第11話 意味のない気遣い

 ――結局、教室が施錠されていて放浪する羽目になった。


 引き返し、授業中だということもあって教師らが少ない校舎一階にやってきた秋鷹あきたか

 残り数分、自由気ままに暇つぶしをする所存だ。別に優等生でもないのだから、不良チックに気だるさを表現してもいいだろう。


 床を足裏で軽快にノックし、ポケットに手を突っ込んでステップを踏む。この控えめな踊りを他の誰かに見られでもしたら赤面ものだ。しかし、秋鷹はこうして意味もなく頭を空っぽにするのが好きだった。


 何も考えず、これまでの経験をすべて忘れる。それが何よりも好きだった。


「……ん?」


 正面、廊下の先に見えたのは一人の少女。壁に手をついてこちらに歩いてきており、下を向いているために秋鷹の存在には気づいていない。

 ただ、気がかりなのは彼女の足だった。右足を庇うようにして重心を左半身において、歩きづらそうに助けを訴えている。


 ――ように見えてしまった。


 大方、怪我か何かをしたのだろう。詳しくは定かではないが、強がって「保健室なんて一人で行けるもん」と駄々を捏ねたとも捉えられる。


 秋鷹はそっと真横に視線を向けた。室名札には『保健室』と記されていて、人が抜け出せる程度に開いている扉の向こうを覗けば、静けさと揺れるカーテンしか視認できない。


 よって教師もさぼっていたのかと、その不真面目さに親近感を抱いてから眼前においでなさった少女に一言。



日暮ひぐらしもさぼりか?」



 ――終鈴が鳴った。



※ ※ ※ ※



「あの椅子に座ろう」


 秋鷹は保健室の中にある生徒用らしき椅子を瞳に映す。


 現在、千聖ちさとに肩を貸して手助けしているのだが、彼女は何故こんなにも良い香りがするのか。ダイレクトに体当たりしてくる巨大な胸はかまってさんみたいだし、非常に目のやり場に困って気が休まらない。


「一人で大丈夫だって」


「そう見えなかったんだよ」


「嘘……あたしとくっつきたいから手貸してるんでしょ……? ……変態っ」


「人の厚意にむかって変態はないだろ……」


「ここ最近であんたの人となりが理解できたのよ。下心丸だしな男としての部分が特にね」


「至って正常だと思うけど、評価のされ方に悪意を感じるな」


「認めてんじゃない。離れなさいよケダモノっ」


「へいへい」


「……んっ」


 目的地に到着したので希望通り椅子に座らせる。


 変な声を出すなよと、ここは沈黙を選んで胸中で呟いた秋鷹。千聖の足首をチラ見して、片方だけ靴下が脱げているのを確認した。


 痣のような腫れあがりがあるから捻挫だろうか。取り敢えず包帯で足首を固定しなければならない。

 専門的な知識はないし、むかし捻挫した時の実体験からくる応急処置程度の施しだが。


「座ってろ、大人しくな」


 反論しても無駄だと思ったのか、千聖は頷くと安静にしていた。やけに従順な彼女を他所に、秋鷹の足は医療品が備えられている棚へ。


 医薬品が並べられている場所は違うとして、引き出しに手をかける。ガサゴソと漁ってみるが保健室なんて初めてだ。秋鷹には包帯の常備されたところなぞ分かったものではない。


「ねぇ……」


「うん……?」


 後ろから高圧的ではない虚弱な声がして、秋鷹はその声音に合わせるよう穏やかに返事をした。

 それが千聖なのだと理解した上で、聞く耳を立てて棚の中を探り続ける。そうして彼女の二の句を待ちながら躍起になっていると、小さな箱に入れられた『絆創膏』を発見。


 ――これではない。


 気を取り直して包帯探しを再開。丁度よく千聖の言葉も継がれたようで、


「あんたが、かいがいしく世話焼いてくるのってさ……その……」


 誰もいない、二人しかいない保健室。閉められた扉の向こうからは廊下ではしゃぐ何者かの声が響き、千聖の口籠らせた言葉は聞き取りづらい。


「あ、あ、あたしのことが好きだから、なの……?」


「は、はぁ!?」


 突飛だった。


 何を勘違いしているのかと、秋鷹は包帯探しを中止して振り向く。振り向かせた当の本人は、視線だけでちらちらと見てきて、

 

