第87話 ひとりぼっち

 その渡り廊下は全面ガラス張りだった。さすがに床はガラスではないが、左右どちらを見ても外の景色がうかがえる。そこにいた一人の少女も、雪濡れたガラス窓を透かして、降り積もる白い結晶を一心に見つめていた。

 暗闇に舞う雪が、廊下から滲み出る蛍光灯の光によって白々と光り輝く。それ故か、窓外の景色は時間帯の深さに比べて幾らか明るい印象があった。

 まるで、思いのほか長引いてしまった部活での帰り途中、校庭から溢れ出た夜間照明に目を細めてしまうような光景。涼は薄ぼんやりと瞼をしばたたかせ、目線の先にある少女の横顔に思わず息を洩らしてしまった。

 少し見ないうちに、彼女の妖精的な美しさは格段に洗練されていたらしい。その頬が雪化粧を施したように真っ白に見えるのは、蛍光灯の光に当てられた雪の照り返しが冷たいファンデーションを模っていたからだろう。あどけない美貌は妙な色めかしさを漂わせていて、少女の猫目から覗かせる亜麻色の瞳や、傷つきやすそうで繊細な唇、絹糸のような光沢を放たせるツインテールまでもがどこか幻想的だった。

 湿っぽさを纏った唇が開く。そこから、滑らかでムラのない声が聞こえた。


「やっと来た」


 少し高めの声だったかもしれない。それを認識したとき、涼は現実に引き戻されるような感覚に陥った。

 見れば、外を眺めていたはずの少女が目を吊り上げてこちらを見ていた。それが不機嫌に感じられたのは、たぶん気のせいではない。自分が遅れて来たことが原因だとわかっていた涼は、僅かな緊張と共に口を開く。


「ごめん、待たせちゃったかな」


「ほんとよ。自分で呼び出したくせに、あんたが遅れてどうすんのよ」


「そんな遅れてたかな? 僕」


「十五分は遅れてるわよ」


「……そんなに?」


 彼女の表情からして、嘘は言っていないようだった。ならば考えられるのは、自分が待ち合わせ時間を誤認していたということだ。

 申し訳ない気持ちが湧き上がると同時、涼の顔を見てぷふーっと少女が吹き出す。


「冗談よ冗談。ちょっと揶揄ってみたくなっただけ」


「……え? 僕、騙されたの?」


「みたいね。もしかしてあたし、女優の気質あるかも?」


「千聖なら、演技の上手さ関係なしになれると思うけど」


「それ、口説いてんの?」


「あ……いや、違う、違うよ」


 慌てて否定するも、涼は知らず知らずのうちに口元を緩ませてしまっていた。久しぶりに千聖とこんなやり取りが出来て、嬉しくなってしまったのかもしれない。気分も幾分か穏やかになった。


「それで、話ってなに?」


 結われた髪の一束を掬い、その毛先をくるくると遊ばせる千聖。もこもこ生地のパジャマを着ているからか、魅惑的な身体つきに反して、幼さが際立っていた。


「話っていうのはね」と涼は言った。「僕の、気持ちのこと」


「気持ち……?」


 千聖がこてっと首を捻ったので、涼は小さくうなずいた。そして、一泊置いてから、静謐な雰囲気を纏ってこう告げる。


「――僕、千聖が好きだったんだ」


 そう言い放った瞬間、千聖から「え」というような声にならない声が聞こえた気がした。恐る恐る彼女と目を合わせてみると、やはり、その瞳は困惑したように揺れていた。それでも、涼は自分の素直な気持ちを吐露する。


「中学生の頃、ふさぎ込んでいた僕を立ち直らせてくれたのは、千聖だったよね。理由も何も訊かず、千聖はずっとそばにいてくれた。朝、毎日のように起こしにきてくれたり。ように代わって、僕のために料理を作ってくれたり。それから……勉強なんかも、熱心に教えてくれたっけ」


「なに、言って……」


「それが、どれだけ僕のためになっていたか、僕自身、最近になってようやく気がついたんだ。遅いよね。でも……これだけは言える。あの日々があったからこそ、僕は千聖を好きになれたんだ」


