第81話 決意
ホテルに戻った後、晩御飯のバイキングまで一時間ほど時間があるため、秋鷹は一番風呂をいただくことにした。この時間帯は露天風呂に行くと迷惑になるらしく、泣く泣く自分の部屋でシャワーを浴びた。
歩行練習をしただけと言えど、体の芯まで冷えていることは間違いない。体の隅々まで入念に温める。
そういえば、今日は寝てばっかだったから、夜はあまり眠れそうにない。ふと、そう思った。
これは自慢ではないが、秋鷹は自分の眠りの浅さを超がつくほどに自覚している。真夜中の雨音はもちろんのこと、結衣の寝言にも敏感に反応してしまう。その所為で学校ではいつも寝不足だった。おそらく、今日も安心して眠ることは難しいだろう。
秋鷹は首にタオルをかけたパンツ一丁の状態で、風呂場を出た。
四人部屋ということで、それなりに広い部屋の中にベッドが四つ設置されている。うち一つは簡易用ベッドだが、じゃんけんの結果、秋鷹はそこで眠ることになっていた。
「どっか行くのか?」
「自販機で飲み物買ってくる」
「なら、おれのも買ってきてくれ」
「へいへい」
帝とトランプをしていた敦と言葉を交わし、秋鷹は財布を持って部屋を出た。自販機までの距離はそんなに離れてはいないはずだ。
しかし、通りがかった女子生徒に好奇な視線で見つめられる。
「きゃあっ、変態――」
「違うよ! あれは上裸の宮本君だよ」
「えっ……? なんで裸なの?」
「私が知るわけないでしょ」
秋鷹は自分がパンツ一丁だったことに気が付くも、飲み物を買いに行くだけなので特に気にすることはせず、先を急いだ。
「あの大胸筋に顔をうずめたら、私、どうなっちゃうのかな……?」
「大丈夫。うずめられる可能性なんてこれっぽちもないから」
「ひ、ひどいよ! じゃあ、あの上腕筋に腕枕してもらいたい……」
「私がヘッドロックして首の骨をへし折ってあげる」
「し、死んじゃうよ!」
なんだか騒がしくなってきたな、と秋鷹は周囲を見回す。自販機に到着したはいいものの、秋鷹の周りには複数の女子生徒がたむろしていた。
まるで路上ライブのときに出来る人だかりのようでもあった。すると、そこに一人の少女が駆け寄ってくる。
「何事だーっ!」
どこか見覚えのある人物だと思ったら、彼女は
「宮本……またお前なのか?」
「それはこっちのセリフだ」
「緑の化物の次は露出狂か……。私は、お前の将来が心配だ」
「お前は俺の母親か」
心底悲しそうな表情をする紅葉に、秋鷹は少しばかり母性を感じてしまった。おっぱいもでっかいしな。
「なっ、お前――!? 今、私の胸を見たのか!?」
「見ちゃ悪いかよ」
「くっ……こんな公衆の面前ではずかしめを受けるとは、私もまだまだだな」
「すごい魅力的だと思うよ。自信持てよ」
「こ、こいつ……視姦だけにとどまらず、弱った相手を侮辱して貶めようと……。どこまで私を愚弄する気なんだ、この男はっ……!」
「何を言っても変な解釈でしか返ってこねーな。どーなってんだよ」
「卑怯者めっ、ちゃんと服を着ろ――」
「うるせぇ……」
眉間に皺を寄せる紅葉同様、秋鷹も眉を寄せて愚痴を垂らす。飲み物も買い終えたため、早くこの場から立ち去ろう――とするが、
「とりあえず、私と一緒に来てもらう。どうやら、お前の素行の悪さは中学のときより悪化しているらしい」
紅葉に手首をつかまれ、秋鷹は捕まってしまった。確かに、改めて自分の体を見て見ると、これは逮捕案件だった。
パンツ一丁の男がホテル内をうろついているのだ。言い訳のしようもない。しかし、歩き出そうとした紅葉の周りに、女子生徒たちが集まってくる。
「宍粟さんってば抜け駆け?」
「宮本君と二人で何しようっていうの?」
「え? いや、私はっ……この男を躾けてやろうと思っただけで……!」
「絶対宮本君を独り占めしたかったんだよ!」
「そうよ! 適当な理由つけて二人っきりになりたかったのよっ」
「躾けてやろう、っていう本音が漏れちゃってるじゃない!」
「ちがうっ、そんなんじゃ……ない……」
意外にも図星だったのか、紅葉の手からするすると力が抜けていく。そのすきに、秋鷹は女子生徒の大群から抜け出し、飲み物を携えて自分の部屋に戻るのだった。
「なんなんだあれ」
そっと首を傾げながら。
※ ※ ※ ※
「ふぅ、食った食った」
「夜ごはんも食べ終わったことだし、トランプの続きでもしよっか」
腹をポンポンと叩く敦の隣で、帝がそんな提案をした。
晩飯のバイキング料理を食べ終わり、現在の時刻は二十一時。もう直ぐで就寝時間となる。それまでの間に寝る準備を済ませるのだが、トランプにハマってしまった秋鷹たち三人は、勝負をするためにテーブルの近くに腰かけた。もちろん今は、秋鷹は服を着ている。すると、
「今からババ抜きをするんだけど、影井君も参加するかい?」と帝が言った「まだ就寝時間まで時間あるよ」
「僕はもう寝るよ。今日は少し、疲れたからね」
「まあ、そうだよね。一日目にしてはハードなスケジュールだったし」
「うん。だからごめん」
「いいよいいよ、気にしなくて。また明日にでもやろうよ」
そんなやり取りを帝とし、涼は自分の布団に潜り込んだ。
バスツアーのときは基本的にクラス全体で動いていたが、それ以外は班別の行動が割と多い。その中で、秋鷹たちは良好なコミュニケーションを取れていたはずだ。
