第1話 一日の始まりは至極単純
一人暮らしをしてから一年と四ヶ月。この暮らしは未だ慣れない。
秋鷹は中学まで住んでいた家、その自分の部屋と大差ないアパートの一室で耽っていた。朝食の失敗した卵焼きを口に入れ、焦げた味に舌は絶叫気味だ。
高校入学時点で引っ越して来たはいいものの、一人で身の回りを世話するのは冗談なくキツイ。自分の世話をするのがこんなにも大変だったとは、あの頃は考えもしていなかっただろう。
秋鷹には弟がいる。歳はふたつ下で、今は受験期真っ盛り。兄弟仲は不仲なもんで、居心地が悪かったのもありこれを機に、両親に頼み込んで一人暮らしをさせてもらった。
それがこのボロアパートなわけだ。文句はない。自分から頼み出たことだ、寧ろ気儘に伸び伸びとできて楽である。秋鷹は食べ終わった後の食器を流しに持っていき、溢れた食器類に苦い顔をしながら洗面台へ。歯磨きをして寝癖を整え、制服のボタンを何個か外したら、
「よし、今日もイケメンだな、俺」
ブレザーの下から飛び出ているパーカーのフードを参照。紺色の制服に相まって、秋鷹の顔立ちは抜群にキメッキメッだ。
精悍でまさしくクール。中性的なところが少しだけ男らしさというものを削いでいるが、黙っていればミステリアスな部分が前面に醸し出される容姿である。それに感心しつつ、耳たぶに手を添えて、
「ピアス……今日はいいか」
耳に掛かる程度の黒髪を微かに揺らし、最後の身支度に精を入れるために洗面所を後にする。
まだ一年しか経っていないのに、通学鞄はよれよれだった。何をしたらそんなになるのか自分でもわからなかったが、それを肩にかけて秋鷹は家を出る。学校からはいくぶん離れているので、遅刻したくないがために思い切り駆けた。アパートの一階に留められているバイクに少しだけ名残惜しさを感じていた。
すると、通学路を走っていたとき、思わぬ呼びかけがあった。
「お、秋鷹じゃん!」
「……ん? 敦か」
足を止め、見えた先にいたのは友人の和田敦だ。赤茶色の髪は整髪料で遊ばせており、秋鷹のように着崩した制服加減から不良っぽさが滲み出ている。
そして隣には小柄な少女がいた。眼鏡をかけ、彼とは性質が異なった文学少女にも見えるが。
「あ~安心した~。登校初日に人がいない妙な不安感っ。恐ろしいぜ……」
「て言いながらも、気弱そうな女の子ひっかけてんじゃないか」
「ひっかけてねーよ!? か・の・じょ・だ! 言ったろ? 夏休み前に告ってオーケー貰ったて」
「ああ、言ってた気がしないでもない」
「ちゃんと話聞けよ……」
確かに、喜んでいた姿が目に浮かんでくる。夏休み中に別れていなかったのかと心無い考えに首を傾げ、秋鷹は敦の真横できょどっている少女を改めて見た。
新学期早々いちゃつくとは、文学少女にあるまじき行動だ。それが秋鷹が思った彼女への偏見だった。
「ま、いんじゃねーの? これで少しでもお前が更生してくれたら、周りに変な目で見られなくなるわけだし」
「秋鷹もその要因だってことを忘れるな。俺が更生したからとて、だ」
「――変な目でなんか見てませんよ! みんなはただ見とれているだけです! だから私が敦君と付き合ってしまうのは、本当は……本当はいけないことなんです……」
唐突に、お下げの髪を揺らしてしゃしゃり出てきた文学少女。秋鷹は驚きに目を見開き、敦は毎度のことのように宥める態度で、
「落ち着け落ち着けー。
「敦君……」
「文香……」
「ぶん殴っていい?」
二人の世界に入ってしまった彼らを見て、秋鷹は握りこぶしを掲げてプルプルと震える。文学少女の名前が文香――そのまんまだな――だと発覚したことはさておき、割って入るように、
「お二人さん? 時間やばいのわかってます? 遅刻しちゃうよ?」
「あ! まぁ、早歩きで行けばどうにか間に合うっしょ!」
「うん! 競歩なら任せてください! これでも私、運動得意なんです!」
「走るって選択肢ないの?」
仲良く足を一歩踏み出したポーズで腕をぶんぶん振る二人。廊下は走らない、みたいなノリで走らないことに固着している。秋鷹は再度むかっ腹に拍車をかけ、ぷるぷる具合が尋常ではない。
「まだ十分くらいあるから大丈夫! おれを信じろ!」
「ったく、遅刻したらお前の所為だからな……」
呆れ具合にも拍車をかけ、秋鷹は手を繋いではしゃいでいる二人についていく。公共の場で恥ずかしい限りだが、文香の方が思い出したかのように、
「宮本君。あ、名前は敦君から聞いたんですけど……これからも何度か会うと思うので、私のことは篠草と呼んでください! ――あと下の名前は敦君限定なので、ごめんなさいっ!!」
「別に構いはしないけど、俺が振られたみたいになるから頭下げんのやめてくれる?」
「ご、ごめんなさい……」
「こらこら、あんまし怖がらせんな。モーニングはシャキシャキと、スマイルが重要なんだぜ?」
「意味わかんねーよ」
遅刻ギリギリか、あるいは学校なんてのは元からないのか。人っ子一人いない通学路を三人で歩き、だらだらと駄弁って時間を浪費する。十分なんて少しの間だけれど、足を早やまらせることなく悠々と歩いた。死にかけの蝉が不協和音を奏でる中、それは暑苦しいほどに青春的なものだった。
「失敗したな……」
秋鷹は汗をしみ込ませたパーカーをはたはたと扇ぎ、青空を見上げて自分の失敗に嘆いた。朝食の、黒焦げた卵焼きを思い出しながら。
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