 自覚したのは、体育祭前日の日だっただろうか。あの日、千聖とケンカ別れのようなことをしてしまって、初めて、一番大切にしなければいけない――あるいは、手放してはならない存在が誰なのかを理解することが出来た。

 あれから月日は流れてしまったが、こうして想いを告げることができたのは涼にとって一つの成長とも言える。だからこそ、過去のしがらみにとらわれず、自分の想いをあるがままに伝えようと決めれたのだ。そして、


 ――僕は結衣も好きだ。


 それは変わらない。結衣が告白してくれたからという理由も多少はあるだろうが、きっとそれだけでは到底語りつくせない想い出があるはずなのだ。

 千聖と同じように、結衣からも元気や勇気を沢山もらった。あの笑顔はまるで魔法のように、涼の心を照らしてくれた。

 これらの想いをすべて打ち明けた結果、果たして千聖が納得してくれるかはわからない。もしかしたら怒られてしまうかもしれないけれど、優柔不断な自分をどうか許してほしい。

 しかし、そんな浅はかで極めて独善的な思いは、〝千聖が涼のことを好きではない〟という前提での話だった。涼はそれを理解しておらず、彼女がどれだけ涼のために努力してきたのか、どれだけ想われないのに想い続けたのか、ここに至ってもまだ知ろうとすらしなかった。

 そのため、たとえ涼が千聖のことを好きだと言っても、千聖は何の反応も示さないと決めつけていた。驚きはしても、いつものような高圧的な態度で軽くあしらってくれるだろうと。

 そうすれば、「千聖は僕のことを何とも思っていないんだ」って――諦めがつくとは違うが――簡単にこの想いに終止符をうつことが出来るかもしれなかったから。


 しかし、それは思い違いだった。


「僕はさ、千聖に改めてお礼を――」


「も……と…………てよね」


 か細く紡がれた千聖の言葉は、断片的で聞き取ることが出来なかった。聞き返そうとした涼だったが、悲し気な千聖の表情を見て、途端に言葉が詰まる。


「もっと、早く言ってよね」


 どうして、そんなにも悲しそうな顔をしているのだろうか。どうして、そんなにも泣きそうな顔で見つめてくるのだろうか。


「あたしね、今、付き合ってる人がいるの。その人は一人で生きていけるような強い人って皆に思われてるけど、実際はそうじゃないの。弱くて、一人でいることが怖いから、取り繕うことで本来の自分を隠してる。あたしは、そんな彼の支えになれたらいいなって思った。あたしだけが、彼のそばにいてあげられるから……」


 目線を少し下げて、千聖は震えた声で言った。その瞳の奥に映るのは、おそらくはもう涼ではない。

 

「だから、ごめんなさい。涼が好きだと言ってくれたことは素直に嬉しいけど……あなたとは、幼馴染のままでいたい、かな……」


 ごめんね、と再度謝った千聖は、そのまま涼の横を通り過ぎていく。誰もいない森閑とした渡り廊下に、ただ少し、寂し気に足音が鳴っていた。

 それが聞こえなくなっても、涼は何をするでもなく呆然と立ち尽くす。思えば、過去にもこんな出来事があった。


 ――君とは友達でいたい。


 そんな言葉が、千聖の言葉と重なった。

 だからだろうか。あの頃を思い出して、鼻の奥がツンと熱くなっていく。視界がぼやけて、自分が今どこにいるのかわからなくなった。


「泣くな僕、決めたんだろ……!」


 幼馴染という関係は、自分が一番望んでいた関係ではないか。

 本当は告白した後に結衣への想いを打ち明けて、千聖に応援とまではいかなくとも理解してもらおうと思っていたのだけれど、そんな虫のいい話があるわけがなかった。だから、フラれたのは正解だったかもしれない。これで千聖への想いを吹っ切れて、切り替えられる。

 しかし、涼の心に残ったのは痛みを伴う苦しみのみ。もっと早く自分の気持ちに気がついて、もっと早く千聖に想いを告げることが出来たのなら――そんなifを思い浮かべてしまう。

 混同した想いがより一層ごちゃ混ぜになっていく。そして、涼は覚束ない足取りで歩きだした。腕で目元を覆い隠し、その袖でこぼれそうになった涙を拭う。喉の奥が鉛を詰められたように苦しかった。失恋とはまた違う、後悔だけで塗り固められた恋の痛み。忘れようにも、忘れられるわけがなかった。だが――。