班決めであぶれてしまった涼だったが、彼をないがしろにすることもなかった。けれど、涼の顔色は若干だが優れないように見えた。まるで、何かこの先に不安を抱えているかのように――。
※ ※ ※ ※
何か盛大な爆発音のようなものが聞こえてきたような気がした。それが敦のいびきの音だというのは、上体を起こしてみれば容易にわかることだった。
秋鷹以外の三人は、すでにベッドに入って自分の世界に浸っている。秋鷹がこうして夜中に目を覚ましてしまったのは、自分の世界というものが夢の中には存在しなかったからかもしれない。
暗闇の中起き上がり、意味もなくベランダに出た。冬の寒さに上乗せして、夜の冷気が慈悲もなく頬を撫でていく。秋鷹はそこにあった椅子に座ると、手すり越しに白い景色を眺めた。先刻まで雪が降っていたようで、木の枝一本一本に丁寧に白い粉が覆いかぶさっている。布団のように真っ白だけれど、温かさはなく寒そうだった。
「宮本君」
「……ん?」
何者かに呼ばれ、秋鷹はそちらに顔を向ける。そこには、寒そうに身を竦める涼がいた。
「なんか用か?」
「うん……少し」
そう言うと、涼はベランダの窓を閉めて、「はぁ」と白い息を吐く。
「この前のことなんだけど、覚えてる?」
「この前?」
「結衣のことは渡さない、って言ったやつ」
「ああ、それか」
「急にあんなこと言われても、困るよね」
秋鷹の方は見ないで、涼は夜空を見上げながら遠い目をしていた。そして、しばらく時間を置き、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「だから、ちゃんと言おうと思ったんだ。特に宮本君には、言っておかなきゃならないことだったから」
「まったく身に覚えがないんだが」
「……そうだろうね。でも、僕には重要なことなんだ」
「へぇ、なんだよ? 寒いから早くしてくれ」
秋鷹が少しだけふざけると、涼はくすりと一笑した。それから、真剣な面持ちになる。
「僕は、結衣が好きだ」
「…………」
「幼馴染としてじゃなく、一人の女の子として」
「……そうか」
わかっていたことだからあまり驚きはしなかったが、涼の次の言葉で、僅かだが秋鷹は目を見開くことになる。
「でも、千聖も好きなんだ……」
彼の言葉を借りるなら、それは『幼馴染としてではなく、一人の女の子として』という意味だ。つまり、彼は今、同時に二人の少女のことを好きになっているということになる。
「欲張りなんだな。それとも、ただの馬鹿か?」
「そう言われても、仕方ないよね。だけど僕は、決めたんだ……千聖に、この想いを伝えるって」
決意を固めたような表情で、涼は続ける。
「想いを伝えると言っても、これは付き合ってほしくてする行為じゃない。千聖を好きだったときの気持ちを全部伝えて、それで僕はこの想いを清算したいんだ。今まで千聖を頼りにしてきて、千聖に救われて、なにもかも千聖に任せきりだった僕から自立するために。僕は、彼女に告白する」
「清算するってことは、結衣を選ぶってことか?」
「……うん。実は僕、結衣に告白されてるんだ。でも、彼女の想いを受け止めるには、ずっと心に残り続けていた千聖への想いを捨てなければならなかった。自分でもわかっていたことだけど、僕、ものすごく未練たらたらな男でさ。相手が僕のことを好きじゃないってわかってても、その人のことが頭から離れないんだ。こんな状態で結衣の気持ちを受け入れても、だめだって思った。だから、これが僕の答え」
「ふうん」
秋鷹は冷たくなった唇を濡らして、白い吐息と共に思ったことを口にする。
「お前は、身勝手で優柔不断なやつなんだな」
「……えっ?」
「どこまで行っても自分勝手でしかなくて、周りのことなんか何も見えちゃいない。少しでもその二人のことを考えたことがあるのか? 考えたふりして、全部自分のためになる行動ばかりとってただろうが。悩んだふりして、一歩も先に進めてねーじゃんか。……わかるよ、俺も同じだから。独りよがりで、自分が満足できればそれで充分な人間だから。でもさ、遅すぎるよ影井。待ってるだけじゃなくて、自分から行動して努力しなきゃ、拾えるものも拾えなくなるよ」
秋鷹は一泊置いて、微かな笑みを浮かべる。
「って、俺は思った」
「そっか……」
「まあ、いいんじゃねーの? お前が決めたことだし、俺に口出しする権利とか義理とかないし。変わろうと思ったなら、そのまま突っ走れよ」
「うん、そうだね。そうするよ」
涼は静かに頷くと、前髪で隠された目でこちらを見据えた。
「とりあえず、僕が伝えたかったのはこれだけ」
「ああ。ま、頑張れ。俺は尊重はしないけど、軽蔑もしないから」
「うん……ありがとう」
窓を開けると、涼は部屋の中に入っていった。相変わらず表情の変化に乏しいやつだったが、その決意だけは伝わった気がする。
秋鷹は倦怠感漂う顔を、白い粉が舞っている空へと向けた。しんしんと降りゆく雪の結晶と、自分の口から吐き出される白息が冷え切った視界をぼやけさせていく。
「うぅ……さむ……」
寒がりな自分を思い出し、秋鷹はベランダを後にした。
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