第28話 面倒くさそうなので帰ります
涼の家にお邪魔する際に少しだけ聞いた、兄妹喧嘩の真相。それは、妹である陽の携帯の待ち受け画面を涼が覗き見てしまったことが原因らしい。
もっとも、涼はどんな待ち受けだったかなんて分からなかったようで、早く誤解を解いて兄妹仲を改善したいと今もまごまごしている。
「まぁそれはいいんだが……料理多くない!? もしかして誰か誕生日だったりする?」
リビングの大テーブルに乗せられている料理類は、秋鷹の知らない料理ばかりだ。加えて、これらを四人で食べるとなれば誰かが犠牲になることを覚悟しなければならない。
それほどまでに並べられた料理の数は多く、秋鷹の顎は愕然としすぎてもはや落下寸前。だが、そんな秋鷹へ正面に座っている結衣が、
「陽ちゃんはいつも豪勢なくらい作るんだよね。お客さんがくると張り切っちゃうみたいで」
「そうだね。おかげで久しぶりにちゃんとした晩御飯が食べれそうだよ。もう僕、お腹ペコペコで限界かも……」
「お前は反省しろよ?」
「っは、はい……」
隣の席に座る涼を一瞥し、秋鷹も自分の腹の虫を多少なりとも鳴かせてみせる。
料理がすべて並ぶまで待つ必要はないものの、秋鷹達はつまみ食いせずに涎を垂らすだけ。新手の拷問にもどかしさが募り、秋鷹は気を紛らわそうと、
「俺、料理の練習してるんだけど……妹ちゃん、陽ちゃんの料理姿見に行っても大丈夫かな? 参考にしたくてさ」
「大丈夫だと思うよ。でも陽は恥ずかしがり屋さんだから、あんまりジロジロ見すぎると怒られるかもね」
「忠告どうも。俺はお前みたいなヘマはしないよ」
「ぐっ……今の僕には精神的にキツイ一言だ……」
胸に手を当て、大袈裟に顔を歪める涼。一方、立ち上がった秋鷹に結衣はスマイルを向けながら口を開く。
「男の子で料理するって珍しいね?」
「ま、一人暮らしだからな。そろそろ出来るようになっとかないと」
「……ちさちゃん?」
「いや日暮じゃねーよ!? 一人暮らし!」
「ああ! 一人暮らしね! 急にちさちゃんが出てきたと思って、びっくりしちゃった……」
言いながら作り笑いにシフトした結衣。まだ千聖のことで心にしこりが残っているのか、コロコロと明るい表情と暗い表情が入れ替わる。
千聖と結衣は何かとすれ違うことが多く、見ている限りでは不仲といっても過言ではない。十年来の幼馴染なのに。
肩を竦め、秋鷹は俯いてしまった結衣から視線を外し、リビングからキッチンへ。
一般的で簡素な家庭。この言葉が似合うだろうリビングルームを抜けると、秋鷹は何かを炒めている陽の後ろからひょっこり。
「――なに作ってんの?」
「ひゃっ……せ、先輩……!?」
シーフードの香るフライパンをひっくり返そうになった陽は、慌ててフライパンに視線を戻す。
思えば彼女との会話はこれで二度目だ。委員会の会議室を探している時に一回、そして現在。
先ほどまで秋鷹がこの家に訪れたことによって慌てふためいていたが、どうやらもうその心配はなさそうだ。
初めて会った日と同じく、彼女は礼儀正しい佇まいで応じてくれる。
「ぱ、パエリアです……」
「へぇ、美味しそうだね。それで最後?」
「あ、足りませんか……?」
「うん、十分だよ。それ以上作らなくてもいいからね。本当に見ているだけで満腹だから」
早口で念を押す秋鷹に「そうですか……」と幾らか落ち込む陽。しょんぼりな彼女は、チラリと瞳だけを動かし、
「あ、あの……そんなに熱い視線を向けられてしまうと、私……ぁぅ……」
「ああ、ごめんごめん。料理の勉強をさせてもらってました。全然わからないけど」
「そんな……私はまだまだ新米で……」
「いや、すごい上手だよ? 俺だったら油を引くだけで焦がしちゃうよ」
「え……純粋にどういう意味ですか?」
