第72話 中庭での出来事

 涼の名前を出すときと、お金について話すとき。その瞬間は、決まって杏樹の肩がビクッと震える。普段はクールを装っている彼女だが、意外にもわかりやすい性格をしているらしい。


「もしかしてだけど、来栖さんが毎日バイトしてる理由って、お金がないから?」


 秋鷹が訊ねるも、杏樹は普段通り無言のまま弁当を食べていた。

 彼女は中庭の他に昼食を取る場所がないらしく、頑なにこの場所に居座っていた。そんな中、背後からクラスメイトの男子に毎回毎回話しかけられていれば、さぞ迷惑な思いをしていたことだろう。

 そろそろ潮時なのかもしれない。これ以上は流石に可哀想だ、と秋鷹は自分の行いを改める意向を示していた。

 教室などでは当然これまで通り接するが、こうして中庭でかまちょするのは今日で最後にしておこう。そう思った。


「つっても、さして珍しいってほどでもないか。高校生なんだから、遊ぶお金とか欲しいものを買うお金とか、まだまだたくさん必要になって来るからな」


 秋鷹とて、例外ではない。

 最近だと、秋鷹の貯金はほぼすべて避妊具に費やされている。一年生の頃あんなに必死こいて貯めたお金が、今じゃ安心安全な性行為をするための資金となっていた。


「そうだよ、俺も例外じゃないんだ。次期に貯金も尽きるだろうな」


 たとえ学費が免除されているのだとしても、残念ながら生活費はしっかりと払わなけらばならない。無念極まりない。


「それで思い出したんだけどさ。来栖さん、モデルの仕事とか興味ある?」


 急な秋鷹の問いかけに、杏樹は箸の動きを止めることで反応した。


「俺の友達に、ポッポティーンの専属モデルの子がいるんだ。その子に、この前誘われたんだよ。『宮本君、あたしのカレンダーに出る気ない?』って」


 秋鷹は適切な距離を取りつつ、杏樹の隣に腰かけた。


「なんか、女子高生としての自然な姿を撮りたいんだと。友達と話してる風景だったり、好きな人に告白してる場面だったり、色々さ」


「…………」


「でも、一人じゃ行きづらいじゃん? 確か他にも同年代の女の子を募集してるって言ってたし……どう? 俺と一緒に行ってみない?」

 

 もちろん、誰でもいいというわけではない。杏樹の顔を見て、カレンダーに載っても申し分ない風貌だと判断し、こう誘っているのだ。

 

「形的には読者モデルと同じ感じらしい。二時間程度の撮影をして、たくさんお金をもらう。……ね? 割とコスパよくない?」


「新手の詐欺師か何か? あなたは」


「いや、今の話マジだからね? コンビニのバイトしかしたことない来栖さんにはわからなかったみたいだけど」


 秋鷹がふっと嘲るように笑うと、杏樹はピクっと眉を動かした。


「付き合ってられない。大体、読者モデルの仕事は給料が安いと聞くわ。コスパが低くて割に合わないでしょう」


「へぇ、知ってるんだ。でも、お給料はちゃんともらえるはずだよ。なんなら、今訊いてみようか」


 秋鷹はポケットからスマートフォンを取り出すと、とある人物に電話をかけた。メッセージでやり取りしなかったのは、電話の方が手っ取り早かったからだ。


『……宮本君? どうしたの?』


「ああ、いきなりごめん。この前の、カレンダーの件なんだけど」


 秋鷹がそれだけ言うと、電話の向こう側にいる少女が「もしかして、出てくれんの?」と言った。


『それならすごい助かる』


「うん。それと、俺の友達も連れてって大丈夫?」


 さらっと杏樹を友人にしてしまったが、怒っていないだろうか――と杏樹を見ると、彼女は物凄い剣幕で憤っていた。

 秋鷹はそっぽを向いてスマートフォンに耳を傾ける。


『女の子?』


「そ、そう」


『全然いいよ。むしろ大歓迎』


「そっか、よかった……。日程とかは決まってる?」


『どうせだし、今週の日曜日にしちゃおっか。時間は追って連絡するよ』


「オーケー。あ、ついでにお給料とかも教えてもらえたりしない?」


『そこはやっぱ気になるところだよね』


「まぁな」


『安心して。手伝ってくれたお礼に、五千円相当のコスメあげるから』


「俺は正直いらないけど、友達の方は喜びそうだ」


『でしょ。じゃあ、また連絡するから。ばいばい』


「ああ、それじゃ」


 電話を切り、ポケットにスマートフォンを仕舞う。

 杏樹を見れば、彼女は弁当箱片手に立ち去ろうとしていた。秋鷹は慌てて止めにかかる。


「――ストップストップ! 二時間で五千円っ、時給二千五百円!」


 秋鷹が咄嗟に呼びかけると、ふいっと杏樹が振り返る。その表情は訝しげで、しかし、少しだけ期待の込められた色をしていた。

 まあ、嘘は言っていない。


「疑ってもらって構わない。断ってもいい。だけど、よく考えて決めてくれ。今週の金曜日までなら、待つから」


「ええ、少し考えさせてほしいわ」


 そう言うと、杏樹は秋鷹に背を向け、顎に手を添えながらブツブツと何かを呟く。そのまま、校舎の方に歩いて行ってしまった。



 ――それから数日後、杏樹は秋鷹の元にやってきて、なぜだかわからないが履歴書を渡してきた。

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