第80話 じゃがバタ

 午前中はバスツアーのようなことをして、色々な観光地を巡った。クラスごとに集合写真を撮ったり、バスガイドさんに観光地を案内してもらったり。表面上は皆楽しそうにしていたが、心の中では「早くスキーをしたい」と思っていたことだろう。

 現在は休憩も兼ねて、お土産を買う時間となっている。秋鷹は四日目の自由行動のときにお土産を買おうと考えているため、バスの中で独り、英気を養っていた。つまりは寝ていた。


「お~い、あーくーん……」


「……ん?」


 アイマスクを外すと、隣の座席に千聖が座っているのが見えた。彼女は秋鷹に体を寄せて、自分の膝に手を置いている。


「あれ、皆はまだ戻ってきてないの……?」


 バスの中は電気が点いていないようで、若干だが薄暗かった。


「うん。戻ってきたのはあたしだけだよ」


「それまたどうして?」


「なんか、じゃがバターがあるって言って皆そっちに行っちゃった。あたしはじゃがバターアレルギーだから、先に戻ってきたわけ」


「千聖はじゃがバターにトラウマでもあるのかな」


 ニコッと笑った千聖に、秋鷹は半笑いで応えた。すると、彼女は「うっそ~」と楽しそうに腕を組んでくる。


「あーくんと一緒にいたかったからだよっ」


「……甘えてくれるのは嬉しいけど、この状況を誰かに見られたらどうすんの?」


「誰もいないからいいでしょ?」


「まあ、千聖がそう言うならいいけど」


 今の千聖には無邪気だとか幼気だとか健気だとか、そういった純粋無垢な言葉がお似合いかもしれない。

 それはまるで、童心に帰ったようなうららかな振る舞い。自然とこちらまで笑顔になってしまうような強制力が働いている。

 千聖は秋鷹の腕をぎゅっと抱きしめたまま、すりすりと頬擦りをした。

 

「ん、落ち着く……。修学旅行の間も、こうしてあーくんのそばにずっといたいな」


「千聖は我儘なのか?」


「うん、沁みついちゃったの、あーくんとの特別な日々が。……同じテレビを観て、同じゲームをして、おんなじご飯を食べて。それから……えっちなことなんかもしたりして。ふふっ、幸せなことばっか、沁みついちゃったの。ここに……」


 言い切ると、千聖は自分の胸に手を添えた。そして数秒の間を置き、切なげな声で言葉を継ぐ。


「人を好きになる感覚って、こんなにも温かいんだね。知らなかったよ、秋鷹に出会うまで」

 

 蕩けたような表情で、そんなことを口にする。

 ただなんとなく、秋鷹はその顔を見つめてしまった。初めて会ったときからずっと思っていたことだが、千聖の外見は神秘的なまでに整っている。いや、そう思ってしまうのは、彼女の外見が自分の好みだったから――あるいは、理想とする形に近いものだったからかもしれない。喜怒哀楽が豊かな眉だったり、釣り目がちな意志の強い瞳、熱の籠った朱色の唇に、握ったら折れてしまいそうな華奢な指、情欲を誘う真っ白な太腿や、高い位置で結われたクセのある髪――それらを独占したいと思う気持ちが微かにも湧き上がってしまうことが、秋鷹にはちょっとした驚きだった。


「ふぇっ……」


 秋鷹がポンっと頭を撫でてやると、千聖はビクッと肩を震わせてから頬を紅潮させた。しかし、すぐに照れ笑いを浮かべ、魅力的な八重歯を秋鷹に披露する。


「あっくん……」


 言いながら、千聖は秋鷹の肩に手を乗せて、ゆっくりと顔を近づけた。その意味を解っているからこそ、秋鷹も目を瞑ってそれを受け入れる。が――。


「じゃがバタおいしかったねー」

「ねー。あちゅあちゅほかほかだったよ。あちっ、あちち……」

「すごいねゆいゆい。想像だけでハフハフできるんだ」


 バスの入り口の方から、女子二人のバカっぽい喋り声が聞こえた。千聖はハッと慌てふためくと、秋鷹の耳元で「すきっ」と告げてから自分の座席に戻る。


「あんあんもじゃがバタ食べればよかったのにー」

「そうだよ~、杏樹ちゃん。お昼ご飯もあまり食べてなかったみたいだし、お腹空いちゃうよ」

「あなたたちは学習しないのね。私はあんあんという卑猥なニックネームで呼ばれるほどあなたたちと仲良くなった覚えはないし、杏樹ちゃんと名前で呼ばれるほどあなたたちと親密な関係を築くつもりはないわ」