「やっほー……」


 ふと、顔を上げて足を止めると、目の前にはもう一人の幼馴染の姿があった。彼女は不思議そうに小首を傾げ、涼の顔をまじまじと見つめている。


「あれ、元気がないね? りょうちゃん」


「ゆ、い……」


 目を擦って、涼はもう一度結衣のことを見た。

 周りを照らす太陽みたいな笑みは、彼女の活発な性格を表しているかのようだった。それが少しだけ、安らぎを呼んだ。


「せっかくの修学旅行なんだから、楽しまないとダメだぞ! これ、幼馴染命令っ!」


 綺麗に整えられたサイドテールを揺らし、結衣はその笑顔で涼を元気づけた。


 思わず、涼はふっと笑ってしまう。

 そうか……最初から悩む必要なんてなかったのだ。千聖への想いが消えてなくならなくても、それはもうすべて終わったことだった。これから何が始まるわけでもないし、また千聖へ告白しようなどとも涼は思わない。

 悲しみは悲しみとして受け入れて、前へ進むことこそが成長や変化をもたらすのだろう。それに気づけなかった自分が、ひどく滑稽だった。

 たとえばそれは、未亡人の女性が新しい恋を見つけたのと似たようなこと。夫のことはまだ心の片隅に残し、愛してはいるけれど、新しい恋を見つけて奔走するような――。

 いや少し違うか。と思いながらも、気づけば涼は余裕ある笑みを浮かべていた。それを見て、結衣は安心したらしい。にこりと破顔すると、涼に背を向けて歩きだそうとする。


「あ、あのさ……!」


 しかし、涼は結衣のことを引き留めた。千聖に自分の気持ちを吐露した今、涼がするべきことと言えばもはや一つしかなかった。


「今から、時間ある……? 結衣と、話がしたいんだ」


 告白を断られた後に、こんな都合のいい話を聞かされても結衣は困るかもしれない。


 結衣に告白されて自分の想いに気づかされたこと。結衣と千聖に対する想いが雑じり合って、中々前に踏み出せなかったこと。過去の恋愛を引きずるあまり、自分に自信が持てなかったこと――それらをすべて理解し自覚した上で、涼は決めたのだ。結衣のことを選ぶのだと。

 彼女がまだ涼のことを想っているだとか想っていないだとかは関係ない。今度はこちらが追いかける番なのだから。

 が、その機会は今ではないと結衣自身が告げている。


「あー……えっと、ごめんね。ちょっと、これから用事があって……」


 そう言うと、結衣は「じゃね」と手を振って小走りで去って行った。普通なら疑問を抱くべき場面ではなかったのだが、そのとき、涼は結衣の様子に少しだけ違和感を覚えた。

 長年の仲だから、それが何か隠し事をするときの顔だってことは容易に解った。不審な思いで、結衣の向かった先を見やる。そこは、客室の他に宴会場のようなものがある場所だった。


 まず、こんな時間にこんな場所で出くわすこと自体おかしい。疑念が深まりを見せる中、涼の足は結衣を追いかけるようにゆっくりと歩き出す。


 物音一つしない。

 花生高校の生徒以外の宿泊客があまりいないということは、担任の先生から事前に聞かされていた。それが関係しているかは定かではないが、人の気配がまったく感じられないのだ。

 当然、この時間帯ともなれば宴会場の扉も閉まっている。辺りは薄暗く、照明によってムーディーな雰囲気が演出させられていた。一見すれば何の変哲もないホテルの館内。しかし、涼にはそれが不気味に思えた。


「まあ、結衣のことだから、道に迷ったとか何かだよね……」


 結衣の天然は今に始まったことではない。

 電柱に頭をぶつけたり教科書を逆さにして読んだり。これまで数々の偉業を成し遂げて来た結衣は、そのドジやお茶目な性格も相まって学校では人気者だ。重ねて言えば、バスケ部のエースとして全国大会で活躍するなどの並外れた才能も有している。そんなチグハグなところがまた、結衣の魅力の一つでもあった。


