第49話 一方通行の恋
「あれ……? 終わっちゃったの?」
体育館の中は外と同様、人が入り乱れてガヤガヤと騒がしかった。劇をやっているのであれば、こんな騒がしいわけがない。
つまり、
「いない、よね……」
辺りを見回しても、秋鷹の姿はどこにもなかった。
あの気まぐれ男のことだ、おそらくはどこかで暇つぶしでもしているのだろう。例えば誰にも邪魔されないようなところで、日向ぼっこをしていたりだとか――。
と、そんな考えに自然と笑みがこぼれ、芽郁は少しだけ気を落とす。
遅れた自分が悪いのだ。秋鷹がいつまでも待っていてくれるとは限らないし、うじうじ考えていても仕方がない。心機一転、気持ちを切り替えよう。
「
「すみません姫乃さん……私がお化け屋敷で腰を抜かしてしまったばっかりに……」
「気にしてないよ。まだ文化祭が終わったわけじゃない。それに、即興劇なら午後の部もある。気楽に行こうよ」
「なんてお優しいんでしょう、姫乃さんは……」
うるうるした瞳で見つめてくる
「こんな友人をもてた私は、幸せ者です……!」
「あーうん、はいはい。とにかく、座ろっか?」
思いのほか天子の声が大きくて、周囲の視線を集めてしまった。芽郁は逃げるように観客席へ向かおうとするが、その時――。
「……姫乃か?」
壇上の方から、一人の少女が小走りでこちらにやって来る。派手なマントに、銀色の鎧。作り物なのだろうが、騎士の格好としては様になっていた。
「あっ……
見覚えのある人物だと思っていたら、案にたがわず。
高校生ながらに完成された整った顔立ち、女性にしては高めのスラリとした身長。それは中学の頃から寸分も変わっておらず、むしろあの頃より美人度が増しているように思えた。
「そっか……宍粟さんって、この学校に通ってたんだ……」
「驚いたか?」
「ううん、少し意外だったけど、宍粟さんの性格からすれば納得。その……追いかけて、来たんでしょ……?」
「…………」
紅葉は沈黙すると、眉間に皺を寄せて目を伏せる。そして、無言で首を振った。
「受験に失敗しただけだ。そこに他意はない」
わかりやすい嘘だった。花生高校より上のレベルとなると、ここら辺には存在しない。それこそ、芽郁の通う
まず、紅葉の学力なら受験に失敗することなんて考えられないのだが。
すると、紅葉がチラっと芽郁の隣を見た。そこにいた天子が、ビクッと反応する。
「あー……紹介するね。こちら、光輪天子さん。私の同級生であり、友人です」
「あ、はい。ごきげんよう宍粟さん。私の名前は光輪でも、天子でも、好きな方でお呼びください」
天子はそっと長いスカートの裾を摘まみ、持ち上げてから軽くお辞儀した。それにならって、紅葉も控えめに口角を上げる。
「ああ、よろしく光輪さん。せっかく来たんだ、花生高校の文化祭を存分に楽しんでいってくれ。次は私たちのクラスの演劇もある。よければ、そちらもぜひ」
「はい、面白そうなので観てみたいです! いいでしょうか、姫乃さん……?」
「もちろん、光輪さんの好きなようにして。無理言って連れて来たんだし、少しくらいはね」
流石に一人で文化祭に行くには勇気が足りなかったため、友人の天子を誘ったのだ。そんな芽郁の誘いに、彼女はわざわざ用事を蹴ってまで乗ってくれた。
だというのに謙虚で、不満をこぼさず、実直に今も「ありがとうございます!」と頭を下げてくる。よくできた子だ。これでは、どうあっても断れないではないか。
「それで……お二人は、どのようなご関係なのですか?」
「ああ、それはだな……」
天子のその疑問に、紅葉が率先して口を開く。
「私と姫乃は、中学の同級生なんだ。それなりに、話したりもしていたな」
「ほへぇ……どうりで。距離が近いので、不思議に思ってしまいました」
「まぁ、他にも理由はあるんだがな……」
そう言って紅葉は、そのキリッとした目を細めて考え込む。身長差で少しだけ見上げる形になっている芽郁が、そんな彼女の様子を首を傾げて見ていると、
「とはいえだ。姫乃がこの学校の文化祭に来た、大方の予想はつく。私はそろそろ演劇の準備に戻らなければならないのだが、その前に一つ」
バサッとマントを靡かせ、くるりと身を翻した紅葉。彼女は芽郁たちに背を向けたまま、凛とした声音でこう言うのだ。
「――緑のバケモノを追え」
意味深な捨て台詞を吐き、紅葉は壇上の方へ歩いて行った。
どうやら、ここ数年で彼女にもちょっとした変化があったようだ。それも、世間一般からすれば悪い方向に拗らせている。
「かっこいいですねぇ……」
うっとりとしている天子をよそに、芽郁はどう捉えて良いのかわからず、紅葉の背中をただ追うことしか出来なかった。
――あれはたしか、
