第二章幕間 この関係が続くなら
「千聖」
「なに?」
文化祭の片付けが終わり、あとは帰宅するだけとなったその頃。影井涼は下駄箱で千聖を呼び止めていた。
幸い、周囲には生徒らの姿はない。クラスの片付けが長引いてくれたお陰でもあるが、千聖がクラスの打ち上げを断って帰り支度を始めてくれたことが大きな要因となったのだろう。彼女が颯爽と教室を出る中、その後を涼が追いかけていくと、下駄箱付近にはチラホラとしか生徒はいなかった。しかし、
「あ、えっと……」
「なんなのよ」
機を捉えたはいいが、いくら考えても次に出てくる言葉が浮かばない。涼は怪訝そうに眉を顰める千聖の視線に萎縮し、思わず――。
「……好きな人とは、どうなの? 上手くやれてる?」
「はぁ?」
目元を釣り上げ、千聖は腕を組んだ。彼女が怒る一歩手前の時によく取るポーズである。
「ご、ごめんっ……僕の所為で色々、千聖に迷惑かけちゃったでしょ? だから、千聖の恋にそれが影響してないかなって、気になって……」
「あぁ、まだ勘違いしたままだったのね……」
「……え?」
千聖はほんの少しだけ哀し気な表情を模ると、ふと考え込む仕草を見せる。そして大きな溜息をつき、
「いつだったか忘れたけど、教えたのよね? あたしの好きな人」
「う、うん……かっこよくて、優しくて、千聖のことを大切に想ってくれている人、だったかな」
「そう……。もうその人のことは、好きじゃないわよ」
「えっ」
涼はそれを聞いて、言葉の意味を理解するのに長い時間をかけてしまった。それ故に、涼が動揺している内に千聖は言葉を重ねる。
「諦めたの。その人はあたしのことを見てくれなかったから、少し前にきっぱりね」
「そう、だったんだ……」
「でも、後悔はしてない……それで学んだことも沢山あるし」
目を伏せ、僅かながらに口元を緩ませる千聖。彼女は最近、気性が荒い性格とは打って変わって物腰が柔らかになったように思える。
なぜだか色気も増していて、クラス中の男子たちの視線が集中していることも多い。涼にとっても、服越しではあるが目に毒なスタイルだ。
千聖の言葉通り、吹っ切れた結果がこの変化なのかもしれない。
「じゃあ、彼氏とか作らないのかな? ほら千聖、モテるでしょ」
「作らないわよ、そんなの……」
涼が調子に乗って聞いてみると、千聖はおちょぼ口を作って頬を赤く染める。それを可愛いと思う反面、その答えにちょっとした安堵が湧き上がった。
すると、千聖は自分のツインテールで顔を隠し、それから嬉しそうな声で、
「だって……今あたし、人生が楽しいから」
首筋から耳の先まで、湯気が出そうなくらい真っ赤に染める千聖。彼女が昔と変わらず、恥ずかしがり屋さんなことだけは涼にもわかった。
「……そっか」
と、そこで涼は、自分が千聖を呼び止めた本来の目的を思い出した。一緒に帰ろう、とただ一言だけ言葉にして伝えたかったのだ。
告白をするにはまだ勇気が足りないけれど、これくらいなら造作もない。家が隣で、しかも前までは一緒に帰っていたわけなのだから。
しかしそれを、口にしようとしたその時――。
「誰も気にしないって!」
「そういう問題じゃないの! わたしが気にするの!」
昇降口の扉の向こうを見ると、遠くの方に秋鷹と結衣がいた。そしてその後ろにはエリカがいて、三人で仲良く口論し合っている。
「大丈夫だよゆいゆい! ボクも寝る時なんかはさ、下着つけ忘れることしょっちゅうあるからっ」
「フォローになってないよエリカちゃん! わたしがなんか、常習犯みたいじゃんっ!」
「朝霧、俺も家ではノーパンなことが多い。てかほぼパン無しだ。なんつーか……俺たちって似てるな」
「一緒にしないでよ! 宮本君のそれはちょっとおかしいよ、一体どんな生活してんの!?」
「いや、普通に裸の生活だけど?」
「もう意味わかんないっ!」
そうしてそのまま、彼らは昇降口を通り過ぎてどこかへ行ってしまった。結衣が怒っていたのも当然久しぶりに見たし驚きはしたが、三人が未だクラスTシャツを着ていたことに涼は驚愕した。
思えば、即興劇の午後の部あたりから秋鷹はいなかったし、結衣とエリカの二人は後の片付けに参加していなかった気がする。皆は帰る準備を済ませて制服に着替え終わったというのに、どこで何をやっていたのだか。
暗くなった外の景色を眺めながら、涼は訝しげに首を傾げる。そして千聖に視線を向けると、彼女は口をへの字に曲げて何やら納得のいかない表情をしていた。
「――帰る」
「え、千聖……!?」
スタスタスタ、と千聖は昇降口を出て行ってしまった。引き留めることすら涼には出来なかった。
俯いて、「今日も誘えなかった……」と行動する前に断念する。自分が情けない。
一年前の文化祭は、千聖が積極的に涼を誘ってくれていた。けれど、今日は先程の会話が初めての会話で、なんだか彼女との距離がどんどん開きつつあるのを実感する。
「そういえば、結衣とも話してなかったっけ……」
一日の内で誰とも話さないぼっちの涼と、唯一会話をしてくれるのが彼女だった。幼馴染でこれまでずっと傍にいたから、気を遣って話しかけてくれていたのかもしれない。でも、それがないと少し寂しい。
――涼はふたりのことを思って、ズキリと胸を痛ませた。
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