第54話 許しなんていらない

「うっ、寒っ……」


 いくらか太陽の沈みが早くなったとしてもまだ夕焼けは終わらない。だというのに肌寒さが際立ってしまうのは、着ている衣服の所為かあるいは季節の気まぐれか。

 

 文化祭の片付けに伴う談笑は乏しく、学内の至る所から聞こえていた賑わいは既に絶えている。

 空き教室で過ごした時間はさして長いものではなかったが、それでも、その時間がもたらしたのは移ろいゆく空の残照だった。


 雲の間から滲みだした陽の光がおぼろに舞い、暖かさとは似ても似つかない涼し気な風を校舎全体に行き渡らせる。

 窓の多い校舎は透き通るような硝子ガラスを緋色に煌めかせていて、わざとらしい光の照り返しがやけに眩しかった。


 だから、不機嫌に目を伏せる。眉間に寄った皺が崩れないように、眉を憂鬱に下げながら地面を踏み均した。


「一体どこへ向かっているのかな? 片付けがあるから、はやく戻りたいんだけどな」


 斜め後ろから聞こえたやわらかな声は、秋鷹の足を止まらせることはなかった。寧ろ今よりもはやく、そして自分勝手に先を急ぐ。

 機械的に義務的に、そこに目的がないのなら恣意的な歩み。ちょっとした使命は携えているけれど、それを俯瞰ふかんし続けている秋鷹はどこか他人事のような顔をしていた。


「校舎裏です。もう着くんで、黙ってついてきてください」


「告白でもするのかな? 僕にはそっち系の趣味はないよ……?」


「俺にもありませんよ、気持ち悪い」


 さらりと悪態をつくと、それきり言葉は返ってこなかった。ただ二人の足音だけが、不規則に重なる。


 姫乃芽郁と別れてからその後、秋鷹の行動は至って単純だった。模擬店の解体作業を行っていた三年生の巣窟に忍び込み、とある人物に声を掛けたのだ。

 気乗りはしないが、役目はこなす。誰かさんを救ってやると明言した以上、約束は守らないと今回ばかりは立つ瀬がない。二度も約束を破ってしまうとなると、流石の秋鷹でも良心が痛むわけだ。


 芽郁に関してはメッセージのやり取りと後日デートをすることで何とか許してもらえたが、エリカに関してはそうは行かない――いや、デートをしてやるだけでも喜んで約束を放棄しそうで怖い。

 最悪、このまま秋鷹が帰宅しても責められたりしなさそう。というか、帰っていいだろうか。今日は文化祭だというのに仮眠とエッチしかしてないが、それなりに疲労困憊で限界が近いのだ。きっと明日は、筋肉痛だ。


 そんな現状を垣間見ない思考を遮って、気づけば校舎裏が目と鼻の先に来ていた。後戻りできないと悟ると、秋鷹は歩きながら後ろを振り返らないで、


「そうそう、三橋先輩。くれぐれも、襲ったりなんかしないでくださいね」


 何の感情も込められていない秋鷹の言葉は、背後にいる三橋に深く突き刺さる。その男のつかえたような、喉を詰まらせた掠れ声が宙で霧散した。


 それは秋鷹が放った言葉で生じた狼狽えでもあるが、同時に、目線の先に現れた二人の少女に対しての動揺だったのかもしれない。

 校舎裏、陽の当たりにくいこの場所は影との境目がハッキリ分かれており、周辺に佇む木々からも長く穏やかな影が伸び広がっている。


 どんよりとした土色の地面、脇に生い茂る雑草の数々、そしてペンキの剥がれ落ちた廃れた壁が印象的だった。

 不意に衣擦きぬずれの音がして、見れば陽の当たる場所で少女たちが不安そうにこちらを見据えている。同じように朱色の光を浴びて目を細めていた秋鷹は、思い出したかのように軽い口調で声を掛けた。


