第三章 君と笑いたい
第56話 模糊とした日常
文化祭から一週間が経った今日、皆は既に勉強モードへとシフトしていた。体育祭に文化祭に中間考査、積み重なる行事ごとに身体は疲弊気味だが、秋鷹はこれが二年目な為ある程度は慣れてきている。
そして現在。午前中の授業をなんとか乗り切り、お待ちかねの昼食タイムとなった。
秋鷹は毎度おなじみのダイナミック焼きそばパンを口に含み、聞き飽きた教室の騒がしさに毎度のごとく鬱陶しさを覚える。
と、正面で机をくっつけ昼飯を共にしていた敦が、簡素な手作り弁当をつつきながら口を開いた。
「なんて名前だったか……みつ、みつ、密林……じゃなくて」
「もしかして、
「そう! それだ!」
敦の隣で同じく弁当をつついていた少女――
そんな彼女に向かって指を差し、敦は一旦箸を置いて、
「その三橋先輩ってのが、一昨日だか昨日だか、退学したらしいぜ」
「噂になってますよね。一年生の間でも、よく耳にします」
「なんでも、女の子の弱み握って、無理やり酷いことをしてたとか……」
「はい、バスケ部の主将で結構人気がある方でしたから、ショックを受けた女の子も多かったみたいですね」
「ん? 詳しいな、文香」
「隣の席の女子三人組が、こそこそと話していたのを盗み聞きしましたっ!」
「自信満々に言うことじゃないだろそれ……」
おさげを揺らし、無い胸を全力で張る文香。彼氏である敦に褒めてもらいたいのか、丸眼鏡の下にある瞳をキラキラさせていた。
その敦だが、彼女の様子に苦い笑みを浮かべると、次は秋鷹の方を向いてガックリする。
「あれ、興味なかった感じ?」
「まぁ……どうでもいいかな」
「まじかよ~。盛り上がると思ったんだけどなー……」
「人の不幸で盛り上がれるかよ。つーか、そういう噂話って言うの? 被害受けた子にとっては、セカンドレイプになるらしいから。気をつけろよ」
秋鷹は投げやりに返答し、お気に入りのトマトジュースを手に取った。ストローを唇に当て、スマホを操作しながら喉を鳴らす。
「じゃあ、この話はもうやめとくか」
秋鷹の気だるげな反応を見て、敦は小さく頷いた。そして、続けざまに声を潜める。
「けどよ、掘り返すようで悪いが……ということはだぞ。
「ああ、三橋先輩とは別れたって言ってたよ。妥当な判断だよな」
「こりゃあ荒れるぞ~。榎本のこと狙ってる男子ってのが、このクラスにも何人かいたからな」
言われてみれば、エリカの容姿はそれなりに良いし、スタイルも小柄なくせ出るところは出て、男の情欲を煽り立たせるシナジーとなっている。
加えて、意外にもフレンドリーなところがこれまたズルい。油断している隙を突かれ、エリカに惚れてしまった男子も少なくはないだろう。
しかし文香は、そんな敦の言葉を否定する。
「いえ敦君。今は宮本先輩のことで学校中大騒ぎですから、その人たちもそれどころじゃないと思いますよ?」
「あー、それもそうか。男子たちにとっては、こっちのが重大事項だもんな」
敦は納得し、自分のスマホを文香と一緒に覗き込む。すると、控えめな音量だが、スマホからアイドルコールが聞こえてきた。
「わっ、まだリツイートといいねが伸びてます……」
「そりゃ、コットンラブリーって言ったら、無知で無恥なおれでも知ってる新生アイドルだからな」
「敦君はむちむちなんですか!」
「ああ、ガチムチだ」
「…………」
「…………」
一瞬、どことない沈黙が落ちると、敦は気を取り直して頭を掻く。
「いや~、まさか秋鷹がクラスの出し物サボって、アイドルのライブ出てるとはなー……ハハハ」
「ネットでは『あのイケメン高校生は誰だ!』って話題で持ちきりですし、学校ではここ最近、宮本君のファンクラブまで出来てしまいましたね」
「え? 学校で?」
「はい、学校で」
「マジか……ついに
衝撃を受ける敦に同じく、秋鷹も自分のファンクラブがあることを今知った。それに若干の驚きを露にし、秋鷹は不服といった感じで、