自分でも理解ならない言葉に、秋鷹は自身の料理の出来なさを呪う。そして気分一新、手を叩くと微笑みかけるようにして、
「でさ、俺が言うのも何だけど、これからも影井に料理作ってやってくれないか? 流石に晩御飯抜きは辛いと思うんだ」
「お兄ちゃんに、ですか……」
「うん。待ち受けを覗かれたことでまだ怒ってる?」
「それはもう気にしてません……ただ」
彼女は短めのツインテールを微かに揺らし、秋鷹と目を合わせた。
「今のお兄ちゃんを見ていると、なんだかムカムカしてきちゃうんです」
「あー、はは……わからなくはないよ」
「でも、今日だけは特別に作ってあげます。――――なので」
「……ん?」
最後だけボソリと呟かれて、秋鷹は自分の難聴を疑う。
とはいえ、千聖に聞いた通り涼は昔からあんなだった訳ではないみたいだ。陽の不満が溜まっていくほどだし、今の陰気な彼とは随分とかけ離れているのだろう。
結衣と談笑している彼をおもむろに見据え、それから――秋鷹はここ最近で癖になってしまっている溜息を盛大に吐いた。
「仲良くな。ずっと喧嘩してるってのも気分悪くない?」
「居心地は悪いです……」
「だろ? なら許してやってくれ。陽ちゃん」
「よ、ようっ……!? ちゃ、あ――」
ラップ口調になる陽は、しかしフライパンのパエリアを見て消沈する。
――とてもではないが、その料理は焼き焦げて食べれそうにはなかった。
※ ※ ※ ※
「いただきます」
と秋鷹は自分の所為でもある焦げたパエリアを、スタッフが美味しく頂きました的な気持ちで口に入れる。
うん、食べれなくはない。しかし積極的に食べようとも思えない、独特な味だ。つまりはそこまで美味しくないということだ。焦げているので仕方ないのだが――。
「って……食べづらいんだけど……」
「そ、そうですよねっ。私も、いただきます――」
何故かモグモグしていたところを陽に凝視されていた。作った本人なのだから、口に合うか気になるのだろう。
今はそう思うことにした。
「美味しいよ、陽ちゃん」
「は、はいっ……! ありがとうございますっ……」
最初は威勢がよかったのに、陽は言葉の先になっていくにつれ口籠っていく。秋鷹はそんな陽の正面に位置する涼へ、
「……よく食べるな。頬にご飯粒くっつけてるけど、俺は取ってやらないからな。あと、おちゃめでもなんでもないからな」
「わたしが取ってあげようか? リスみたいで可愛いりょうちゃん?」
「うご、ふぐ、んっ……! ちょっ、二方面から違うベクトルで物申したい言葉が……!」
ふごふご言ってご飯を飲み込んだ涼が、隣の席で何やら騒いでいる。がっついてはいるが、彼の付近にある料理が減る気配はまったくない。
四人でとなると、少しばかり量が多いのが問題だ。増援を要求したいが。
「そういやさ、日暮は呼ばないのか? 家、隣なんだよな」
「さっき連絡はしたんだよ。でも……反応なくてさ、直接行くのもやっぱり躊躇しちゃって……僕は、来てほしいんだけど……」
「ん? なんかあったのか?」
なんとも白々しく、秋鷹は知っていない風を装って彼らの事情について聞く。実際は彼らの関係がぎこちなくなってしまった理由も知っているし、ここでとぼける必要もない。
けれど千聖との関係を勘繰られてしまっても困ると、秋鷹はこうやって首を傾げているのだ。
「そっか……宮本君は知らなかったよね。それと、陽も……」
「私……?」
「うん、実はね……」
そう言って涼の口から零れだしたのは、体育祭前日の日に犯した彼の罪。千聖が雨の中で泣いていたことについては知らないにしろ、その発端は彼自身、重々理解している。
謝ったはいいが、これまでのような関係には戻れない――戻れていないのであれば、彼の気持ちが晴れないのも無理はない。
「お兄ちゃん……」
すると、陽は手に持った箸を震わせ、「お兄ちゃん」という一単語で途轍もない怒気を表現する。