「ちゃんと連れて来てくれたんだ……ありがとうエリカ」


「ううん、ボクにも責任があるからね……」


 そう言ったエリカは口元を緩め、隣にいる少女の手を強く握り締める。秋鷹が来る前から繋がれていたらしいそれは、微かに震えているような気がした。

 原因はたぶん、エリカの隣でずっと俯いてしまっている少女――朝霧結衣あさぎりゆいである。先刻、彼女の携帯に電話をかけたのだが無視されてしまった。そのため、エリカに頼んでここまで連れて来てもらったはいいものの、この様子からして少し無理やりすぎただろうか。


「見てください、三橋先輩。朝霧、あんなになっちゃたんですよ」


「あんな……?」


「はい、どうやら異性に対して並々ならぬ恐怖を抱いているようです。心当たりあります?」


「…………っ」


 秋鷹が校舎の陰に身を置くと、陽の当たる場所にいた三橋の顔が小さく歪む。しかし微笑は維持したまま、とぼけた態度で「さぁ? 僕にはわからないけれど、少し心配だ」と妙な気遣いを誇示した。

 

「ですよね、俺も心配です」


 同調するようでいて、秋鷹の声音には一切の情が含まれていなかった。独り陰の中に隠れ、やはり自分には関係ないとばかりに彼らを傍観し続ける。


 結衣は未だ下を向いているが、落ち着いてきたのかちらと秋鷹を窺い見ていた。それでも、目が合うと瞳を逸らし、視線を彷徨わせ、更には俯いてしまう。

 ギュッと握り締めたスカートから伸びる彼女の足が、綺麗ではあるが擦り傷だらけで痛々しかった。右膝に貼り付けられた大きな絆創膏に、うっすらと血が滲んでいる。


 そしてふと、秋鷹は本来の目的――いや使命を思い出しておもぶるに口を開いた。


「俺、なぜだか今、朝霧を救うって使命に駆られてるんです。昨日は十五分ほど、その時間に費やしました」


 唐突に告げられた言葉に三橋は微笑のまま、結衣はエリカから伝えられていたのか反応を示さない。

 

「それで考えたんですけど……謝ってもらえませんか? 誠心誠意、真心こめて」


「謝るって、僕が?」


 秋鷹に視線を向けられ、しらを切り、小馬鹿にするように鼻を鳴らした三橋は、それを悪いことだと思っていないところがまた性質たちが悪い。

 問題は問題にされない限り問題にはならない、と屁理屈を並べて言い訳を虚言にして生きるのが彼の常なのだろう。


「あー、そういうのいいんで、とっとと謝ってください。それとも、証拠を見せないとその気持ち悪い微笑やめてくれないんですか?」


「――なっ」


 秋鷹が突き出したスマホの画面を見て、三橋は仰天以外のなにものでもない驚き方をした。そこに映っているのは、男が女に暴行を働いている決定的な写真だ。

 早朝、即興劇の練習ついでにエリカと二人でそれを撮り、写真加工アプリで加工して出来上がったのがこれ。現代の技術は進歩しすぎだと感銘を受け、今どきのJKエリカはなんでもできるなと感心したことをよく覚えている。


 とはいえ、あまりじっくり見られると擬装がバレてしまいそうなため、秋鷹はスマホをポケットに仕舞い込む。


「なぜ君がそれを……」


「とある消息筋から入手したんです。大変でしたよ、まったく」


「意味がわからない……流出なんてするはずがないのに……」


「わからなくていいんですよ。今言えるのは、先輩はもう言い逃れはできないってことです」


 三橋は自分の悪行が知られないように上手く隠していたようだが、証拠はなくとも悪事の全貌は明らかになっている。

 なにせ、三橋に脅されている者――彼のクラスメイトやバスケ部の後輩である彼女たちが秋鷹に証言してくれたのだ。〝助けてやる〟と一言、甘い言葉を囁いてやったら簡単に口を開いてくれた。


 その事実を知ったところで何が変わるでもないが、それを理解してか三橋は開き直って高圧的に振舞ってくる。大きな溜息を一つつき、まるで嘲笑うかのように口角を上げた。


「謝るくらいなら、お安い御用さ。それでいいんだよね、宮本君?」


「被害を受けたのは朝霧なんだから、俺に聞かないでくださいよ。……けどまぁ、謝って、脅し材料を捨てて、脅してた人達にも謝って、改心すると誓ってくれれば、後腐れなくすっきりしますね」


