第27話 くろわっさん
「パン屋なんてあると思う?」
「あるんじゃない? 先輩がそう言ってたんだし」
暗くなり始めた河川敷沿いの道を、秋鷹達はゆっくりと歩いていた。それは歩くペースが遅い結衣に彼が合わせているのか、それともその逆か。
どちらともなく歩調を合わせて、だらだらと固いコンクリートを踏みしめていく。
「あそこら辺ってラブホテルが多いんだよ。そんな場所にパン屋があるとは考えづらいんだが……」
「らぶ、ほてる……? 関係あるの? それ」
「え、いやあるでしょ」
――なにを言っているのこの子?
と秋鷹はこれまでに見ぬ自然な流れで首を傾げて見せた。結衣は未だ惚け面を維持したまま、口元にあるえくぼを存分に窪ませる。
「たまにだけど、ホテルにパン屋さんとかない? わたしは……そうだなぁ、クロワッサンが好きだなー」
「ちょっとお高いホテルにはあるのかもしれないね」
「あっ! じゃあ部活の大会前によく泊まるホテル、お高いところだったりするのかな?」
「知らねーよ。けどそれはラブホテルとは言えないな」
常識とか貞操観念とか、彼女にはそれが備わっていないようで少しばかり心配だ。
彼女が人を疑わないような性格だということは、クラスを同じにしてから目に余るほど見てきた。それだけに解せない。
周りの人間に恵まれた、といえばそれまでなのだろうが、その危機感の無さはいつか身を亡ぼす。
人を信用しきってホイホイついて行ってしまうようなままでは、それは一生拭えない。
「――なぁ朝霧。お前、人を疑うことくらい覚えろよ」
「人を疑う……?」
「うん。あの先輩、少し怪しいよ。万が一も考えとけってこと」
「あはは……なんだか宮本君の話って難しいや……つまりはどういうこと?」
「どこが難しいんだよ……」
彼女の理解力の乏しさに呆れつつ、それならばと秋鷹は簡潔に要点だけを伝える。
「あのままあそこ……パン屋に行っていたとしたら、お前襲われてたぞ?」
「えっ……襲われるって誰に……」
「先輩にだよ。女が男の力に適うとでも思うか? 一瞬で組み敷かれて終わりだ」
「うーん、そっか……先輩がか……それは驚き桃の木だけど、大丈夫だよ。
先輩の名前が判明したことは取り敢えずスルー。続く彼女の言葉に耳を傾ければ、
「三橋先輩は彼女がいるからね。今日も彼女さんに渡すプレゼントを選んで欲しいって言われて、わたしが選んであげてただけだから……」
「襲う必要性がない?」
「うん、彼女想いな先輩なんだよ? それに、涼ちゃんとちさちゃんとのことで相談にも乗ってくれたし」
「相談、ね……」
この前の、結衣たちの誤解が生んだ小さな拗れのことだろう。いや、彼女らにとっては幼馴染の関係に亀裂が入るほどの大きな事柄だったのかもしれない。
その相談に快く乗っかってくれたのであれば、一見、面倒見の良い優しい先輩でもあるのだろうが、そこに騙されてはいけない。
秋鷹はああいった善人の皮を被った人間を何人も見てきた。それには自分も含まれているわけだが、そんな人間に関わればろくなことにはならない。
――まさにブーメランだ。
伏し目がちで過去の過ちを思い耽る秋鷹。すると、結衣が横やりに――。
「でも心配してくれてありがとう」
「ん? ああ……」
「もしもだよ? もしもがあった時はわたし、ちゃんと逃げれるよ。走るのは得意だから、まかせんしゃい!」
「安心していいのか……?」
「えー? なんで宮本君がそんなに気にするの。わたしの問題でしょ、おっかしいのっ」
どこに笑いの要素があったかは知りえないが、結衣の思考回路はかなり破天荒だ。飽きずにもまた、彼女は満面の笑みで秋鷹を見る。
「それもそうだな……よし、この話はもう終わりにしようか」
「うんうん! 楽しい話にしよう!」
「楽しいか……あー、そうそう。プレゼントと言えばなんだけど……」
「にょえ……?」
