第5話 勝負は一瞬

日暮ひぐらしって妹でもいるのか?」

「いないわよ。なんで?」

「さっき、お前に似てる一年生と話したんだよ」

「あたしに似てる……? そんな子いたかな……」

「髪型が同じっていうか。気があるやつに対してだと、あたふたして挙動がおかしくなるっていうか――」

「あんた、殺されたいの?」


「静粛に」


 秋鷹あきたか千聖ちさとの会話は、会議室の黒板の前にいる人物によって中断された。


 長机が並べられたこの場所には実行委員たちが集められ、各クラスの男女二名がそれぞれ座っている。ざわついていた彼らは一斉に口を噤むと、前方に視線を降り注がせた。


「2年C組、体育祭実行委員長の宍粟しそう紅葉もみじです。皆さんとは夏休み前に一回話し合いをしましたが、今回はスローガンを決めたいと思っています。各クラスで決めてもらったスローガンはお手元のプリントに記載されていますので、先ずはそれをご覧ください」


 彼女の言葉にペラペラと紙が擦れる音が聞こえ、秋鷹も呼応して覗き込む。


 三十個以上あるだろうか。ふざけたものから安直なもの、スローガンとしては妥当なものが多い。

 秋鷹が気になったのは『フォー・ビューティフル・ヒューマンライフ』で、原石を発見したようなセンスの輝きを身に感じさせた。


「今から十五分間、皆さんで話し合ってください。多数決で決めますので、一つに絞ってくださいね。――では、初めてください」


 他クラスの知らない人物と話しても弾むものも弾まない為、秋鷹は隣にいる千聖を見る。プリントを見据えて一人で考え込む彼女に、ふと気がかりな点を想起して、


「俺達のクラスのスローガンって、日暮が決めたのか?」


「うん。種目決めで時間押しちゃって……適当だけどこれっ」


「……猪突猛進?」


 千聖が指差したプリントの中央。他の四字熟語に擬態していた四字熟語が目に入った。適当すぎるだろ、と秋鷹は内心ないしん唖然になるが、自分の落ち度もあるのでここは黙って引き下がる。


「俺が寝てた所為もあるからな。これで決まりか?」


「なわけないじゃない。あたしはこの、『落花生らっかせいフェスティバル』ってのがいいと思う」


「スローガンなのかよそれ」


 秋鷹が住む町では落花生が有名だ。そして彼が通う学校が『花生はないけ高校』という事から、スローガンの決め方に関しては想像がつく。

 ただ落花生フェスティバルとなると、落花生の祭りになってしまうがいかがなものか。


「文句あるなら、あんたは何にしたの?」


「いや普通に……」


「フォービューティフル、ヒューマンライフ……な、中々ね」


 ――お気に召したようで。


 椅子を引き寄せ近づいてきた千聖は、秋鷹の指が置かれたプリントを見て縮こまる。しかし導き出した結論は変わらないのか指を差し、


「でもあたしはやっぱこれ」


「落花生好きだから?」


「違うわよ。ピンっときたから」


「へぇ、単純で明快だな。なら勝負でもするか?」


「あんたの選んだスローガンと? 面白そうじゃない。いいわよ、受けて立っても」


「……上からだな」


 腕を組んでゆさゆさと胸を揺らす千聖。いつになく高慢な笑みを浮かべる彼女はやる気満々で、秋鷹はかえって気分を下げていきながらも、


「どちらが多く票を入れてもらえるか。もちろん、最終的に選ばれた方は有無を言わずに勝ち。自分のスローガンに手を挙げてもよしとする」


「うん、あたしが絶対勝つ……!」


「お前が選んだスローガンで勝てるとは思えないけど」


「言ってなさい、その端正な顔に吠えずらをかかせてやるわっ」


「あまり強い言葉を遣うなよ。弱く見えるから」


 ――ピピピピッ、ピピピピッ。


 几帳面なのか時間にシビアなのか、ストップウォッチの音が会議室に鳴り響く。室内の隅の方で眠っていた禿おやじの教師が、その音に過敏に反応して目を覚ましたのを気にも留めず、