だが彼女の隣で控えめに、結衣が張り詰めた空間の中で箸をそっと置いた。
「わたしが悪いんだよ……わたしが言わなければ、そうはならなかった……」
「そしたら、教室で日暮に告白させてた俺が一番悪いじゃん」
「えっ……」
「違う?」
「えっと、それは……」
元はと言えば、そうなのだ。秋鷹が告白練習なんてちゃちな行為をさせなければ、彼らの仲は過不足なく今まで通りに収まっていたのかもしれない。
ただ、それは〝かもしれない〟というだけで、秋鷹は彼らの不変的な日常はじきに崩れ去ると部外者ながらも感じていた。
しかしその部外者とも、今は言えない。助言ないしは告白練習という関わりをもって、部外者を脱却し綺麗に終わりを迎えるはずだったのだが、形は違えど現在は深いところまで踏み込んでしまっている。
何の偶然か、奇しくもこんな大層な料理まで並べられ、家に招き入れられたりもしているのだ。
隣で黙り込んでしまっている涼。正面で疑念を胸に抱いている結衣。意味のないこととは解っていながら、秋鷹は彼らに問いかけてみる。
「どうしてだと思う? なんで、告白させてたと思う?」
はっと何かに気づいた結衣は、今回ばかりはその笑顔を仕舞って、
「もしかして……ちさちゃんが好きだから、意地悪く強要して……」
「え、俺ってそんな暴君に見える?」
「見え……なくもないかな?」
「全然オブラートに包めてないから出直せ!? ていうか、なんなのお前ら幼馴染っ!」
千聖にも善人には見えないと、直接言われたことがあった。果たして彼女らにはどう認識されているのか。
自分ではダビデ像並みにハンサムだと思っているし、
「そもそも、日暮なら得意の暴力で何が何でも拒絶するだろ。……あれ? こう考えたらあいつの方が暴君じゃない?」
「ち、ちさちゃんの拳には優しが込められてるから、そんなことない、はず……」
「食らいそうになったことは何度もあるが、優しさなんてあったか……?」
「あるのっ!」
「あ、はい……」
膨れっ面になって、ここにきて幼馴染への思いやりを発揮する結衣。彼女は浮き上がった腰を椅子に降ろすと、気を取り直して、
「けどじゃあ、ちさちゃんのことは好きじゃないの……?」
「……ん? 好きだよ?」
「え!?」
「ふぇっ!?」
「先輩……!?」
突然、涼に続き結衣と陽が同じ表情で固まる。秋鷹は驚愕する彼ら全員を面白おかしく見やると、
「いや、友達としてね」
すると彼らは息ピッタリにほっと胸を撫でおろす。
これを延々と繰り返してやっても面白そうだが、彼らの肩が上下する様を見せられてもいずれは飽きてしまうというもの。
秋鷹は肩を竦め、そのままの事実を伝えてやる。
「だから、あの時は告白練習に付き合ってあげてただけだよ。そこにやましい思いとかはない」
「告白練習……?」
「ああ。朝霧が見た光景は告白練習のってことになるな」
「そうだとしたら……本当に僕の勘違いだったんだね。付き合ってる訳でも、宮本君が千聖を好いているわけでもない」
「そう言ってるだろ。それにお前、自分の勘違いだったってのもとっくに理解したはずだろ?」
秋鷹が千聖と付き合っていないという事実は、既に涼自身も知るところだ。けれどその事実確認を秋鷹にすることも出来ていなかった為、今に至るまで不安が拭えなかったのだろう。
「でも、なんで告白練習を千聖が……」
「お前ならわかるんじゃないか? どうしてあいつが、告白練習なんかやってたのかをさ」
「僕なら……」
そうだ、落ち着いて考えてみればわかるはずなのだ。
彼が千聖と過ごした時間は秋鷹とでは比べ物にならない。千聖の好意に気づきやすい場所にいて、気づかなければいけない立場にいて。どうしてもっと解ってあげられなかったのか。
