足を庇いながら歩いていた所為で何度かよろけ、体で支えられる事態に陥ってしまったのだ。

 その時と、保健室での密着もそうだが、男性の体というのはああもガッチリしているものなのか。比べる対象が涼しかいないので、千聖にとって衝撃の事実だった。


 そんな初めての体験に考え込む仕草を見せる千聖は、ふいに聞こえてきた足音の方へ顔を向ける。門扉に手をかけて立ち止まっていた千聖だが、隣家の前にも小柄な少女がいた。


「ちさとちゃん……?」


「あ、陽ちゃん。今帰り?」


「うん、部活の帰りだよ。ちさとちゃんは……実行委員だったよね」


 そう言った少女――ようは、千聖と同じようなツインテールを僅かに揺らし、何か思い耽るように固まった。

 それが部活で蓄積された疲れに見えた千聖は、下を向く陽に微笑みかけて、


「練習って、やっぱりキツイの?」


「キツイなんてものじゃないよ……まだ一年生だし、先輩たちには幾ら頑張っても勝てないなぁ……」


「そっかそっか、頑張ってるのね」


 陽の所属しているのはバスケ部だ。花生はないけ高校は勉学だけでなく部活にも力を入れており、とりわけバスケ部なんかは全国大会の常連。強豪校として知られている。


 その部活に所属しているとなれば練習は苦労を要するだろう。ましてや一年生ながらレギュラーを獲得するのは至難の業だ。


「本当はもっと練習したかったんだけど、大会とかの大事な話があるんだって」


「ふーん、だとしたら結衣の帰りは遅いの……?」


「そうなんだよー……多分、十九時は余裕で超えるかも?」


 千聖が学校を出たのが十八時ごろだったから、今は十九時くらいだ。話が終わって帰宅するにしても三十分以上はかかる為、結衣が家に着くのは夜遅くだった。


 千聖は先隣の家をちらっと見てから、出かかった情を抑える。夜ご飯を作ったり部活帰りを労わったり、気にしてあげる間柄でもないのだ。


「それで……ちょっと、ちさとちゃんにお願いが……」


「え、なになに?」


 陽が願いを求めてくるなんて珍しい、と千聖は首を傾げて聞く姿勢になる。


「今朝ね、お兄ちゃんと喧嘩しちゃって……仲直りしてないし、多分、ぎくしゃくした感じになっちゃうと思うんだ。だから、ちさとちゃんに一緒にきてもらいたいなって」


「あー、あいつが遅刻したのってそういう理由……でも、あたしが行ったとしても役に立たないよ?」


「晩御飯を一緒に食べてくれるだけでいいのっ。お兄ちゃんと二人っきりなんて耐えられないよ……」


「相当言い合ったんだね」


 これまた珍しい。普段は大人しくあまり主張しない陽が、気まずいと思うほど言い争ったのか。


 千聖は不安そうにする陽を見て、軽く力を抜いている自分の右足へと視線を移す。少しの間、晩御飯を共にする程度なら問題ない。と怪我の状態に確認を入れ、門扉から手を離した。


「いいよ。楽しみだなっ、陽ちゃんの料理っ!」


「あ、ありがとう、ちさとちゃん!」


 自分の家、その隣へと足を運ぶ千聖。外灯の明かりに照らされながら、慣れ親しんだ地面を踏みしめていく。



 ――表札には【影井】と記されていた。



※ ※ ※ ※



「謝りなさい」


「ご、ごめん」


「気持ちが籠ってないっ!」


「ひぃっ」


 リビング、斜向かいに座る陽の兄――涼へ怒り心頭している千聖は、腕を組んで威圧する。眼前のテーブルには簡素な料理が並べられ、随分と家庭的な雰囲気を醸し出していた。


「ごめん、陽。僕が全面的に悪かった」


「もういいよお兄ちゃん。私も熱くなっちゃってごめんね?」


「陽……なんて良い子なんだ……とても僕の妹とは思えない」


「あんたは反省しなさいよ」


「はい……」


 千聖に言われ、どんどん小さくなっていく涼。陽が寛容な心の持ち主でなければ、今ごろ二人の言葉攻めで命を絶やしていただろう。 

 陽はそんな軟弱そうな兄を目で捉えるとおろおろして、千聖の気分を浄化させるように、


「ち、ちさとちゃんっ。いっぱい作ったから、食べて食べて」


 千聖が来るからと言って腕によりをかけたのではない。昨晩の残り物や、作り置きしておいたものを工夫したらしい。

 時間にして数分だった為、千聖の手伝いは無用だった。それにしても手際がいいのか量が多い。促されるまま箸を持ち、千聖はどれに手をつけるか迷って、


「……いただきます」


「召し上がれ~」


 隣席でにこにこする陽の視線に食べ辛さが増すが、千聖はぶすっと刺したジャガイモを口に入れてもぐもぐ。味がしみ込んでおり、口全体に広がる和やかな風味は食欲をそそるそそる。