何かを想起し秋鷹は鞄に仕舞っていたペンギンストラップを取り出すと、ゲーセン前で敦にしたようにストラップを差し出してみた。
「ほれ、UFOキャッチャーで取ったやつ。俺が持ってても仕方ないし、貰ってくれないか?」
「え、いいの?」
「ああ、折角なら使ってくれる誰かにプレゼントしようと思って」
「わぁ……使う! 使わせてもらいます! ありがとう! わたし、こういうストラップ好きなんだ~!」
受け取ったストラップをキラキラした瞳で熟視した後、結衣は自身の鞄にペンギンストラップを装着。
ぶらんぶらんと振り子のように揺らしながら、くるりと回ると、
「どう? 可愛い?」
「いつにもまして可愛いよ」
「もーう大袈裟なぁ、否定はできないけど!」
結衣に向けて放った言葉なのだが、彼女はジャラジャラと揺れるストラップの数々に視線を置いて返答した。
こう見ると、千聖よりギャルっぽい鞄をしている。コレクションか何かなのか、そこにペンギンストラップが新しく追加されたようだ。
「集めてんの? すっげー年季入ってんな」
「小学生の頃から集めてるからねー。にしても、ペンギンさんは初めてだよ! 宮本君ナイスぅ!」
「お、おう……気に入ってくれて何よりだ」
「くぁわいいね~お前さんはぁ! うりうりぃ」
自分の世界に入り、彼女は人形に語り掛けてしまっている。ここまで痛いヤツだとは思わなかった、と秋鷹は少々引き気味にそれを見るが、彼女の楽し気な様子から目が離せないでいた。
が、そんな遊びを中断させるような声が正面から――。
「……結衣?」
「っ……? りょう、ちゃん……?」
いつの間にか、本当にいつの間にか住宅街に辿り着いていたようで、辺りを見渡せば薄暗い夜道を淡く光る街灯が弱々しく照らしている。
そして偶然にも鉢合わせてしまった。レジ袋を携えた少年――影井涼が、秋鷹達の目の前で足を止めている。
「えっと……どうして二人が?」
「あ、それはねっ――」
「帰り際にバッタリって感じで、女の子一人は危ないし家まで送ってあげてたって訳だよ」
結衣の声に被せて言ったのは、『ラブホテル』という単語がでてくることを懸念しての対応だ。
無難な返しはできたし、秋鷹的にはこれ以上掘り下げられるのは御免こうむりたいが――。
「そうなんだね。そういう気遣いを何気なくやってのける宮本君って、やっぱ凄いね」
「皮肉?」
「の、ノンノンノン! 心から! 本心だから!」
「ノンノンノンって腹立つな……」
「ご、ごめん……! 今期放送中のアニメのキャラクターの口癖で、つい……」
「ナルシストキャラって一瞬で想像できたよそれ」
あたふたしている涼。彼の恰好から秋鷹はある答えを導き出す。
「影井は……その様子だとコンビニか?」
「あ、うん……ちょっと妹と喧嘩しててさ、今晩御飯ない状況なんだ、うちの家」
「マジ? つーか、まだ喧嘩してたのかよ」
「――え? なになに? 陽ちゃんと喧嘩してるの?」
幼馴染で、家が近いというのに結衣は認知していなかったらしい。バスケ部が忙しい所為で、致し方なくそうなってしまったとも言えるのだろうが。
「それがね、一向に仲直り出来ない状態が続いてまして……」
「じゃあわたしが仲介するよ!」
「結衣でも、厳しいかな……」
「まだわからないでしょ!? わたしを頼ってよ、りょうちゃんっ」
「ん~……」
そこまで修復不可能な状態なのだろうか。改悪の一途を辿っているということは涼の空気感からも読み取れる。
結衣の明るさなら彼らの関係なんてちょちょいのちょいな気もするが、秋鷹は気まぐれじみた心持で、
「――それ、俺が手伝ってやるよ。仲直りさせてやる」
「うぇ?」
「へっ?」
予想外だったのか、彼らは同時に驚きの声を上げた。
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