第7話 動き出す恋慕

「全然わからん」


 本屋のちょっとした一角。料理本コーナーを正面に置き、目線の先にあるレシピ本をめくる手が止まらない秋鷹あきたかは、全知識を集大成しても理解ならない料理の作り方に悪戦苦闘していた。


「あんた、料理なんかするの?」


 背後から声を掛けたのは千聖ちさとだ。彼女の登場に気がついた秋鷹は、高速で動いていた指先をピタリと止めて、


「するよ。一人暮らしだし、毎日コンビニの弁当じゃ飽きるからな」


「高校生で一人暮らしなんて珍しいわね。ちょっと羨ましいかも」


「ああ、でも大変だよ。俺なんか一向に料理が上達しなくてこの状態」


 と、秋鷹は手元にある本を控えめに掲げる。大々的に卵焼きの作り方が記されているが、彼の知識に吸収されることはなかったらしい。


「へ~、スマホでは調べないのね」


「あ……確かにそっちの方が早いな。すっかり忘れてた」


「まぁ折角きたんだし、買っちゃえば? あんたには痛い出費なのかも知れないけど」


「そうするよ。これで料理ができるようになればいいんだがな」


 何がどうして独学で料理していた秋鷹だ。後回しにしていた事柄を、今更になって矯正する。そのための料理本であった。


「料理くらいなら、努力すればそこそこ上手にはなれるわよ」


「努力?」


「そう努力」


 頷く千聖。彼女は人差し指を突き立たせ、言葉を継ぐように、


「才能とかは別として、頑張った分だけ成果が出るの。当たり前、て思うでしょ? その当たり前は、そこそこまでなら継続する」


「俺がプロ並みの料理作るって未来はないのかよ?」


「アンタは天才なの? 違うでしょ。そこそこどまりの男なのよ。しっかり勉強して、料理できるようになりなさい」


「そこまで言われると泣くよ?」


 事実、料理に関して秋鷹は絶望的に才能がない。彼がどれだけの労力を使えばプロ顔負けの料理を作れるか、それは今後どう努力して身を粉にするかが重要となるのだろう。


 それを知ってか否か、凡人だと切り捨てるように毒を吐いた千聖は、ツインテールの一束を自身の指でかす。

 手入れされた毛先はサラサラと揺れ、絹糸と比較してもその光沢は負けず劣らずに輝きを放っていた。努力、それがあってこその眩い髪質なのだ。


「て、こんな話してる場合じゃなかった。あんたへ伝えにきたのよ」


「……なにを?」


「あたしは本買い終わったから、先に帰るわね。あんたはゆっくりしてていいよ」


「あー、そっか……」


 千聖の手に携えられているのは本が大量に入った袋。これを帰ったら早速読むのだろう。うずうずしているさまが無邪気なこどものようだった。


 壁に掛けられた時計を見れば十八時を優に回っている。季節は秋に近づく一方で日が落ちるのは未だに遅い。しかし帰る頃には宵の空が辺りを覆うわけで、秋鷹の思考は妙な気遣いを発揮した。


