第70話 それぞれの手作り弁当
「はい、あ~ん」
「んむっ」
いつもの如く、秋鷹と千聖は体育館裏で昼食を共にしていた。
千聖が弁当を作ってきてくれるようになってからというもの、秋鷹は栄養バランスのとれた健康的な食生活を送れていた。
最近は千聖があーんして食べさせてくれるので、もはや昼食時の秋鷹は母親にご飯を食べさせてもらう赤ちゃんである。ばぶばぶ。
「じゃ、あたしはあっちから行くから、あーくんはあっちからね」
「……了解」
教室に戻るときは、それぞれ別のルートで戻ると決めている。幸い、まだ秋鷹達が交際していることは知れ渡っていない。
そろそろ公言してもいいが、タイミングは千聖に任せているため、秋鷹が口出しすることはなかった。
「今日も美味しかったよ、ありがと」
そう言って、秋鷹は千聖にキスをした。
「んもうっ、もっとしたくなっちゃうじゃない。学校では控えめに!」
ビシッと指を突きつけてから身を翻し、千聖は走り去っていく。秋鷹はしばらくそこにとどまってから、ゆっくりと歩き出した。
本気で誰かに恋をしたことなんてない。
今までもこれからも、それはきっと変わらないだろう。
でも、この一見幸せなような日常が崩れ去ったら、自分の中の何かが壊れる気がした。びしりびしりと、すでにひび割れたそれが、跡形もなく消え去ってしまう気がした――。
秋鷹は制服のポケットに手を入れて、ふと足を止める。
何気なく渡り廊下の向こうに目をやると、中庭のベンチに同じクラスの来栖杏樹が座っていた。
「ひとりで食ってんのか、あいつ……」
そういえば、昼休みになるといつも、フラッと教室を抜け出す。てっきり涼と昼飯を共にしていると思っていたが、どうやら違っていたらしい。
秋鷹が思う杏樹は、いつも素っ気ない。それは千聖の素っ気なさが可愛く見えるほど冷然としたものだった。
それ故か、クラスの女子と積極的に関わりを持とうとしているところを見たことがない。他の女子から敬遠されているというより、敢えて自分から孤立しているようだった。男子たちから嫌厭されている涼とはまた違った孤立の仕方である。
けれど、そんな涼にだけ、杏樹は嬉しそうに微笑を湛えるのだ。
一年生の頃、図書室で涼と勉強していた杏樹は、頬を紅潮させ、普段の無口からは想像できないくらいの饒舌さを披露していた。
あんな風に瞳を輝かせて誰かとしゃべる彼女は、他に見たことがない。
いつも、一人でも平気みたいな顔をしているけれど、本当は誰かと話したかったんじゃないか。
だとしたら、相当なツンデレさんだが――。
「まだ時間あるな……」
秋鷹は腕時計を見て、意味もなく天を仰いだ。そして、足の向きをかえる。
※ ※ ※ ※
中庭にいる生徒は杏樹だけだった。
校舎のほうから、にぎやかな生徒たちの声だけが聞こえてくる。
「来栖さん」
後ろから呼びかけると、弁当を食べていた杏樹が、ビクッと肩を震わせて振り返った。警戒したような表情を見せる彼女に、秋鷹はニコッと笑ってみせる。
「そろそろ昼休み終わるけど、大丈夫?」
そして肩越しから覗き込むように、
「へぇ、そのお弁当おいしそーだね。ほうほう、やっぱり卵焼きは王道かー……」
軽いノリで話しかけるが、杏樹からの反応は一向にない。厄介なものを見る目で睨まれただけだ。
「俺、料理とか全然できないからさ、お弁当作ってくる人とか素直に尊敬しちゃうんだよね。朝お弁当作るのって大変でしょ? 早起きしなきゃいけないし、自分ひとりで頑張らなきゃいけないし」
杏樹はクルッと背中を向けて、黙々とおかずを口に運ぶ。
彼女は終始無表情だったが、誰の目から見ても煩わしそうにしていたことは間違いない。しかし、そんな態度にも構わず、秋鷹は彼女のそばで喋り続けた。
たいてい、そうしているうちに、素っ気なかった女の子も笑ってくれるようになる。秋鷹の頑張りに胸打たれたのか、あるいはただの愛想笑いなのかは知らないが、今までの経験から言ってそうだった。
「来栖さんってさ、いっつも本読んでるよね? なんの本読んでんの? 俺も最近本読むようになったからさ、気になるんだよねー。影井といる時もずっと読んでるし、相当面白いんだろうけど……」
それまで無言だった杏樹が、ピクッと反応した。
やはり、影井涼は彼女にとって、とても大きな存在だったようだ。名前を出されただけで反応してしまう程度に。
「あっ、そういえば来栖さんって影井と仲いいよね? いつも一緒にいるし、二人きりでいること多いじゃん? 付き合ってるってことはないと思うけど……結構いい感じの関係?」
興味津々な風を装って訊くと、杏樹がスクッと立ち上がる。バサッと長い黒髪が靡き、彼女の背中を御簾のように覆い隠す。弁当は、いつのまにか片づけられていた。
「あれ、来栖さん、もう食べ終わったの? さっきまで食べてる途中だったのに……」
言いかけた直後、杏樹にキッと睨まれ、秋鷹は「えっ、なに?」とたじろいだ。
杏樹は弁当袋をつかむと、足早で校舎へと戻っていく。その後ろ姿はどこかのお嬢様のように華やかで、気品あふれていた。スカートから覗き見える黒ストッキングも、良いアクセントとなっていた。
「結局、一言も話さなかったな」
秋鷹は杏樹を見送りながら、低い声で呟く。
二年生に進級してから、かれこれ半年以上たっているが、未だ彼女とまともに会話した記憶は秋鷹にはなかった。話しかけても、先のように無視されるか軽くあしらわれるかのどちらかである。
あんなことを続けていて疲れないのだろうか。
「笑ってた方が、絶対に楽だし……なにより」
秋鷹は校舎に向かって歩きながら、
「かわいいのに」
無意識に、ただただ思ったことを口にした。横からやってきたささやかな風が、前髪を微かに揺らした。
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