第10話 アンラッキースケベ

「なーにぃちさちー。秋鷹あきたかに惚れちゃった?」


「何をどうしたらそうなんの。ただ見てただけでしょ」


 ニマニマと笑う金髪ギャルに対し、千聖ちさとは素知らぬ顔で昇降口に背を向ける。昇降口付近には暴れている田中と校舎の中へ消えていく秋鷹がおり、校庭の隅で怠けていたクラスメイトたちは何やらざわついていた。


「だって~、噂になってるよ? 二人して仲良く帰ってたって」


「実行委員の会議での成り行きって言ったじゃんっ! ただ送ってもらってただけなのっ。それ以上でもそれ以下でもない」


「へ~、秋鷹が送るねぇ。なんだちさちー、気に入られてんじゃん」


「はぁ? あんなのに気に入られてもぜんっぜん嬉しくないんですけど」


 不意に、着崩した秋鷹の制服が浮かび上がり、キュッと眉を寄せて露骨に嫌がる千聖。それに金髪ギャルは嘆息し、羨ましそうに上目遣いになると、


「あーしの誘いは断るのに……ずるいし!」


「えーなに、春奈って宮本くんのこと好きなの?」


「彼氏候補ってところかな。顔はいいしノリも悪くない、これだけでもあーし好みっしょ!」


「一体どれだけの候補がいるかは聞かないでおくけど、確かによく話してたわね」


 普段は秋鷹たちイツメン三人で行動しているのが頻繁に見受けられるが、時たま金髪ギャル――春奈のギャルグループが加わって会話していることがあった。

 最初こそその光景には怯えたものだ。入学初日もさることながら、二年に進級してからの友達作りに千聖は大きな不安を抱えていた。


 もっとも、今のクラスにヒエラルキーやらスクールカーストやらのピラミッドが存在しなくて安堵はしている。

 過去のトラウマによって秋鷹や春奈のおチャラけたグループには警戒していたが、それも杞憂と呼べるくらい春奈たちとは良好な関係を築いているし、男子のいやらしい視線はあれど充実した毎日を過ごせていた。


「でも珍しいよね? ちさちーが影井以外の男子と喋んの」


「え、そうかな?」


「そうっしょ。絡まれても他人行儀だし、あーしはいつものツンケンしてるちさちーが好きだなー」


「つ、ツンケンなんかしてない……」


「ああ! 間違えた、ツンデレだった! ちゃんとデレる時はデレるもんねー? はぁぁ、愛おしや……」


「ぅ、うっさいっ! なに訳の分かんないこと言ってんのよっもうっ」


「うぉぉ……」


 千聖が腕を組んで幾らか頬を赤らめると、春奈から感銘の声が漏れる。彼女はあんぐりと口を開け、止まった思考を加速させるために首をぶんぶん振っていた。

 

「ちさちー……ちょい後ろ向いてくんない?」


「どうして?」


「いいからいいからっ」


「えっ、なっ」


 肩に手を置かれてくるっと回転させられる千聖。両側で結われた髪が勢いに乗って流れ、その瞬間に漂ってきたフレグランスの香りが鼻に融けていく。

 突然の出来事にあたふたした所為で猫の手ポーズになってしまった千聖だが、脇の間から何かが侵入してきて――。


「ひゃっ、やめっ……」


 胸を思い切り鷲掴みされた。猫の手を維持したままに、千聖の豊満な駄肉は揉みしだかれる。春奈の手は余分な肉に飲み込まれ、視認できなくなりながらも懸命に柔らかさを堪能し、


「こんのウシ乳がああぁぁあああ! 女まで魅了してどうするぅぅうううっ!? ぅ……おのれこいつめ、吸い付くように……くあっ、食われる……」


「ちょっ、まっ……はるぁ……だめっ、んっ……」


 上下に揺れる贅肉はブルンブルンと大気に平手打ちをし、もてあそばれるように左右にも残像を残す。

 引っ張られるたび甘い息が吐き出され、千聖の顔は熱を帯びてポテポテに火照っていった。


 続く乱撃に耐えること数十秒。段々と意識が混濁していき、しかし巨峰の中心に伸ばされていく指に気づいた千聖は、


「……いっ」

 

