第12話 アンタの為じゃないんだからね

「メロスは激怒した――――」


 五時限目の授業は国語だった。


 クラス全員が席につく中、一人だけ起立して教科書の内容を音読している者がいる。顎を引いて背筋を伸ばす様は華々しく、後ろの席のメガネ男子は彼女を見て顔を赤くさせていた。


 秋鷹あきたかは教科書を机に立て、頬杖をついて斜め前の少女――千聖ちさとの声に耳を澄ませている真っ最中。

 その麗しい音は眠りを誘う『誘惑の果実』だ。船をこぎ、しかし彼女の服装が体操服であることに可笑しさがこみあげてきて眠気が覚める。


 保健室を後にし、教室に戻れば昼休み終了間際だった。着替える時間もなく、もちろん秋鷹も体操服姿だ。

 周りと違うからといって優越感はない。逆に制服を着ていない自分が疎外されているみたいで悲しくもある。


 因みに、教室に戻って来るや否や逢引していると勘繰られて大騒ぎだった訳で、黄色い声援を抑え込むのには苦労した。


「はい、日暮ひぐらしさん着席していいですよ」


 手に持った教科書が米粒に見える程の巨漢男――ゴリラ教師の呼びかけで千聖は席に座る。が、座った衝撃か、あるいは手が触れてしまったのか。千聖の机から消しゴムが落ちた。


 コロコロと地面に転がり、秋鷹と目の前――あつしの席の間に辿り着く。どちらが手を伸ばしても届く距離で、難儀にも選択を迫られてしまったようだ。

 ただし、席が隣同士の敦が拾えば早いだろう。と秋鷹は自分がわざわざ拾うまでもない意思を瞳で示した。


 けれど、敦は横目で秋鷹を見るばかりで動こうともしない。何の意図があるかは読み取れないが、秋鷹は仕方なく消しゴムを拾う。

 日本人ばりの助け合い精神だ。拾ってあげなければ良心が傷つくだろう。そうした考えで消しゴムを差し出すと、


「ありがとう」


「いえ」


 千聖の顔は「やっぱりアンタだけじゃない」と言っているようだった。またもや自分が彼女に好意を持っているという話題が浮上するのかと、秋鷹は猛抗議したい気持ちでいっぱい。

 

 フンっ、と前を向いてしまった千聖から、恨みを込めて敦に視線を移す。そんな秋鷹に授業の妨げにならない程度で敦が、

 

「ういっ、やったな秋鷹。この調子だぞ」


「言ってる意味がわからない」


みかどに続き、お前もってことよ。応援してっぜ」


「楽しそうだな。俺は腸が煮えくり返って人をあやめたい気分だよ」


「物騒だなっ。嬉しいって感情表現の裏返しなんだろうが」


「そう思ってもらって構わない。どうせお前の人生は今日で終わりなんだからな」


「照れんなよ~」


「うりうりすんな……」


 肘でぐりぐりしてきた敦は自分の机に向いてノートに手をつける。最後に残したニヤニヤ顔が無性に苛立たしさを植え付けてきて、秋鷹はシャーペンの芯をパキッと折った。


「うっぜぇ……」



 ――この授業中、秋鷹の脳裏は友達解消についての議題でもちきりだった。



※ ※ ※ ※



 荷物をまとめて周囲の騒がしさに耳を傾ける。会議の内容を半分以上聞いていなかった秋鷹は、どれだけの時間が経過したか分かっていない。

 一時間くらいだろう。と大雑把に頭の中で回答し、会議室を後にする実行委員たちを茫然と目で追った。


「足、どうだった……?」


「安静にしてれば体育祭までには治るって。宮本くんの手当ても完璧だって言ってたわよ」


「そうだろう、そうだろう。先生も解ってらっしゃるではないか」


「ふふっ……なにそれおっかし」


 隣、長机の上からプリントと筆記用具を手に取って、鞄に入れつつ微笑する千聖。秋鷹の得意気な様子がそうさせたのか、思いの外ツボが浅い。


 彼女の足首を見てみれば怪我は問題なさそうで、しっかりと立てていた。靴下で包帯は隠されているが、言葉通りなら体育祭当日には外れるのだろう。

 奇しくも、放課後なら保健室に先生がいるという事で直行し、会議が始まる前に診てもらった結果がこの知らせだ。


「リレーに選抜されてるし、無事に走れそうでよかったな」


「ほんとにね。色々と困るとこだったわよ……」


「――宮本、少しいいか?」


「……宍粟しそう?」


 通学鞄をリュックのように背負った秋鷹を止めたのは、目の前から聞こえた凛とした声音だ。

 目線を上げると視界に飛び込んできたのは一人の少女。長机を挟んだ向かい側で秋鷹を見つめ、やけに懐かしさを感じさせる威厳を放っていた。


 高い位置で結われた髪が正面から窺え、蛍光灯の光を反射させた天使の輪っかが髪全体に輝かしく行き渡っている。彼女は実行委員長の宍粟紅葉しそうもみじだ。帰り際の秋鷹を引き留めたのは、何かわけがあるみたいだけれど。