「家まで送るよ。ひとりじゃ危ないだろ?」


「なにそれ、彼女は送らなかったのにあたしにはそういう態度とるの?」


「えーっと……暗いし危険かなって。あと彼女ではないよ」


「関係ないわよ。はぁ……子供じゃないんだし、送ってもらわなくても一人で帰れる」


 とはいっても、そう易々とは引き下がれない。

 学校から本屋に来るまでの道途で浴びせられた幾数の視線。千聖の容姿によって醜悪な連中の視線をかき集めたと考えられる。


 万が一襲われでもしたら咎められるのは秋鷹だ。自責で精神を焦がしてしまう前に、懸念材料はここで取り除いておきたかった。


「お前よくナンパされるだろ? 俺を男避けに使ってくれて構わない」


「あんたみたいな男が寄ってきてるんですけど」


「お願いします、日暮ひぐらしさん……!」


「なんであんたが頭下げてんのよ。……もう、しょうがないなぁ……怪しそうには見えないし、送ってもらおうかな」


「ありがとうございますっ!」


「だからなんであんたが頭下げてんのよ。恥ずかしいからやめて?」


 静謐な本屋だ。周りの阿保を見るような視線がやけに痛々しかった。



 ――秋鷹はその後、料理本と『クッキングママ』を購入し、本屋を立ち去るのだった。



※ ※ ※ ※



「ごめんね……あはは……」


 秋鷹の腫れた頬を見て謝る千聖。


 案の定、街中で秋鷹のことを気にせず突撃してくる者は多かった。何人かの女性がツーショットを要求してきたのは謎であるが、戦闘が勃発するのは避けられなかったのだ。


 何故自分が――そう不服気味に唇を尖らせているのが秋鷹の今の状態である。自分がいれば突撃してこないと思っていた為に、咄嗟の判断で身を挺して千聖を守ってしまった。


 男としては紳士的で称賛される行為だけれど、いかんせん沸々と湧く怒りに秋鷹は目を伏せる。


「――――」


 宵闇の中トボトボと歩く歩道。道路には車が走行し、前照灯の光が秋鷹の腫れあがった頬を横薙ぎに撫でた。


 会話するにも話題が見つからず、気まずい沈黙に居心地の悪さが溜まっていく。送っていくと言ったはいいが、こうも居たたまれない気持ちになるものか。


 秋鷹は思案顔で話題を探し、ある疑問に思い至った。前々から気になっていたことだ。深い意味はなく、この雰囲気を入れ替える口実。


 隣を歩く千聖に「日暮はさ」と口ずさんでから、


「どうして影井が好きなんだ?」


「……えっ!? なに急に?」


 車の数を数えるように道路を見据えていた千聖は、不意打ちとばかりに顔を真っ赤にさせる。


「いやさ、ライバルが多いのによくやるなー、と思って」


「それは……涼があたしを変えてくれたから……ってなんであんたに言わなきゃなんないのよ!?」


「え、ダメなの?」


「ダメよっ! 天地がひっくり返ってもダメっ!」


「壮大だな」


 過剰に反応して見せる千聖。本当に好きなんだな、と秋鷹は思う。性格はキツイが彼女の容姿なら彼氏は選り取り見取りなわけで、涼にこだわる必要はない。

 もっと格好良くて気配り上手な男もいるだろうし、涼を選んだことで彼女は自分の恋路を停滞させてしまっている。


 そこまでの男なのだろうか。影井涼という男は、千聖にこんな表情までさせてしまう魅力ある人物なのだろうか。


 関わりを持ったことがない秋鷹にはわからなかった。ただ言えるとすれば、千聖が涼を想い続ける限り、報われないまま恋は終わる。

 そんな確固たる確信が、今まで傍観してきた秋鷹にはあった。いや同じような経験を、つい先ほどしてきたからだろうか。


「ときに日暮、恋愛って何だと思う?」


「哲学思想でもあんの? ばっかばかしい、いち高校生に語れるわけないでしょ。あんたも答えなんか知らないくせに」


「ははっ、ちげーよ。難しく考えんな。簡単に、一言でもいいんだ」


「一言って……それこそ簡単に言ってくれるわね」


「ただ聞きたいだけだよ」


「……あんたが先に言いなさいよ。不公平よ、こんなの」


 顔を秋鷹とは反対に向ける千聖。自分の恋愛観を語るのに躊躇いがあるのか、微かにも耳の先が赤い。

 秋鷹は「それもそうか」と唸ると、言い出した本人にも関わらず悩むように、


「そうだな……お前の恋は、恋愛じゃない」


「はぁ……?」


「やっぱり恋愛するって、想い続けてるだけじゃいけないんだ」


「あたしが行動してないって言いたいの?」


「ああ」


「――――!」


 千聖は目を見開かせる。

 積極的にアプローチしてきたつもりだった。周りに知らしめるほど、そして自分が涼に好意を寄せているのが周知の事実になるほど。


 涼には届かなかったが、自分はよくやっていたではないか。何故それを否定されねばならない。千聖は愕然と、いつの間にか止まってしまった足を意識の外においやり、秋鷹を見る。


「お前からしたら上手くやれてるって思えるんだろうな。だが、俺からしたら一ミリも進歩してない。行動したからなんだよ」


「ぇ……」


「一年の頃からちょくちょくお前たちを見かけることはあった。そんで二年になって、クラスが同じになったらどうだ? 何も変わってない。しまいには人数増えてるし」


「ぅ……」


 言い返せない。


 アプローチし始めたきっかけは涼がとられてしまうのではと焦りを感じた時。高校に入学して彼に惚れる女性が増え、存在感を見せつけることで撃退していった。

 しかしそれでも寄ってくる者はいて、現在に至るまで均衡した状態を保っている。行動しても変わっていない。何も、変わっていない。


 千聖の想いは報われず、全てが――。


「無駄だった、なんて思うなよ?」


「……へ?」


 車が横切り、秋鷹に逆光を当てる。すっかり日が落ちたこの場所は、街灯の明かりだけが朧気に周囲を照らしていた。


「積み重ねてきたもんがあるだろ。最後を踏み出せなくてどうするよ」


「…………」


「ぶつけろよお前の想い。掻っ攫っちまえよ全部。それだけの、行動力があるんだろ? お前には」


「あ……る……」


 言われなくても、あるに決まっている。 


 努力してきたのだ。可愛いと思われるように、好きだと言ってもらえるように、周りに負けないように、頑張ってきた。

 ただ一人の為に生き方を変えて、普通なら笑われる所を千聖は乗り越えてきたのだ。こんな一生懸命な自分を見て欲しい。その意地っ張りな野望が昔も、今も、未来永劫燃え続ける。