「スイッチおおっ――」


「いい加減にしろおおおぉぉぉおおっ!!!」


 叫び、もがいて解放されると四つん這いで着地。重たい胸が地面に擦れるが、でかかった声は我慢した。そして立ち上がった千聖は胸を隠すように身を抱いて、


「うぅ、屈辱……絶対みんなにみられたぁ……」


「ダイジョびダイジョび。よかったね、だんれもちさちーのおっぱいは見てないよ」


「そういう問題じゃ……春奈なのバカっ」


 いじける千聖は一先ず気持ちを落ち着かせ、自分の叫びが掻き消された理由を探す。


 それは案外と近くで行われた所業。歓声がひときわ目立ち、その発生源が千聖の真横にあった。


「フォー!」

「プリティーだぜっ、結衣ちゃーん!」

「ヒップアンドステップ。ヒップホップダンス」

「結衣ー! 男どもの声は無視していいからねー!」


 先頭に立つ赤茶髪の少年、おどける者に指笛やダンスを披露する者。リレー選抜されたクラスメイトが千聖の幼馴染――バトンを振る結衣の走りを見て混沌カオスな状況を形づくっていた。

 

 バスケの推薦で花生はないけ高校に入学した結衣だからだろうか。その走りは人並み外れた周囲を圧倒させるまでの脚運びであり、靡くサイドテールは太陽の揺らぎのよう。


 人当たりがよい明るく素直な性格の彼女なら、ここまでの人望を博するのは当然だった。そこにちょっぴり天然が入るとなれば、例え彼女に想い人がいようと男子の理性は暴走を禁じ得ない。


「流石だね~。今年はみかどんもいるし、優勝できるかもしんないね?」


「だといいね。G組だっけ? 例の子がいるの」


「うん、去年と同じでG組。ぶっちぎられることはないと思うけど、ぶっちゃけG組を何とかしないと優勝は……ね?」


「だよね……あたしも頑張らないと」


 去年の体育祭の学年対抗リレーでは、当時一年生であった一人の少女が凄まじい追い上げを見せ、最下位から一気に首位へと駆け上がった。

 その功績から優勝を勝ち取ってしまったのだから、リレーが体育祭で重要な種目なのだと大いに理解できる。


 これでも千聖は体育祭実行委員だ。手を抜くことはしたくない。短い時間だが濃密な会議を重ねるうち思い入れも増えたし、入学当初と比べれば心情は幾分か朗らかだ。リレーには、自分の全身全霊を賭けて勤しみたかった。


「ちさちーはトップバッターだっけ?」


「ううん、代わってもらった。直前まで実行委員の仕事があるからね」


「大変~。あー! 二人三脚もリレーの前だよね? 泥まみれで走るの?」


「ちゃんと着替えるわよ。て、なんで泥まみれになること許容してんだろあたし」


 『まみれる』という単語にインスピレーションを感じたのだろう。春奈は千聖の体躯を視姦するように舐めまわして、


「ぬるぬるになったちさちー……え、えっちぃね?」


「ぬるぬるじゃなくてどろどろっ! それだといかがわしく聞こえるからっ! ……まって、どっちにしろ卑猥じゃない……! えっと、ぬめぬめ……違うっ、むれむれ……あれ!?」


「ちさちー!? 頭の中ピンク色になってるから、それ以上口走らないようにしよう?」


 その声かけに千聖は手の甲を額に置き、熱くなった思考を冷ますように深呼吸する。というか、むれむれとは何処から出てきたのだろうかと思った。


 すると――。


「おーい、千聖~」


 見れば、昇降口の方からこちらへ向かってくる少年がいた。瞬間、千聖の胸臆から鈴の音が鳴ったような心弾む高鳴りが聞こえてくる。

 朝から顔を見なかった所為か少しよそよそしい。そんな態度になってしまうのはその少年が自分の想い人であった為だ。


「あいつ……授業すっぽかして何やってたのよ」


 校舎に取り付けられた時計に視線を移し、四時限目の授業が残り十分程度だと知った千聖。

 それは基本放任主義の教師が戻ってくる時間であり、遅刻してきた少年に千聖の感情は怒りへと変化する。


 毎回自分が叱りつけるのもそろそろ疲れるが、言わないと分からないのだ。と、千聖は握り拳を作って待ち構え――。


「うわっ」


「えっ?」

 

