第9話 間男であって間男でない

 ――その男はやけに平凡だった。


 きちんと身の丈にあった制服。中肉中背で寝癖もなく、大勢の人に紛れたら一筋縄では見つけられないだろう。

 特徴を一つ上げるとすれば、陽が落ちた空のような蒼白い髪色。彼の表情に陰りをつけ、どこか暗いイメージを抱かせるようだった。


「さぼりか?」


「……え? あ、ちがうよっ。妹と喧嘩しちゃって、電車に乗り遅れたんだよ」


「あと二十分そこらで昼時だけど、随分と見逃したんだな」


「それも違うんだよ! 走ってたら知らない女の人とぶつかって、お礼が何やらで引き留められて……」


「ふうん」


 涼の言い訳に耳を傾ける秋鷹あきたか


 幼馴染なら千聖ちさととは家が近いはず。彼女の家の場所から推測するに、学校からの距離は二駅分だ。

 歩いて三十分程度で行けると思うのだが、涼は悠々と電車を待って遅れたらしい。既に四時限目の授業という事で大分遅刻しているが、


「宮本君が下駄箱にいるってことは、もう授業終わりなのかな?」


「あー、俺はさぼりだ」


「えぇ! 真面目な顔で言ってるけど大丈夫なの!?」


「トイレ行くって言ってきたからな、平気だろ。お前は急いだ方がいいと思うよ」


「そ、そうだよね。早くしないと」


 落ち着きなく、涼は下駄箱に向かうと運動靴に履き替える。こんな姿を見るのはもう何度目か。二年生に進級してから朝のホームルームに彼がいなかったことは多々ある。


 その度に新しい女子が教室に殴り込みに来て困りものだ。当然、彼は教師たちに目を付けられて要注意人物に成り果ていた。しかし、罰を受けるにも女教師に呼び出されるのが大半で、マンツーマン指導とはご褒美以外の何ものでもない。


 超能力でも有しているのだろうか。女性を惚れさせるような、何か。でなければ、みかどみたいな完璧人間でない限りこれは異常としか言いようがない。


「にしても、俺の名前覚えてたんだな」


 涼の女性に囲まれる生活ゆえの純粋な疑問。男性に対しての認識は疎いと思い込んでいた。そんな秋鷹の声に、ふと反応した涼は、


「クラスメイトだからね。あ、それと、千聖と仲良くしてたからかな」


日暮ひぐらしとは委員会が一緒なだけだが……」


「そうなんだけど、ここ三、四日千聖を送ってくれてたでしょ?」


「……お前も知ってんのかよ」


 事実だ。委員会の会議が最終下校時刻まで伸びてしまった為に、秋鷹は慣れた面持ちで千聖を家まで送った。

 やましい思いがあった訳ではない。おそらく、昔の癖がそこで発現してしまったのだろう。世間話のようなものをちょこっと、住宅街の前まで送ったらおさらばだったのだが。


「最近帰りが遅かったからさ、聞いたんだよ。正直、何かあったんじゃないかって心配した」


 頬をかいて苦笑する涼。秋鷹はそれが心配とは別の何かに見えて、


「女の子だから夜は危ないって? それとも好きだからかな?」


「す、好き!? それって男女のって意味!? ないないっ! 僕なんかじゃ釣り合わないし、おこがましいっていうか……」


「ん? 何とも思ってないの?」


「そんなことないよ、大好きだっ! 幼馴染として」


「え……」


 これは重症。というか千聖の想いが届かない以前に届きようがない。矢張り想いを伝えて解らせてあげなければならなそうだ。前提としての恋愛対象に千聖が入っていないではないか。


 ――ごめん日暮。


 アシストできそうにない。取り敢えずもうひと踏ん張りしてみるけれど、


「日暮と恋人になりたいとか考えないのか? 俺からしたら毎日くっついてるお前らは夫婦に見えるけどな」


「何を言っているんだよっ! 怒るよっ!」


「え……!? どしたの?」


「……千聖には好きな人がいるんだよ」


 人格が変わり凶変したと思ったら小さな声で何かが紡がれる。涼の顔は好きな相手が他の誰かを想っているといった嫉妬を込めたものではなく、大切な幼馴染がいなくなるというような一見純情なものに見えて、残酷なものだった。


