第四章 君のそばにいたい

第79話 天使が舞い降りた

 花生高校から少し離れた広々とした駐車場に、一クラス全員が乗車できるほどの大型バスが停車していた。今日は修学旅行当日ということで、二学年はその場所に集合となっている。

 秋鷹は時間ギリギリに到着した。すでにクラスの皆は班ごとに集まっていて、意気揚々と談笑し合っている。


「ね、あれって宮本君じゃない?」

「ほんとだ! なんかオーラすごくない?」

「うんうん。芸能界デビューしてからますますカッコよくなったっていうかさ」


「デビューしてねーよ……」


 他クラス女子のひそひそ話が聞こえてきて、秋鷹はあまりの反響の凄さに若干気後れしていた。おそらく、昨日発売した冬月鏡華のカレンダーが影響しているのだろう。話題になることを懸念していなかったわけではないが、まさか街中で声をかけられるほどとは思わなかった。そのため、秋鷹は今日、事前に買っておいた真っ黒いサングラスを装着している。もちろん周囲からは浮いている。


「おう秋鷹、やっとあきたか来たか。なんつって」


「…………」


 合流早々、唐突に寒いギャグをかましたのは敦だ。そして、その隣にいた帝が何事もなかったかのように秋鷹に声を掛ける。


「やあ秋鷹。その恰好、さすがに目立つんじゃないかな」


「俺もそう思ってたところなんだ」


「なら外しなよ」


「いや、しばらくこのままで」


 サングラスのフレームをくいっと持ち上げて、秋鷹はわざとらしくかっこつける。すると、視界の端にそろりそろりと忍び足で歩く結衣とエリカが映った。どうやら、彼女たちは秋鷹が注目を浴びている最中に合流したため、遅刻とはならなかったらしい。当然それは、秋鷹の思惑通りのことだったのだが、


「そうかい。まあ無理には止めないよ」


 秋鷹を目立ちたがりと判断したのか、帝は「どうぞお好きに」とでも言うように笑った。秋鷹はすぐさまサングラスを外した。


「じゃあ、皆そろったことだし、点呼取るよ」


 周りを見回して、帝が点呼を取り始める。それに応じて、秋鷹と敦、それと涼が返事をした。帝は全員が揃っていることを先生に伝えに行くため、その場を離れる。それを見届けて、秋鷹が涼の方を向いて口を開いた。


「そういえば、影井も同じ班だったな。よろしく」


「おう、おう! よろしくな!」


 微かな笑みを浮かべる秋鷹と、涼の背中をバシバシと叩く敦。普段はあまり関わりがない三人だが、ぎこちない雰囲気になることはなかった。それは、至って自然体の秋鷹と敦が、フレンドリーに涼に接していたからだろう。


「うん、よろしく、二人とも」


 そう言って控えめに笑った涼は、いつものように前髪で目を隠していた。


 ところで、あまり関係がない三人と言ったが、それは訂正したほうがいいかもしれない。なにせ、秋鷹と涼は、本人とは別の誰かを介して複雑な関わり合いをもってしまっているのだから。



※ ※ ※ ※



 バスに乗ってから数分が経った。

 クラスの皆は前もって決めていた自分たちの座席に座り、友人らと楽しそうにくっちゃべっている。秋鷹はやや後ろの窓際の席のため、窓の外を眺めながら伸び伸びとしていた。

 隣には敦、後ろには帝がいる。二人は眠たそうに船を漕ぐ秋鷹には何も言わず、自分たちだけで雑談していた。しかし、秋鷹が一向に眠れないのは、彼らのせいではない。あちらこちらから聞こえて来るクラスメイトの声が原因だ。


「天使が二人……わん、つー……」

「おい誰だ! ここに天使を舞い降りさせたのは!」

「天使が舞い降りたんじゃない……天使が現れたんだ……!」

「ゆいたんとえりかたんの寝顔……デュフフ……」


 立ち上がってこちらの方に目を向けているのは、サッカー部男子と野球部男子だ。彼らは結衣とエリカの寝姿を見て興奮している。

 釣られて、秋鷹もちらっと真横に視線を向けた。丁度、秋鷹の座席とは反対側に位置している席で、結衣とエリカが身を寄せ合って眠っている。小さな寝息を立てて頭をくっつけている彼女たちの姿は、無防備そのものだった。

 他人が見れば、彼女たち二人を姉妹と勘違いしてもおかしくはない。それくらい仲睦まじく一緒に寝ていたのだ。あとどっちもアホだしな、と秋鷹は心の中で呟く。

 しかし、男子たちの勢いはまだまだ止まらないようで。


「写真、撮っても大丈夫かな……?」

「それはさすがに怒られるだろ……覗くだけにしとけよ」

「ふぉぉ……だめだ、永久保存してぇ……」

「デュフフ。シャッターチャンスだお」


「ちょっと男子? うるさいんですけど!」


 耐えきれなくなったのか、秋鷹の前の席に座っていた千聖が立ち上がった。その瞬間、騒いでいた男子たちは口を噤んで一斉に沈黙する。

 秋鷹がそんな千聖をぼーっと見上げていると、彼女は顔を真っ赤にさせてから慌てて席についた。柄にもないことをして恥ずかしくなったのだろう。とはいえ、その甲斐あって男子たちは自分たちの席で大人しく萎縮することとなった。


日暮ひぐらしって、小学生のときによくいた、口うるさい女子の典型みたいだよな」


「なんですって!?」


「ひっ……。しゅ、しゅみましぇん……」


 憤った千聖の声に怯えを隠しきれない敦。自分で挑発したのになんとも情けない。幸い、千聖の怒りは彼女の隣の席に座っていた春奈に収められたが、敦の恐怖心をケアしてくれる者は誰もいなかった。


「敦、女の子に負けてどうするんだい? 君、さっきまで不審者には負けないって言ってただろう」


「帝……。そのまんまの意味で捉えると、それ、日暮を不審者って言ってるように聞こえるんだが……」


「俺はそんなつもりで言ったわけじゃないけどな?」


「逃げたなこいつ」


 座席の背もたれ越しに会話する帝と敦。その二人のやり取りを聞いて、秋鷹は「不審者?」と首を傾げる。


「あっ、そっか。秋鷹は聞いてなかったんだよね」と帝がその返答をした。「ネットニュースにもなってたんだよ。花生市の河川敷付近に不審者がいるって」


「へぇ、初耳だ」


「うん、だったら尚更だね。修学旅行から帰って来たときにはもういなくなってるかもしれないけど、一応気をつけておいた方がいい」


「オーケー、気をつけるよ」


 そう言って、秋鷹は大きな欠伸をした。それを見て、敦が訊ねてくる。


「あれ、秋鷹も寝不足なのか?」


「まあな。昨日はあまり寝てないんだ」


「最近そういうの多いなお前。遅刻もするし」


「そういうお年頃なんだよ。この歳になると、なんか無性に反抗したくなるじゃん? そんな思春期特有の思いを拗らせてるわけ」


「かわいいな、お前の反抗期」


 なにかわけのわからないことを言い出した敦は置いといて、秋鷹は持参していたアイマスクを迷いなく装着した。

 周囲の騒がしさも今は落ち着いていて、安らかに眠ることができそうだ(昨日の夜は結衣とエリカと秋鷹で3Pをしていたので、体が疲れていた)。そう思っていると、小さな揺れと共にバスが動き始める。そういやまだ出発してなかったな、と秋鷹は今更ながら独りごちった。

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