第3話 寝坊助な少年

「……ん? あーそうだった」


 寝てしまった。


 昼食後に眠気が襲ってくる現象。秋鷹には理解できない身体的理不尽だったが、今このとき理解する。


 どちらかというと秋鷹は昼食前の午前に眠気と戦うことが多かったのだが、ここに至って初めての体験。午後の授業で猛烈な睡魔と交戦中だ。


「秋鷹~、お? やっと起きたか」


「あ? なんだよニヤニヤして」


 前の席で体を横に向けて話しかけてきたのは敦だ。教師に注意される体勢であるが、その教師はいない。

 代わりに黒板の前でクラス全体に呼びかけをしている人物がいた。黒板につらつらと誰かしらの名前を書いており、何かの作業をしているように見える。


「ほれ黒板みろ。男女二人三脚に秋鷹の名前が書かれてるぜ」


「はぁ? まさか俺が寝てる間に勝手に決めたのか?」


「ああ、誰もやりたがらないから寝てるお前が標的になったんだ」


 現在は授業ではなく体育祭の種目決めを行っていた。秋鷹は自分の失態に頭を抱えながら、二人三脚がどんな競技だったかを思い出す。


 確か障害物をした二人三脚競争で、かなり酷いものだったと記憶している。秋鷹と敦は去年の体育祭は経験済みなため、惨めたらしいこの競技だけは避けたかったのだが、どうやら秋鷹は這いつくばって競争する羽目になるらしい。


「あー、いやだぁ……泥まみれでぐだぐだな雰囲気とか耐えられるかよ……」


「まぁ、あの空気感はないよな。盛り上がらないし、歓声の一つもありゃしない」


「そうだよ、そうなんだよ。できるなら変えて欲しいんだが……」


「それは無理だな」


「は?」


 きっぱり、敦は秋鷹の言葉を否定すると一泊置いて、


「お前体育祭実行委員だろ? 余った種目は強制的に秋鷹が引き受けることになるはずだ」


「え、そんなルールあった? 結局俺がやらなきゃなんねーの?」


「だな。どう足掻いても二人三脚決定だ。それとよかったな、日暮ひぐらしと一緒だぞ?」


「日暮?」


 秋鷹は疑問符を浮かべるが、それは直ぐに払拭される。黒板の前で種目決めをしている人物、加えてもう一人の体育祭実行委員を照らし合わせれば自ずと理解した。


 教卓に手をついて実行委員の役割をこなしているのは日暮ひぐらし千聖ちさとだ。

 おそらく、敦の発言の意味は千聖の美少女さに起因するのだろう。この学校には美少女ランキングなるものが存在するらしく、彼女はそのトップだった。お近づきになれるのなら冷やかしくらいしてしまう。ただ、


「影井の幼馴染だろ? なんも嬉しくねーよ」


「んなこと言わずに、もしかしたら互いに恋愛感情が芽生えるかもしれないじゃん?」


「お前それ、彼女もちの余裕ってやつか? つーか、いつ俺が恋愛したいなんて言ったよ」


「あれれ? したくないの? 年頃の男子なら日暮ひぐらしみたいな美少女見たらハッスルするのに」


「ハッスルには触れないでおくけど、美少女には違いないのかもな」


 秋鷹の瞳は黒板に種目決めの名前を書いている千聖を映した。亜麻色のツインテールが腰の辺りまで伸びている様はどこか芸術的で、黒板を見つめる透き通った瞳、チョークを持つ細やかな指、蠱惑的な雰囲気からちょっとした仕草までもが彼女の儚さを周りに知らしめている。

 脇から見える極大な胸は主張が激しいが、それも男子を虜にする魅力の一つなのだろう。

 後ろ姿だけでも、容姿も合わせて美しいとさえ思えた。


「――なぁ、寝取っちまえよ」


「は、何言って……」


 秋鷹がぼーっと千聖を熟視していると、耳に入ってきたのは驚愕的な言葉。その発言者である敦は秋鷹の机に頬杖をついて、


「付き合ってないんだろうから寝取るのとは違うが、秋鷹ならいけると思うんだ」


「……ほお、根拠は?」


「先ず第一に、影井が鈍感なこと。あいつに好きな奴が現れない限り、あのハーレム状態は一生続く。全員と付き合う事なんて出来ない訳だしな」


「一人に絞らないと終わらないよな」


「ああ、そして第二に、影井より秋鷹の方がイケメンだ。優しくすれば案外、ころっといくかもな?」


「影井みたいに色んな女子に優しくするのか」


「そうそう。さすれば秋鷹にも春がっ――」


「こねーよ。寝取りなんかする訳ないだろ。俺は人の恋路を邪魔すんのが一番嫌いだ」


 敦の頭に秋鷹のチョップが炸裂。今回はかなり強めにかまされたチョップで、敦は頭頂部を抑えながら悶絶した。


 隣の席のメガネ男子がビクッと肩を跳ね上げさせる程の、小さい範囲に影響を及ぼす暴れ方だ。敦はそのまま、大袈裟に演技した疲れを滲ませ、


「いつつ……もっと青春しようぜっ」


「爽やかに言ってるけど顔が凄い不細工だよ」


「うぇ!?」


 更に不細工になった。


 秋鷹はやれやれとばかりに首を振り、斜向かいの空いている席を一瞥する。この席は今も教卓で何かを書き記している千聖のものだ。

 手が届きそうなくらいに近いため、秋鷹が彼女と関わったことは何度かある。その数は席が隣同士である敦には及ばないが、同じ体育祭実行委員でもある秋鷹には幾らかの情――否、罪悪が生まれた。


「ちょっと行ってくる」


「んあ? ……ああ、なるほど」


 腰を上げ、秋鷹の足は黒板までの道のりを踏みしめていく。背後から「いってらっしゃーい」と声が聞こえるのを無視して、すたすたと歩いて黒板のチョークに手をつけた。


「……何を書けばいい?」


「え、どうしたの?」


 教卓の上で筆を走らせていた千聖は、いきなり参上した秋鷹をとぼけたような表情で出迎える。


 秋鷹は振り向かずに黒板の隅を見据えて、

 

「一人じゃ大変だろ。ごめんな、寝てて」


「ううん。いいの、起こしちゃ悪いって判断したのはあたしだから」


「そうか。なら今度からは叩き起こしてくれ」


「ふふっ……そうするね」


 クラス全員に種目決めを促し、それを黒板や紙に書くのは苦労しただろう。クラスの誰かが手伝わなかったのかが疑問に残るけれど、秋鷹は今からでも遅くないと意気込む。


「で、何をすればいいのか分からないんだけど?」


「あ、もういいよ。全部写し終えたから。わざわざありがとう、あんたの気持ちだけ受け取っとくわ」


「はえ?」


 お役御免、格好つけた気になっていた秋鷹は間抜けな声を出す。と、背後から何人かのくすくすとした笑い声が聞こえた。


 授業終了のチャイムと共に持っていたチョークが地面に落ち、目が点になってしまった秋鷹の視界に映り込むのは『二人三脚』という文字。

 黒板に書かれたその文字の横に、秋鷹の名前と千聖の名前が隣り合っていた。



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