「うん~、陽ちゃんの肉じゃがはいつ食べても最高だな~」


「やった~! 料理上手のちさとちゃんに褒められるなんて光栄だよ~」


「陽ちゃんはもうあたしを越えてるよ~」


「そんなご謙遜を~」


「裏の顔がありそうな掛け合いだね」


 涼は二人の会話に見当違いな感想を投げ、静かに箸をとって料理に手をつけ始める。キャッキャッとじゃれ合う二人に自然と笑みを零れさせ、彼はそのやり取りに耳を貸しているようだった。


 果てに千聖の機嫌が直り、切り出せる見込みがあると悟ったのだろう。涼は二人の会話の隙を狙って口を開く。


「ところで千聖。宮本君と帰ってて大丈夫なの?」


「……え? どういうこと?」


 当惑気味の千聖には純粋に疑問符が浮かぶ。隣で話していた陽もビクッと肩を跳ねさせ、騒がしかった千聖たちの談笑も終わりを告げたようだ。

 凍りついた――そこまでの空気ではないが、食卓を囲む団欒と呼ぶには躊躇われ、良くも悪くも場の空気は整われていた。


「その……さ……」


「勿体ぶってないで言いなさいよ」


「えっと……帰ってるところを皆に見られてる訳でしょ? それって、千聖的にはどうなのかなって」


「どうもしないわよ。何が言いたいの……? あ……あんたまさか……!」


 嫉妬、しているのだろうか。


 その片鱗すら見せたことが無い涼が、千聖に向けてくれている表情。それが妬みという感情の表れで、千聖の待ち望んだ、引き出せなかった気持ちだと言うのか。


 嬉しいような、しかし瞳に映り込んでくる彼の面様が理想と違くて、予想と違くて、喜びを顔に貼り付ける前に、剥がれ落ちた面様が顔を強張らせた。 


「僕と……陽も解ってるのかな。千聖に好きな人がいるってこと」


「…………え?」


「僕らは宮本君と帰ってるのは好意ありきじゃないって解ってる。でももし、千聖の好きな人がそれをみたら、知ってしまったら、勘違いしちゃうんじゃ――」


「わかってないっ」


 テーブルに叩きつけられた箸が音を上げ、千聖の声と共に涼の言葉を中断させる。彼の言葉が、彼の解ったような言葉が、何一つ理解できていない言葉だと激情を刈り立たせた。


 想い人は彼なのに、それが言えなくて。彼も解ってくれなくて。口に出そうとも、千聖の意思に反した言葉が不本意にも発せられる。



「何も、わかってないっ!!!」



「ち、千聖……!?」



 コップに入れられた水が波紋を起こし、収まった時には千聖の姿が扉の外へと消えていた。

 残された涼は突然駆け出して行った千聖の背中を眺めるように、彼女の幻想を追いかけるように視線を廊下へと置いている。玄関が閉められる音と同時に意識が鮮明になり、


「千聖は……」


「お兄ちゃん、今は追っかけちゃダメ」


「え……僕、何か怒らせるようなこと言ったかな?」


「女の子は繊細なの」


「わからないよ、陽……」


 目を瞑り、見たくない光景を見てしまったがためか、陽は一言呟くと大きなため息をつく。

 今朝からの兄弟仲は改善されることなく、これでは改悪して自分の家なのに居心地が悪いと、涼は二人だけになってしまったリビングで盛大に肩を落とした。



※ ※ ※ ※



 期待していた自分が馬鹿だった。否定できなかった自分は馬鹿だった。言いたいことが言えず、本音を言えないのは昔からだった。

 消極的だったからだろうか。本心を隠す癖が身について、それが今ここに至るまで肥大して、遂には素直になれない自分が完成してしまった。


 涼の前だと感情が爆発してしまうし、爆発したものは得てして悪い方向へと転がる。こんな自分が嫌いだ。こんな醜く成り下がった自分が嫌いだ。


 いつからこうなってしまったのだろうか。気づいた時にはもう、手に負えないほど薄汚れていた。



 ――バタンッ。


 扉が外の空気を阻害し、勢いよく暗闇を浸透させてくる。足元が覚束ない事に加え、捻挫によって体勢を崩した千聖は玄関で倒れた。

 前方へ倒れ込んだために持っていた鞄は廊下へ投げ出され、視認しようとも明かりのないこの家ではそれが難しい。


 逃げ出した先が自分の家で、しかし誰もいない空虚な家は逃げ出したくなる。そんな矛盾した思考の中、暗がりに慣れ始めた視界がそれを捉えた。


「ぅ……」


 廊下に横たわる鞄は何かの拍子でチャックが開いたのか、半分ほど中身が見える。それは空っぽで、空っぽなはずがないのに、何も無い。


 ――そうだ、そういえば、お弁当が無いからか。


 涼に渡すための弁当が無い。普段はその弁当が鞄の容量を半分以上占め、教科書を入れられないと悩みに悩んでいた。

 それは他の誰かに渡してしまい、涼へ渡すことはうに叶わない。けれどそれでいいと思った。


 喜んでもらう為に作ったもので、美味しいと言ってもらえるように頑張ったもので、これで笑顔になってくれるならと努力したものだ。


 きっと彼なら、彼らしい世話焼き加減で全て実現してくれる。それが嘘でも偽りでも、気遣ってくれただけだとしても、今の千聖には仰々しく響いてしまうのだろう。



「宮本くん……全部食べたかな……」



 ――幽かに、零れた。




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