第4話 放課後はみんな忙しい

「きりーつぅ、ぅれーい――」


 という掛け声と同時にクラス全員の頭が下がり、帰りの挨拶をしながら皆が足早に駆けて行く。教室を真っ先に抜け出す者や、机の周りを囲って談笑する者。ホームルームが終わって人が入り乱れた光景は騒がしくも鬱陶しい。


「ちっす、ちっす。神宮寺たち今日空いてる? 部活終わりでいいからさー、合コンいかね?」

「俺達はまだ高校生だぞ。お前ひとりで行ってこい」


 秋鷹の近くに寄ってきた帝と敦。それに釣られてやってきたのは丸坊主の野球少年――田中だ。彼は秋鷹にしっしっと追い払われるが怯まず、顔の前で手を合わせて、


「頼む! この通り! オレ一人の力じゃお持ち帰り出来ないんだ! やはりイケメン三銃士の力が必要で……」

「なら自分の力の無さに嘆け。そうだ、お前んとこのマネージャーに彼氏募集中の奴いたよな? あのでぶっちょい奴。そいつと付き合えよ。合コンなんて行く必要なくなるよ」

「や、やめてくれ……」

「デブ三沢デブ子だっけ? 付き合えよ?」

「やめろぉ……! そいつの話はすんじゃねぇ……!」

「お似合いだよ」

「やめろおおぉぉおお!!」


 田中は秋鷹の言葉攻めに打ち震える。いやこの場合、野球部のマネージャーに恐怖を抱いているといった所だろうか。

 青ざめた顔を根気よく両手で板挟みするように叩いた田中は、思考を切り替えて息を荒げると、


「な、なぁ? 神宮寺と和田は行けるよな?」

「俺は遠慮しとくよ。今は恋人を作る気ないんだ。すまないね、田中君」

「おれは彼女いるから絶対無理。どんまい田中」

「そんなぁ……宮本は?」

「無理」

「――くっしょおおおぉぉぉおおお!!!」


 秋鷹の即答ぶりがトドメとなり、田中は腕で顔を覆いながら廊下に走っていった。

 そして田中は行方不明になってしまったらしい。とならないように、秋鷹は救済措置として哀れみを込めた面持ちで、


「帝、俺からも頼む。行ってやってくれないか?」

「秋鷹は来てくれないのかい?」     

「委員会の会議があるんだとさ。申し訳ないけど一人で、あいつのアフターケアをよろしく」

「ははっ、新学期早々ハードな日程だね。まぁ仕方ない、俺は部活が休みだし行くだけ行ってみるよ」

「ありがとう。あいつも一応友達だからな」

「一応って……酷いなお前」


 秋鷹の言葉に半笑いな敦。

 彼女が欲しくてたまらないらしい田中は、ことあるごとに秋鷹達に頼みごとを持ってくる。

 その内容は先程のような女性関係のものが多く、しかし根は悪い奴ではないので友人として認識されていた。


「ところで、帝の持ってるそれって……」

「うん、ラブレターだよ。田中君のところに行く前に、彼女たちに返事をするのが先かな」

「律儀だな、お前も」


 新学期が始まっても変わらず、帝の手元にはラブレターが携えられており、彼の告白の返事という日課が再開しようとしていた。

 それに薄い苦笑をして、秋鷹は自分の机からピンク色の便箋を取り出し同調するように、


「じゃあ、ついでにこれも断っておいてくれ」

「くぅ~、下駄箱ではなく机に入れるとは愛があるねぇ~」

「いいよな敦は。彼女がいるからってアタックしてくる奴がいなくて」

「いっても、ラブレターなんか彼女に見られでもしたら、死んでも死にきれないぜー? おれ」

「ではでは、下駄箱にこっそり入れてやろうか?」

「死ぬわよ!? 殺す気!?」

「冗談冗談。もとより、男の書いたラブレターなんて効力ねーよ」


 恋人解消の危機に陥るのだろう。敦は少しでも不安の種を取り除くために必死だ。

 オネエ口調になってしまった彼はともかく、差し出された便箋に尻込みする帝は、


「でもいいのかい? きちんと自分で返事しなくて」

「いいのいいの。返事するもんじゃねーから、これは」