「脅し……ああ、それが君の狙いなのかな? 誰に吹き込まれたかは知らないけれど、僕はこれまでの行いを詫びるつもりもやめるつもりもないよ」


 悪びれもなく三橋は言うと、秋鷹のポケットを見てから余裕に満ちた笑みを浮かべる。


「心配しなくても、結衣ちゃんにはちゃんと謝るよ。精一杯の気持ちを込めてね」


「これを持って警察に行くと言っても、心変わりなしですか……?」


 秋鷹はポケットに手を当て、表情ひとつ変えないまま脅迫じみた言葉を放った。写真の人物はもちろん秋鷹とエリカなため意味はないが、それを知らない三橋には効果がある。

 実際、余裕そうな顔をしていたはずの彼は苦い表情を模っていた。が、秋鷹を善良な人間だと勘違いしてすぐに笑みをたたえだす。秋鷹がこうして行動を起こしているのは結衣のためであり、かつ真面まともで誠実で困っている人を助けるようなお人好しだからこそ今ここにいるのだと、そう勘違いして変わらない笑みのまま秋鷹を見下した。


「その写真を持ってるってことは、僕のやってることを知ってるって訳だよね? なら解るんじゃないのかな? 君が僕を咎めると言うなら、僕は君が守ろうとしてる女の子たちの恥ずかしい写真をばら撒く」


「へぇ、クズみたいなことするんですね」


「だーかーら、あまり勝手なことはしない方がいいよ。恨まれるのは僕だけじゃなくて、宮本君もなんだからさ」


「…………」


「あれ? 黙っちゃってどうしたの?」


 秋鷹が返答せずに黙りこくると、三橋の態度が一変した。弱っている獲物に追い打ちをかけるように、勢い劣らずの言葉の猛攻を仕掛ける。


「大体、謝れ謝れって、ヒーロー気取りなのかな宮本君は。それでモテると思ってんの? 助けてあげたら好きになってくれるとか、そんな子供みたいな幼稚な考えしてんの? ひょっとして、君、童貞? ……ぷっ、見た目に似合わず初心なんだね。彼女いるのに手出せない奥手系男子なのかなー……言ってくれれば、僕の囲いから一人貸してあげてもいいけど? ていうか、誰の写真かは知らないけど、君の持ってるその写真でオナニーしたらどう? それで充分でしょ?」 

 

 早口でつらつらと言葉を並べ立てる三橋。それを黙ったまま聞いていた秋鷹は、意味もなく空を見上げて吐息した。

 過去の自分にこんな状況を見る機会があったとするなら、たぶん、いやきっと、腹を抱えて笑い転げていたことだろう。今も衰えを知らぬまま走り続ける三橋の言葉には、間違いの中にもちゃんと正しい言葉が紛れ込んでいた。


 それを拾い出せただけで、自分はこんなにも成長したんだと思える。成長していないと目を伏せて歩いていたはずのに、確かな実感をもって胸中に響いてくる。

 なら、自分のやるべきことは図らずも既に見いだせていた。クズで悪人で、同じ性質の持ち主だとしても、根っこの部分が似ていたとしても、それはただ似ているだけで似て非なるものだ。

 この男とは違う。本質は間違っていても、表面上の行動だけは正しくあろうとするのが秋鷹だった。


 充分すぎるほど目視した空のかげりから視線を移して、秋鷹は乾いた唇を薄く開いた。

 最初に出たのは冷え切った溜息だけ。そして、ガラッとした唸るような低い声。それに気づいた三橋が雑言を止めたが、秋鷹は彼の反応など確認せずとも言葉を発していた。自身のポケットにそっと手を置いて、


「言いましたよね、これを持って警察に行くって。俺はあんたの事情なんて知らないし知りたくもないし、なんの関係もない部外者なんですよ」


「……は?」


「だから躊躇なんてはなからしない。あんたの卒業後の進路とかも気にしない。大学からスポーツ推薦の誘いが来てるとかもどうでもいい。花校が実は不純異性交遊に厳しくてすぐ退学させられる高校とか、知ってても教えない」