 早口で捲し立てているこの声は、おそらく杏樹のものだろう。その近くから、二人の少女のブーイングが聞こえてくる。これは確実に結衣とエリカの声だ。


「あれれ、チサっちゃん戻ってたんだ」


 自分の座席につくと、エリカが千聖の方を見て首を捻った。そして、視線だけで秋鷹と千聖を交互に見る。


「ふむふむ、エリカちゃんセンサーはびんびんだわさ」


 エリカはなにかに納得したようだった。目尻を下げて、くるっとこちらに背中を向ける。千聖はというと、窓の外を眺めながら耳を赤くしていた。



※ ※ ※ ※



 バスツアーが終わり、ホテルに到着すると、花生高校の生徒たちは足早にスキー場へ向かうこととなっていた。クラスごとに順番が決まっており、秋鷹たちA組は一番最初だった。

 荷物をホテルの部屋に置き、スキーの準備をする。準備といっても、今日は一時間程度の歩行練習だけだ。時間も限られているし、早めに支度しなければならない。



「ちさちー見て見て! 雪! ゲレンデっ、パーリナイ!」


 ゲレンデに出て数分、列の先頭を切っていた春奈が千聖に雪玉を投げつける。


「きゃっ……ちょっと春奈、あんたね……」と千聖は怒った。しかし、その後ろから「――にゃっ……え、エリカっ!?」


「背中ががら空きだよ~」


「このっ……」


 エリカに雪玉を当てられて憤慨してしまった千聖は、仕返しとばかりに大きな雪玉を作る。そこに何人かのギャルが加わり、先頭でギャルグループの雪合戦が始まった。途中で先生に止められていたが、彼女らはみんな楽しそうに笑っていた。


「子供か」


 それを見て、秋鷹は呆れたように呟いた。

 秋鷹には、とてもではないが真似できない行為だ。ここは息が白くなるくらいの極寒の地だ。たとえスキーウェアを着て防寒対策バッチリでも、手足の震えを抑えることはできない。

 そして、足に着けられたスキー板の所為で思うように動けない。これは足枷かなにかだろうか? いや――拷問だ。もう一度言う、これは拷問だ。

 しかし逃げようにも逃げられない。スキー板の先端が地面の雪に埋もれ、進行を妨げてくる。お陰で秋鷹は最初こそ先頭にいたものの、今は最後尾で四苦八苦していた。


「くそっ……なんだこれ。おい、なんで誰も助けてくれないんだ」


 友人を見捨てて先を行ってしまうとは、帝も敦も薄情者だ。

 どんどん離れていくクラスメイトの背中を見ながら、秋鷹は必死になる。ストックさえあればなんとかなるのに。歩行練習ということで、ストックは取り上げられてしまっていた。

 そこに苛立ちを覚えていた秋鷹だが、ふいに小さな悲鳴が聞こえて、斜め後ろを振り向く。


「うぅ……」


 その場所にいたのは、真っ白い地面に横倒れになっている杏樹だった。彼女は顔を上げると、そのまま立ち上がろうとするが、力なく倒れ込んでしまう。


「来栖さん、立てる……?」と秋鷹は手を伸ばした。


「いらない」


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」


「そもそも届いてないじゃない」


 手を差し伸べてはいるものの、秋鷹と杏樹の間には二メートルほどの距離が開いていた。理由としては、秋鷹もその場から動けないでいたからだ。


「困ったな」


「一番厄介なのは雪崩や落石ね……。このまま動かなければ登山ルートから外れることはないし、体力の温存は出来るけれど、万が一も考えて安全な場所に移動しないと……」


「んー? 別に遭難したわけじゃないし、ここ平地だよ? めちゃくちゃ安全じゃん」


「電波状況も気になるわ……ねえあなた、携帯電話をもっていないかしら?」


「え? 聞いてる? たぶんもうすぐ先生たちが来てくれると思うよ」


 妙に真剣な杏樹に対し、秋鷹は軽い態度で応えていた。どちらが正しいかといえば、完全に秋鷹だ。


「すみません、遅れてしまいました。二人とも、怪我はないですか?」


 ほら、と秋鷹が言うも、杏樹はまだブツブツと何かを呟いていた。担任の先生がこちらに駆けよってくる。どうやら、見捨てられてはいなかったようだ。

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