第45話 教室がもはや異世界

 文化祭当日。クラスのみんなはそれぞれの準備に精を出していた。準備と言っても、ただ自分たちの衣装に着替えるだけなのだが。


 出し物である『異世界即興劇』は午前の部と午後の部に分かれており、宣伝ついでに全員でコスプレをしているのだ。

 コスプレしながら校内を歩いてみれば、興味を持ってくれる人もいるだろう。そんな考えで、千聖は今ファンタジーの中で言う森の妖精――所謂エルフに成り切っている。


「ちょっと露出多くない……?」


 初めて着る衣装に少しばかり不服の千聖。彼女はティンカーベルのような薄緑の服を綺麗に整え、教室にある簡易用の更衣室から出た。


 すると、制服姿のエリカが慌てて教室に飛び込んでくる。かなりの重役出勤だ。すでに文化祭の開会式は終わり、一般の人たちも校内に足を踏み入れているというのに。


「遅いよエリカ。寝坊でもしたの?」


「あっ……チサっちゃん……」


 千聖がエリカに声を掛けると、彼女は一瞬だけ挙動不審になった。そして、乱れた髪を指で梳かしながらニコリと笑う。


「大事な時に寝坊って、エリカちゃんってば実はドジっ子だったり……? なーんて、あははー……」


「もう、ちゃんとしてよ? 確かエリカ、凄い重要な役だったでしょ?」


「ただの獣人だよ。即興劇だし、『にゃんにゃんっ』って言ってれば取り敢えずは大丈夫!」


「そんなこと言って、大勢の前で恥かくのはエリカだからね?」


「おっとチサっちゃん、ボクの演技力を舐めてますな~? これでも演技派なんだよ、ボクちんは」


 猫の手でにゃんにゃんっとポーズをとっていたエリカは、次いで自信満々に胸を張る。そこで不意に、ふわりと心地の良い匂いが千聖の鼻先をくすぐった。


「ん? ちょっとエリカ……」


「え!? な、なに……?」


 スンスン、と彼女の髪の匂いを嗅ぐ千聖。傍から見れば、仲の良い女子が二人してイチャつくじゃれ合いのようなものでもあるが、この時の千聖は至って真剣だった。

 

「このシャンプー……どこのメーカー?」


 気になって聞いてみると、エリカがホッと胸を撫でおろして答えてくる。


「あ、こ、これはねー……わかんない! 誰かからの貰い物だし……?」


「そっかぁ……あたしもそれ使いたかったんだけど、ざんねん」


「よければ、今日帰った後で、メッセージかなんかで送っとこっか?」


「ううん、いいの。ほんのすこ~し、気になっただけだから」


 探す当てはあったのだ。なんせエリカから漂ってくるシャンプーの匂いは、秋鷹の使っているものと同じ。そのため、彼から教えてもらえばいいだけのこと。


 ――それにしても、羨ましいったらありゃしない。


「てかエリカ、早く着替えちゃいなよ。劇の時間までまだ余裕あるけど、制服なのエリカだけだよ?」


「そうだね、そうしよう! あそこで着替えればいいの?」


「うん、男子は近づけないようにしてあるから、安心して着替えちゃって」


 窓際の奥の方に設置された更衣室は、男子禁制だ。その影響で男子たちは廊下側に全員追いやられ、肩身狭い思いで控えめに談笑している。

 これも、このクラスの男子と女子の格差である。亭主関白の男がどんなに威張ろうと、かかあ天下の女に威張り返されるのだ。それで縮み上がってしまうのだから、情けない。


「よし、あたしもがんばろ……!」


 とはいえ、千聖も即興劇では割と重要な立ち位置である。今からでも気合を入れといて損はない。


 両手を握り締め、千聖は出し物に向けて自分を奮い立たせるのであった。



※ ※ ※ ※



 廊下側の壁に寄りかかり、秋鷹は眠そうに欠伸を噛み殺していた。寝不足、といえば良いのだろうか。

 昨晩は色々あってエリカを自分の家に泊め、朝まで抱き枕として愛情込めて抱いてやった。世間一般からすれば浮気で、しかも確信的な千聖に対する裏切り行為であるのだが、結局これはエリカが望んだことなのだ。


 そしてそこに、秋鷹に寄せられた〝好意〟があるのなら、なおさら秋鷹がそれを断る理由はない。

 自分に何の感情を抱いていないのであればまだしも、あれだけの好意を向けられてしまえば無視なんて出来ない。それが例え悪い行いだったとしても、その想いを受け取ってやるのが秋鷹の流儀だった。


