第69話 学費免除やった
学校に着くと、廊下は大勢の生徒らで賑わっていた。おそらく、廊下にはテスト順位が張り出されているのだろう。
遡ること数日前になるが、テストは一週間かけて行われた。一日に2教科ずつ、計10教科のテストを五日間でみっちりと。
その間は結衣とエリカに勉強を教えたり、千聖と一緒にゲームをしたりもした。するといつのまにか、秋鷹は禁欲一週間目に突入していた。このまま我慢はできるが、正直ムラムラする。
ともあれ、秋鷹の通う学校――
進学校のため競争心を育てる狙いもあるのだろうが、学年トップ10ともなると、特待生として学費が免除されるのだ。勉強を頑張らない手はない。
「やった、9位じゃん」
見れば、順位表には秋鷹の名前が載せられていた。
ギリギリ学費を払わなくて済む圏内である。秋鷹はほっと胸を撫でおろした。
「いつもと変わらないじゃないか」
秋鷹の隣で不機嫌に呟いたのは、ポニーテールの少女――
「お前もいつも通り4位だろ」
「私の順位はこれ以上あがらないんだ。どれだけ努力しようともな」
「俺はいけると思うけど。だってほら、3位と4点差だよ?」
「その問題が鬼畜すぎるんだ……」
テストの問題を思い出したのか、紅葉は悔しそうにグッと拳を握った。
テストを作っている教師にもよるが、中には点を取らせないような難しい問題を作る者もいる。それ故、満点を取れないような科目が何個か存在するのだ。
「そう思うと、帝のやつすごいな。あと1点で満点だ」
「みかど……? それはあの、『爽やか王子』と女子の間で人気の?」
「ああ、そんな呼ばれ方もしてたなあいつ」
「成績上位者は変なやつばかりなのだな」
「そういうていでいくと、お前も変人だよ?」
言われて気がついたのか、紅葉はハッと目を見開いた。そして咳ばらいを一つ。
「こほんっ……一番の変人はお前だ、宮本」
「俺? 誉め言葉では……ないよな」
「ある意味褒め言葉だ。私は、お前の順位が9位であることに異議を申し立てたい」
「異議と来たか……。いいよ、聞くよ」
腕を組んで瞳をキリリッとさせる紅葉に、秋鷹はそっと微笑みかける。これを廊下の中央でやっているとなると、なんだか気恥ずかしい感じもするが。
「なぜ手を抜いている? お前なら、もっと上の順位に入り込めるだろう」
「手抜いてるわけじゃないよ。単純に、勉強してなかっただけ。それだけだ」
「その勉強をしろと言っているんだ。まったく……お前はまだ私が言ってやらないと動かないボンクラなのか……?」
「ぇ……」
紅葉はすっと距離を詰めると、秋鷹の襟元に手を添える。気崩されていたはずの制服がキュッキュッと整えられ、秋鷹は見る見るうちに小綺麗な美少年に変身した。
「ふふっ……中学の頃もこうやって、何かと面倒を見てやってたな。素行が悪いお前を怒鳴りつけて、締め出して、雨の中『羅生門』の音読を強いて。中々、正しがいがあったぞ」
「完全にトラウマだよそれ」
「だからこそ、私がいないと何もできないお前が憎たらしい」
「別にそこまで依存してねーよ」
ネクタイをきつく締められ、秋鷹は「ぐえっ」とカエルのように鳴いてから思わず咳き込んでしまう。紅葉はうんうんと納得したように頷いて、胸を張って得意げになった。
「これでよし。いくらオシャレしたいからといって、神聖な制服を着崩すとは言語道断だぞ。いや、いい度胸だな」
「謝るから古武術だけはやめてね」
「古武術じゃない、関節技をキメるんだ」
「もう! 暴力禁止っ!」
乙女チックに禁止を訴えるも、紅葉はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。流石にこの場では暴れないようだ。
すると、不意に脇腹をちょんちょんとつつかれる。秋鷹は変な声を上げそうになるも堪え、つついてきた相手を見やった。
「や、おはよ」
「……はよ」
後ろで手を組み、僅かに腰を曲げて上目遣いで挨拶してくる少女は結衣だった。彼女は軽いノリで小さく手を上げると、照れたように一歩後ろに下がる。
「早いね、あきくん」