日暮ひぐらしも聞いてくれ。折り入って、二人に頼みがあるんだ」


「アタシも……?」


「そうだ。二人には体育祭のしおり、その表紙を描いてもらいたいんだ」


 と長机に置かれたのは白い紙。何枚か重ねられており、大きさはルーズリーフくらいだろうか。紅葉はそれから、


「期限は再来週。この紙はある分だけ使っていい……」


「ま、まてよ宍粟。なんで俺達なんだ?」


「ん? ああ、言ってなかったな。これはお前たちへの罰だ。だから頼みではなく強制だな」


「罰っ!?」


 その言葉に秋鷹と千聖は顔を驚愕の色で染める。無理もない。二人には罪を犯した記憶など微塵もないのだから。


「忘れたのか? お前たちは一回、私語で会議を邪魔しただろう」


「一回だけだよね? それもほんの少し」


 登校初日にした会議。そこで注意されたのは覚えている。しかし罰を与える程ではないと思える。器が小さいなんてものではない、酷い当てつけだ。秋鷹はそういった考えを表情にあらわした。


「丁度よかったんだ。私も手が離せないし、皆忙しい。お前達なら……ほら、な?」


「暇だって言いたいの? 何をもって判断したのか問いたいけど、俺達も十分忙しいからな。主にお前らの所為で」


「それはすまない……だが期間は長めに設けたつもりだ。それに、お前達の邪魔立てで先輩方は病院に運ばれた。後ろめたいと思わないか?」


「先輩らの精神がひ弱すぎるんだよ!? 二人三脚の説明で気絶とか普通あり得なくない? 確かに地獄みたいな競技内容だったけど!」


「お願いしてもダメなのか?」


「そんなつぶらな瞳で見られても俺には効かねーよ。つか似合わねーよ。今すぐやめろ」


 しゅんっ、と項垂れた紅葉は悲しそうに下を向く。彼女の大和撫子のようなキリッとした顔には可愛らしさは相応しくない。

 本気で落ち込んでいる所を見ると断られたことに対してではなく、秋鷹の言葉に消沈しているようにも思えた。その姿に頭を掻く秋鷹は、隣で口を噤んでいた千聖に、


「日暮は……」


「あたしは大丈夫。帰っても、どうせ暇だし」


「え、いいの?」


「うん、宮本くんも暇でしょ。宍粟さんが可哀想よ、ちょっとくらい協力してあげない?」


「日暮の同情まで勝ち取ったのかこいつ……」


 うるうると瞳を潤わす紅葉の視線は千聖に注がれている。味方ができて感動に打ち震えているのか、何かのきっかけで千聖の手を瞬時に握りそうな面持ちだ。

 

 それをかったるく見据える秋鷹は実際、暇を持て余していた。放課後は会議が終われば帰宅し、テレビもないので本を読むかしかすることがない。一時間そこらの会議の後は、用事が無ければほぼ自由である。


「再来週……二週間くらいか。それまでに表紙を完成させればいいんだよな?」


「や、やってくれるのかっ……!」


「時間にも余裕あるし、焦らなくても終わらせられるからな。絵心ないけど、そこは……」


「心配ないっ! 早速、説明させてくれっ」


 そういうと、紅葉はしおりの表紙の描き方を早口で並べる。


 長机に置かれた紙――これに絵を描き、新しい用紙に印刷するらしい。つまるところこの紙は下書きみたいなものだ。そしてできるだけ可愛い絵を描いて欲しいとのことだった。

 美術部に頼めば解決なのだが、何故か喧嘩が勃発し協力してくれなくなったのだとか。呆れながらも秋鷹は、絵心には自信がないため殆どは千聖に任せると密かに決意した。


「では、私は行く。職員室に寄らなければならないんだ」


「大変だな、お前も」


「……まぁな」


 用件が済み、紅葉はその場を離れようと身を翻す。実行委員の仕事に加え、まだ何か受け持っているのかと彼女の苦労人さに昔を思い出す秋鷹。滑り出した言葉が、紅葉の足を止めた。