「そ、そうなんでしょ!?」


「なんでそう思ったんだよ?」


 千聖は一呼吸挟んでから口を開ける。


「や、やっぱり……! あたしは正しかったんだわっ!」


「日暮って周りからよく自意識過剰って言われない?」


 怪訝する秋鷹の反応を肯定と捉えてそわそわしだす千聖。自分の考えが間違いだと認めたくないのか、冷静に対応する秋鷹に対し唇を尖らせると、


「なによ、違うっていうの?」


「ああ、そんな素振りすら見せたことないだろ」


「あるわよっ。今だってあたしの為に必死になってるし、この前なんて関係ないあんたが助言してきたじゃない!? 見た目に反して善を積んでどうすんのよ!」


「俺ってどう思われてんの? 掻い摘むと変態で悪人なんだが」


 酷い言われようだ。


 ワイシャツの下に赤ティーシャツを着ているあつしよりはましな格好をしていたはずなのだが、千聖にしたら秋鷹の服装は非行的であったらしい。

 確かに、彼女のいう秋鷹の行いが善意ある行動ならば、そんな非行人間の善は受け取れないだろう。

 

「……あたしたちが話すようになったのって数日前だよね? それまでは深く関わってこなかった。なのにどうして、宮本くんはそんなに優しくしてくれるの?」


「どうして、か……」


 自分に好意を持っていないのなら何故、と言いたげな千聖の瞳を見据え、秋鷹は知らず知らずのうちに握り締めていた包帯に力を込める。


 問われれば自分でもわからなかった。千聖に『告白しろ』と助言したのは、彼女のいつまで経っても変わらない現状に苛立ちを覚えたからだ。

 形は違えど他人よりは恋愛に執着してきた秋鷹。千聖の恋に終止符を打つ、その解決策を提示してしまうのは自然だった。


 今みたいに千聖に手助けをするにしても、特別、秋鷹だけというわけでもないだろう。目の前に困っている人がいれば助けるのは皆おなじだ。

 大衆の前では他人頼みになるのかもしれない。しかし手を差し伸べられるのが自分一人だけなら、滅多な悪人でない限り動きだすだろう。


 そう、悪人でない限り。


「そうか、日暮は……」


 秋鷹は荒らしてしまった棚を整頓し、包帯をもって冷蔵庫まで向かう。冷やすものが無い場合、包帯で足首を固定させても怪我を悪化させるだけだ。故に冷蔵庫があって少しばかり安心する秋鷹。


 冷蔵庫の上に置かれた氷のうを拝借したら、次は冷蔵庫から氷とペットボトルを取り出し、それを氷のうの中に入れていく。


 シップも手に取るとそのまま、千聖のもとへ歩いて行った。

 彼女の表情は秋鷹の温情への疑問で固められ、困惑してその答えを待っているように思えた。

 

「日暮は……優しくされたことがない。それか、あまりないんじゃないか?」


「え……?」


 椅子に座る千聖はぽけっとして、傍に来た秋鷹を見上げる。この時、秋鷹が思い出していたのは先刻の話。下駄箱で涼がうっかり吐露してしまった千聖の過去だ。


『千聖って昔は引っ込み思案だったんだ』


 脈絡のない推測でしかないけれど、仲良くもないのに優しくされることが理解ならないのだろう。

 涼が千聖を変えるまで、彼女は一人だったのだ。高校生になり積極性を得ても、変わらない根底は表に出る。真意は判然としないが、千聖の表情がそれを物語っている気がした。


「脱がすよ」


「うっ……」


 しゃがみ、秋鷹はシンデレラの上履きを慎重に脱がすと、床に置いた物の中から氷のうを取って捻挫部分へと当てる。

 足首を冷やした途端に千聖の苦痛の声があがり、想像以上に強く捻っていることがわかった。


 そして先の話を続けるように、


「影井以外の男とも関われ、話せ。俺だけが優しいんじゃないって、はっきりわかるからさ」


「でも……」


「一人が無理なら、俺が手伝ってやるから。みかどと敦くらいなら紹介できるし……あっ。敦とは席が隣だから話したことあるんだっけか。それなら教室に戻ったらさっそく――」