 これまで幾度となくそうしてきて、独りよがりの悦楽に浸ってきたのだ。今更どう足掻こうったって、変われはしない――。


 ふと、秋鷹は黒板の前の人だかりに目をやった。

 中心にいる人物は真っ黒なドレスを着た結衣だ。彼女は一人一人と丁寧に言葉を交わし、ツーショットなどの写真を撮っている。

 もちろん、男子と女子の両方とだ。文化祭ではそういった写真を撮ることは珍しくないのだが、昨日のこともあって少々意外だった。


「ゆいちー、ありがとんっ」


「うん、あとで春奈ちゃんのとこにも送っとくね?」


「おっけーい! ゆいちーマジよいちょまる~。文化祭、一緒に盛り上がっていこうね?」


「うん! えい、えい、おー!」


 金髪ギャルと二人で楽しそうにはしゃぎ、結衣は純粋な笑顔を周りに振り撒いていた。そんな彼女に、秋鷹は声を掛ける。


「次、いいかな?」


「あ、宮本君。いいよ、撮ろ撮ろ!」


 早くこっちにこい、とでも言うように手招きされ、春奈と入れ替わりで秋鷹は黒板の前で結衣と隣り合う。


「かっこいいねー! その衣装っ。手作りなんだよね?」


「ああ、途中何回も壊されたが、なんとか間に合ったよ」


「あははっ、頑張ってたもんね! 同じ悪役同士、いい写真が撮れそうだ!」


 そう言って、結衣はスマホを斜め上に掲げた。


「宮本君も、がおーってやってね? がおーだよ、がおー。わかる?」


「なにそれ流行?」


「わたしの中ではね。悪役っぽいでしょ?」


「かえって可愛さが増してると思うけど……」


 呟き、秋鷹は結衣と同じようにガオーポーズを手でつくる。肩がギリギリ触れ合わないような距離感で、魔王とオークのツーショット撮影が行われようとしていた。


 兜をするとまた騒ぎになりそうなので、秋鷹が着ているのは緑色の鎧だけだ。

 しかし、そんな距離感でいた所為か、未だ立ち直れていない彼女の心が露呈してしまう。


「はい、もっと近づいてー…………っ、きゃっ……!?」


 ――肩と肩が触れ合い、結衣が微かな悲鳴を上げて横に飛び退いた。触れた肩を押さえ、彼女は若干だが体を震わせている。

 翳りを落としたその表情にも怯えが目立ち、まるで恐怖の色に染まっているようだった。いかに彼女が気丈に振舞おうと、心に沁みついた不快感が消えることはない。


 ガヤガヤと騒がしい教室で一人、場違いなまでに沈黙を貫く結衣。学校にはいつも通り登校していたため、最悪の事態は免れたのだろうと勝手に判断していたが、これはこれで重傷である。


「どうした……?」


 心配するように秋鷹が聞くと、結衣はハッと俯いていた顔を上げ、現実に戻ってきた。それから首をブンブン横に振り、「しっかりしなくちゃ」と言って意思を固める。


「ごめんねっ。やっぱり宮本君のそれ、すっごく怖い」


 秋鷹の緑鎧を見て、あからさまな誤魔化し方をする結衣。


「そっか、怖がらせちゃったんだね。こっちこそ、ごめん」


「いや大丈夫だよっ、もう平気だから!」


 慌てて顔の前で手を振り、彼女は再びスマホを掲げた。


「じゃあ、撮るね……?」


「……オーケー」


 二人してガオーポーズをつくり、「はい、チーズドッグ」という結衣の掛け声と共にシャッター音が鳴った。

 上手く撮れたようで、結衣は思いのほかご満悦。笑顔を秋鷹に向けると、


「わたしのインスタに載せちゃってもいい?」


「ああ、俺の方にもできれば送って欲しいかも」


「ありがとっ。写真は、インスタの個別チャットに送るね」


 さらりと揺れる橙色のサイドテール、ぱっちりとした大きな瞳、笑った時にできるえくぼ。それらが変わっていないのだとしても、彼女が無理しているのは見ていればわかる。


「――強いな、朝霧は」


「……え?」


 それでも、強くあろうと努力している彼女は輝かしかった。きっと、最後まで、何があってもそうあり続けるのだろう。

「苦しみは人間を強くするか、それとも打ち砕くかである。その人が自分の内に持っている素質に応じてどちらかになるのである」という言葉があるように、結衣にはそれに因んだ素質があったのだ。


 変わらない秋鷹と違って、変わろうと努力している結衣。それがどうにも、眩しく見えてしまった。

 目を伏せ、秋鷹はその場を離れる。そして更衣室前にいるエリカに雑なジェスチャーを送り、結衣の元へ行くように指示した。


 これは事前に、エリカと話し合っていたことだ。

 今日一日は、結衣が文化祭を楽しめるようにエリカがサポートする。それは、なるべく男と関わらせないようにするための配慮だった。

 事実、さっきみたいに男と接触し、恐怖を蘇らせる事態に陥るかもしれない。それを避けたいがために、エリカが秋鷹に提案してきたのだ。結衣を見捨ててしまったことに罪の意識を感じていたから、彼女はこの機会を償いの場として選んだのである。


「あとはよろしく」


「……うん」


 すれ違いざまに、秋鷹はエリカと言葉を交わした。そんな意図も思いもつゆ知らず、なにも知らない千聖がやってくる。


「……あ、あたしとも、写真撮ってよ?」


 なにを血迷ったか、教室のど真ん中で堂々と言われてしまった。


「それもいいけど、せっかくの文化祭なんだし、今から一緒に回らない?」


「んーっと……その恰好で?」


「ちゃんと兜は被るよ。それに……呼び込みついでなら、千聖と一緒にいても変に思われないだろ?」


 コスプレしながら外に出れば、怪しまれずに文化祭を楽しめる。周囲の目は引いてしまうだろうが、秋鷹と千聖が交際していることもバレはしない。

 

 冷やかされるのが苦手な千聖も、これには納得のようで、


「それなら、安心できそうね。兜の有無は関係ないと思うけど……いいわ。一緒に回ったげる!」


「嫌々って感じ?」


「バカね。そろそろ、あたしが嬉しがってる時の顔くらい覚えなさいよ」


「難しいな……人前だと、千聖っていつもぶすっとしてるから」


「な、名前で呼ばないでよ……! 誰かに聞かれたらどうすんの!?」


「そもそも、ここで話すのがいけないよね」


 秋鷹は肩を竦め、呆れながらも目尻を下げるのであった。



 ――そうして文化祭は始まる。平凡な日常に少しの彩りを加えるように。

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