「宍粟……部活はやってるのか……?」


 紅葉はゆっくり振り向くと、既に歪んでいた表情を悲痛で上書きして、


「お前は、知っているだろうに……言わせてくれるな……」


 言いながら、紅葉の背中は会議室の外へと消えていく。


 彼女が未だに部活を続けているのかを、ただ聞きたかっただけだった。あの顔を見てしまったら、掘り返すことがどれだけ無配慮なのかを理解してしまう。傷つけてしまったと後悔し、秋鷹は愁然な態度で長机に置かれた紙を鞄に入れた。


「仲良さそうな感じだったよね……どういう関係なの?」


「中学が一緒だったんだよ」


「ふーん、そうなんだ……」


 今のやり取りを見聞きしていなかったのか、秋鷹に決定的な言葉を吐き出させたのは千聖だ。

 秋鷹とて紅葉が同じ高校だと最初は気づいていなかった。偶然だったのだ。友人や知り合いと絶縁したかったが為に、遠く簡単には入学できないような高校を選んだ。それも望んだ未来とは異なり、二人ほど知っている人物が在籍していたのだが。


「それより、宮本くんって一人暮らしなんだよね……?」


「ああ、それがどうした?」


「あの、さ……」


 気づけば周りには人の姿が無く、秋鷹たち二人だけになっていた。施錠に関しては用事を済ませた紅葉が帰りに行うのだろう。何せ、黒板付近の机に荷物が置いてある訳だし。


 そう秋鷹が流し目で辺りに探りを入れていると、自身の鞄から巾着のような物を取り出した千聖が、


「……ん」


「ナニコレ」


「……受け取りなさいよ」


「突然言われても何がなんだか……得たいが知れないし」


「し、失礼ねっ、あんたっ!」


「え……?」


 千聖は片手だけで突き出した巾着を、秋鷹の胸板にぶつけるように再度突きつけた。その勢いで若干の羞恥を保ちながら、


「たまたま、たまたまなんだからねっ。余っちゃったから、しかたな~くあんたに食べさせてあげる」


「あー。この巾着って、弁当なのか?」


「見れば分かるでしょ。それに、美味しそうな匂いが漂ってきてるじゃない」


「でも影井の為に作ったやつだよな? 俺が食べていいのか……」


「そ、そうよ。涼の為に丹精込めて作ったの。だから、別にあんたの為じゃないんだからねっ」


「なら遠慮しとくよ」


「受け取りなさいよぉ~!」


「え、え!?」


 目の端に涙を溜めて懇願するよう声を上げる千聖に、秋鷹は落ちそうになった巾着をキャッチしてほっと胸を撫でおろす。それを目視した千聖は、そっぽを向いて畏まると、


「夜ごはんにでも、どうぞ……料理する手間が省けるから……」


「……サンキュ。助かるよ」


「はじめっから素直に受け取りなさいよ」


「へい、すいやせんでしたー」


 秋鷹は手に持った巾着を鞄の中にぶち込む。


 手作り弁当なんて中学以来だろうか。いつものコンビニ弁当、それと焼き焦げた秋鷹特製のドス黒い料理。その二つとは大きく違う代物だ。

 食費代も浮くし、何より味の方は保証できるのではないかと思う。遠目から眺めた涼の弁当を食べている姿が、秋鷹の瞼の裏に淡く浮かび上がった。


「ちゃんと洗って返してくれればそれでいいから、残さず食べてね」


「了解。じゃあ、帰るか」


 鞄を背負い直す秋鷹は、机に手をついて千聖の次の挙動を待つ。彼女は思い悩むように視線をさまよわせると、誰もいない会議室の静寂を無視して、


「あたし怪我してるし、歩くの遅いよ? 先に帰ってくれても……」


「平気平気。寧ろ今の状態のが危険だろ? 黙って送られてろ」


「あんた……」


 秋鷹にとって家まで送ることは苦でも何でもない。帰ったら一人になるのだし、少しでも暇を潰せるのならそれは有意義な時間の使い方だ。

 しかしそれが自身の考えと合致したのか、千聖はジトっとした目で秋鷹を見据えた。何か勘違いを起こしていると、秋鷹は今日の出来事を思い出し、


「好きじゃねーよ?」

 

 速やかに否定した。



※ ※ ※ ※



「美味そう……」


 アパートの一室――丸テーブルの上に弁当を広げた秋鷹は、詰められた『タコさんウインナー』とそれを彩る食材に腹の虫を鳴かせた。

 昼から何も口にしていないのだ。育ち盛りの秋鷹には断食と同然。故に手元の弁当箱へ独りでに箸は持っていかれる。


 その部屋には秋鷹の咀嚼音だけが響き、しかしこの時ばかりは虚しい思いも胸の底に仕舞い込まれた。


 冷めていても、しかり。



「たこさん……最高かよ……」



 ――隠し味はチーズだった。


 

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