第65話 はじめての修羅場
六畳間の一室、その畳の上には丸テーブルが置かれていた。秋鷹は壁に寄りかかって本を読んでいるが、結衣とエリカは丸テーブルを挟んで向かい合っている。
「せふれじゃなくて、ぺっと……?」
「一応、そういうことになってる……」
読書中の秋鷹を尻目に、二人の少女は先程から会話を繰り広げていた。
主にエリカのことについてである。エリカが元々、秋鷹を好きだったこと。一時の気の迷いで先輩と交際してしまったこと。先輩に愛想を尽かした時、秋鷹が優しく抱きしめてくれたこと。千聖に対する後ろめたさから、セフレではなくペットという形で秋鷹と繋がってきたこと――最後はほんの名ばかりのことであるが、その事実を結衣に伝えたエリカ。彼女は裸エプロンのまま正座し、結衣を見据えている。
「でも、まさかゆいゆいにまで手を出していたとはね……」
「わたしも、あきくんがエリカちゃんとそういう関係だったなんて、ちょっとびっくり」
エリカがそれを聞いて「あきくん?」と首を傾げたため、結衣は「あ、そう呼ばせてもらってます……」と恥ずかしそうに下を向く。
おそらく、結衣は普段から秋鷹のことを〝宮本君〟と呼んでいたから、エリカにとって違和感が大きかったのだろう。そんなエリカはしばし黙考し、尻肉に喰い込んだ踵を捩らせていた。それから、隅の方にいる秋鷹に向けて、控えめに訊ねる。
「ほんと、ボクが言えたことではないし、今更なんだけど……。いいの? 秋鷹は。ゆいゆいはボクみたいに解った上でここにいるみたいだけど、仮にも、秋鷹はチサっちゃんの恋人でしょ……? こんなことしてて、大丈夫なのかな」
本当に今更だな、と思いながらも、秋鷹はちらと視線だけで結衣を見る。彼女も、どうやら秋鷹の行動原理が知りたいらしい。真剣な眼差しで秋鷹を見つめていた。
これまでの秋鷹の行動は一見すれば善意あるものだが、見方を変えれば、彼女たちの弱みに付け込んで悪辣を働いていたに等しい。あるいはそれは、体目当てで女性に近づく不埒者となんら変わらない行動である。
後者は間違いだとしても、前者は言い逃れのしようもない事実だ。彼女たちの乙女心を弄んで、自分に好意を向けさせるように仕組んでいる。
まず、秋鷹には恋人がいるのだ。倫理的なことを考えるなら、今のこの状況すべてが間違いであることは確実。
「大丈夫じゃないよ。大丈夫じゃないけど、俺は、この行為を否定するつもりはない」
しかし、秋鷹は自身の裏切り行為を肯定した。読んでいた本を閉じ、彼女たちに顔を向けると、
「性行為にこだわるわけではないけれど、俺にとって体を重ね合わせることは、相手を知るために必要な一番の手段なんだ。だから、やめることは出来ないかな」
思春期であるが故に性に興味があることは当然だし、ましてや、男の秋鷹に性欲がないと言ったら嘘になる。けれど、性欲が一番の原動力となっている訳ではない。言ってしまえば、これまで魅力的な女性は腐るほど相手にしてきたし、飽きるほど堪能してきた。性処理に困ったことも一度もない。
それでも秋鷹が性行為――言わばセックスを用いて女性と関わる理由は、これが最も相手の本質に近づける行為であるからだ。
互いの肌と肌を直に重ね合わせている時点で、相手との心の距離はないと言える。その上で他人に見せたことのないような顔をベッド上で晒し、自身の醜態をさらけ出すのは真情を吐露することと同然の行為ではないのだろうか。
少なくとも、秋鷹はそう思っている。スポーツ感覚でセックスをする女性もいるらしいが、一般的な女性であるならば、恋人関係でない限りその多くは恥じらいや憂いでセックスを遠ざけてしまう。やはり心を開いている相手でないと、素直に体を明け渡してくれないのだ。
「それに、泣いてる女の子見たら、救ってやりたいと思うじゃん? セックスってストレス発散になるし、意外にも効果的なんだよ。まぁ……嫌だって言うなら、やめてもいいんだけど」
秋鷹は多少強引なところはあれど、相手が本気で嫌がればそれ以上は何もしない。さっきも言った通り、無理にでもしたいほどセックスに飢えていないのだ。
その代わり、相手が求めてくれるなら、それ相応の態度を示す所存である。すると、エリカが胸に手を当てて言った。