※ ※ ※ ※
「迫力がありましたね、姫乃さん!」
「うん、宍粟さんの演技が光ってたね」
椅子から立ち上がり、芽郁たちは体育館をでる準備をする。
紅葉のクラスの演劇は、時間を忘れてしまうほど面白くて、完成度が高かった。おそらく、文化祭最優秀賞は紅葉のクラスになるのではないか、と思えるくらいには凄かった。
そんなこんなで、時間的には昼食時だ。芽郁的には、模擬店を回って美味しい食べ物巡りでもしたい気分だが――。
「姫乃さん」
くいっと制服の裾を掴まれ、芽郁は振り向く。
「ん? どうしたの?」
「あちらの、お顔立ちが整ってらっしゃる殿方が……」
天子の見据える先を芽郁も見てみれば、そこでは一人の少年が機材を移動させる作業をしていた。
大変そうだ、と誰もが思う光景だろう。少年の体格は良い方だが、一人ではやっぱりキツイと思わざるを得ない。
「あの……」
「いいよ、私も行く。手伝いたいんでしょ?」
「は、はい……!」
天子の気持ちを汲み取り、芽郁は彼女と一緒にステージの前へと向かった。そして機材チェックをしている少年に、天子が声を掛ける。
「すみません。私たちに、なにか手伝えることはないでしょうか?」
「うん……? ああ、もう大丈夫ですよ。お声がけありがとうございます」
少年は機材をポンポンッと叩き、気さくに笑ってみせた。
「そうですか……」
いくらかしょんぼり気味の天子。そんな彼女の様子に気づいたのか、少年が屈めていた腰を上げて、
「それに、女の子にこんな重たいものを持たせる訳にはいかないからね」
「……お優しい方なのですね」
「いえいえ、そんなことないですよ」
少年は機材から天子に視線を移し、そのまま体を向ける。
「実は、周りが結構忙しくて、緊急で機材チェックを頼まれてしまったんです。一人での作業が大変だったのも事実ですし、『手伝う』って言葉だけでも、ほんと助かりました」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです。余計なお世話だと罵られるのも覚悟してましたから……」
「あー、はは……わかります。俺も声を掛けたりするときは、いつもビクビク震えてます」
「ふふっ、やっぱりお優しい方なのですね。普段は、人の手助けをするのがご趣味で?」
「ご冗談を。趣味ってほど大層なものじゃありませんし、俺の場合、人助けはただのお節介ですから」
「それなら、私と同じですね。今さっき、あなたに余計な世話を焼いてしまいました」
「助かったって言ったじゃないですか。それこそ、君の考えてることは俺にとっては余計です」
「お上手ですね」
「どこがですか」
そして、くすくすと笑い合う二人。爽やかに笑顔を咲かせる少年に、片や上品に口元を隠しながら笑顔になる少女。
――なんだなんだ、この二人いい感じじゃないか?
傍観していた芽郁は、二人の視界から外れるように一歩、二歩と距離を取る。友人の恋路を邪魔するのは、無粋すぎる。
芽郁は続けて談笑する二人を、数歩離れた位置から見守っていた。
文化祭で他校の生徒と恋仲に発展する者がいるらしいが、これもその内の一つなのだろう。一番あり得るのはナンパだろうが、言ってしまえば今回の件は逆ナンとも言える。
聞こえが悪いから、そう呼称するのはやめとくが。お似合いの二人だ。
黒髪ロングの清楚系女子で、加えてお嬢様であるが故に天子は貞淑だ。そんな彼女に、少年の風貌はベストマッチしている気がした。
性格も、話を聞いている限りでは悪いようには思えない。芽郁はふと、子離れするときの親の気持ちを身に感じた。
良い雰囲気の二人を、目尻を下げながら見守る。昼食時だからか、体育館には生徒がチラホラとしかいない。
そうしている内に、天子がこちらに目を向けた。
「あちらが姫乃さんです。私の、唯一無二の友人なんです!」
「親友、なのかな……? って……そうだ、挨拶してなかったね。ええっと、俺は神宮寺――」
言いながら顔を芽郁に向けた少年は、唐突に目を見開かせて固まった。しかし瞳をさまよわせると、再び今しがたの笑顔に戻る。
と、ウキウキ気分の天子が、嬉しそうに芽郁に近寄ってくる。
「姫乃さん姫乃さん。こちらの神宮寺さんが、学内を案内してくれるそうですよ!」
「……え?」
いつのまにか、そこまで話が進んでいたらしい。
案内してもらっている最中に秋鷹を探せばいいし、別に構わないのだが、少年の顔を見てみると――。
彼は、どこか落ち着かない表情をしていた。緊張でもしているのだろうか。
芽郁はその意味を図れなくて、こてっと首を傾げたのだった。
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