「結衣は遅すぎだよ。遅刻ギリギリじゃん」
「えへへ、寝坊しちゃいまして……」
そう言って、結衣は寝癖のある場所を手櫛で梳く。それから、紅葉の方へ視線を移した。
「紅葉ちゃんも、おはよ」
「おはよう」
結衣の花が咲いたような笑みと紅葉の鬼のような阿修羅顔が、人間の本質を突き詰めたような対比を表していた。しかし、紅葉はすぐさま鬼瓦を引っ込め、口元を緩める。
「寝癖が直ってない。少しじっとしていろ」
「あっ……」
鞄からヘアブラシを取り出し、紅葉はそれを結衣の頭に当てる。そのまま流れるように髪を梳かし、寝癖を直してあげていた。ついでにサイドテールも結び直していた。
特段、珍しいことではない。彼女たちは一年生の頃に同じクラスだったため、すれ違えば挨拶を交わす程度の仲ではある。言うなればご近所さんみたいな関係だ。
「ありがと。紅葉ちゃんはやさしいね。あと、なんだかいい匂いがする」
「周りからは、おじいちゃんおばあちゃん家の懐かしい匂いがするとよく言われるな」
「そう、それだよ! 紅葉ちゃんがおばあちゃんなんだよっ」
「ちょっと待て。それは私のことをおばあちゃんと罵っているのか、それともただ言葉を間違えただけなのか。どっちなんだ……」
紅葉は顎に手を当て考え込み、「私はそんなに老けていない……」とぶつぶつ呟いている。そんな紅葉をよそに、結衣はにこにこと笑っていた。
そこでふと、
「――あ、そうだ。結衣、テストの手ごたえどうだった?」
秋鷹が訊くと、結衣はうーんと唸り始める。
「その、なんていうか、当てずっぽうと言いますか」
「おい、俺たちの血の滲むような努力はどこ行ったんだ。お前は三歩歩くと忘れるニワトリか」
「ち、違うんだよ! 聞いて!? ここまではちゃんと出てきたんだよ?」
結衣は首に手を当ててアイーンのポーズをとると、それを何度も繰り返す。喉まで出かかった、と言いたいのだろうか。
「テスト返却が楽しみだな。赤点は補習だよ」
「今回は大丈夫! 安心して! ――ね? 紅葉ちゃんっ」
「いや、いきなり同意を求められても困るのだが……」
眉をハの字にして困り顔を模る紅葉は、結衣の勢いに若干押され気味だ。そして、言葉を継ごうとするも、
「それより、私はお前たちの関係について根掘り葉掘り訊きた――」
それは予鈴によって遮られた。
「くそ、今回は見逃してやる。今度会った時は名前で呼び合っていた理由を教えてもらうからな。確実にだぞ」
そんな捨て台詞を吐いて、紅葉は競歩で自分の教室に向かった。それも物凄いスピードで。
規律を守って廊下を走らないようにしているのだろうが、もはや走り同然の速さだった。それを見送って、秋鷹は結衣に背中を向けると、その場で立ち尽くす。
「あ、あきくん……」
「いいよ、そのまんまで」
秋鷹の制服の裾を指でちょこんとつまみ、結衣は彼の大きな背中に隠れて身を竦める。廊下は案の定、密の状態だった。
当然ながらここには男もいる。雑踏と生徒らが入り乱れる中、秋鷹と結衣は目立たないように隅でじっとする。
大方、結衣が秋鷹に挨拶してきたのはこれが原因だろう。廊下には人が溢れていて、男性恐怖症の結衣ではそこを通り抜けるのは至難の業だった。
偶然秋鷹を見つけられたことは幸運だったと言えよう。彼のそばにいれば、安心できる。そうして、廊下に残った生徒が数えるほどになった頃――。
「先、行って」
「うん、ありがと……」
結衣はパタパタと小走りで教室に向かっていった。彼女の去り際の表情は、とても名残惜しそうだった。
秋鷹は微かに笑みを浮かべると、ゆっくりと歩き出す。しかし、順位表の前にいた人物にふと目を留めた。
艶やかな長髪を流した気品あふれる少女だ。彼女は親指の爪を噛み、真っ直ぐ順位表を凝視している。
それが気になった秋鷹は、足を止めて彼女が見据える先――順位表の上部分を見据えた。
1.桃源桜
2.神宮寺帝
3.来栖杏樹
壁に貼り付けられた白い紙には、そう記されていた。
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