「いや、え?」


 三橋は愕然としているが、秋鷹がこれを知っていても不思議ではない。スポーツ推薦の情報については夏休み中のものらしいから今がどうなっているかは知らないが、花生高校が規律に厳しいのは有名な話である。強姦なんて罪を犯したなら、十中八九、停学を通り越して退学だ。もっとも、強姦なら他の学校でも同じく退学だろうが。


 そんなことよりも、秋鷹が気にしているのは三橋の将来ではなく結衣の今後だ。

 

「あんたを警察に突き出して、罪を償わせるのは簡単だが……朝霧が受けた心の傷は下手すれば一生残る。もしかしたら、癒えないのかもしれない」


 その言葉に、沈黙を保っていた結衣の肩がビクッと震える。

 もし彼女の知らぬところで三橋が捕まり、知らぬまま罪を償わされていたとしたら。それは不安を助長するだけのスパイスにもなり得るし、だとしたら刻み込まれたトラウマを克服するなんてのは絶対にできない。

 

 結衣はそれを一瞬で克服できるほど強い人間ではない。そんなタマでもない。弱くてちっぽけで、少しの不安と恐怖で怯えてしまって、言葉を変えるなら、可愛いものが好きで、明るくて友人が多くて、ちゃんと思春期の乙女なりに恋をしている、普通の女の子なのだ。


「俺は朝霧に前を向いて欲しい。いつものように、笑っていて欲しい。こんななんでもないことで、悩まないで欲しい。本当は今も笑って、みんなで文化祭を楽しんでいたはずなのに……」


 そこで言葉が区切られると、三橋が秋鷹の顔を見て小さく呻き声を上げた。優位に立っていたはずなのに、途端に自分の立場が悪くなると声を潜める。おそらく彼は、調子に乗りやすいタイプなのだろう。

 

 秋鷹は密かに嘲笑した。

 

「謝ってください。償う前にやることがあるでしょう。まずは謝って、許してもらうところから始めるんです。許してもらえるまで頭を下げて、彼女の心を少しでもいいから軽くさせてあげてください」


「退学になるなら……いっそのこと、写真をばら撒いて――」


「まだ決まったわけじゃありませんよ。決めるのは彼女、彼女たちなんです。俺はただあんたが自由にできないよう釘を刺しただけ。だから苦しませてしまった一人一人に、誠意を込めて謝ってきてください。その上で許すか許さないの判断を下すのは、彼女たちです。あんたの……三橋先輩の心持ち次第で、退学かどうかは決まるんじゃないですか?」


「くっ……」


 先までの高圧的な態度は見る見るうちに萎んでいき、三橋は歯噛みしてこちらを睨んできた。

 謝る場を用意してやったんだ、素直に喜べよ――と秋鷹が睨み返すと弱々しく下を向く。


 三橋にはもう、謝らずに『捕まって将来を棒に振るか』、あるいは謝って『許しを請うか』の二つの選択肢しかない。

 どう許しを請うかは定かではないが、示談交渉でもなんでも出来ることを全力でして、彼女たちに許してもらわなければ結局は人生が終わるのだ。


 そして三橋は、やはり自分の体裁を守るため保身に走った。少しでも安泰な道に進めるならと、写真をばら撒くことはやめて静かに息を吐く。


「あの……結衣ちゃん……」


 優しく声をかけたつもりだったのだろうが、三橋の声は結衣の身体を恐怖で震え上がらせた。見るからに彼女の顔面は蒼白で、瞳は泣きそうなほど怯えを滲ませている。そこにエリカが握っていた手に力を込め、慰めに入っていた。

 

