第83話 喧嘩なんてしないもん

 夕食のバイキングのメニューは、昨日とは若干だが異なっていた。だし巻き玉子、なめこの味噌汁、マカロニサラダ――と、秋鷹の好物が比較的に多い。

 それをトレーに乗せて、秋鷹はクラスメイトが集う長テーブルへと向かう。周囲は秋鷹のクラスだけでなく、テーブルごとに他のクラスの生徒達も揃っていた。


 秋鷹が席に座ると、いち早く隣に座っていた帝が声をかけてくる。


「にぎやかでいいね。スキーも中々楽しかったし、改めて修学旅行に来れてよかったと思うよ」


「そうだな。俺も明日から上級者コースで滑れることになったし、ちょっとだけわくわくしてるところだ」


「なら、どちらが速く滑れるか勝負しないかい? 久しぶりに、秋鷹と本気で戦ってみたいんだ」


「戦うって俺は敵かよ」と秋鷹は答えて、なめこの味噌汁をすすった。すると、帝の隣に座っていた敦が、箸を片手に意気揚々と喋る。


「帝と秋鷹の勝負か……こりゃあ盛り上がるぞ。カレンダー効果によって、今は秋鷹の人気に火がついてるところだからな……」


「あ、そのことなんだけど。俺、これからそういった目立つような仕事? 的なものはやらないことにした。多方面から色々誘われてるけど、全部断るつもり」


「えっ、まじ? 急にどうしたよ」


「大した理由はないよ。カレンダー撮影をしたのだって気まぐれみたいなものだし、突然――そういうのが嫌になっただけ。疲れたんだ」


 実際は千聖に止められたからなのだが、秋鷹はそれを投げやりに誤魔化した。


 カレンダー撮影の後、モデルやら芸能関係の仕事の誘いをたくさん受けたことを覚えている。元々その誘いを引き受けるつもりはなかったが、現在は頑なな拒絶の意思があった。

 ファンクラブに関しては副会長のエリカが水面下で動いてくれるらしいから、なんの問題もない。それに、修学旅行が終われば近いうちにテスト期間に入り、冬休みを迎えるため、秋鷹がこうしてチヤホヤされるのも今だけのことだろう。


「俺はもっと目立ってもいいと思うけどなぁ」と帝が面白くなさそうな顔で言った。

 秋鷹はいったん箸を置くと、


「譲ってやってもいいけど?」


「俺がやっても意味ないよ。秋鷹が目立つようなことをするから、面白くなるんだろう?」


「もう十分だよ」


「まあ、それは言えてるね」


 食事中でも、周りからはチラホラと視線を感じる。帝がいるからという理由もあるだろうが、どうやら、その大半は秋鷹に興味があるようだ。

 とはいえ、こういう視線は慣れているので、秋鷹は気にせずに食事をする。


「それにしても、影井のやつ、最近は大人しいな」


 敦が頬杖をつき、テーブルの端に座っている涼を見ながら言った。それに帝が返答する。


「前はワイワイしてて楽しそうだったのにね。なにかあったのかな?」


「あったというより、あれが普通なんじゃないか? 前までがおかしかったんだ」


「今もあまり変わらないとは思うけどね」


 そのやり取りを聞いて、秋鷹も涼の方を見た。彼の正面の席には例のごとく杏樹が座っており、なんとも言えない異様な雰囲気を醸し出している。そこに、銀髪のちいさな少女が割り込んでいた。