「千聖が言うにはその人はかっこよくて、優しくて、彼女のことを大切に想ってくれているらしいんだ」


「いやおまえじゃ――」


 ないのかと口に出そうとして、秋鷹はでかかった言葉を呑み込んだ。彼が何を勘違いしているのか、真相が知りたくて秋鷹の舌は独りでに滑る。


「この学校にいるのか……? そいつは」


「わからない、会ったことないんだ。でも、会えるなら会ってみたいな。彼のお陰で、千聖は今みたいに笑っていられるんだから」


「原動力っつーこと?」


「うん、彼が千聖を変えてくれたんだ。僕じゃ絶対に出来なかった。千聖って友達多いでしょ? それは最初からってわけじゃなかったんだ」


 涼はホコリ被った何もない下駄箱の上を見据え、懐かしむように目尻を下げる。そのままゆっくりと唇を開けると、


「今じゃ考えらられないと思うけどさ、千聖って昔は引っ込み思案だったんだ。僕が連れ出そうとしても拒否されるばかりで、結衣と一緒に頭抱えまくったよ」


「ん……」


 結衣というのは涼のもう一人の幼馴染のことだろう。男女問わず、クラス構わずに人気者だった覚えがある。と、秋鷹は何んとか話に食らいつこうと目を瞑りながら熱心に話を聞いた。


「中学の時もずっと本を読んでいるだけでさ、友達を作ろうとしなくて……一時はいじめ――」


「あー影井」


「……なに?」


 話を遮られた涼は首をこてっと曲げる。その仕草に吐息を吐きだした秋鷹は、表情筋をピクピクさせながら、


「それ……日暮がいないところで話していいやつ?」


「あっ……」


 涼は何かしくじったかのようにおののき、「しまった……!」と一歩後ずさると、


「宮本君……今のは忘れてくれないかな? 話したことを知られたら絶対殺される……!」


「だろうな。ま、安心しろ。俺も殺されるのはごめんだから、口にチャックつけとくよ、いや針で縫っとくよ」


「なんか本気っぽくて怖いな!? でも……ありがとう。どうしてかなぁ、やっぱこんなドジばっか踏んでるから千聖に嫌われるんだろうなー僕」


「嫌われてないと思うが……」


 涼の自信の無さに加え、なよなよとした一面に惚れる要素などあるのだろうか。秋鷹は顎に手を添え思案して、「うん、どうせだし」と手を叩いて場の空気を一掃し、


「気分転換に恋バナでもしようか」


「どうしてそうなるの!? ていうか、先生に怒られるし早くグラウンド行きたいんだけど!」


「まあまあ、大遅刻してるんだから今さらどう遅れようと怒り方は変わらないよ」


「そういう問題じゃないんだよな……」


 溜息を漏れ出させるリョウに、秋鷹は下駄箱に片手をついて足を交差させると、バラを口に咥えたような表情でニヤリと笑い、


「ズバリ影井。お前、好きな奴はいるか……?」


「いないよ……はい終わり」


「おー待て待て、ちょいちょい」


「……まだ何かあるの?」


 昇降口を出ようとする涼は不満顔だ。ウザがられているが気にしない。秋鷹は恋バナ続行というように、


「そうだったな、俺ら話したの今日が初めてだったもんな。よって、恋愛相談に変更しよう」


「本当だよ……初絡みで恋愛相談……って、普通信頼できる人にするよね!?」


「実は俺から聞きたいことがあってだな……」


「人の話聞こう? しかも恋愛相談じゃなくて宮本君の個人的な質問だよね」


 そう、質問である。


 これだけは解明しないと夜も眠れない。秋鷹は髪を掻き上げて涼の背後、昇降口の先を遠目で眺める。

 クラスメイト達がぽつぽつと見える中、ホルスタインのような影が一つ見えた。真剣な眼差しで、そして息を吸って視線を涼に戻すと、



「お前がいつも一緒にいる五人。みんな美少女だ。可愛いよな、俺もそう思うよ」



 ――ぱちくり。


 涼の瞬きを一泊とみて、秋鷹は流れるように言葉を繋げる。



「一人くらい、好きになってもいいんじゃないか?」



 ――ぱちくり。


 二度目の瞬き。涼は一瞬の間を置き、ふっと笑って微風で髪の毛先を揺蕩たゆたわせた。



「言ったよね、僕じゃあ釣りあわないんだ」



 揺るがない意思のように見える。少しでも涼の想いを知れれば数々の疑問が払拭されるのだが、無駄な試みであった。

 となれば涼のハーレムは一生終わりを迎えない。彼が決断を拒んでいるのだから、これからも鬱陶しい茶番を見せられるのだろう。


「そっか……思った通り」


 秋鷹はそう言い放つと涼に背中を向けて廊下へ歩いていく。掌を顔の真横に上げて別れを示し、行く先は教室にでもしようか。


 振り向かず、階段をのそのそと踏みしめていった。今ごろ涼も校庭へ足を運んで教師にでも怒られているはずだ。

 秋鷹の指先は階段の手すりに添わされ透明な線を描いていく。その意味のない遊びをしながら、秋鷹は低く喉を唸らせるような声で、


「最悪だ」


 零れ落ちた言葉が、己の身に深く沁み込んだ。





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