「遠慮すんなよ朝霧。お前が許さなければ、こいつに報いを受けさせることだってできる。それが例え、誰かを苦しめてしまうんだとしてもだよ。情なんて全部、捨ててしまえ」


「おい……!」


 急なヤジに反射的に声を荒げてしまった三橋だが、そんな彼には構わずに秋鷹は一言だけ続ける。


「――なんなら、俺がもっと地獄に突き落としてやる」


 それが皮切りとなり、三橋は自分の将来を諦観して黙りこくってしまった。あながち冗談でもないと悟ってしまったのだろう。

 それだけの冷徹さと冷酷さ、そして秋鷹には他人を思いやるまでの気持ちが微塵も無かった。もはや本当の言葉での脅しとなってしまったわけだが、そんな言葉のかたわら、エリカが結衣に向けてやわく囁くように、


「許しちゃダメだよ……ゆいゆい」


 心なしか掠れた声の先々が震えているような気がした。彼女もまた、色んな意味で悩み苦しんでいる。

 言っても一度は、ほんの僅かながらに好意を寄せてしまった人。それが世界がぐるりと変わるように、軽蔑すべき対象へと様変わりしてしまった。だからなのか、ケジメともとれる意志を示し、エリカは結衣の不安を受け止めながら言葉を紡ぐ。


「更生してくれるんじゃないかって、思ってる?」


「……え?」


「残念だけど、人は癖になってしまったことから中々抜け出せないんだよ。この人も同じ、きっとまた繰り返す。謝ったところで実際は甘えてるだけ。許してくれるんじゃないかって、心の中ではゆいゆいのこと見下してるんだよ。……傲慢、なんだよ」


 ね? というエリカの問いかけ、いや、問いかけであったのかはわからない。秋鷹にはそれが、何かを確かめ、自身の言葉に納得するための確認のようなものであるかに思えた。

 エリカの言葉には実感が籠っていたのだ。まるで自分の経験則を語り、しかし曖昧なまま語れらているから、口にした言葉が正しいかなんて自分ではわからない。


 それでも、秋鷹が和やかに頷いてやると、その瞳は安心したように薄らいだ。ほっとして、エリカは自信をもって繰り返す。


「許しちゃ、ダメ……未遂でもそれは、絶対に許されないこと。ゆいゆいは嫌で嫌で仕方なかったんだよね? だから、こんなに震えてる。だから、こんなに泣きそうなんだ……」


「君の、所為だろ……」


「…………ぇ」


 ――けれど突如。


 非常にアウェイな状況から、三橋が消え入りそうな声で割り込んだ。エリカの戸惑った表情を激しく睨みつけ、そこから彼は喉を震わせる。


「――元はと言えば、君がカラダを許してくれなかったのが原因だろ!? 半年経ってキスだけ? なんだよそれはよぉ!? 僕は悟りを開いた魔法使いでもなければ三十代の童貞じゃないんだぞ!?」


 ひっそりとした校舎裏に、上ずった声音が反響しながらも響き渡る。三橋は激昂し、顔を真っ赤にして荒れ狂った。


「そのくせ毎日のように誘惑してきて……んだよその乳とケツはぁ……! 身長に全然合ってないし、デカすぎだろッ。……ねぇ、なに? 僕を狂わせたいのか? 君は。――思春期の男子高校生にお預けさせて、楽しんでたのかって聞いてんだよぉおおッ!!?」


 なにも言わないエリカに苛立ちを感じたのか、三橋はより一層酸欠気味に声を張った。忙しない呼吸を無視し、そのまま額の汗を拭う。


「それともなにか? 他に好きなやつがいたから、僕に何もしてこなかったのか?」


「…………ぇ、ぁ」


「あ? なんだよその反応。……おいおい……嘘だろ……とんだアバズレじゃないか。今までずっと、僕を弄んできたのか? 僕と付き合っておきながら、心ここにあらずってやつか? ははっ……笑えるね、僕はこの女に遊ばれてたってわけだ! 最初から言えよ……! いや、言えるわけないか! 陰でこそこそ淫売するようなビッチだもんなぁ、君はッ! そのカラダを何に使ってたか言えよッ、吐けよッ、さっさと――」


 ――ぺちんッ。


 三橋が言葉を連ねようとした時、それを断つように渇いた音が鳴った。小さく響いたその音は、しかし続くと思われた罵倒をそこで終わらせたのだった。

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