 ――ともあれ。

 きっと、結衣は道に迷ってこちら側に足を運んでしまったのだろう。もしかしたら、すでに涼とは違うルートで自分の部屋に戻ったのかもしれない。

 そう思うと、膨れ上がった不審感が段々と抜けていく気がした。徐々にしぼんでいく風船のように。


 時間も時間だ。そろそろ戻らないと本格的にまずいと考えた涼は、とりあえず、近くにあったトイレに駆け込むことにした。どうやら、ほっとしたことで尿意が湧いてきたらしい。ぱぱっとトイレでも済ませて、早く部屋に戻ろう。

 と、涼がトイレに入ろうとした矢先だった――。


「え? なに? 誰か、いるの……?」


 男子トイレの方から、突然――エアガンでも打ったかのような猛烈な破裂音が聞こえてきた。いや、これは涼がトイレに近づいたため、必然的に聞こえてきたのだ。おそらくは涼が来る少し前、それくらいから行われていたものなのかもしれない。

 何か嫌な予感がして、忍び足になる。こういうとき、涼は自分が何をどうすればいいのかがわからない。思い切って突入すればいいのか、それとも、引き返して無かったことにすればいいのか。

 しかし、その葛藤は一瞬にして朽ち果てる。不意に、トイレの中から女の子の悲鳴のような声が聞こえた。それと同時に、何かがぶつかる音が断続的に。


「一体、何をしてるんだ……」


 近づくにつれ音が鮮明になり、そこにいるのが一人ではなく二人だということがわかった。女の甲高い声と、それに混じる男の荒い息遣い。

 それだけでも胸の動悸が激しくなる。トイレで、しかも男女が二人。

 この歳になれば涼も、それがどういった意味を持つのかは何となく理解できていた。

 パンッパンッパンッ――と鳴る音に耳を塞ぎながら、涼はトイレの入り口前で立ち止まる。そして、おそるおそる中を覗き込んだ。

 

 至って普通の、整然としたトイレだった。


 左手には大きな鏡のついた洗面台、その奥には四つに並んだ小便器。右手にはオシャレな色をした個室と、天井には簡素な色をした蛍光灯があった。

 続いて視線がいったのは、何かの液体が飛び散った床だった。一点から強烈に噴射されたような水たまりが、至る所に散りばめられている。それを避けるようにして端に散乱していたのは、脱ぎ捨てられたであろう衣服たち。その服の上に、赤く四角い箱が、空っぽの状態で置かれていた。

 

「嘘、こんな、ところで……」


 思わず涼が声を洩らしてしまったその瞬間。

 見つめていた床に、大量の液体が飛散する。瞬く間に大きな水たまりが形成されると、遅れて、粘性の高い液が水たまりの上に滴り落ちていく。ぴとっぴとっと糸を引くように。

 白色の光によって照らされたそれは、控えめに輝くと共にそこにいる人間の下半身を反射させていた。

 激しく動く男の腰。それに伴って、ぱつっぱつっと重たげな音がリズミカルに響き渡る。涼からは、その屈強な体が壁に向かって仁王立ちしているようにしか見えなかった。しかし次の瞬間、男が自分の腰の前にある何かを、ビンタするように軽く叩いた。


「んぁッ……! お尻、あんまり叩かないでよ……誰かにバレちゃう」

 

 そう言って身を捩った女の身体が、少しだけ垣間見えた。

 健康的な肌色の脚が、太腿からつま先まで。男の脚の向こう側に、はっきりと見えた。男が動くたびにその太腿に身に付いたむっちりとした脂肪が揺れ、スポーティーな脚線を描くふくらはぎがガクガクと震える。

 それは、女の身体を、男が背面から抱きしめているような状態だった。二人して壁に向かい、涼に背中を見せながら自分たちの世界に浸っている。それだけなら涼も、「トイレでそういうこと・・・・・・をする人がいるんだなぁ……」というように、衝撃を抱きつつもいつかは忘れ去ることができただろう。しかし、女が腰を捻り、男とキスを交わした瞬間に思考が止まった。


「んちゅっ、ちゅっ……」


 僅かに揺れたそのサイドテールは、やけに見覚えのあるものだったから。

 女は肩越しに振り返りながら、男の舌を丹念に吸い、濡れた舌先をちろちろと絡め合わせる。そして、男が上から垂らした唾液を、自分の唾液と混ぜ合わせてからゴクリと飲み干した。繰り返し繰り返し、愛おし気に。


「ちゅばおいひっ……」


 そう言った女の腰は、気持ちよさそうに痙攣していた。

 それをありありと見せつけられ、涼は一瞬だけ眩暈に襲われる。この光景を夢だと信じたいが、肉と肉がぶつかり合う激しい音を聞かされるたび、現実を叩きつけられるかのように何度も目を覚まさせされた。

 

 ――何してるんだよ、結衣っ……!