「……ん? しっかりと返事しなくちゃあ送り主が報われないよ。今回は俺が伝えておくけど、次からは秋鷹。自分で気持ちを伝えるんだ。っと、あ――」


 説教じみた態度で便箋を受け取ろうとする帝だったが、手が滑って落としてしまった。

 バサッと重なり合った五枚ほどの紙が散乱し、折られていたものが床の上で広げられる。


「ひぃっ……!」


 と帝が小さな悲鳴を上げた。

 床に散りばめられた五枚の便箋。そこに書かれていたのは愛のある文字列だった。


『好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです――』


 怖いくらいに延々と綴り続けられている。それも便箋にびっしり。

 しかもその筆跡は綺麗で、寸分の狂いもなく時間を掛けたような丁寧さだ。それだけなら許せたものを、この文字の羅列は血のように真っ赤だった。


「す、すまない。やっぱり俺には受け取れないっ――」

「あっ、ちょっ、待てって」

「ごめん秋鷹っ! おれに関わらないでくれっ――」

「いや、え? おい二人ともっ!」


 一目散に教室を出て行く彼らに、秋鷹は置いてけぼり。床に散らばった便箋をまとめて、首を傾げながら廊下を見据える。

 そうしてまとめ終わった便箋を机に置き、赤く色づいた文字を見てぽつり、


「家に帰ったら、いや、あとで捨てよう……」


 呪われないための配慮だ。



「日暮、委員会一緒に行かないか?」


 そんな中で、秋鷹は千聖に声をかけていた。放課後は体育祭実行委員の会議があるため、どうせなら、と彼女の席まで向かったのだが――。


「日暮……?」


 千聖は窓際の一番後ろの席を見つめて、恨めしそうに唇を噛んでいた。釣られて見れば、そこには美少女二人に囲まれた影井涼がいた。


「影井君、放課後は私と一緒に帰る予定だったはずよ。なぜこの女がいるのかしら」

「今日は部活がないから、わたしも一緒しようと思ったんだけど……ありゃ、だめだった?」

「あなたに訊いてないわ。私は、影井君に訊いているの」

「あっ、そうだったんだ。ごめんねっ。じゃあ、りょうちゃん、わたしも一緒に帰っていいかな?」

「え、もちろんいいけど、なにかダメなことでもあるの?」と涼は首を傾げ、少女たち二人を交互に見た。

「ダメに決まってるでしょう」

「なんで?」

「なんでってそれは……」


 なぜ私の気持ちをわかってくれないの、というような顔で黒髪の少女が黙り込む。そこに空気を読まない声が飛んでくる。


「あーっ! わかった! この前の、わたしが間違えて下ネタ言っちゃったこと。それで怒ってるんでしょ? そうだよね、二人とも、下ネタとかそういうの、嫌いだもんね」


 しゅんと落ち込む橙髪の少女。彼女に対し涼は、


「下ネタ……?」


 とまたも首を傾げたのだった。


「下ネタって言うのはね、わたしがりょうちゃんのことを、ふざけてりょうちんって言っちゃたときのあれだよ!」

「それのどこが下ネタなんだ……」

「ほら、ちんちんって言ってるでしょ?」

「うぁあ!? 女の子がそんな言葉使っちゃだめだろう!?」

「ふぇっ……?」

「朝霧さん……あなたは卑猥よ」


 そう言って、黒髪の少女は肩をすくめていた。

 一方、その一連のやり取りを見ていた千聖はというと、


「なんなのよあいつらっ」


 激しく憤り、すたすたと教室を出て行ってしまった。取り残されてしまった秋鷹は、盛大な溜息を吐く。


「いや、本当になんなんだよ……」


 意味がわからなかった。



        ※ ※ ※ ※


 

 秋鷹は教室を出る前に、携えていた便箋を何食わぬ顔でゴミ箱に捨てた。一見非難されるような行動にも感じられるが、ラブレターといっても、この便箋には人を呼び出すための場所や時刻の指定がなかった。ただ訳もなく、誰かもわからない相手から好意を与えられているだけ。