 つまずく所なぞない。ないのに、少年の足は軽やかに絡まり、しっかりとほつれて惑う。

 更に前方へと飛び込むように浮遊し、呆けた面で千聖の胸元に照準を定めた。躓いたのに飛び上がるとはどういう原理なのだろうか。


 千聖の眼前には少年の顔。寸秒のことで対処法は分からず、千聖は硬直していた体をのしかかってくる重みと共に崩した。


「ぶべっ」

「ぅ……」


 頭から倒れることは死守したが、背中に強い衝撃。肺を押し付け圧迫する何かに息が詰まる。それは少年の頭が自分の胸の谷間に突っ込んできた証であり、抱き合う形で密着してしまった思わぬシチュエーションだった。


「ほへふぁふぃふぁふんっぁ、ふぇっひてはざとへふぁなくてっ!」


「なっ、なっ、なっ――」


 これは違うんだ、決してわざとじゃなくて、と千聖の胸に顔を埋めながら口をもごもごさせる少年――涼。

 一方、千聖は唇をわなわなさせて鷲掴みされている自身の胸を見て涙目になる。体操服であるので制服よりは感触が柔い。それを理解してか涼の掌はどでかい乳を一揉み、二揉み――。


「なにしてんのよぉぉぉおおおおっ!!!」


「ぶぐべっ――!」


 千聖の鉄拳が涼の顎に直撃。アクロバティックに宙返りするようぶっ飛んだ涼は、白目を剥いて砂浜に打ち上げられた魚とばかりに痙攣した。


 彼の醜態に振り上げた腕を降ろす千聖。肩で息をして、顔全体を上気させつつ乱れた体操服に手を伸ばし、空気に当てられたヘソを慌てて隠す。


「死んでないよね? ちさちー本気で殴りすぎだよ……」


「こいつにはこれくらいが丁度いいのっ!」


「前から思ってたけど、影井ってマゾなの?」


 要するに常習犯という事だ。


 今回は一殴りでノックアウトしたが、気絶しなければもっと悲惨な結末になっていただろう。女子に囲まれた生活に加え、ボコボコにされる毎日を送るのが涼の日常だった。


「ちょっとー! りょうちゃんだって悪気はなかったんだから、これはやりすぎだよ」


 涼に駆け寄ってきたのは橙髪の少女――結衣だ。表情を憂いで模って、膝枕で涼を労わっていた。

 どうやらリレー練習が終わってすぐに駆けつけたようだ。結衣に向けられていた歓声は静まり、今は小さな応援が走っている者に疎らいている。


「あんたがそんなだから、こいつが調子に乗るんでしょ」


「そんなって? わたしはただ、ちさちゃんにやめて、って言ってるだけだよ?」


「だから……甘やかしてるでしょ!? こいつがなよっちくなったのは、あんたの所為だって言ってるの! ……昔は、こんなじゃなかったのに」


 座った体勢で千聖は鋭い眼光を結衣に向ける。それは彼女のことを不快に思っているような、しかしそれだけでは推し量れない千聖の根底に眠る何かだった。


「ごめんね、ちさちゃん。何が悪いのか分からないや」

 

「――っ!」


 堪らず、千聖は腰を勢いよく上げる。


 結衣と会話したくなかったのが一つ。沸々と湧く怒りを抑えられなかったのがもう一つだ。


 が、足首に力を入れようとした時、


「ッ――」


 くるぶし辺りに電撃が走った。おそらく涼と衝突した時に足首を捻ったのだ。片方の足だけの軽い捻挫。それでも、少しのあいだ安静にしてなければならないだろう。酷使し続けると、悪化して今後に響きそうだった。


「ちさちー、足……」


「言わないでっ」


 春奈が支えてこようと手を差し出してくるが、千聖はか細く言い放つと、苦悶の表情を微笑みに変えて、


「大丈夫……結衣たちには言わないで? 一人で保健室行ってくるから」


 心配をかけたくなかった。かけたら絶対に面倒臭いことになるし、謝られたり自分たちの仲がぎくしゃくするのが嫌だった。

 その瞬間が一瞬でもあるのなら全て自分一人で抱え込みたくて、千聖は捻挫していない風を装って歩き出す。それを汲み取ったのだろう。春奈はゆっくりと手を引いてくれた。

 

「どこいくのちさちゃん……? もうすぐ先生が帰って――」


「トイレ」


 と言って、千聖は挫けそうになる心に抗いながら歩を進ませる。途中、背後で誰かが話しかけていたような気がしたが、痛みに耐えるのに必死で反応を示せなかった。


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