 声を出すことすらままならず、心の中で必死に呼びかけるしかなかった。そんな涼をよそに、二人の行為は激しさを増していく。

 トイレの最奥の壁には、やはり、男と身体を密着させている結衣がいた。たぷたぷと揺れる臀部を、男の腰にくっつけている。


 男の手に鷲掴みにされる胸の膨らみ、舌を吸われたときに見せる甘やかな表情、エロ漫画さながらの抜群のプロポーション――そのすべてが涼の初めてだった。十年以上彼女と一緒にいて、そんな姿は一度たりとも見たことがない。

 精々、頬にキスをされた程度だ。今、彼らがしているキスは、そんなお子ちゃま以下のキスとは比べ物にならないくらい下品である。

 触れ合った唇同士は唾液でべとべと。唇を開いたかと思えば、溢れ出たよだれねて泡立たせる。そんな結衣の瑞々しい唇が、オスを教え込まれるかのように貪られていた。しまいには、下半身は繋がったまま。


「結衣、こっち向いて。ほら、ぴーすぴーす」


「ぴーすぅ」


 男は行為の最中、ずっと片手にスマホを握っていたようだった。結衣にピースを促し、その唾液まみれの顔をカメラで撮影する。

 涼が見ることも触ることも叶わなかった結衣の裸体を、あの男は自身のスマホに永久保存してしまったのだ。涼でなくとも、結衣ほどの美少女の裸であれば誰だって欲しくなってしまうもの。

 しかし、どれだけ願っても涼たちではそれを手に入れることが出来ない。もう、結衣の身体はあの男のものなのだ。あいつだけが自由に触れ、あいつだけが自由に扱うことが出来る。

 涼は悔しくて腹立たしかった。好きな人が他の男に奪われ、自分の目の前で愛を誓い合うような濃厚接触をしてしまっているということが。


 そのままずっと、食い入るように二人の情事を見ることしかできなかった。男の命令に素直に従い、どんな恥ずかしいことでもやってのけてしまう結衣。それを動画撮影されてもなお、恍惚な笑顔を浮かべながら甘い声を絞り出している。


「うわ、それめちゃくちゃ興奮するわ……」


「こう……んっ、スクワットみたいに……」


 結衣が頭の後ろで両手を組み、身体を上下に揺すっていた。そのとき露になった柔らかそうな脇を、男は躊躇いなく舐める。


「脇の下って、結構エロイな――」


「あ゛ッ……舐めちゃやぁ……汚いよ、汗かいてるし」


「大丈夫、結衣に汚いとこなんてないよ」


「もうっ、そんなことないのに……ばかぁ」


 時折り垣間見られるじゃれ合いのような会話が、いちばん涼の心に痛みを与えた。二人にとって楽しいであろう会話も、涼にとっては地獄でしかない。

 どうしてこうなった。

 なんで、結衣はトイレでこんなことを。

 もう振り向いてくれないのだろうか。もう、手遅れなのだろうか。

 考えても無駄なことばかりを考えて、涼は疲労と悲愴に苛まれる。

 

「結衣、もうでそう……」


「いいよ、だしてっ……口の中に、びゅっびゅって……!」


 トイレには、水気を纏った肉音が忙しなく響き渡っていた。

 自制や、周りのことを気にする余裕なんて彼らにはないようだった。びしょ濡れになっていくトイレの床が、その行為の激しさを物語っている。結衣の果てた証とでも言うべきものが、そこら中に飛び散っていた。



 それからは自分が、何をしていたかは覚えていない。涼は、ただ茫然と、彼らの行為を傍観することしかできなかった。


 

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