「――それでは、多数決を取りたいと思います。順番に言っていくので、各自かくじ手を挙げてください」


 実行委員長――紅葉はその後、プリントを手に持って一個一個スローガンを読み上げていった。しかし一向に秋鷹たちが選んだものは読まれず、勝負すら始まらない。


 すると、『フォー・ビューティフル・ヒューマンライフ』という声が上げられた。そこまで沈黙を保っていた実行委員たちはこぞって腕を振り上げ、待っていましたと言わんばかりの威勢だ。秋鷹もすかさず指先を天に掲げる。


 どうやらスローガンはこれで確定らしい。


「決まりですね。それと、『落花生フェスティバル』については厳正な審査による落選という事でお願いします。この様子だと、関係ないとは思いますが」


 紅葉の独断で取り下げられたという解釈でいいのだろうか。秋鷹が恐る恐る横を向けば、千聖が俯いて敗者の顔をしていた。


「悔しい……」


「不戦勝みたいなもんなんだが、本当に悔しそうだな」


「悔しいよ。勝つって言って負けたんだから」


 ――ただの悔しさではない。


 千聖が思う勝負事しょうぶごととはいつでも本気で向き合ってきたもの。そこに優劣はなく、どんな小さな勝負でも手を抜くことはなかった。


 それは千聖の過去が原因であり、劣等感からくる強い意志でもあった。故に負けることは何よりも悔しくて、無力を押し付けられるようで嫌いだ。けれど――。


「今度は、あたしが勝つから……!」

 

 競い合うこと自体が嫌いなわけではない。寧ろ好きだ。


 その湧き上がる情動をもって、千聖は晴れ晴れとした笑みを秋鷹へ向ける。この少女にとっての楽しみとは、こんな些細で小さな出来事だったのだろう。


「お前……思いっきし笑うと、八重歯が見えるんだな」


「あ、見るなっばか……」


 指摘された口元を手の甲で隠す千聖。よっぽど見られたくなかったのか、彼女は不覚にも披露してしまった犬歯に嫌悪する表情を作った。


「馬鹿はないだろ……」


「これコンプレックスなの。忘れてっ」


「ふーん、俺は可愛いと思うよ。ギャップ萌えした」


「口説いてんの? ごめんね、あんたのこと異性として認識すらしてない。だからもう一度言うね、ごめんなさい」


「丁寧に振られたの!?」


 告白ではなく慰めだということは、千聖自身も理解している。


 数多の男性から好意を向けられる千聖なら、隣の席に座る秋鷹が自分に関心がないのだって解らなくもない。

 いやそれが解るのは、千聖の好きな相手がそうだったからだろうか。涼に大切に扱われているのは、単に自分が長い間付き添ってきた幼馴染だからだ。決して好意を抱かれている訳ではない。


『千聖の八重歯、無邪気で可愛いね』


 だが好きなのだ。例え相手から想われていなくても、想い人から言われる言葉は全てがよろこばしい。

 千聖はかつて告げられた言葉を噛み締めながら、温かくなる胸の底に手を添えた。ぎゅうっと苦しくなる胸臆に浸って、浸って、浸り続ける――。


「にやけながら自分の胸触るとか変態か? お前」

「……うるさいわね、人の胸見るあんたの方が変態よ」


「――そこ、私語は謹んでください。大事な話をしている最中なんですよ。聞いてなかったようなので、最初から話しますね」


「え――――!」


 秋鷹たちを注意した紅葉の発言に、誰かの悲痛な叫びが上がった。


 長い話ではなく、その内容が『二人三脚』だったためだ。特に三年生がどんよりとしたオーラを醸し出し、心神喪失して瞳孔がイキ惑っている。

 体育祭実行委員長が二年生なのも、彼らが体育祭で地獄を見た結果だ。過去の二回で何があったかは定かではないが、拷問を待つような面持ちがそれを物語っていた。


「二人三脚は男女が肩を組んで競争する種目です。障害物にはチョコレートに馬の糞に蜂の巣に得体の知れない排泄物にセミの抜け殻に――」


「きえぇぇぇえええっ――!!!」

「きょえぇぇぇええっ――!!!」

「くえぇぇぇえええっ――!!!」


 紡がれる言葉に三年生は奇声を上げて失神、気絶を繰り返して泡を吹きながらバッタバッタと倒れていく。おそらく、秋鷹と同じように彼らも二人三脚を強制されたのだろう。



 ――この日の会議は、三年生の体調不良の連続によって幕を閉じた。







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