「リョウっ、バイキングのやり方がわからないです」

「えっ……昨日教えたでしょ?」

「なんて日だ! ってやつのことですか?」

「それは芸人さんだよ」


「影井君、一回教えたことを二回も三回も教える必要はないわ。バイキングなんて、ただお皿に料理を盛って運ぶだけのものじゃない」

「それはそうだけど……」

「この子は友達がいるみたいだし、その友達に教えてもらえばいいんじゃないかしら。影井君が親身になってあげなくてもいいと思うのだけれど」

「そうは言ってもなぁ……」

「あら、女の子を放置して楽しむ……こほんっ、言い間違えたわ。幼気な少女を放置して楽しむのが性癖の影井君が、何を迷っているの?」

「そんな性癖持ち合わせてないっ!」


 そんな風に涼はいつも女子に囲まれているわけだが、敦はそこに物足りなさを感じているらしい。


「前まではあそこに日暮と朝霧がいたんだよな……後輩ちゃんは修学旅行に来てないからいいとして、これはなにか事件のニオイがする……」


「大袈裟だよ。彼女たちも高校生の普通の女の子なんだ。これから色んな恋愛をして、心変わりだってするかもしれないんだよ」


「あんなに好き好きアピールしてたのにか?」


「女の子って案外そういうものなんだよ」


「やけに詳しいな」


 少女漫画の受け売り、と帝は笑って返した。帝自身も恋に奮闘中ということもあって、少女漫画で繊細な女の子の気持ちを勉強しているのだとか。

 そんな帝は、秋鷹になにか訊きたいことがあるようで。


「秋鷹は、彼女とか作らないのかい? それこそ、日暮さんとか朝霧さんとか、今ならチャンスなんじゃないかな」


「うーん、どうだろ。考えたことないな」


「来年は受験なんだから、今のうちに楽しんでおいた方がいいよ。悔いのないようにね」


「一応、楽しめてはいるよ」


 秋鷹は再び箸を手に持った。変わらず、周囲はがやがやと騒がしかった。

 楽しめてはいる。どこか他人事のように、自分を俯瞰し続けた。そして、「わかっているさ」と理解したように頷いてみせる。



 一時間ほどして、秋鷹たちは夕飯を食べ終わった。この後は他の友人たちの部屋に集まる予定となっているが、秋鷹は忘れ物をしたため、自分の部屋に戻ろうとしていた。


「なら、俺たちは先に行ってるよ。これ、カードキー」


「ああ、さんきゅ」


「あとトランプも持ってきてくれると嬉しいかも」


「お前、ほんとそれ好きな」


 帝からカードキーを渡され、秋鷹は彼らとは反対側の方向に足を進めた。

 ついでにトイレも済ませ、ロビーに通りがかると――。


「だから、違うってば!」


「え~、なんか怪しいな~」


 金髪ギャルの春奈率いるギャル軍団が、ソファを占領していた。その中で一人だけ立っている千聖は、なにやら猛抗議をしている。


「あれは事故なのっ」


「そうは言っても、抱き合ってたしー」

「ギュってしてたしー?」

「めっちゃ長々と密着してたし!」


 言い返せないのか、千聖は自分の可愛らしいルームウェアを握りしめていた。唇がぷるぷる震えている。

 最近の千聖は前よりも自然体で人と話すことが多くなってきているので、いじられキャラとしての立ち位置を確立してしまっていた。あと、色恋沙汰の話になるとギャルたちは飢えた肉食獣のような面持ちになる。


「あっ、ほらほら。ご本人様の登場だよ!」

「これでついに真相が明らかになるねー!」


「なんでこんな時に来るのよぉ……タイミング悪い……」


 ギャルたちははしゃいでいるが、千聖はものすごく嫌そうな顔をしていた。


「どした?」


「いやぁ! こっちこないでぇ……!」


 バッと顔を手で覆い隠し、千聖は身もだえする。そんな反応をされてしまうと、さすがの秋鷹も悲しくなる。


「……千聖?」


「やだっ、変態!」


「えっ、俺って変態なの?」


「変態の皮を被った悪魔!」


「なんていうか、悪魔の方がまだましだな」


 とはいえ、なぜ千聖がこんなにも情緒不安定なのか分からない秋鷹は、ギャルたちの方に視線を向ける。と、春奈がその答えを教えてくれた。


「ふっふっふっー。あーしたち、見ちゃったんだよね。秋鷹がちさちーと抱き合ってるとこ! こんな風にぎゅうぅぅ……って感じで」と春奈は自分で自分の体を抱擁した。


「あー、見られてたのか。それはヤバいな」


「ヤバいじゃ済まされないのよっ!」


 千聖は小さく前ならえしたときのポーズで手をグーにし、両手をぶんぶんと上下に振っていた。そんなのお構いなしに、春奈はにやにやとした表情で、


「実際のところどーなんすか……? 秋鷹たちは付き合ってたりするの?」


「これは言い訳のしようもないな……」


「ま、まさか本当に……?」


「付き合ってないよ」


 ずこっ、とギャルたちは一斉にずっこけた。そこに追い打ちをかけるように、千聖が言う。


「大体、あたしがこんな軽薄そうな男と付き合うわけないじゃないっ」


「そうなの?」


「そうよ! こんなナスビみたいな男っ……!」


「……ふうん、そっかそっか」


「あっ……」


 会話していたのが秋鷹だと気づくと、千聖は〝またやってしまった〟と一瞬で涙目になる。たとえ本心でなくとも、気持ちが昂ってあらぬ言葉を投げつけてしまうのは千聖の悪い癖だ。

 とりあえず、秋鷹はギャル軍団に軽く弁明する。


「実はスキー練習してるときに、千聖が転んで泣きそうになってるところを目撃しちゃったんだ。俺、女の子の泣き顔にめっぽう弱くてさ、思わず抱きしめちゃったんだけど……ってあれ?」


 言い切る前に、どこからともなく泣き声のようなものが聞こえてきた。それは言わずもがな、ギャルたちのウソ泣きの声だった。彼女らは「シクシク……」と目元を指で拭い、それぞれ違った形で泣き顔を披露している。