「秋鷹がいいって言うなら、これからも一緒にいたいな……。二番目でも、セフレでも、ペットでも、なんでもいいからさ」
「エリカのしたいようにすれば? 俺も、これまで通り応えるから」
「……ありがと。好き」
「うん」
その好意を受け取って、秋鷹は本に視線を戻す。千聖から借りた『ツンデレ幼馴染が報われるまで』という小説だ。それを開いて黙読するが、一方で、エリカが天然幼馴染の方に向いて、
「ゆいゆいはどうなの?」
「わたし……?」
「本当は気づいてるんじゃない? 自分の気持ち」
結衣の瞳を真っ直ぐ見据えるエリカは、どこか優し気な表情をしていた。しかし、次いで放たれる言葉は、その表情に相応しくなくて。
「それとも、ゆいゆいは好きじゃない人とも寝ちゃう、淫乱さんなのかな」
「ち、違うよっ……わたしだって、ちゃんと考えて……」
「もう、認めちゃいなよ。気になってるんでしょ? 秋鷹のこと」
「えっ……」
まるですべてを見透かしているように、エリカは結衣の気持ちを言い当てる。結衣は瞳を揺らして、口をまごつかせていた。
「目、見たらわかる。ゆいゆい、ずっと秋鷹のこと見つめてる」
「う、うそ……」
自覚していなかったのか、結衣は衝撃を受けて固まった。
「秋鷹のこと、好き?」
「わからない……」
エリカが確認じみた問いかけをすると、結衣は弱々しく首を振った。それから間を置いて、エリカはゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、わざわざ来てくれたとこ悪いけど、今日はボクに譲ってくれないかな?」
言いながら、エリカはエプロンのポケットから四角い箱を取り出した。それは、結衣も最近知るようになった避妊道具だった。
「探したけど、この家にはこれ一つしかなかった。中身もこれだけ」
箱の中から出てきたのは、手のひらサイズの四角い袋。その使用用途は、もちろんこの場にいる全員が知っている。
「だから、譲ってくれないかな? ボク、本気で秋鷹が好きなの。二番目でいいって言ったけど、ほんとは一番になりたいし、好きって言ってもらいたい……。でも、それは叶わないから。少しでもそばにいられたらなって思ってる」
エリカは秋鷹のそばまで行くと、勢いよく飛びつく。秋鷹が読んでいた本が、畳の上に音を立てて落ちた。
「ゆいゆいは自分の気持ちがわからないんだよね? もしかしたら、好きじゃないかもしれないんだよね? だったら、ボクが秋鷹とシてもいいよね……」
紐をほどき、躊躇いなくエプロンを脱ぐエリカ。下着も何も着用していないため、彼女の柔肌が惜しげもなくさらけ出される。
小柄な体型に不釣り合いな乳房が、秋鷹の目の前でぶるんっと揺れた。秋鷹は今、全裸の女の子にのしかかられている。
「えりかちゃん……」
「ごめんねゆいゆい、帰ってもらえないかな……? ボク、セックスの最中はすっごく乱れるんだ。見られると恥ずかしいっていうか、友達の前でもちょっと……」
「で、でもっ――」
「はぁ……ゆいゆいじゃどうせ、秋鷹を満足させることなんてできないよ。まだまだおこちゃまなんだからさ」
最初はオブラートに包んだものの、エリカの二言目は結衣に響いてしまったらしい。結衣は口ごもって、涙目になってしまった。
「帰って、ゆいゆい」
そう威圧するエリカの腰に腕を回し、秋鷹は小声で言う。
「おい、あんまイジメんなよ」
「あいまいな気持ちのまま秋鷹といれば、ゆいゆいが辛くなるだけだよ」
エリカなりの気遣いということなのだろうか。
結衣はまだ、セフレという言葉に実感が湧いていないように思える。エリカみたく割り切っているのなら心配ないだろうが、恋人として扱われない悲しさは少なからず伴うはずだ。秋鷹はそれを補える自信があるけれど、結衣がそれに納得してくれるとは限らない。
――しかし、その時だった。
「好きだもん!」
エリカの『帰れ』という言葉に反抗するように、結衣が立ち上がった。
※ ※ ※ ※
「わたしだって、あきくんのこと好きだもんっ」
口を衝いて出たこの言葉は、きっと本心だ。