「す、ストップっ! ストップっ!」


 すかさず秋鷹の猛攻を止めに入る千聖は、真上からツリ目がちで可憐な瞳を向けてくる。次は秋鷹が見上げる形になったようで、胸に見え隠れする彼女のぷるんとした唇が開くのを目で捉えた。


「……照れ隠しにしては長くない?」


「今の真剣さを照れ隠しだと? ふざけてんの?」


「ごめん嘘……」


「なんなのお前……一貫性ねーなぁ」


「お前って言うのやめてよ。気になる」


「なら日暮もあんたってのやめろよ」


「あたしはいいの」


「我儘かよ……」


 先程の好意うんぬんの問題を引っ張ってこられ、少々腹を立たせる秋鷹。致し方なく『お前』と呼ぶ行為は気をつけると心に誓ってみた。

 そんな思いもつゆ知らず、千聖は長い溜息を吐き出し保健室のベッド付近へと目を向けて、


「男の子となんて無理よ……女の子ともまだ上辺なのに……」


「は?」


「なんでもないっ」


 言った言葉を無かったことにする千聖だが、秋鷹には『上辺』、そう聞こえた。矢張り彼女の交友関係の広さは取り繕った結果だったのだろう。

 中でも金髪ギャル――春奈とは仲を育んでいたように見えていた。それも借り初めだったのか。秋鷹は悩んで、男を紹介してしまった自分に何がしたかったのかと問うが、


「ま、俺には関係ないか。首突っ込める立場にいないしな」


「あんたそれ、わざとやってんの?」


「かもしれない」


 人の心情を搔き乱し、拗れさせてから面倒臭いと投げ出す。


 きっかけは千聖が言い出した『好意』などと言う戯言。結局、話もまとまらないまま、秋鷹は思考を切り替えたいがために目線を下げた。


 瞳に映ったのは白く、しかし健康的で美しくむっちりとした千聖の脚だ。体操服のズボンから伸び出ており、秋鷹の手が氷のうと共に足首を支えている。


「あと十分くらいで腫れは引くかな……シンデレラ?」


「はぁ?」


「口が滑った」


 一瞬、千聖の頭から角が生えていたように見え、秋鷹は何が気に障ったのか模索しながら「口が滑った」の一点張りでこの十分を乗り切った。



※ ※ ※ ※



「保健室の先生に見せるか、病院行くかしろよ。間違ってないとは思うが、手探りの処置だったからな」


「ありがとう……」


 シップを張り、グルグル巻きにして包帯で固定した千聖の足首。我ながらよくできていると、秋鷹は立ち上がって腰を回す。しゃがんでいた所為で腰を痛めたまではいかないが、けっこう疲弊が溜まり今だけはおじいちゃんの気持ちだ。


「もう下手こくなよ。どっと疲れたわい」


「あんたが勝手に――ううん、これを言うのは無粋ね。ちゃんと気をつけるわ」


「ていうかさ、ここの保健室って先生いないのか?」


「んー、そんなはずないんだけど……何か用事でもあるんじゃない?」


「今度会ったら文句言ってやろう……」


 許すまじ。先生がいなくて要らぬ手間が増えてしまったではないか。と、秋鷹は保健室を見回してから椅子に座った千聖へ向き直り、気遣いを誇示するように手を差し出した。


 その手を凝視し、千聖が柔らかい掌を乗っけてくる。すべすべで、華奢であるのは如何いかにも女性らしく、秋鷹の心臓は瞬間的だが僅かに跳ねあがったのだった。

 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る