 ちょっと意味がわからなかったため、秋鷹はこのすきを狙って千聖に近づき、


「あとで俺の部屋に来て」と耳元で囁いた。千聖は数秒の間を置いてから、「うんっ……」とうなずいた。



※ ※ ※ ※



「あ、ひたかっ……んっ、こんあ、ところでッ……は、んぅ……あッ……」


 秋鷹は部屋の扉を閉めると、近くの壁に千聖を押し付け、強引にキスを迫った。彼女の手を恋人つなぎで拘束し、膝の間に足を入れる。

 そして、唇をなぶるように啄んだ。息をするのも困難になるほどに追い込んでから、ゆっくりと唇を離す。


「悪かったな、軽薄な男で」


「やっ、違うの……」


「なにが違うの?」


「あの、本当にそう思わってるわけじゃなくて……」


「俺って、悪魔なんでしょ?」と秋鷹が自虐的に笑うと、千聖の顔に後悔の色が滲む。そして見る見るうちにくしゃくしゃに歪んでいき、しまいには唇をキュッと結んで泣いてしまった。


「……たく、泣くなよ」


「ごめ、なざい……ひっぐ……あたし、そんなつもりじゃだくぇ……」


「わかってるよ。冗談、冗談だから。千聖、泣かないで?」


「あだじ、あぎたかに悪いことしたってわかってるのっ……最低なの……うぐ、あきたかが好きなのに、嫌いみたいにしちゃって、ぐすっ……あたし、やっぱりあきたかとは釣り合わない……うぅ……」


「あーもう……。千聖、こっち見ろ!」


 千聖の肩を思いきり掴み、秋鷹は真剣な眼差しで彼女のことを見つめた。


「俺はさ、千聖が泣いてるところは見たくないんだ。だから、俺のことは幾らでも罵倒してくれて構わないから、泣くのだけはやめてくれ。……な?」


「泣き虫じゃ、だめ……? 秋鷹の前では、泣き虫でいたいの」


「だめ」


 千聖は好きな相手に対して、今まで本心を隠して生きてきた。高飛車な自分を取り繕い、相手に気後れしないように強気な態度を維持していた。しかし、中身はまだまだ幼稚で、甘えん坊な女の子だから、本当の自分を隠してきた反動で秋鷹の前でだけ涙もろくなってしまう。それなら、もっと別のやり方で心を開いてほしかった。


「千聖。俺は、千聖に笑ってほしいんだよ。ずっと、笑っていてほしいんだよ」


「あき、たか……」


 額をくっつけて笑いかけると、千聖もわずかにはにかんでくれた。それから、ちゅっちゅっと唇を突き出して甘やかな接吻を交わした。


「このまましちゃおっか?」


「仲直りえっち?」


「そう、仲直りえっち」


「うん……ゴムは、あたしのお財布に入ってるから、そこから……。――はぅッ」


 千聖の言葉を遮って、秋鷹は彼女の額を小突いた。


「財布に入れちゃダメだよ」


「な、なんで……?」


「ゴムが傷ついて、破けちゃうかもしれないじゃん。赤ちゃんできたらどうすんの?」


「あたし、あきたかとの赤ちゃんなら、喜んで育てるよ? 学校だって、やめてもいい」


「いや、それは俺が困る……」


 パパになるには年齢的な部分も含め色々とまだ早い。千聖が学校にあまり未練がないのも、自分と一生を添い遂げたいと思ってることも秋鷹は知ってはいるが、そういう問題ではないのだ。子供を作るということがどれだけ大変で、尊いものなのかを千聖はまだハッキリと理解していない。その状態で安易に足を踏み込んでいい世界の話ではないし、考えなしに踏み込んでしまったなら自分たちはきっと後悔する。この上なく打ちひしがれる。そんなのは御免だった。


「こういうのはちゃんとしよ? 俺たちは高校生なんだから、高校生らしく、好きを伝え合おうよ」


「ふふっ……そうだね。あきたかのそういうとこ、すき」


「ちゃんと反省してる?」


「してますよーっだ」


 秋鷹が自分の鞄から避妊具を取り出している最中、千聖は扉の近くで呑気に伸びをしていた。「ん~っ」と豊満な胸を張っているため、Tシャツがもはや張り裂けそうだ。下からはおへそも見えている。


「あーくんっ」


「……なに?」


「ふたりで、美味しい思いしようね」


「すでにしてるよ」


 秋鷹は千聖の腰に手を回し、彼女をこちらに引き寄せる。それで気づいたのだが、千聖は今の今まで、ずっとノーブラだったらしい。むにゅりと、その感触が胸板越しに伝わってきた。

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