第6話 久しぶりとは言えない再会

 花生はないけ高校の体育祭は九月下旬。今から三週間ほど経ったら直ぐだ。秋鷹あきたかたち実行委員はその間、先刻のように会議を重ねて万全な状態で体育祭に赴く。


 当日も準備や片付け諸々もろもろ、仕事は沢山あるがこの三週間が山場だ。今日の所は早めに終わったようで、昇降口から漏れ出る緋色の光が秋鷹の半身を染める。


 下駄箱の中には外履きと一緒に桜色の便箋びんせんが入っており、秋鷹は手に取るとひら、


『好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです――』


 かない。鞄を開け『帰ったら捨てるリスト』の中にぶち込んで、隣でトントンッと靴を履き替えている千聖ちさとに目を向ける。


「何か急ぎの用でも?」


「急ぐって程じゃないけど、本屋に寄ろうかなって思って」


「それまたどうして?」


「欲しいものがあるからに決まってるでしょ」


 投げやりに対応された。


 秋鷹はそういえば、と思い出す。一年かけても上達しない料理。あれはしっかりとしたレシピを見ていないからだ。

 本屋に行けばずらりと料理本が並んでいるはず。ともすれば折角の機会なのでお供させてもらおうか。


「俺もついて行っていいか? 欲しい本があるんだ」


「えぇ……」


 断る理由がないな、と千聖は思う。

 秋鷹は別に悪人でもないし、近寄りがたいという風に嫌ってもいなかった。周りの人間にカップルだと勘違いされるのは困るには困るが、千聖にとって誤解を解くのは苦も無く容易だ。


 一人で気楽さを満喫したかったのを呑み込み、千聖は気が進まないような表情で、


「じゃあ……早くして?」


「サンキュっ」


 秋鷹も革靴を履き、先に歩いて行った千聖の後を追う。


 昇降口を出れば人の姿は確認できなかった。夏休み明け――登校初日に部活がないのは当然か。しかし委員会の会議があるとは少しばかり鬼である。加えて体育祭の二週間後には文化祭、その一か月後には修学旅行と、休む暇なくそれまた鬼だ。


 そう学校の不満を連ねようとした直後、正面を先行していた千聖が何やら、


「……校門に誰かいる」


「あれは……ごめん日暮ひぐらし、少し待っていてくれ」


「えっ?」


 真正直に待つ必要はないものの、千聖は困惑して勢いに流されるまま立ち尽くした。

 秋鷹の足取りはそんな千聖を置いていくよう駆け足に、そして見覚えのあった少女の元に直行する。


 校門の端にもたれかかって俯く少女。彼女は秋鷹と違う制服を身に纏っており、なにやら場違い感が拭えない。

 ピンでとめられた前髪はオープンで額が露出し、勝手な偏見で明るい性格なのだろうと窺えるが、目元にある泣きぼくろがチャームポイントなのか幾分か大人びて見えた。


 地面の小石を蹴りつけていた少女は、はっと息を呑むと、


「秋鷹……」


「何でお前がいるんだよ」


「きちゃった」


「あのなぁ……彼女でもないのにそのノリやめろ」


 秋鷹を見ると少女は嬉しそうに笑った。その顔は「待ちわびたよ」とでも言いたげで、秋鷹の複雑な心情を乱暴に掻き毟る。


「だって連絡くれないんだもん。学校もやってなかったし、登校日だったら会えるかもって」


「会いたくないから連絡しなかった。それくらい解れよ、姫乃」


「姫乃じゃない、名前で呼んで。秋鷹には、名前で呼んで欲しいの」


「ひめ――」


「名前っ!」


 姫乃と呼ばれた少女は秋鷹の服の裾を掴み、頑固にも自身の欲望を爆発させる。縋るような瞳。頑なな彼女に屈した秋鷹は、自由の利かない腕とは反対の手を自分の額に置いて、


芽郁めい……もうやめてくれ。お前がいると忘れられない、忘れられないんだよ……」


「ねぇ、やだよ……秋鷹の特別でいたいよ……」


「ごめん、帰ってくれないか。迷惑だ」


「いやだ……忘れられないのは私だって同じ。責任、取ってくれるんじゃなかったの……?」


「――――!」


 責任。その言葉を言った覚えが中学時代にあった。それは秋鷹の誠意を込めた一度限りの重々しい言葉で、既に奥底に沈め蘇ることのなくなった覚悟でもある。


『私……妊娠したの……』


 衝撃だった。見境なく不真面目な恋愛に溺れていたあの頃の結末が、憐れにも『妊娠』という一言。反省などというあがないで終息できるはずもなく、秋鷹の人生が変化したのはこの時だ。


 それまで耽溺たんできになっていた女性関係を断ち、後悔を背負いながら生きると決めた。欠片でも彼女たちの痛みを分かち合えるのなら、それで許されるとうぬぼれていたのだ。