気づいたのは、彼に初めてを捧げた時だろうか。たぶん、自分が思うよりもっと前から。それこそ、無意識のうちに彼に惹かれていた自分がいたのかもしれない。ここ数週間での彼とのやり取りで芽生えた新しい気持ちもあれば、クラスメイトとして関わってきた彼との何気ない思い出が、今になって響くこともある。
なにより、涼に寄せていたあの気持ちは、すでに過去のものとなっている。結衣が好きだった涼はもうどこにもいない。そして、涼に好意を寄せていた結衣ももうどこにもいない。涼が変わってしまったと理解したあの時から、結衣の止まっていた時間は再び動き出したのだ。過去の思い出を追い求めるだけだった結衣は
それが恋だというのなら、この胸の痛みにも得心がいく。結衣のいないところならまだしも、目の前で秋鷹を独占されるのは――なんか嫌だった。
「そもそも、どうしてエリカちゃんがここにいるの? 呼ばれたのはわたし、エリカちゃんじゃないよ! わたしとあきくんの時間なのに、邪魔しないでよっ!」
言ってしまった。友人に向かって、こんな強い口調で感情を吐露したのは初めてだ。これまでの結衣なら、お互いの仲が壊れないように無意識に笑顔で誤魔化していただろう。しかし、胸の中で疼く微かな怒りが、結衣を奮い立たせた。
「満足できないってなに? あきくんは、ただ気持ちよくなりたいからセックスしてるんじゃないの。わたしの心の傷を癒そうとしてくれてるんだよ。それはあきくんの気遣いで、温情で。唯一のやさしさなの! そんなこともわからないの? エリカちゃんっ!」
「なっ――」
秋鷹の腰の上に跨っていたエリカだが、結衣の猛攻に耐えきれなくなったのか、反射的に立ち上がった。全裸だった。
「わ、わかってるよ! でも、秋鷹だって男の子じゃん! ちょっとはえっちなことに興味あるし、たまには存分に満足させてあげなきゃダメでしょ!?」
「それ、単にエリカちゃんがヤリたいだけじゃないの?」
「――っ!? そ、そうだよ? 秋鷹となら毎日したい。好きなら、そう思うのが当たり前だよ」
なぜかドヤ顔するエリカに、結衣は悲しげな視線を送った。それは決して憐れんでいるのではなく、エリカに対する不満が胸中に溜まっていたからである。
「エリカちゃんは、いっつもそうだよ……人のもの奪って、人を揶揄って、それで楽しんでるの。そして最後には、そのドヤ顔」
「ボク、そんな悪い子じゃないよ……」
「この前見たよ。エリカちゃんがちさちゃんのお弁当箱から、たこさんウインナー盗んでるとこ。それもきっと、一回や二回のことじゃないよね?」
図星だったのか、エリカは一歩足を引いてたじろぐ。しかし、それで終わるエリカではなかった。
「人のこと言えないよ。ゆいゆいだって、チサっちゃんのブラジャーを自分の胸に着けてたじゃん! 隠れてやってたみたいだけど、バレてるからね!」
「な、なんで知ってんの――!」
「ひみつ~。教えてあげないもーん」
「うぅ……教えてくれないと、エリカちゃんが小学生になってもオムツ履いてたこと、この場で言っちゃうよ……!」
「……そ、それ! どこで知ったの!?」
「ひみつぅ~」
結衣は唇を尖らせてマウントを取っている。非常に低レベルな争いだが、この二人からしたら結構本気の争いなのだ。そこに、秋鷹が隙を見て割り込む。
「二人とも、とりあえず落ち着こうか。騒がしいと、近所迷惑に――」
「あきくんは黙ってて!」
「あきたかは黙ってて!」
「え、はい……」
秋鷹は正座になると、視線を彷徨わせて俯いた。
そんな秋鷹には構わず、結衣とエリカは睨み合っている。いや、睨もうとしているが、どう頑張っても眉間に皺が寄っているだけだった。
「いいよ、じゃあ勝負しようよ。ゆいゆい、一歩も引かないみたいだし……秋鷹を先にイカせた方〟が秋鷹とセックスできる。それでどう?」
「わかった、それでいいよ。まだ若干腑に落ちないけど、これ以上は埒が明かないよね」
結衣はブレザーを放り投げると、リボンをほどき、ワイシャツのボタンを外していく。エリカは既に全裸のため、その様子をどんな気持ちで見ていたのだろうか?
すると、それを正座しながら見ていた秋鷹は、二人に向けてボソリと呟く。
「あの、勝手に決めないでください」
どうしてこうなった、と秋鷹は悩むこととなった。
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