秋鷹はチャンスとは名ばかりの、実質の伴わない選択肢を涼へ突きつける。選択したとて戻れはしないけれど、それは僅かばかりの秋鷹の温情だった。
「そっか、練習だもんね。好きな人に告白するための」
「ああ」
「僕じゃない誰かに、告白するための……」
「――――っ」
最後に、独り言のように言った涼だが、その声は静寂を纏うこの場所ではハッキリと聞こえてしまう。
そしてカチャリ、と箸を置いたのは陽だった。涼が放った言葉によって、彼女の怒りは限界間近に到達しているらしい。
そんな彼女を、背中をさすることで諭している結衣は、やはり涼の言葉の意味を測りかねていた。
だが周りの見えていない涼は、自己完結するように視線を落とす。
「それくらい……わかってる……」
「ああ、俺もわかってたよ」
「……え?」
すくりと腰を上げた秋鷹。それに釣られて顔を上げた涼は、他の二人を視界に入れる。
「あ、え、僕なんか不味いこと言ったかな……?」
「さぁな、自分で考えろ」
秋鷹は床に置かれた鞄を肩にかけ、
「ごちそうさま」
スタスタとその場を立ち去る。
兄弟喧嘩の仲裁にきた秋鷹だが、この状況は少しばかり手に負えない。否、ちょっと面倒臭かった。自分で搔き乱しておいたのにも関わらず、だ。
仲直りさせるとか、そこまでの義理は最初からないし途中で投げ出してしまおう。と、秋鷹は絶望的な空気感のリビングルームを見やり、絶望的な顔で助けを求める涼にニコリと笑いかけてやる。
――すると、涼は泣きそうな顔になった。
※ ※ ※ ※
「雨……?」
門扉から出ると、やけに冷たさを感じさせる雫が頭上から降ってきた。ぽつぽつと柔らかに髪を撫で、水滴として毛先を伝って落ちる。
これは非常事態だ。秋鷹の家はここからだと一時間以上かかる距離にある訳で、このままでは雨でびしょ濡れになりながら帰ることになってしまうではないか。
しかし丁度よく目に留まったのは、涼の隣の家――【日暮】という表札のあるドでかい一軒家だ。
ここら一帯ではお目にかかれない程の大きさではあるが、秋鷹は見慣れたような面持ちでそこのインターホンを押す。
――ピンポン。
「…………いないのか?」
反応がないのでもう一度。更にもうワンタップ。タップタップと連続で迷惑行為を繰り返した。それが効果あったようで、
「――ぅ、うるさいっ、アキタカ・ミヤモト……!」
盛大に、玄関を開けて出てきたのは千聖だ。
亜麻色のツインテールとキングサイズのウシ乳を豪快に揺らし、彼女は何故か顔を上気させながら睨みつけてきた。
「あ、眼鏡……」
いつもと違うのは、彼女の強気な印象を持たせる鋭い瞳。プライベートであるがゆえか、その瞳には眼鏡が掛けられている。
いつになく知的な印象を抱かせ、彼女の雰囲気をセクシーで大人な女性へと一変させる便利アイテムであった。
とはいえ、気を取られているばかりではいられない。
「雨降ってきたから、千聖の家にお邪魔していい?」
「は――? って雨……!?」
辺りは暗いし、インターホンのカメラ越しでは雨が降ってるなどと気づけなかったのだろう。
彼女は徐々に濡れが激しくなっていく秋鷹を見て、唇を噛み締めてプルプルと震えだす。インターホンを鳴らされても出てこなかったことから推測するに、自分の家に招き入れるかどうか悩んでいるのだ。
ならば、と秋鷹は捨てられた子猫のようなつぶらな瞳で千聖を見つめる。あの、道端で遭遇してしまったら思わず立ち止まってしまうような、庇護欲を掻き立たせる混じり気の無いピュアさ。
「もぅ~! 何だってのよ……! 早く入りなさいよバカぁ――!!」
押しに弱い彼女は、こうして秋鷹を自身の家に招待してしまう。
「お邪魔しやーすっ」
一方、秋鷹はめちゃくちゃ軽いノリだった。
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