「誰だよファンクラブ作ったの……それって、結局どういう意味があるわけ?」
「宮本君の最新情報が、会員限定でメールで送られてくるそうです。因みに、これも盗み聞きで仕入れた情報です!」
「盗み聞きを自慢げに主張してくることは置いといて……。え? 割と困るんだけどそれ。どうにかなんない?」
「〝プライベートには踏み込まない〟というのがファンクラブのルールなので、そこまで心配する必要はないかと……」
「確かに、ラブレターはあっても声かけてくる子はいないしな」
――何気、しっかりルールは守ってくれてるのね。
と胸中でツッコミを入れ、最新情報とは一体なんの情報なのかと更なる不安を募らせる秋鷹。あまり踏み込みすぎると、秋鷹の悪い部分が露呈してしまうが。
「一応おれもサクラちゃんのファンクラブは入ってるんだが、通知が溜まりすぎてエライことになってる」
「さらっと爆弾発言したな。もしかして敦、アイドルファン?」
「ファンっつーほどじゃねーけど、同じ学校だし? 応援してあげようと思っちゃうじゃん?」
「ああ、そうか……。思ってみれば、すごいなこの学校。アイドルが在籍してんのか」
今は丁度テスト二週間前で、そろそろ真面目に勉強しなければならない時期だ。そのため、アイドルといえど授業に出席しないと勉強について行けなくなる。
なにせ、花生高校のテスト内容は一夜漬けを無碍にしてしまうほどに難解なのだから。
とはいえ、サクラ・カントリー・キャッスルもとい――
まるで無関心を装い、秋鷹は残りのトマトジュースを「ズズズッ」と吸い上げ、その紙パックをくしゃっと握りつぶした。
そして立ち上がると、敦が思案顔で引き留めてくる。
「ていうか秋鷹……お前、サクラちゃんと知り合いだったのか? ほら、ライブにゲスト出演するって、なにか関わりがないと普通あり得ないわけだし」
「…………別に」
「いや、なんでエリカ様みたいになってんだよ」
仏頂面で腕を組む秋鷹に、敦が懐かしい名前を投げかけた。
エリカ様とは、一年生の頃の『榎本エリカ』の通称である。彼女はアベノマスクにマッキーで大きなバツ印を書き、それを着けて毎日登校していた。
今じゃ想像がつかないほどのグレ具合だが、あの時は本当に手がかかる子だったのだ。そんなエリカの姿を思い出し、秋鷹は上の空で敦に背中を向ける。
すると、
「あー、秋鷹」
「まだなにか?」
「次体育だけど、着替えなくていいのか?」
「サボる」
「おい」
と、もう幾度となく繰り返された日常会話をなぞるように、秋鷹は用意してきた台詞をそのまま吐いた。
それを敦も、気にしない様子で見送っている。帝が生徒会室に呼び出されているから、彼は昼休み終了まで文香と二人きりだ。
――別に、秋鷹は気を遣って席を離れたわけではない。
そうして、目的地の保健室に向かう。が、教室を出ようとしたその瞬間、体操着姿の結衣とバッタリ鉢合わせてしまった。
「あ、ごめん」
「あっ、ごめんね」
扉の前で同時に謝りを入れ、横にずれるも、秋鷹の目の前には結衣がいた。どうやら、道をあけようとして一緒に移動してしまったようだ。
秋鷹はもう一度横にずれる。がしかし、またもや結衣が目の前にいた。それから何度も、反復横跳びをするような道の譲り合いが始まる。
右にずれ、左にずれ、ぎこちないやり取りの最中、二人で似たような苦笑を浮かべてしまった。
「……いいよ、先行って」
「あ、うん……ありがとう」
最終的には秋鷹が声をかけ、日本人同士の優しい戦いに決着がついた。結衣は口元にえくぼを作ると、笑顔のまま教室に入っていく。
それを見届けて、秋鷹はふっと息を吐いて廊下に出た。愁眉を開いたような、そんな面持ちで。
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