 普通、手掛かりくらいは記してあるものだ。――そう、帝がもらったあのラブレターみたいに。

 神宮寺帝。彼はよくモテる。クラスの中心人物であり、成績優秀、運動神経抜群、さらには次期生徒会長候補ということでこの学校ではそれなりに有名だった。そんな友人を持って誇らしく思う反面、秋鷹は過去の自分がどれだけ愚劣だったのかを思い知っている。

 けれど、それでいいのだ。自分の愚かしさを知り、再確認することで、現在の自分自身に対し称賛の拍手を与えることができるのだから。


「――あ、ご、ごめん……」


 そのとき、近くから口籠ったような声がした。


「ああ、こっちこそごめん」


 秋鷹は自分が教室の扉の前で固まっていたことに気づき、一歩横にずれる。すると、近くでオドオドしていた少年が軽く頭を下げ、逃げるように教室を去って行く。その後を、二人の少女が追いかけて行った。

 ――そういえば、彼、影井涼も帝ほどではないが異性に好かれるのだった。先程の光景がそれを物語っている。ただ、彼の場合、少々特殊な好かれ方をしているようだった。いや、違う。それが本来あるべき形なのだということを、秋鷹は忘れてしまっていたのだ。

 実際、秋鷹はつい彼に対して羨望にも近い眼差しを向けていた。人を外面だけで判断しないようなひたむきで純粋な好意が、ただただ魅力的に思えた。彼女たちが彼に向けているのは、人間の本質を理解した先に見える当たり障りのない好意なのだ。それは長年連れ立って来た恋人や、夫婦として仲睦まじく過ごしてきた者たちがお互いを理解した末に向けるような、とても大きなものに感じられる。

 それ故に、秋鷹は自分の今置かれている状況が酷く馬鹿げているような気がしてならなかった。思わずこう口走ってしまうくらいに。


「死んだほうがましだ」


 そのつぶやきが自分から発せられたものだと理解するのに、秋鷹は数秒の時間を浪費した。

 触れれば消えてしまうほどに繊細で、脆弱な、無意識の中にあるどこか悪罵にも似た独り言。だから廊下を歩く途中、それによって振り向いたりする者は誰一人としていなかった。ひそひそと聞こえる周囲からの声は、おそらく秋鷹の容姿によるものだ。


「ねぇ、あれって宮本先輩じゃない?」


 視線だけをこちらに向けて、誰かが言った。それを皮切りに、耳障りな音が至る所から聞こえてくる。「ほんとだ。かっこいいね」「今、彼女とかいるのかな?」「ねえねえ、話しかけちゃいなよっ」「でも恥ずかしいなぁ……」「話しかけちゃいなって」そういう外側の世界しか見えていないような言葉の数々、幾重にも連なる中身のない耳鳴りが、この退屈で塗り固められた日常をより一層すばらしい日々へと助長させてゆく。

 

 ――吐き気と頭痛が酷かった。たぶん、今夜は眠れそうにない。


 秋鷹が歩いていたのは、どこか懐かしさを感じさせる校舎五階の教室だった。今は秋鷹と入れ替わりで新一年生が使用している教室なのだろう。

 とはいえ、曖昧な記憶の所為で、秋鷹は迷宮に迷い込んだようにきょろきょろと辺りを見回していた。

 体育祭の会議ということで事前に伝えられていた場所に向かっているのだが、前回集まった場所とは違く、会議室の所在がわからなくて困っているのだ。

 そうしていると丁度、近くの教室から一人の少女が出てきた。秋鷹は咄嗟に詰め寄って、


「君! ちょっといいかな?」

「は、はい……?」

「委員会の会議室を探してるんだけど、どこかわかる?」

「あ、体育祭のですよね? それならここを真っすぐですよ。突き当たったところに張り紙が貼ってあります」

「そうなんだ。ありがとう、恩に着るよ」

「……は、はひっ」


 突然と挙動がおかしくなったツインテールの少女を、秋鷹は冷めた目で見た。またか、と心の中でつぶやいて。それから笑顔を崩し、「それじゃあ」と一言告げて立ち去った。

 会議室は校舎五階の一番奥。端っこの一年生の教室と向かい合っている。

 秋鷹はすっと緊張の息を吸って、がやがやと賑わっている会議室に乗り込んだ。


「失礼しまーす……」


 思った通り、そこには委員会で集められている者が溢れていた。

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