「嘘、ついたのはごめんなさい……でも、間違いだなんて思ってないっ! 秋鷹が……私を見てくれるようになったんだもん……」


 人生が壊れた訳ではなかった。元もと壊れていたのだから、今の状態はかえって救われた形にも見える。

 目の前で秋鷹の腕を丹念に抱きしめる少女――芽郁。彼女の行動で変わった、彼女の言動で今の自分がいる。薄汚れた日常ではない、平凡な風景に溶け込む自分。


「秋鷹は、私じゃ嫌……? 私じゃ、特別になれない……?」


「――――」


「嬉しかったんだよ、少しでも秋鷹といれて、秋鷹と笑えて。その一つ一つが、温かかったんだよ」


「――――っ」


「きゃっ……」


 振りほどかれて後退する芽郁は、説得に失敗したかのように唇を震わせる。それは煩わしさを感じさせるような、秋鷹の弱々しい抵抗だった。


「めんどくせぇな……」


「っ、めんどくさくてもいいっ! 離れないからっ!」


「お、おいっ……!」


 再び秋鷹の腕に絡みつく芽郁の両腕。先よりも強情さを孕み、執念深く込められた力は振りほどく気力を削いでいった。

 

 この少女は、そこまでして何故自分を。

 酷い扱いをしてきたのだ。蔑ろにするように、彼女のことなんてこれっぽちも考えてこなかった。

 今さら彼女の手を取るなんて浅ましいことこの上ない。けれど、受け入れなければならないのだろう。抱きすくめられた自分の腕を見れば、それが強く想いの乗せられたものだと痛いほどわかってしまう。

 

 もはや秋鷹に、その腕を振り払うまでの意気はなかった。


「わかったっ! わぁったから、痛いっ! 痛いから離れろ!」


「誓って。私を一生愛するって、誓えっ……!」


「誓えるわけねーだろ!」


「それなら一生しがみつくからっ。……さぁ秋鷹、どっちか選らんっきゃ――」


「調子に乗んな」


 芽郁のひらけた額にデコピンが直撃。秋鷹が繰り出したそれは強烈なようで、芽郁はおでこを両手で抑えながら痛がる。そして重しが取れた腕を回す秋鷹に、彼女は辛くのしかかる感情の波に打たれながら、


「あきたかぁ……」


「文化祭、こいよ」


「……へ?」


 言われた言葉が理解出来なくて、肘が上がったままの芽郁は首を傾げる。


「俺、体育祭実行委員だからさ、放課後は遅くなると思うんだ。だったら体育祭が終わった後の文化祭、その日に来てくれないか?」


「いい、けど……なんで……」


「それまでに気持ちの整理つけとくから。お前と、ちゃんと向き合うよ」


 仕方なくではない、腹を括ったような、そんな瞳だった。


「それって、それって私のこと……」


「考える。お前の気持ちに答えられるかは分からないが、どう拒んでも離してくれないんだろ?」


「う、うんっ。そうだよ……離さないっ……!」


 秋鷹の前向きな回答に芽郁の心に光が差した。活気が溢れ、緩んだ頬はだらしない。しかし目元から零れる水滴は表情に反して、彼女の顔に大雨を降らす。

 

 初めて受け入れられたことで反射的に流してしまったのか。だとしても、この雫一滴に秋鷹は目を背けたくて突き放すように、


「泣くなよ……もういいから、帰れ……」


「……ぁ」


 芽郁の涙はそっと拭われる。心地よさがあり、自分の顔に触れられた手に名残惜しさを感じるも、芽郁は秋鷹を見てその気持ちを胸の奥に仕舞った。

 彼の悲しそうな表情が見ていられなくて、自分の所為だと解ってしまうと一層触れてはならないのだと否定される。


「あっ、これは、泣くつもりじゃなかったの。どうしてだろ……ごめん、ごめんね。私、帰るから……」


「――――」


「ばいばい、秋鷹っ――」


 秋鷹は、駆けて行く芽郁に声を掛けることはしなかった。出来なかった。追い返すように帰らせ、夕焼けた色に侵される彼女の背中を眺める。


 芽郁を見ていると思い出してしまう過去。文化祭までという猶予まで作って、秋鷹はそれを清算しようとしていた。彼女と向き合えるようになるにはそれが必要なことだったし、正しい選択だと思い込んでいたから。

 そしてその過程に彼女は必要ない。文化祭当日まで、秋鷹は自分一人で過去と決別しケリをつけなければならなかった。

 

 すると、突っ立っていたら後背部に軽めの打撃。驚愕して振り向くと、千聖の姿が瞳に映る。

 通学鞄を二つ持っており、一つは自分が無意識に道端へ落としたものだと察せられる。手ぶらの秋鷹は、そう解釈せざるを得なかった。


「最低ね。元カノか何かは知らないけど、女の子泣かして一人で帰らせるなんて」


「うっせーよ。それは俺が一番理解してる」


「いたっ……な、なにすんのよ……!?」


 反射的に千聖を小突いてしまった秋鷹。鞄を拾われ感謝するはずが、段々と自分の犯した罪に気づいていく。


「あ……ごめん、癖でつい……」


「なに……女の子殴ってんのよおぉぉおおっ!!!」


「ひぃぃっ! すみませんでしたぁぁぁあっ!」



 斯くして、地面に頭を擦り付ける秋鷹であった。


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