第8話 帝王たる男

 その日は痛いほどの晴天日和だった。

 太陽の眩しさが目を細めさせ、首筋に薄っすらと汗を滲ませる。双眸にかかる前髪を払いのけることでしか、そういった過小なストレスを発散することが出来なかった。


「日暮の胸すげぇ……」


 隣で呟いたのは丸坊主の少年――田中だ。体育の授業は体育祭練習へと変わり、クラス全員での大縄跳びの練習も終わったので、こうして役目がない者は校庭の隅でだらだらしていた。

 敦も選抜されてしまい田中と二人きり。秋鷹は鼻の下を伸ばす彼から若干距離を取り、丁度バトンを受け取っていた千聖を見る。


「メロンでも詰めてんのかな」


 走っている彼女のパイ乙は、体操服をはち切れさせんとあらぶっていた。

 メロンにしては柔すぎる代物だ。次の相手へバトンパスした千聖は、その激しい揺れを落ち着かせると、近くの女子と談笑し始める。

 性格に棘があるのに中々どうして交友関係が広い千聖。話し相手のギャル友達に見せている微笑みは秋鷹にしたら希少価値が高い。

 この数日、実行委員で話すことは多かったが彼女の笑顔は数度しか見れていない。女子としか仲良くしないのは何か理由があるのだろうか。まあ、彼女の双丘に釘付けにになっている男子を見れば何と無く予想できなくもないが。

 ともあれ、千聖との会話を思い出していれば登校初日の放課後が頭に過る。彼女が未だ告白できていないことに口出しする権利はないし置いとくとして、秋鷹の近くでは、なにやら男子たちが異様な盛り上がりを見せていた。


「それでー? この前の合コンどうだったよ?」

「おーっとぉー! よくぞ訊いてくれました!」

「その反応はまさか……」

「無事、女子全員のハートが神宮寺に射止められたことで終了しました!」

「やっぱり!」


 聞き耳を立てていたサッカー部の男子とバスケ部の男子が、帝に視線を向けて頷いていた。野球部の男子が涙を拭っているところを見るに、おそらく彼らが合コンで惨敗を喫した英雄たちなのだろう。


「でも結局、神宮寺は誰とも付き合わなかったんだろ? いつもみたいに」

「そんなことないよ。一人だけ、気になった子はいた」

「まじで!?」 


 照れたように笑う帝に、驚いた表情を見せるクラスメイトの男子たち。そして、一番動揺していたのは田中だった。


「おい神宮寺……お前もオレを置いていくのか……?」

「まだ付き合えると決まったわけではないんだ。置いていくも何もないよ」

「畜生……嫌味にしかきこえねぇ。オレだって彼女の一人や二人、欲しいってのに」

「今からでも遅くないさ。でも、彼女は一人にしときな」

「お前に言われなくても解ってるやい!」


 その後も、クラスメイトたちは帝を中心として燥ぎ合っていた。秋鷹も何度か会話に加わったが、それだけだった。

 県内屈指の進学校なはずなのに頭の悪い会話が飛び交っていたからとか、男子だから恋バナをすることが気に食わなかったからとか、暑くて頭が回らなかったからとか――そういうことじゃない。ただなんとなく、その平凡がつまらなく思えた。

 秋鷹は意味もなく立ち上がると、億劫めいた面持ちで体操服のポケットに手を入れた。


「でー? 宮本はどうなんだよ? 最近千聖ちゃんと一緒に帰ってるんだろ?」

「どうもしねーよ。委員会のついでだ」

「またまた~、そんなこと言っちゃって」


 一人の友人が、腹立つ喋り方で声を掛けてくる。そしてもう一人、またもう一人と、面白そうな話題に流れていく気配がした。秋鷹は「うるせー、俺はトイレに行ってくる」と言って、それ以上の詮索を阻止し、歩き出した。しかし、


「くだらない」

「あ?」


 秋鷹の足を止めさせたのは、独りの少女だった。クラスメイトと幾らか離れた位置で腰を落ち着け、一人文庫本片手に流麗な黒髪を靡かせている。

 ちらりともせず声を出したようで、綺麗な姿勢は欠点を探そうとも見当たらない。振り絞って記憶から引っ張り出せば、影井涼といつも一緒にいた気がしたが名前までは思い出せなかった。

 もっとも、彼女に返答しても無意味だろう。その瞳は本の一ページに吸い込まれていて、秋鷹の存在なぞ眼中にないとでも言っているようだった。

 ならばむやみやたらに絡むまでもない。動きを止めていた秋鷹の足は再び地面を叩く。


 トイレに行くと言っても尿意は感じない。あの場から席を立つための託けで、ただのさぼりになってしまう訳だが、いち早く教室に戻ってみるのも面白そうだ。

 しかし、秋鷹の頭には、先程の少女の言葉がひどく鮮明に刻まれていた。くだらない。そういう意見に少しだけ同調してしまったことを。

 秋鷹は下駄箱に靴を入れながら首を振った。あまり考え込むことではない。

 すると――。


「みやもと、くん……?」


 和やかな声質だった。

 誰もいないはずの廊下から聞こえ、しんとした空間は秋鷹の鼓膜を敏感にさせる。校庭で掛け声を上げるクラスメイト、自分の僅かに乱れる呼吸、そして真横にいる誰かの喉を鳴らす音。混ざり合って、ざわざわと騒がしいノイズが気まぐれを選べば、一瞬の狭間に静寂が訪れる。


「……影井」


 それを破ったのは、視線だけを向けた秋鷹からのくぐもった声だった。

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