 ――永遠に消えない。


「あーっと……とにかく、図々しく言っちまったが、お前は今までの想いを込めて告白しろ」


「告白……?」


「してないから変わらないんだろーが。それともあれか? 恥ずかちくてできないんでちゅぅ、わたちは告白されるの待ってるんでちゅぅ。て、泣き言でも連ねるのか?」


「つ、連ねないわよ……」


 秋鷹のくねくねした言動に若干引いた。


 けれどそうか、と千聖は納得する。あと一歩で終わるのだ。努力した結果が伴わなくとも、踏み出せば解放されるのだ。

 思い描いた未来になれば好ましい。ならなくても後悔はしない。やれるだけのことはやってきた。なんだ、恋愛とは存外に簡単なものではないか。


 想いを告げるだけで、幕は切れるのだ。と思えば、背負っていた重荷が取れたように、千聖の心情は何もかも吹っ切れていく。

 そうして最後に残るのは怖さ。告白が失敗した時のショックは計り知れないだろう。それでも、その怖さを乗り越えていくのが千聖だ。勇気を内に秘めて、覚悟を決めた――。


「負けない。これがあたしの恋愛」


 直ぐにとはいかないが、自分が一番に告白する。それが負けないための、千聖なりの考えだった。


「答えになってるのか?」


「なってないのかもね。だけど……正解なんてものもない。あんたの思う恋愛だって、きっと違うわよ」


「まぁ……どうするかはお前、日暮ひぐらし次第だ。俺が言えた義理じゃないよ」


「ここまで拗らせといて?」


「ああ、少しでしゃばりすぎた。なんかごめん」


「堂々とすればいいのに」


 やっちまった感をだす秋鷹に、千聖は肩を震わせながらくすくすと笑う。人の恋路を邪魔しておいて慌てるなよ、と彼の可笑しな姿を見れば苦悩していた自分が滑稽に思えた。


 秋鷹もそんな千聖の笑顔をみて顔を綻ばせる。学校ではあまり話さない二人だが、実行委員を通じて話す機会が増えた。三週間という短い時間、その機会はこれからも増えていくのだろう。


「それじゃあ、あたしの家そこだから。もう送ってもらわなくても大丈夫だよ」


「そうか、気をつけろよ」


 指差された方角には住宅街があった。流石に住所を特定してしまうのは気が引けたので、秋鷹はこくりと頷いて暗い路地裏から顔をそらす。


「うん、また明日……宮本くん」


「……また」


 初めて名前を呼ばれたような気がした。


 そんな思考も夜の帳へと飲み込まれていく。千聖が住宅街へ入っていくのを見届けて、秋鷹の唇は暗闇の中で僅かに動いた。


「恋愛アドバイザーになった気分だ……」


 否めない。



※ ※ ※ ※



「お前やっぱすげぇわ。女子全員の告白断るとか人間じゃねぇわ」


「曖昧な返事をして傷つける方が人間じゃないよ」


「やっぱイケメンだわぁ……神宮寺」


 みかどの発言にうっとりするのは田中だ。秋鷹達が本屋にいる頃、彼らはカラオケ店から出てくる最中であった。


 合コンは男女四人ずつで行い、女子のハートが帝に射止められたことで中断。田中以外は泣きながら帰宅し、その後振られた女子四人は何故だかランランとして帰っていった。


「まじ不思議よぉ、振られたのにあの表情って」

「あそこまで機嫌を取れたのは俺も初めてだよ」

「あーもできてしまうなら、俺に彼女が出来るまで付き合ってもらおうかな?」

「遠慮するよ、自分で頑張んな」

「即答ですかおいっ!」

「仕方ないだろう。いつまでも君につきあってたらっ――」


「す、すみませんっ!」


 突如、帝の腕に少女がぶつかってきた。彼女は頭を下げるとカラオケ店へ入っていき、受付で手続きを済ませる。謝り文句がこれだけとは少々礼儀にかけるが、


「ダムでお願いしますっ」


 と言ってからカラオケ店の奥の方へ消えてしまった。田中は「なんだあいつ」と憤りを体全体で表し、地団駄を踏む。

 幾らか可愛いだけで何をしても許されてしまうのか。印象的だった泣きぼくろを脳裏に刻み込み、復讐してやろうと思いつつ横をみると、


「神宮寺……? お前の顔……」


 呆然とカラオケ店の前で口を開けている帝。ぽかんとぶつけられた腕を押さえている。放心状態と言ったほうがいいだろうか。

 柔和で、いつもの自信あふれた表情ではない。間抜けで、阿保らしく、完璧人間の帝には似つかわしくない顔。言葉で表現するならそれは――。


「青春してんぞ……!?」


 田中の叫びが、何んとなしに教えてくれた。

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